2019年4月29日月曜日

2019.04.28 埼玉フィルハーモニー管弦楽団 第77回定期演奏会

埼玉会館 大ホール

● 埼玉会館のいいところは浦和駅から至近であること。川口リリアもそうだけれども,駅から近いというのはけっこう大きなポイントだ。
 初めての拝聴になる。開演は午後2時。入場無料。開場前から長蛇の列。

● 曲目は次のとおり。指揮は米津俊広さん。
 ショスタコーヴィチ ロシアとキルギスの民謡の主題による序曲
 ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番
 シューマン 交響曲第3番「ライン」

● あれれ,平山慎一郎さんがいるじゃないですか。ゲストコンサートマスター。昨日もオーケストラーダでコンマスとソリストを務めていた。
 大丈夫なんですか,こんなに仕事を入れて。っていうか,チョチョイのチョイ,オチャノコサイサイですかねぇ。

● ショスタコーヴィチのこの曲は初めて聴くもの。CDも持ってなかったと思う。ショスタコーヴィチの才能をもってすれば,それこそチョチョイのチョイだったかなぁ。

● キルギスは交通(シルクロード)の要衝にあったし,それでなくても中央アジアにあるんだから,狙われやすい場所だった。為政者が次々に変わっている。住民にとっては迷惑な話だ。
 最も迷惑だったのはロシアに制圧されたことだろう。そのためにソビエト連邦という人類史上最大の愚行に巻き込まれてしまった。言っちゃ何だが,スターリンがやったことに比べれば,ヒトラーなど可愛いものだ。
 キルギス人の顔貌はぼくらとそっくりだ。スラブの国にされる筋合いなどないわな。

● ラフマニノフのピアノ協奏曲は久しぶりに聴く。ピアノ独奏は宮﨑貴子さん。こういう布陣を整えて入場無料というのは,太っ腹だよね,埼玉フィル
 ピアノにも管弦楽にも文句の付けようがない。ぼくに文句を付ける資格などそもそもないわけだが,太っ腹だなぁと思った。

● まったく唐突なんだけども,グレン・グールドが頭をよぎった。ショパンに背を向けた唯一のピアニストというイメージをぼくは作ってしまっているんだけど,そのグレン・グールドにしてみれば,ラフマニノフは一顧だにする価値のない作曲家になるのだろう。
 この曲に髪の毛一本の共感も示さない(かどうか,本当のところはわからない)とすると,グレン・グールドの感性というのか気合というのか,すっげぇなぁと思うのだ。

● シューマンの3番。昨日は4番を聴いたのだが,今日も吉田秀和さんのシューマンに対する“故障した自転車”“傾いた船”という指摘が気になった。
 つまり,3番でもぼくはそれを感じることができなかったので。が,吉田秀和さんほどの人がそう言うのだから,実際にそうなのだろう。まさかシューマンの最期から演繹的に類推して,ないものを見てしまうなんてことを,彼ほどの人がするはずがないからだ。
 実際に指揮をしている人,演奏している人の意見を聞いてみたいものだと思うが,ぼくの感覚が鈍いのだろう。

● こういう演奏会って未就学児の入場は断ることが多い。察するに,未就学児は静かに聴いていられないと主催者が考えているからだろう。
 であるならば,同じ理由で75歳以上の入場も制限したらどうかと思うことが,最近増えた。ざっくり均すと,未就学児よりもジジイやババアの方が静かにしていない確率は高いような気がする。
 演奏中にプログラム冊子を広げてカサコソ音を立てるのは,ジジイやババアに共通。飴の包み紙をむいているのはババアに多い。
 ぼくの右に座った婆さまはアンコール曲だけ知っていたらしい。終局する3秒前から拍手を始めた。演奏中にもプログラム冊子を広げて,掲載されている広告を熱心に読んでいた。

● アマオケの場合,集客にいろいろと苦労している。招待状を出したり,今回のように無料にするのも,その対策のひとつなのだと思うが,その結果が暇を持て余しているジジイとババアを集めてしまっているかもなぁ。
 ジジイやババアってとにかく数が多いから,集めやすくもあるんだけれども,老い先短いジジイやババアに来てもらっても仕方がないんじゃないか。これだと,若者や壮年層をハジいてしまうことになりかねない。ジジイやババアが集まるところに若者や壮年層は近寄らないからね。
 目先の集客努力が中長期的に見ると自分の首を絞めていた,ってことにならなければよいのだが。

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