東京芸術劇場 コンサートホール
ぼくは安いA席のチケットを事前に楽団に申し込んでいた。チケットは郵送されてくる。チケットが届いてから代金を振込む方式。その方が事務処理の工数を削減できて合理的ではある。けれども,性善説に立たないとできないよね。
ひょっとして,振込まれたかどうかのチェックもしてなかったりするんだろうか。いや,それはやってるでしょうね,さすがにね。
● 当日券もあった。座席は半数に限定して指定している。それでもだいぶ空席があった。新交響楽団にしてこうなのだから,他も同じだろう。
こういう状況なのだから,それは当然とも言える。何事かの不思議があるかといえば,ない。
主催者の側から見て,一番心配なのはコロナが収束した暁に,自粛していた人たちが全員戻ってきてくれるだろうかということだろう。自粛が長引けばそれが常態になってしまうかもしれない。だから,早く収束してくれないと困る。
● 指揮は飯守泰次郎さん。御年80歳。さすがに年齢から来るものなのか,それとも足を傷めているのか,ちょっと覚束ない足取りで登場。
しかし,指揮台に上がって客席に背を向けてスタンバイすると,とたんにシャキっとするのはさすがというか,何というか。
老人(?)にここまで頑張られてしまうと,若年,壮年の指揮者は辛いかもなぁ。力づくで奪いに行かないとしょうがないんだろうかなぁ。
東京芸術劇場 コンサートホール |
スメタナという作曲家は神経がむき出しのまま外に出ているようなところがあって,自身も辛かったろうし,他人を追い詰めることも多かったろう。清濁併せ呑むなんて芸当は思いもよらなかったことだろう。
そうしたスメタナの性格と「モルダウ」の美しすぎる旋律とが,不思議な取り合わせのように感じられる。実際には不思議でも何でもないはずなのだが,そう感じるのが癖になっている。
そうして,「モルダウ」のあの旋律は,何度聴いても初めて聴くもののように染みてくる。
● その「モルダウ」を新交響楽団の演奏で聴くわけだ。弦のダイナミックなうねり。そのうねりに愛撫されているような快感は何事ならん。
「ブラニーク」でのホルンの馥郁とした響き。さすがと言うべきでしょう。栃木の在からわざわざ足を運ぶ価値がある。
こういう時期でも,中止するなどとは1mmも考えなかったでしょう。そう思わせる演奏でしたよ。
● ところで。最近,見つけた楽しみなのだが,まだガラガラのホールの席に座って,ウォークマンで音楽を聴くのは気持ちがいい。だから,開場そうそうに行って着座するのがいい。
ソニーのCMじゃないけれど,「いい音には,静寂が要る」。ぼくは田舎に住んでいるので,家の中も外も静かなものだ。けど,ホールの席で聴くときのあの密やかな幸福感はなかなか味わえない。
もちろん,ウォークマンはついでの楽しみだ。が,ついでにしてはちょっと大きい楽しみになってきた。
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