2020年10月31日土曜日

2020.10.31 アンサンブル・ノット 第6回演奏会

豊洲シビックセンター ホール

● 開演は12時30分。入場無料(カンパ制)。ただし,事前申込制。
 曲目は次のとおり。
 ベートーベン クラリネットとバスーンのための3つのデュエット
 フランツ&カール・ドップラー ハンガリーのモチーフによる幻想曲
 プロコフィエフ 「10の小品」より『前奏曲』
 プーランク オーボエ・バソンとピアノのための三重奏曲
 プーランク クラリネットとバスーンのためのソナタ

 メンデルスゾーン ピアノ三重奏曲 第1番 より第1,2楽章
 ロベルト・フックス クラリネット五重奏曲
 モーツァルト 弦楽四重奏曲 第14番「春」
 ベートーベン 管楽六重奏曲
 グリーグ ヴァイオリンソナタ 第3番

 終演は16時をかなり過ぎていたから,4時間に及ぶコンサート。これだけやるんだから,それくらいの時間は要する。

● 主催はアンサンブル・オーケストラ・ノット。その代表者の高橋勝利さんが,クラリネットを担当して4曲に登場。
 出番がないときも,客席に設置した録画録音機器を調整したり,ステージの譜面台や椅子を片付けたり,アナウンスをしたりと,八面六臂の活躍ぶりというか,雑用を一手に引き受けているというか,休む間もなく身体を動かしていた。
 法人化も彼が音頭を取って実務も担当しているのだろう。現役音大生にそんな余裕はないだろうし。でもって,法人化が終了する前から法人化記念演奏会の日程と会場を決めてしまっている。
 いや,このモチベーションはどこから来るんでしょうかなぁ。好きなことだからというだけではないように思えるんだが。

● オーケストラ・ノットの演奏会は今年になってから二度ほど聴いている。アンサンブル・ノットはオーケストラメンバーの分派活動なのだと思うのだけど,ひょっとすると,オーケストラには加わっていないけれども,アンサンブル・ノットでは活動しているという人もいるんだろうか。
 オーケストラの方は音大の現役生とOB・OGで構成されているオケだと思いこんでいたのだが,それ以外のメンバーもいるんだろうか。

● 最も力がこもっていたと思えたのは,最後のグリーグのヴァイオリンソナタ。
 これだけは特別ゲスト登場というわけで,ヴァイオリンは去川聖奈さん,ピアノは近藤大夢さん(2人とも昭和音大の学生)。いずれはノットのメンバーになるんだろうか。

豊洲シビックセンター
● 演奏とは何の関係もないんだけれども,去川さんは熊本県の出身。九州でも福岡と熊本には福岡顔,熊本顔というのがあると思っていて。
 たとえば,橋本環奈の顔は福岡顔だなと思うんですよ。福岡にはああいう顔の女性が多いような気がしている。あそこまでの美形はそうそういないとしても。
 で,去川さんも見ただけで熊本とわかるようなお顔のわけですね。何ていうんだろ,視線が鋭いというか,「チャラチャラしてると張り倒すぞ,てめー」と語ってるような目線というか。
 ぼくのイメージする熊本顔って,そういうものなんですよ。熊本=インド・アーリア説っていうのを,唱えておりまして。いや,まったくどうでもいいような話なんですが。

● 聴いていて面白かったのは2つあって,まずドップラー兄弟の「ハンガリーのモチーフによる幻想曲」。軽快で楽しそうに始まるのだが,だんだんうら寂しくなっていく。
 これはジプシーの音楽だよね。何かさ,俺は昭和の枯れすすきと歌ってないか,みたいな曲調になる。辛い渡世だなぁ的な。
 それだけだと演歌になってしまいそうなのだが,そこはそれ,うら寂しくはあっても湿っぽくはないので,1ミリも演歌にはなっていないのだけど。

● もうひとつは,メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲。華やかだ。これはもう,そういう曲なわけですね。
 ピアノはすでに大人(たいじん)の風格がある嘉屋翔太さん。腕もたしか。こちらは曲の華やぎに身をまかせていればいい。

● そんなこんなで,10月最後の今日,今月4回目になる演奏会を聴くことができた。回数だけで言えば,コロナ以前に戻っている。ので,ぼく一個に関してはコロナは収束したと言っていい。
 まだまだしんどい思いを余儀なくされている人が多いのに,こんなことを言うと不謹慎の誹りを免れないかもしれないが,ぼくのような不謹慎な人間がどんどん増えてくれば,飲食業や宿泊業で大変な思いをしている人たちの負い荷も少しは減るのではないかとも思っている。

2020年10月28日水曜日

2020.10.18 新交響楽団 第251回演奏会

東京芸術劇場 コンサートホール

● 久しぶりに東京芸術劇場に来た。新交響楽団の定演を聴きにきたのだけれど,こういう時期なのでチケットの予約あるいは代金の支払い方法が特異というか,普段はないやり方になる。
 事前にメールで申し込んでおいて,当日,チケットを受け取る形になった。できれば,料金は現金で受け取ってもらいたかったのだけども(20分前に別のコンサートのチケットを,このホールのプレイガイドで買っている。現金で),コロナ感染を避けるために後日振込。要は,お金を払わないで入場することになった。

東京芸術劇場
● コロナでキャッシュレスが進展したんだろうか。どうなんだろう。ぼく自身はあまり感じないのだが,クレジットカードとかQRコードで支払うのが増えているんだろうか。
 けれども,銀行振込となると昭和に舞い戻ったような気分になる。2,000円を送金するのに手数料は300円くらいになるのじゃないか。濡れ手に粟の丸儲けとはこういうことで,昭和の御代では(平成になってからもだが)特に疑うこともなく,それに従っていたんだね。銀行にはいい時代だったろう。
 もっとも,当時は銀行にお金を預けておけば,6%とか7%の利息が付いたから,その程度の手数料はしょうがないかってのもあったんですけどね。

● さらに脱線するんだけども,去年だったか,金融庁が,老後を送るには年金の他に2千万円の金融資産が必要という試算を出して,物議をかもした。
 これって,昔なら退職金を銀行に預けておくだけでよかったんだよね。利率5%でも,退職金が2千万円とすれば年に百万円の利息をもらえた。定年退職後20年生きれば,利息だけで2千万円になったのだ。それと年金でやっていけた。
 元金はそっくり残って,子孫に引き継ぐことができた。今は利息がないのだから,元金に手を付けるしかない。元金がなくなるのと同時に死ねたとしても,スッカラカンになっていて,子どもに残せるものなど何もなくなっている。
 年金だけでは暮らせないといっても,それは年金政策の問題ではないということだよね。マクロ経済の変動を年金が吸収できるはずもないわけで。

● 開演は午後2時。全席指定でS席とA席の2種。Sが3,000円でAが2,000円。ぼくの席はA。
 曲目は次のとおり。指揮は湯浅卓雄さん。
 シベリウス カレリア組曲
 芥川也寸志 交響三章
 シベリウス 交響曲第1番

● 新交響楽団はその出自からして,芥川也寸志を取り上げるのは約束事になっているのだと思うが,どうしてもここはシベリウスの1番が印象に残る。とりわけ,第4楽章。
 序盤のクラリネットの幽玄。終盤の,音が重なる毎に透明感が増していくオーケストラの不思議。いや,ほんとに不思議。重なっても濁らないんだから。
 アマオケNo.1の世評はダテではない。こういう演奏をアマオケにされては,なまじなプロオケは顔色を失うのではないか。

● プログラム冊子の曲目解説に,「音楽は感覚の数学,数学は理性の音楽」というシルベスター(数学者)の章句が紹介されている。こういう巧すぎる表現には気をつけろと思いつつも,音楽愛好家にはよく知られているこの言い方に説得されてしまう。特に交響曲は論理の塊なのだろうと思うことがあるから。
 が,数学音痴のぼくにこの点について語る資格があるはずもない。ただ,数学と音楽の距離は非常に近いのだろうなと感じるだけだ。演奏者に理系の人が多いのも,何となく理解できる気になっている。

● これほどの楽団でも,いや,これほどの楽団だからこそかもしれないが,団員募集中だ。「常に新しい視点をもって活動をしていくために新しい力を必要としています」というのは,どんな組織でも必要なことでしょうね。
 メンバーが固定してそれがずっと続くようでは,その組織なり集団は必ず病む。新陳代謝がどうしたって必要だ。人体と同じこと。細胞の入替えがなくなれば,人は死ぬ。いや,死ぬとは細胞の入替えがなくなることだ。

● 8月以降,演奏会の催行自体は行われるようになりつつある。当日券は販売しないとか,チケットのもぎりはしないとか,満席にするわけにはいかないとか,ステージでも奏者間の距離を取らなければならないからマーラーを演奏するのは難しいとか,そういう制約は残っているので,まだまだ復旧したとは言えないけれども,中止や延期はグッと減ってきたような。
 ので,生の演奏を聴けない空虚さ(?)のようなものは,ぼくに関しては払拭されている。開催する方がそうした諸々の制約を引き受けてくれているからだ。ありがたいことである。

2020年10月17日土曜日

2020.10.10 日比谷高等学校フィルハーモニー管弦楽団 2020年度定期演奏会

なかのZEROホール 大ホール

● ネットで日比谷高校フィルハーモニー管弦楽団の定演があることを発見。この時期だから聴きたければ事前申込方式。当日,フラっとやってきても入れないかんね,という。
 で,申し込んでおいた。申込者多数の場合は抽選になるという。申し込んでいたこと自体を忘れていた頃,聴きに来てもいいよというメールが届いた。
 抽選するほどの申込はなかったらしい(が,座席の残りはかなり少なかった)。そりゃそうだ。外出することに消極的な人たちもまだまだ多いに違いない。

● 日比谷高校というと名前に圧倒されそうになる。何せ日本の中心に位置する高校なのだ。地理的にも歴史的にも名門中の名門。
 学校群制度が廃止されて久しいが,東大合格者数は公立高校では最も多い。往年の輝きを取り戻しつつある。それを輝きと呼ぶのであれば,だけれども。

● 受付を担当していたのは,教師だろうか保護者だろうか。生徒にやらせるともっと手際よくやったのではないかと思えるんだけど,この時期に生徒にやらせるわけにはいかなかったんだろうね。
 もっとも,スマホの画面を確認しなければならないわけなので,普通よりは手間取るのは致し方がない。スマホを見せる側の問題が大きいだろう,たぶん。

● プログラム冊子はA5サイズの小ぶりなものだが,読みごたえがある。まず驚くのはトレーナーの数だ。パート毎に計14人。高校から手当が出ているはずがない。部費で支払えるはずもない。ボランティアで教えているのだろう。
 野球やサッカーだったら,その辺の草野球や草サッカーで鳴らしているオッサンが来て,ワイワイやってることもあるのかもしれないが,ヴァイオリンやチェロを教えるのに,そんなのはあり得ないわけで。

● そのトレーナーの中に見覚えのある人がいた。コントラバスの岡本潤さんだ。コンセール・マロニエ21で第1位になったときの演奏を聴いている。現在はN響の団員。
 何が言いたいのかといえば,彼クラスのトレーナーが(おそらく無報酬で)指導にあたっているというのは,それだけの(金銭的報酬以外の)インセンティブがあってのことのはずで,そうさせるだけの魅力を日比谷高校オケが秘めているということなのだろう。
 それが何なのか。これからの演奏で探れるかもしれない。心して聴かねばならぬだろう。

● 開演は午後2時。曲目は次のとおり。休憩なしで1時間強の演奏会になった。
 エルガー 威風堂々 第1番
 ドヴォルザーク 交響曲第8番 ト長調
 指揮は山上純司さん。山上さんもまたボランティアで高校生の指導にあたっているんだろうか。これほどの人に指揮してもらえる高校オケは,そうそうないでしょう。

● エルガー「威風堂々」1番の第1音。この第1音で聴衆をガッと掴むことができたろう。守る一方じゃなくて果敢に点を取りに行くに違いないと思わせた。そのとおりだった。技術があるからできることだが。
 トレーナーの方々も演奏に参加している。コントラバスの岡本さんの姿もあった。
 が,トレーナーが引っ張っているのかというと,そういう感じでもない。もちろん引っ張っているんだろうけれども,高校生の演奏に引っ張られている感は少ない。

● 3年生はこの演奏会をもって現役を引退するのかと思いきや,すでに引退しているのだった。もう10月なんだから,それはそうだよな。とは思うんだけども,1,2年生だけでやる定期演奏会には初めて遭遇する。
 コロナの影響で開催が遅れてこの時期になったというわけでもなさそうなので,そういうシキタリなのだろう。

● 「威風堂々」は選抜チームだったのだろうが,ドヴォルザークの8番は総員が配置に着いたっぽい。ということは,楽器を始めてまだ半年しか経っていない生徒もいたということ。しかも,少なくない数で。
 特にヴィオラの後席でトレーナーの2人が懸命に音を出していたのが印象に残るのだけれども,始めて半年でとにもかくにもこの曲を演奏してしまうのだ。

● この “とにもかくにも” が大事なことだと,ぼくなんぞも考えている。見切り発車で路上に出て,とにもかくにも決められたコースを自分で運転してしまえ,ということ。上達に最も資するのはこの経験ではあるまいか。
 とはいえ,ではおまえにそれができるのかと問われると,どうにも心もとない。尻込みしそうな気がする。いや,尻込みするだろう。
 しかるに,若い高校生はそれをやるのだ。おそらく,1年後には長足の進歩を遂げているに違いない。ぼくら中高年は若さの前に敬虔でなければいけないと思うのは,そこのところだ。ぼくらができないことを,彼ら彼女らはやるのだ。

● しかし,その生徒たちをもってしても,ドヴォルザークのこの曲をピンと糸を張ったままで乗り切るのは,かなりの難事であるらしかった。糸が緩むことがあった。
 しかし,それは瑕疵ではない。スタミナの問題は経験が解決する(と思う)からだ。能力は充分にあるのだから,あとはその能力を外に出やすくするために土を耕すだけの話だ。どう耕せばよいかのノウハウは,この楽団の中に蓄積されているに違いない。

● 糸が緩むことがあったと言った。呼吸が乱れるところがあったと言い換えてもいい。
 しかし,たとえば,第4楽章冒頭のトランペットのファンファーレは,2本ではなく4本だった。にもかかわらず,音の99%は重なっていたと思えた。地味といえば地味だが,奏者にはプレッシャーにもなるだろう。難しくもあるだろう。ファインプレーと評しておく。
 第3楽章の舞曲は上品に跳ねるようで,楽しそうに(あるいはちょっとすまして)踊っているスラヴの娘たちが脳内に浮かんでくるようだった。

● アンコールのスラヴ舞曲も同様で,本番を無事に終えてリラックスできていたせいか,演奏に切れと伸びがあったように感じたのだが,それはこちらの錯覚かもしれない。
 この高校のシキタリにはないのであろうけれども,3年生の演奏を聴いてみたいものだと思った。

2020年10月13日火曜日

2020.10.04 クライネ ハーモニー オーケストラ 弦楽アンサンブルコンサート

豊洲シビックセンター ホール

● 開演は午後2時。入場料は2,000円。事前申込制なので,前もって申し込んで,代金は口座振込で支払った。
 振込手数料を払って,口座に振込むという支払いの仕方を久しぶりにした。今となっては,新鮮な体験になる。昔(といっても,ほんの数年前のことなのだが)はこんな面倒なことをしていたのだなぁ,と。

● 曲目は次のとおり。指揮は佐藤有斗さん。
 レスピーギ リュートのための古風な舞曲とアリア 第3組曲
 アンリ・カサドシュ(J.C.バッハ) ヴィオラ協奏曲
 チャイコフスキー 弦楽セレナーデ

● こういう時期なので,開催される演奏会を見つければとにかく聴くことに決めている。選べるほどには催行が復活していない。見つけたら聴く。
 そういうわけなので,この楽団も初めての拝聴になる。いかなる楽団なのか。楽団のサイトには「10代,20代と学生・アマチュアオーケストラそしてプロオーケストラで活躍してきた奏者が,再び【アンサンブル】に立ち返るべく,プロ・アマ混合で結成されたオーケストラ」とある。

● 日本のオーケストラでプロとアマの差がどれくらいあるものなのか,あるいはないものなのか,ぼくには測りかねる。と言いながら感じることを述べれば,囲碁や将棋,落語や伝統芸能におけるほどの隔絶した差はないように思われる。
 プロ・アマ混合というのは,オーケストラにおいては充分に成立するのだろうなと,そこは得心がいく。

● 今回は弦だけということもあってか,少数精鋭という印象になる。かつ,プロ・アマ混合にさほど無理は感じないものの,上手い人は半端なく上手いということもわかる。
 そのうえで,アットホームでもあるようだ。演奏中であってもサインの交換は笑いでやると決めているのか,と思ったことだった。

● 圧巻はヴィオラ協奏曲。ソリストは自前調達。この楽団の団長でもある飯顕さん。巧すぎて話にならない。間違いなくプロの技ということですね。
 この楽団にはコアなファンもいるっぽい。ファンではなくて音楽仲間なのかもしれないけど。

● 結論は,この演奏を2,000円で聴けるんだったら,聴いておいた方がお得でしょ,ってこと。
 こういう時期でもこれだけの演奏をやってのける楽団が東京にはあるんだねぇ。

2020年9月30日水曜日

2020.09.27 サンフォニア・ドラマティーク 第8回演奏会

 ティアラこうとう 大ホール

● 4月から7月まで,音楽を聴ける機会はなかった。が,8月に入ってから,生演奏を聴くという贅沢を自分に味わわせてやれるようになった。
 とはいっても,東京においてはよりどりみどりで好きなのを選べるのが普通だが,現状ではそこまでは回復していない。あればラッキーというところにとどまっている。

● で,今日はサンフォニア・ドラマティークの演奏会を聴けるというわけなのだ。コロナが収束したとはいえないこの時期に開催してくれること自体が,かなりの程度にありがたい。
 聴く側は何の負担もしていない。開催する側の負担に全面的に拠っている。おんぶに抱っことはこのことだ。

● 開演は午後2時。入場無料。
 楽団のサイトによれば,この楽団は「音楽監督である佐藤雄一氏の音楽に共感し,さらにその表現の幅を拡げ,伝える事を目標に集ったアマチュア・オーケストラ」であるのだが,8回目にして初の拝聴となる。
 指揮はしたがって佐藤雄一さん。今回の曲目は,シューベルトの交響曲第8番と第7番。演奏の順番もこのとおりで,「ザ・グレート」を演奏してから「未完成」。

● オール・ベートーヴェンとかオール・ブラームスのプログラムはさほどに珍しくないと思うが,オール・シューベルトというのは,ぼくが聴く中では今回が初めてだ。
 ちなみに,次回はショスタコーヴィチの交響曲を2つ演奏する。こうした偏りはアマオケのみに許された求道(?)の方法かもしれないが,多くの場合,偏りはそのまま魅力でもある。

● この楽団にはもうひとつ特徴があって,本番の演奏を録音していることだ。素人録音ではなく,三点吊りが作動していたのではないか。
 過去の演奏会のCDやDVDの販売も。DVDというからには録画もしているわけか。自分たちの演奏を高品位で録音するのはやった方がいいに決まっている(と思う)。が,アマオケでそこまでやっているところはそんなに多くはない。わかっていても,なかなかやりきれないものだろう。この楽団はやっている。

● 「ザ・グレート」を一瞬の緩みもなく演奏しきれるオケって何だか凄いね。非常に明瞭で,曖昧さを残さない。曖昧さなんて残したら負けだ,と思っているがごとくだ。力があることの証明でしょう。
 聴いてるこちら側は何度も集中を欠いてしまった。まことに相すまぬことである。

● こうして今まで聴く機会のなかった楽団の演奏会を聴けているのも,コロナのお陰だといえば言える。追うべき楽団が増えるのは,ラッキーでもあるのだが,債務が増えたような気分でもある。
 追える範囲で追っていけばいい。このあたりは軽く考えておこう。軽く考えておくって,けっこう大事なことでもあると思うので。渡世術のかなり上位に来る心得かもしれないよ。

2020.09.26 オーケストラ・ノット ファイナル演奏会

 杉並公会堂 大ホール

● 4月5日にティアラこうとうで開催されるはずだったものが,今日に延期になった。4月の開催はどうやったって無理だった。ホール側が首を縦にふることはなかったろうし,もし強行できたとしても,世間から袋叩きにされたろう。街から人がいなくなってシーンとしていた時期だもんな。
 が,再度の延期にすることはなく,今日の催行にこぎつけた。関係者の労を多としたいという上から目線の定例句を述べても仕方がないのだが,ここで延期はしたくないよねぇ。やりたいでしょうよ。


● 開演は午後7時。入場料は1,000円。チケットは事前申込制。当日券もあったのかもしれないが,事前申込が基本だった。チケットはメールで送られてくる。スマホの画面を見せて入場。
 曲目は次のとおり。指揮は山上紘生さん。
 ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番
 スメタナ 交響詩「わが祖国」全曲
 スメタナの「わが祖国」をまとめて生で聴くのは,これが初めて。2時間半に及ぶ演奏会になった。


● まず,ラフマニノフ。ソリストは嘉屋翔太さん。若干20歳。には見えない顔立ちで,遠目には30歳だと言われればそうかと思う風貌だ。非常に大げさにいえば,20歳にしては異形の持ち主だ。異形は天下を取る相と言っていいだろう。大物になることが多い。
 加えて,中学・高校は開成。で,東大に行かずに,東京音大に特別特待奨学生として入学。ピアノの才能と3歳からの積み重ねの大きさが,東大に行くことを許さなかったのだろうと推測する。


● 嘉屋さんの脳とぼくの脳を比べても,ハードウェアとしては変わるところはないと思うんだけどねぇ。インストールされたソフトウェアが違うんだろうかなぁ。
 こういうのはね,考えても詮ないものだからね。人の一生は複雑系に属するもので,初期値のほんの僅かな違いが結果に大きな違いをもたらす,と考えておくより仕方がないよねぇ。
 その昔に流行った行動科学なんぞは,薄っぺらい子供騙しの戯言だったかもしれないね。あれって,操作主義に帰着しそうだもんね。こうすればこうなるって。そんなことはないんだって。複雑系なんだもん。


● 演奏はどうだったかといえば,大過ないという水準をはるかに超えて,とんでもなくハイレベルの仕上がり。ピアノのみならず,オケもすばらしい。現役の音大生を中心に,かつての現役生が加わっているのかと思われるのだが,若さは力なり,を実感したければ,この楽団の演奏を聴けばよい。
 随所で心地良さに浸ることができる。力のこもった演奏だ。その力のこもり具合と技術の高いレベルでの均衡。そうそうあるものではない。
 っていうか,ぼくごときが青かったとか赤かったとか,陳腐な感想を述べても仕方がないかと思う。

● 交響詩(symphonic poem)とは何か。Wikipediaによれば「管弦楽によって演奏される標題音楽のうち,作曲家によって交響詩と名付けられたものを言う」とあるのだが,こんな定義ではとうてい納得できない。作曲家が交響詩と付ければ交響詩になるって,なんだ,それ。まったく恣意的ではないか。
 「わが祖国」の第2曲「モルダウ」が何を描写しているかは有名だから,さすがにぼくも知っている。上流端からプラハ城にたどり着き,エルベ川に合流するまでのモルダウ川を描いたものだ。途中,結婚式があったり,妖精たちが舞っていたりする。その様子を音で表したものだ。

● そういうことを予め知ったうえで「モルダウ」を聴けば,そういうふうに聴こえないこともない。が,それを知らずにこの楽曲を聴いて,その “詩” を想像できるかといえば,それは絶対に無理だ。
 音でやる以上あたりまえのことなのだが,その “詩” はすこぶる抽象的なものにならざるを得ない。現代詩や抽象画以上に,作り手と受け手の間に共通了解事項を産みだすことは難しい。橋は架からない。

● したがって,交響 “詩” なのではなく,“交響” 詩なのだろう。作り手が描こうとした情景や心象風景は,直接的には(聴き手にとっては)どうでもよくて,音としてどうなっているかがまず問題にされる。標題はどうでもよろしいので,結局のところ,交響詩も絶対音楽の範疇に属するものだと考えていいのではないか。
 「わが祖国」においても,スメタナが語っているストーリーは,この曲を聴くにあたってタグとして使えるかといえば,ほとんど使えない。逆にいえば,それを知らなくても何の支障もなく,「わが祖国」を聴くことができる。徹頭徹尾,自分に引きつけて聴くのがよい。

● 弦の奏者はマスクを付けている。過剰反応かと思うが,そんなことは承知之助で演じているんだろうねぇ。
 指揮者はさすがにノーマスク。マスクを付けて指揮したら,はたして指揮が指揮として成立するだろうか。サングラスよりはマシだろうけど,ちょっと厳しいような気がするね。


● 次回は来年の5月8日。次々回は11月14日。次回までに法人化を完了している予定。法人化すると何かいいことがあるのかどうか,ぼくにはわからないが。今回は法人化前の楽団としてのファイナル演奏会というわけだ。
 この楽団の面白いところは,そのあたりの航海図をざっくりと決めて(つまり,細部までは詰めないで),出航してしまうところかもしれない。始めてみないと細部は詰まらないから,そのやり方でいいのだと思う。


● その前に10月31日(土)に室内楽の演奏会がある。モーツァルトの弦楽四重奏曲「春」をはじめ,魅力的なプログラムだ。盛りだくさんでもある。
 今年2月の第9回演奏会に続いて,今回が二度目の拝聴になるのだが,この楽団は可能ならしばらく追いかけて行きたい。

2020年9月24日木曜日

2020.09.21 アンサンブル・ジュピター 第16回定期公演

 杉並公会堂 大ホール

● 開演は午後7時30分。入場無料(カンパ制)。
 この時刻の開演だと,終演後すぐに電車に乗っても,自宅には帰りつけない。最終電車に間に合わない。新幹線を使えば間に合うんだけど,そこまでして東京まで聴きに行かんでもとの思いがある。
 が,今夜は東京に宿を取っている。後顧の憂いなく,地下鉄丸の内線で荻窪までやってきた。

● たぶん,今回に限ってはということなのだろうが,座席は指定される。ぼくに与えられたのは4列目だった。といって,1~3列は撤去されているので,最前列ということ。
 曲目は次のとおり。
 モーツァルト セレナード第6番 ニ長調「セレナータ・ノットゥルナ」
 チャイコフスキー 弦楽セレナード ハ長調


● この楽団の演奏を聴くのは初めて。と思っていたのだが,4年前に同じホールで聴いていた。ガッデム!
 「2005年,早稲田大学フィルハーモニー管絃楽団出身のメンバーを中心に結成」された楽団。ということを知って団員を見ると,みな利発そうに見えてくる。早稲田大学フィルハーモニー管絃楽団は早稲田大学の学生だけで構成されているわけではないのだが,それにしたってぼくから見たら。

● 卒業したばかりと思しき可愛らしいお嬢さんもいれば,キリッとした感じの元お嬢さんもいる。年齢幅はけっこうあるが,総じていうと若い印象を受ける。
 ひとつには,圧倒的な存在感を示したコンマスが若い人だったからだが,はるか昔は少年少女だったという団員も気が若いのだろう。


● 指揮は安藤亮さん。「早稲田大学在学中に早稲田大学フィルハーモニー管絃楽団を創立」したというから,一途な変わり者だったんでしょうかねぇ。
 早稲田には泣く子も黙る早稲田大学交響楽団という早稲田純正のオケがある。おそらく(というのは,すべての大学オケを聴いたわけではないからだが)大学オケではトップに位置する。もちろん,藝大や桐朋は除いてということにしておきたいのだが,ひょっとしてひょっとすると,それらを加えても・・・・・・と思わせるほどのものだ。
 安藤さんはそのワセオケと反りが合わなくて,スピンアウトしたんだろうかなぁ。そうして早稲田フィルを創設したとすると,これはもう英雄譚なんだがなぁ。


● モーツァルトはいいものだ。18世紀のウィーンの伯爵か侯爵になったような気分だ。席が最前列で観客が視界に入らなかったせいもある。しかも,当時の彼の地の貴族諸君よりいい演奏で聴いているはずだ。
 楽器も進歩しているだろうし,当時の貴族の館よりも今夜のこのホールの方が音響も優れているだろう。
 しかし,それよりも奏者の技術水準だ。18世紀のヨーローッパの愛好家よりも,現在の日本のアマオケの団員が上のはずだ。

● クラシック音楽もぼくが聴いているくらいだから,極限まで大衆化していると思うのだが,大衆化というのは悪いことばかりじゃない。それあればこそ,音楽の教育体制が整う。“教える”が業として成立する。録音音源の充実にも支えられているでしょうけどね。
 聴く側が当時の欧州貴族を超えたとは思えないが(何せ,彼らは楽譜を読むことによってその楽曲を鑑賞していたわけだから),演奏する側は,当時と比べれば,長足の進歩を遂げているだろう。

● 演奏も素晴らしかった。モーツァルトは,モーツァルトだけは,上手な演奏で聴きたい。天から降ってくるようなモーツァルトの旋律はやはりそれなりの水準の演奏で。
 この楽団は,その“それなり”を優に凌駕していて,モーツァルトを聴いているっていう歓び(というと大げさになるかもしれないけれども)をジンワリと味わうことができた。
 コンマスが全体を掌握していたので,この曲では指揮者は要らなかったかもしれない。が,それは奏者側が決めることで,客席からあれこれ言う話ではない(言ってしまっているのだが)。

● チャイコフスキーの「弦楽セレナード」も聴きごたえがあった。男性奏者が多い1st.Vnの,何と言ったらいいのか,プロ感というか見た目のプロっぽさというか,要するにカッコいいのだ。
 カッコいいのは内的躍動(?)を感じさせるからでもある。地表にいるぼくらには見えないけれども,地球の内部ではマグマが始終蠢いているのだぞ的な。


● 衒いのない,妙に内に籠もらない,フェイントをかけない,直球しか投げない投手のような,ストレートに響いてくる「弦楽セレナード」だった。どうよ,アタイのスッピンは,と言うような,ね。
 といって,バカ正直にスッピンを晒しているはずもないと思うので,スッピンに見える高度な化粧術を施しているのだろう。どのくらい練習したのだろうと思うのだが,そもそも持っている技術が高いのだろうね。

● 当初の予定ではベートーヴェンの第九を演ることになっていたらしい。ベートーヴェンの生誕250年を盛大に祝うつもりだったのに,それが叶わない情勢になった。この楽団に限らない。業界として見たって,逸失利益の大きさは途方もない。
 で,アンコールは,「ベートーヴェンの最も美しい緩徐楽章」である弦楽四重奏曲第13番の “Cavatina”。全5楽章の中の第4楽章,と聞いた気がするんだが,全6楽章の中の第5楽章。細かいことであいすまぬが。

● オーケストラも人間の集団だ。である以上,一枚岩はあり得ない。が,内部の軋轢や衝突や対立もエネルギーを生む母体になるのだろう。それらを孕みながらひとつの有機体として動くところに妙味がある。一枚岩では何の魅力も醸さない。
 中でしかるべき立場にある人は胃が痛くなる思いをすることもあるだろう。そんな思いをするのは仕事だけでたくさんなのに,と言いたくもなるだろう。が,それが魅力の代償であるかもしれない。
 というわけで,アンサンブル・ジュピター,記憶しておくべき楽団かと思う。