杉並公会堂 大ホール
● 4月5日にティアラこうとうで開催されるはずだったものが,今日に延期になった。4月の開催はどうやったって無理だった。ホール側が首を縦にふることはなかったろうし,もし強行できたとしても,世間から袋叩きにされたろう。街から人がいなくなってシーンとしていた時期だもんな。
が,再度の延期にすることはなく,今日の催行にこぎつけた。関係者の労を多としたいという上から目線の定例句を述べても仕方がないのだが,ここで延期はしたくないよねぇ。やりたいでしょうよ。
● 開演は午後7時。入場料は1,000円。チケットは事前申込制。当日券もあったのかもしれないが,事前申込が基本だった。チケットはメールで送られてくる。スマホの画面を見せて入場。
曲目は次のとおり。指揮は山上紘生さん。
ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番
スメタナ 交響詩「わが祖国」全曲
スメタナの「わが祖国」をまとめて生で聴くのは,これが初めて。2時間半に及ぶ演奏会になった。
● まず,ラフマニノフ。ソリストは嘉屋翔太さん。若干20歳。には見えない顔立ちで,遠目には30歳だと言われればそうかと思う風貌だ。非常に大げさにいえば,20歳にしては異形の持ち主だ。異形は天下を取る相と言っていいだろう。大物になることが多い。
加えて,中学・高校は開成。で,東大に行かずに,東京音大に特別特待奨学生として入学。ピアノの才能と3歳からの積み重ねの大きさが,東大に行くことを許さなかったのだろうと推測する。
● 嘉屋さんの脳とぼくの脳を比べても,ハードウェアとしては変わるところはないと思うんだけどねぇ。インストールされたソフトウェアが違うんだろうかなぁ。
こういうのはね,考えても詮ないものだからね。人の一生は複雑系に属するもので,初期値のほんの僅かな違いが結果に大きな違いをもたらす,と考えておくより仕方がないよねぇ。
その昔に流行った行動科学なんぞは,薄っぺらい子供騙しの戯言だったかもしれないね。あれって,操作主義に帰着しそうだもんね。こうすればこうなるって。そんなことはないんだって。複雑系なんだもん。
● 演奏はどうだったかといえば,大過ないという水準をはるかに超えて,とんでもなくハイレベルの仕上がり。ピアノのみならず,オケもすばらしい。現役の音大生を中心に,かつての現役生が加わっているのかと思われるのだが,若さは力なり,を実感したければ,この楽団の演奏を聴けばよい。
随所で心地良さに浸ることができる。力のこもった演奏だ。その力のこもり具合と技術の高いレベルでの均衡。そうそうあるものではない。
っていうか,ぼくごときが青かったとか赤かったとか,陳腐な感想を述べても仕方がないかと思う。
● 交響詩(symphonic poem)とは何か。Wikipediaによれば「管弦楽によって演奏される標題音楽のうち,作曲家によって交響詩と名付けられたものを言う」とあるのだが,こんな定義ではとうてい納得できない。作曲家が交響詩と付ければ交響詩になるって,なんだ,それ。まったく恣意的ではないか。
「わが祖国」の第2曲「モルダウ」が何を描写しているかは有名だから,さすがにぼくも知っている。上流端からプラハ城にたどり着き,エルベ川に合流するまでのモルダウ川を描いたものだ。途中,結婚式があったり,妖精たちが舞っていたりする。その様子を音で表したものだ。
● そういうことを予め知ったうえで「モルダウ」を聴けば,そういうふうに聴こえないこともない。が,それを知らずにこの楽曲を聴いて,その “詩” を想像できるかといえば,それは絶対に無理だ。
音でやる以上あたりまえのことなのだが,その “詩” はすこぶる抽象的なものにならざるを得ない。現代詩や抽象画以上に,作り手と受け手の間に共通了解事項を産みだすことは難しい。橋は架からない。
● したがって,交響 “詩” なのではなく,“交響” 詩なのだろう。作り手が描こうとした情景や心象風景は,直接的には(聴き手にとっては)どうでもよくて,音としてどうなっているかがまず問題にされる。標題はどうでもよろしいので,結局のところ,交響詩も絶対音楽の範疇に属するものだと考えていいのではないか。
「わが祖国」においても,スメタナが語っているストーリーは,この曲を聴くにあたってタグとして使えるかといえば,ほとんど使えない。逆にいえば,それを知らなくても何の支障もなく,「わが祖国」を聴くことができる。徹頭徹尾,自分に引きつけて聴くのがよい。
● 弦の奏者はマスクを付けている。過剰反応かと思うが,そんなことは承知之助で演じているんだろうねぇ。
指揮者はさすがにノーマスク。マスクを付けて指揮したら,はたして指揮が指揮として成立するだろうか。サングラスよりはマシだろうけど,ちょっと厳しいような気がするね。
● 次回は来年の5月8日。次々回は11月14日。次回までに法人化を完了している予定。法人化すると何かいいことがあるのかどうか,ぼくにはわからないが。今回は法人化前の楽団としてのファイナル演奏会というわけだ。
この楽団の面白いところは,そのあたりの航海図をざっくりと決めて(つまり,細部までは詰めないで),出航してしまうところかもしれない。始めてみないと細部は詰まらないから,そのやり方でいいのだと思う。
● その前に10月31日(土)に室内楽の演奏会がある。モーツァルトの弦楽四重奏曲「春」をはじめ,魅力的なプログラムだ。盛りだくさんでもある。
今年2月の第9回演奏会に続いて,今回が二度目の拝聴になるのだが,この楽団は可能ならしばらく追いかけて行きたい。