約2時間のコンサートが終了した直後の満足感は,他のものでは代替できません。この世に音楽というものが存在すること。演奏の才に恵まれた人たちが,時間と費用を惜しまずに技を磨いていること。その鍛錬の成果をぼくたちの前で惜しみなく披露してくれること。そうしたことが重なって,ぼくの2時間が存在します。ありがたい世の中に生きていると痛感します。 主には,ぼくの地元である栃木県で開催される,クラシック音楽コンサートの記録になります。
2013年2月18日月曜日
2013.02.17 栃木県立図書館 第135回クラシック・ライヴ・コンサート
栃木県立図書館ホール
● 一昨年の東日本大震災を機に,栃木県立図書館に耐震工事を施すことにされた。で,今月13日まで図書館が閉鎖されていた。っていうか,別の場所で営業はしてたんだけど,その間,一度も行ったことはなかった。自由に閲覧できる開架書庫はないらしかったので。
「クラシック・ライヴ・コンサート」も開催されることはなかった。そのスペースもなかったわけでね。
● が,やっと耐震工事が終了して,今月14日から元の場所に戻って,営業を再開した。
県立図書館を利用することは,じつはあまりない。利用しずらいってことは一切ないんだけど,県立図書館を必要とするほどの水準に,こちらが達していないってことでしょうね。今,達していないんだから,たぶん,死ぬまで達することはないだろうね。
ただし,視聴覚室にあるCDは利用させてもらうことがある。世にいわれる名盤というのも,ここで探せばかなりの確率で見つかるのではないか。が,近年は予算削減が厳しいせいか,新しいものはあまり入らないようだ。
● ともあれ。17日には再開第1弾の「クラシック・ライヴ・コンサート」が開催された。開演は午後2時。
この「クラシック・ライヴ・コンサート」,入場料を取らないし,数十人しか収容できないし,あらかじめ設えられたステージがあるわけではないし,要するに本格的なホールで行われるコンサートとは違う。
けれども,なめちゃいけない。他では聴けない,ここならではの企画だなと思わせるものがあるし,かなり以上に本格的な水準の演奏が聴ける。むしろ,あまり知られていないだけに穴場的で,このまま穴場であり続けて欲しいと思わないでもない。
何よりいいのは,奏者と観客の距離が(物理的に)近いこと。奏者の息づかいまで感じられる。
● 今回は斎藤享久さんが中心になっての,モーツァルト・プログラム。
オーボエ四重奏曲 ヘ長調 KV370
ピアノ四重奏曲第第2番 変ホ長調 KV493
ディヴェルティメント ヘ長調 KV138
交響曲第29番 イ長調 KV201
● 斎藤さんはオーボエ奏者。芸大を卒業後,ドイツに渡り,ハンブルグ音楽大学を卒業して,ドイツで活動した後に帰国。鹿沼市にエルベ音楽院を開設,各地で音楽活動を展開。
というのが略歴だけれども,栃木県音楽界のキーパーソンのひとりだろう。
● 前半の2曲は,その斎藤さんとヴァイオリン,ヴィオラ,チェロのアンサンブル。ピアノ四重奏曲では斎藤さんがピアノを弾いた。
ディヴェルティメントではドンと楽器が増えて,弦楽合奏。当然にしてヴァイオリンが多くなる。企んでこの人数になったわけではないと思うけど,ヴァイオリンの音が厚いのはいいですなぁ。それだけで説得力が増す感じ。
ただし,この辺は好みでしょうかねぇ。ディヴェルティメントで弦を合奏にすると,せっかくの旋律がおたふく風邪をひいたようになってしまうじゃないか,と見る向きもあるかと思う。ぼくは合奏の妙をとりたいけれども。
● さらに,クラリネットとホルンが二人ずつ加わって,交響曲第29番。モーツァルトの交響曲だったら,この陣容で充分すぎるのかもしれない。
すぐそばで演奏してるんだからね。県立図書館のコンサートでこれだけの人数が演奏するのは初めてじゃないかと思うんだけど,この迫力は相当なもの。
っていうかですね,音楽ってこうやって聴くもんだよなぁと思わされるっていうか,とんでもなく贅沢な聴き方をしているなぁと思いましたね。
● 全員がそうだったわけではないけど,奏者の多くは栃響の団員。苦しいときの栃響だのみ,ではないと思うけれども,栃響主催の演奏会ではないところで,栃響メンバーの演奏を聴く機会がけっこうある。アマオケとしてはハンパない,栃響の活動量って。
実際,どうなんだろう,終演後の客席からの拍手ってのは,その苦労を埋めてくれるものなんだろうか。あるいは,拍手なんかなくても,音楽や演奏への思い入れだけで,続けることができるものなんだろうか。
2013年2月16日土曜日
2013.02.16 陸上自衛隊中央音楽隊 SPRING CONCERT
宇都宮市文化会館 大ホール
● この演奏会は,自衛隊のPRというか,自衛隊と駐屯地の住民との距離を縮めたいという趣旨からの開催かと思う。が,今さらPRなどしなくても,自衛隊の存在意義は日本人が等しく認識しているところだろう。
あの東日本大震災。被災地における自衛隊の貢献に対しては,被災者のみならず日本人の誰もが賞賛を惜しまないだろうし,自衛隊がいてくれてよかったと感謝しているだろう。
● あれほどの災害になれば,警察と消防だけで対応できるはずもない。自衛隊でなければできなかったことがいくつもある。
たとえば,被災者が避難所で風呂に入れたのは自衛隊のおかげだ。風呂に入るという些細なことが,どれほど渦中の人たちを癒し,励ましたことか(想像するしかないことだけれど)。それは自衛隊にしかできなかったことだ。
● 全国からボランティアの人たちが続々と被災地を訪れ,それぞれ医療であるとか,瓦礫の撤去とか,炊きだしとか,多くの人が尽力した。
でも,自衛隊が任務として遂行したことは,それらボランティアの活動が活動として成立する基盤を整備したということを含めて,その数十倍に匹敵するものだろう。
決して自らの活動を吹聴することなく,黙々とやるべきことをやる自衛隊がこの国にあったことのありがたさ。
● さて,今回の陸上自衛隊中央音楽隊のコンサート。開演は午後2時。入場無料。客席は3階席まで含めてほぼ満席状態。
ただ,招待客がけっこういたようで,その招待客っていうのは,おそらく割当動員だろうから(違う?),そこは割り引かなくてはいけないけれども,それにしても盛況ではあった。
● 要するにプロの吹奏楽団。吹奏楽でこれ以上の演奏は,そうそうは望めないものだろう。
粒が揃っているという点においては,さすがという感じ。意地悪爺さんになって,どこかに破綻はないかと探しながら聴いたりもしたんだけども,そんなものはないのだった。
● 客席へのサービスに徹している感じ。エンタテインメントに徹しているっていうね。それが心地いい。
やろうと思えばクラシックだってお茶のこさいさいなんだろうけど,お客さんにどう楽しんでもらうかを第一に考えている。それが俺たちの任務なんだっていう潔さを感じた。
でも,ひょっとすると,ぼくの勘違いかもしれない。今回の自衛隊音楽隊に限らず,どこでもそうなのかもね。一緒に楽しみましょうよってのは,吹奏楽にもともと内在しているものなのか。
● 隊員の平均年齢がだいぶ若い。若い隊員が多い。早くに辞めて,プロオケとかに移る人がけっこういるんですかねぇ。待遇は自衛隊の方がいいんじゃないかと思うんだけど。
自衛隊音楽隊ではベートーヴェンやブラームスを演奏する機会はあまりないだろうから,クラシック音楽の追究にこだわるのであれば,それもあり得べし。
● 演奏は2部構成。曲目はつぎのとおり。
第1部
栃木県民の歌
ヴェルディ サンバ・デ・アイーダ
ジャッチーノ Mr.インクレディブル
アーレン 虹の彼方に
マッコイ アフリカン・シンフォニー
第2部
リード カーテン・アップ!
内藤順一 行進曲「夢と,勇気と,憧れ,希望」
小長谷宗一 フォー・クラリネッターズ
ウィーラン&ストロメン リバー・ダンス
● 第1部で印象に残ったのは「アフリカン・シンフォニー」。「ヴァン・マッコイがアフリカの自然を幻想的に描写した曲」とのこと。色彩が豊かだし,脳内にいろんなシーンを浮かべることを許す自由さがありますな。
これはCDで何度か聞きたいものだと思ったら,すでにぼくの手元にあったんでした。「シエナ・ウインド・オーケストラ」が演奏してるやつ。今まで見過ごしていただけだった。
第2部では,4人のクラリネットが前に出て,モーツァルトのクラリネット協奏曲とか,いくつかの曲の旋律をつないで演奏したのが,最も記憶に残った。
● アンコールはベートーヴェンの「第九」第4楽章の例の旋律をアレンジしたもの。「ベートーヴェン「第九」のテーマによる自衛隊変奏曲 コーラス付き あなたが笑顔でありますように」というのは,ぼくが勝手に付けた曲名だけれど。
● 司会を務めた女性隊員が隠れたファインプレイヤー。声質が司会向きというかね。客席を上手にまとめていたと思う。
それと,指揮者(樋口孝博さん)の礼の仕方。型が決まっているんだろうか。それとも独自のもの? かっこよかったなぁ。客席のおばさま方の中に,相当数の樋口ファンが誕生したに違いないぞ。
2013年2月11日月曜日
2013.02.11 モーツァルト合奏団第14回定期演奏会
那須野が原ハーモニーホール 大ホール
● 那須には弦楽合奏団がふたつある。那須室内合奏団とモーツァルト合奏団。栃木県随一のハーモニーホールも那須にある。そのハーモニーホールの存在が大きいのかもしれないけれども,けっこう音楽活動が盛んなところだとの印象がある。
ひと頃,那須に首都機能が移転してくるという話があったが,いつのまにか立ち消えになった。那須のためにも国会のためにもそれでよかったと思うけれども,それを当てこんで開学したかに思われる那須大学は事実上消滅して,宇都宮共和大学になった。那須アウトレットショッピングセンターは盛況と聞く。
● で,今日はモーツァルト合奏団の定期演奏会。開演は午後2時。入場無料。この合奏団の演奏を聴くのは,今回が2回目。
曲目は次のとおり。
グリーグ 組曲「ホルベアの時代から」
バッハ シャコンヌ(弦楽合奏版)
モーツァルト ディヴェルティメント 変ロ長調 KV.137
チャイコフスキー 弦楽のためのセレナーデ ハ長調
● バッハの「シャコンヌ」が聴ける。これが,今回の一番の楽しみだった。普段はCDで管弦楽版を聴くことが多い。弦楽合奏版は初めて聴くもの。
「シャコンヌ」はこちらの心の琴線(そんなものがぼくにあるのか)に直に触れてくるっていうか,これ以上はないという大袈裟な言い方をすれば,この人生にはいろんなことが起こるけれども,この曲を聴けるというだけで,生きるに値するではないかと思わせてくれるっていうか。
装飾はないのに荘厳。息をするのもはばかられるような。神さま降臨というような。「なにごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」というような。
荘厳は濁りを嫌う。合奏団の皆さんも,相当苦労されたのではあるまいか。
● じつは,最近,けっこうバッハを聴くようになってまして。この日も朝から,ゴールドベルク変奏曲とヨハネ受難曲を聴いていた。ようやくバッハを聴けるところまで来たのかなと,ちょっと嬉しかったり。
何を言ってるんだと思われるかもね。ヴィヴァルディを例外として,どうもバロックは苦手だったんですよ。宗教色が濃く残っているからとかではないと思うんですけどね。
● モーツァルトの「ディヴェルティメント」を聴きながら感じたこと。楽器ができる人っていいなぁ,これくらいの人数で一緒に曲を作るのって楽しいかもなぁ,と。そういうことを感じさせる曲なんでしょうね。
アマチュアの集団なんだから当然なんだけど,技術のばらつきもあるように思えた。でも,ばらつきがあるなりに,それぞれに居場所はあるような感じ。
ただ,この合奏団は週に1回の練習だそうだから,たとえ楽器ができたとしても,ぼくでは無理。相当に勤勉な人じゃないと。
● 最後はチャイコフスキーの「弦楽のためのセレナーデ」。ところどころで,彼のバレエ音楽を連想させる華やかな旋律が登場する。
この曲はやはり最後に置くものなんでしょうね。
● お客さんも暖かい拍手。団員の知り合いや友人が多かったのでしょうか。
で,残った疑問が,どうして小ホールにしなかったんだろうってことなんですけど。この観客なら小ホールでも収容できるはずで,であれば,小ホールの方が演奏(規模)にも相応しいと思えた。
ぼくの知る限り,那須野が原ハーモニーホールの小ホールは栃木県内では一番。ここの小ホールを超えるホールはないんじゃないのかなぁ。
ま,いろんな事情があって大ホールを使っているのだとは思いますけどね。
2013年2月9日土曜日
2013.02.09 音色を創る-ピアノコンサートができるまで:高木裕(ピアノ調律師)による講演&長富彩ピアノ・ミニコンサート
栃木県総合文化センター サブホール
● 高木さんは,ピアノ調律師という枠には収まらない仕事をしている人のように思える。ホロヴィッツが使っていたスタインウェイ《CD75》を自社で所有している一点だけからして,ただ者ではないとわかる。
前半の1時間はその高木さんの講演,というより実際はちょっと大きめの「つぶやき」という感じだった。
ピアノの歴史から入って,ホロヴィッツのエピソード,スタインウェイとヤマハのこと,など。
後半は,その《CD75》を使用しての,長富さんの演奏。
開演は午後2時。入場無料。以下に書くけれど,いろんな意味でお得な演奏会でしたね。これで無料,いいねぇ。
● 高木さんの話はおおよそ次のようなもの。
チェンバロは鍵盤の先のツメで弦を引っ掻く仕組みだから,強弱が出ない。バッハの鍵盤楽曲を聴いていると眠たくなる理由のひとつはこれ。同じ強さの音が淡々と続くから。
何とか強弱をつけることができないか。ハンマーで叩くようにすれば強弱が出せるのではないかと考えられて,できたのがフォルテピアノ。初期のものは玩具のようだったけれども,だんだんと受け入れられるものになった。
のだが,フォルテピアノとは言いながら,フォルテを出すのが弱点だった。弦の張力が弱いからで,では張力を強くすればいいではないかといっても,そうすると張力に引っ張られて箱(筐体)がつぶれてしまう。それを防ぐには筐体の内部に鉄をいれなければならないが,それが可能になるには産業革命を待たなければならなかった。
で,現在のピアノに近いものが誕生した。
● できたはいいけれども,フォルテピアノに比べると格段に重くなった。演奏家が自分のピアノをコンサート会場まで持って行くことは不可能になった。会場にピアノを備えておくようになる。
しかし,ホロヴィッツはそれを受け容れなかった(グレン・グールドも同じだった)。自分のピアノをコンサートのたびに会場に持ちこんだ。ニューヨークのマンションに住んでいたから,その都度,クレーンで出し入れした。
● 彼が使っていたピアノは数台しかないのだが,最後が《CD75》。普通のピアノと比べると,音が切れずに残る。タッチが軽い。
これで何が変わるかというと,たとえばピアニッシモの出し方が違ってくる。普通のピアノだと,たいてい左ペダルを併用することになる。ペダルを使うと音色が変わる。ぼやけた音になる。ホロヴィッツのピアノだとタッチだけで表現できる。
ホロヴィッツというと,目が醒めるようなフォルテの響きを連想する人が多いかもしれないけれども,コンサートホールの隅にまではっきり届くピアニッシモが彼の真骨頂だ。
● ホロヴィッツの演奏は一世を風靡したわけだが,ピアノが違うのだから出る音も違うのは当然で,評論家はホロヴィッツ魔術の理由を楽器なのかタッチなのかと取りあげて,タッチが違うのだろうと落ち着いたのだが,これは笑止。ピアノがホロビッツ用に調律されていたのだ。他とは違うものだったのだ。
● とすると,ホロヴィッツの名声は楽器にこだわり抜いたおかげ? それだけのはずもないけれども,大切なんですねぇ,楽器を選ぶことって。イチローだって,バットには執拗にこだわったはずだものなぁ。
弘法,筆を選ばず,ってのはどこの国の話だ? 弘法大師だって筆は選んでいたんでしょうねぇ。
● どの業界でも評論家というのはコケにされるものですな。畢竟,いなくてもいい存在だもんな。文芸にしても音楽にしても美術にしても,評論家が実作の水準を引きあげるのに与って力があったなんてことがあるんだろうか。
ないよね,おそらく。評論家が水先案内人になったなんてことは,たぶんないんだと思う。彼らは間違うのが商売で。
その代表が経済評論家という連中で,あんまりコケだから今ではすっかり相手にされなくなった。ぼくに関していうと,テレビ東京の「ワールド・ビジネス・サテライト」は評論家がうるさくて仕方がないので,結局,見なくなって久しい。新聞でも経済記事を読むのに日経はうるさすぎて不適。一般紙で充分。というか,一般紙の方が好ましい。その一般紙でさえ,わが家では宅配をやめてしまったんだけど。
● ホロヴィッツが最後に来日したときは,2日間の演奏でギャラが1億円。ホテルオークラの最上階のスイートルームを2つ,壁をぶち抜いて使用したとのこと。業界の第一人者はそれくらいでいいんだろうねぇ。
チケットは5万円。即完売した。いやはや。
● かつて,日本のピアノメーカーは,ピアノは消耗品,10年で買い換えるもの,と顧客に言っていたらしい。でも,ホロヴィッツもグレン・グールドも新しいピアノは使わなかった。古くなったピアノでなければ出せない音色がある。
でもさ,ロクロク弾きもしないのに,見栄か何かでピアノを買うような手合いには,10年ごとに買い換えさせてもかまわないと思うけどね。そういう手合いに業界を支えてもらえばいい。
● ともあれ,ホロヴィッツが実際に使っていたピアノが高木さんのもとにある。高木さんはホロヴィッツが使っていた当時の調律を一切変えていないし,変えるつもりもないという。
そのピアノを使って長富さんが演奏してみせてくれた。グリーグの「抒情小品集」の「春に寄す」からはじまって,リストの「コンソレーション第3番」,ショパンの「幻想即興曲」「革命」「英雄」,スカルラッティの「ソナタ」を2つ,ラフマニノフの「音の絵」から2曲。最後は,スクリャービンの「練習曲」からひとつ。計10曲。
さらに,アンコールでラフマニノフの「ヴォカリーズ」を。アール・ワイルドが編曲したピアノ独奏版ですね。彼女はワイルド編が一番好きなのだそうだ。
● ミニ・コンサートとはいうものの,これだけ聴けると充分に満足する。ぼく以外のお客さんも同じだったろう。客席はほぼ満席だったけれど,皆さん,高木さんの話を聞きに来たんじゃなくて,長富さんのピアノを聴きに来たんだろうからね。
彼女,ピアノを弾きながら,何かを歌っているような,口ずさんでいるような様子だった。集中のための儀式なんでしょうね。
唐突ながら,元巨人軍の桑田投手を思いだした。投げる前に球を口に近づけて,ブツブツつぶやいていたあの仕草ね。もちろん,見映えはぜんぜん違うんだけどさ。
● ホロヴィッツのピアノを弾くと,弾きながらいろんな発見があって,試してみたいことが出てくる,と語る彼女の愛くるしかったこと。
愛くるしさのゆえでしょうね,演奏終了後にCD売場に立ち寄る人が多かったなぁ。CDを買うと彼女にサインしてもらえたんでね。
ぼくもよっぽどサインをもらおうかと思ったんだけど,すんでのところで思いとどまった。財布の中にいくら入ってるのかを忘れてたよ。
まだ26歳(AKB48の篠田麻里子と同じ年の生まれ。どうでもいいですか)。すでに内外で活躍しているようなんだけども,彼女の名前はこれから目にする機会が多くなるだろう。
2013年2月3日日曜日
2013.02.03 栃木県交響楽団 第94回定期演奏会
宇都宮市文化会館 大ホール
● 今回の定演の曲目は次のとおり。
スメタナ 交響詩「わが祖国」より「モルダウ」
メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲
チャイコフスキー 交響曲第5番
集客を意識した選曲でしょうかね。団員にしてみれば,ぶっちゃけ演奏したい曲はほかにあるぞ,ってことかもしれないなと思ってみたり。
実際,栃響に限らず,(たぶん)クラシック音楽に限らず,演奏会の客足が伸びない。っていうか,若干ながら減りつつあるような印象がある。従来以上に,集客に意を用いなければならなくなっているのかもしれないね。
● 指揮は末廣誠さん,ソリストは吉田恭子さん。開演は午後2時。チケットは1,200円(当日券は1,500円)。
● 昨年12月のベートーヴェン「第九」を聴いて,栃響ってこんなに巧かったのかと思った。今回の定演でそこを確認したい。ひょっとしたら,ぼくの耳がおかしかったのかもしれないではないか。
良かった,感動した,としても,どこまでが曲で,どこからが演奏なのか。その見極めも正直できていないと思いますんでね。自分の鑑賞力を信頼できない身の悲しさよ,ってことね。
● で,まず「モルダウ」。
曲を慈しんでいるなという印象を受けた。技術的にここまで行ってれば,少なくともぼく程度の聴き手には充分。加えて,アマオケならではの集中の深さも魅力。
● メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。
吉田さん,白いドレスで登場(ピンクっぽく見えたけど,たぶんライトの加減だと思う)。マーガレットかゼラニュームか。淡い春が来たような感じでしたね。
その吉田さんに感服。ピアニッシモの表現,ここまでできるのか。プロならあたりまえよ,ってことかもしれないんですけどね。
地上30メートルの高さに幅10センチの板を渡して,そのうえを歩いているような感じ。ここしかないっていう細い途を過たずにたぐり寄せているっていいますか。
同時にぼくの脳内に浮かんできたイメージは,和食の板前。まな板に載っている大間産の超高級マグロを睨んで,どこに庖丁を入れようかと一瞬考え,サッとその庖丁をおろした瞬間の板前さんのイメージ。カビが生えた表現が許されるのであれば,繊細かつ大胆。
● ソリストにこれだけの演奏をされれば,管弦楽だって気を抜いた対応はできない。吉田さんに引っぱられたのかどうかは別にして,バックの栃響も見事な応接で,これまた聴きごたえがあった。
ほとんどの場合,協奏曲はソリストよりもバックの管弦楽の方が重要で(あまり賛同は得られないだろうけど),ソリストがヘボでも管弦楽がしっかりしていれば曲として成立するけれども,その逆はあり得ないと思っているのでね。
● チャイコフスキーの5番。
冒頭,ンっと思った。やや不満が残る演奏になるかも,と。でも,杞憂でしたね。
ホルンのソロもさることながら,ファゴットの安定感がぼく的には印象に残った。それと弦の表現力っていいますかね,やっぱりね,たいしたもんですよねぇ。終盤の金管も。
これはねぇ,穿ちすぎもいいところだと思うんだけど,奏者が全体的に素直になっているような気がするんですよ。その結果,指揮者の指示が通りやすくなったんじゃないかと思える。
いや,前から素直だったよ,ってか。ま,それはそうなんだろうけどもね,どうもそういう気がする。まぁね,穿ちすぎだろうな,これは。
● というわけでした。今回はメンコンの印象が圧倒的。
好きな曲をひとつあげろと言われれば,モーツァルトのクラリネット協奏曲だと答えている。以前は,僅差でこのメンコンが2位だったんだけど,ぼくの中でメンコンの順位はだんだん下がってきていた。が,今回の演奏を聴いて,やっぱいいよなぁ,と。
来月10日には,総合文化センターで読響が同じメンコンを演奏することになっている。すでにチケット購入済みなんだけど,ひょっとしたら今回の「吉田恭子+栃響」ほどの演奏は聴けないんじゃないかと思ったり。もし,本当にそうなったらガックシだな。
● 今回の定演の曲目は次のとおり。
スメタナ 交響詩「わが祖国」より「モルダウ」
メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲
チャイコフスキー 交響曲第5番
集客を意識した選曲でしょうかね。団員にしてみれば,ぶっちゃけ演奏したい曲はほかにあるぞ,ってことかもしれないなと思ってみたり。
実際,栃響に限らず,(たぶん)クラシック音楽に限らず,演奏会の客足が伸びない。っていうか,若干ながら減りつつあるような印象がある。従来以上に,集客に意を用いなければならなくなっているのかもしれないね。
● 指揮は末廣誠さん,ソリストは吉田恭子さん。開演は午後2時。チケットは1,200円(当日券は1,500円)。
● 昨年12月のベートーヴェン「第九」を聴いて,栃響ってこんなに巧かったのかと思った。今回の定演でそこを確認したい。ひょっとしたら,ぼくの耳がおかしかったのかもしれないではないか。
良かった,感動した,としても,どこまでが曲で,どこからが演奏なのか。その見極めも正直できていないと思いますんでね。自分の鑑賞力を信頼できない身の悲しさよ,ってことね。
● で,まず「モルダウ」。
曲を慈しんでいるなという印象を受けた。技術的にここまで行ってれば,少なくともぼく程度の聴き手には充分。加えて,アマオケならではの集中の深さも魅力。
● メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。
吉田さん,白いドレスで登場(ピンクっぽく見えたけど,たぶんライトの加減だと思う)。マーガレットかゼラニュームか。淡い春が来たような感じでしたね。
その吉田さんに感服。ピアニッシモの表現,ここまでできるのか。プロならあたりまえよ,ってことかもしれないんですけどね。
地上30メートルの高さに幅10センチの板を渡して,そのうえを歩いているような感じ。ここしかないっていう細い途を過たずにたぐり寄せているっていいますか。
同時にぼくの脳内に浮かんできたイメージは,和食の板前。まな板に載っている大間産の超高級マグロを睨んで,どこに庖丁を入れようかと一瞬考え,サッとその庖丁をおろした瞬間の板前さんのイメージ。カビが生えた表現が許されるのであれば,繊細かつ大胆。
● ソリストにこれだけの演奏をされれば,管弦楽だって気を抜いた対応はできない。吉田さんに引っぱられたのかどうかは別にして,バックの栃響も見事な応接で,これまた聴きごたえがあった。
ほとんどの場合,協奏曲はソリストよりもバックの管弦楽の方が重要で(あまり賛同は得られないだろうけど),ソリストがヘボでも管弦楽がしっかりしていれば曲として成立するけれども,その逆はあり得ないと思っているのでね。
● チャイコフスキーの5番。
冒頭,ンっと思った。やや不満が残る演奏になるかも,と。でも,杞憂でしたね。
ホルンのソロもさることながら,ファゴットの安定感がぼく的には印象に残った。それと弦の表現力っていいますかね,やっぱりね,たいしたもんですよねぇ。終盤の金管も。
これはねぇ,穿ちすぎもいいところだと思うんだけど,奏者が全体的に素直になっているような気がするんですよ。その結果,指揮者の指示が通りやすくなったんじゃないかと思える。
いや,前から素直だったよ,ってか。ま,それはそうなんだろうけどもね,どうもそういう気がする。まぁね,穿ちすぎだろうな,これは。
● というわけでした。今回はメンコンの印象が圧倒的。
好きな曲をひとつあげろと言われれば,モーツァルトのクラリネット協奏曲だと答えている。以前は,僅差でこのメンコンが2位だったんだけど,ぼくの中でメンコンの順位はだんだん下がってきていた。が,今回の演奏を聴いて,やっぱいいよなぁ,と。
来月10日には,総合文化センターで読響が同じメンコンを演奏することになっている。すでにチケット購入済みなんだけど,ひょっとしたら今回の「吉田恭子+栃響」ほどの演奏は聴けないんじゃないかと思ったり。もし,本当にそうなったらガックシだな。
2013.02.02 千年の響き天翔る音色にのせて-シャオ・ロンとその仲間たち
さくら市氏家公民館
● 中国琵琶と二胡の演奏。主催はさくら市教育委員会となっているが,栃木県健康いきがいづくり協議会というのがあって,その会員(つまり,お年寄りということです)がスタッフを務めていた。
開演は午後2時。入場無料。
● 出演者は3人。中国琵琶がシャオ・ロンさん(女性)で,「その仲間たち」の2人は男性。二胡がソウ・セッショウさん。ピアノが堀越昭宏さん。
内容は3部構成。第1部は中国琵琶が主役。ソロであるいは合奏で,「見上げてごらん夜の星を」とか「川の流れのように」といったポピュラーな曲を8つほど演奏。
もちろん,中国の曲も。「十面埋伏」と「春江花月夜」を。最後はおなじみの「蘇州夜曲」と「夜来香」。
「十面埋伏」と「春江花月夜」を続けて演奏したのは,中国琵琶の演奏法,出せる音色の幅を教えてくれようとしたものかと思う。前者は激しく速く,後者はゆっくりと淑やかに。
中国琵琶ってのは,日本の琵琶とはまったく別の楽器なんですな。音色はチェンバロに近い。モダンな感じの楽器。この楽器だけでオーケストレーションができるっていうか,いろんな音を出せる。
● シャオさん,スパンコールの入ったチャイナドレスで登場。何ともセクシー。ゾクッとするほど色っぽい。
ま,客席にいた男性は全員,同じことを思ったはずだけれども,それをわざわざ書くのはいかがなものか。でも,書いてしまったわけですけどね。
ちなみに申しあげれば,色っぽさは遠くからながめるに限ると思っている。
● 第2部は「さくら市少年少女合唱団」がステージに登場して(ただし,登場したのは少女だけだった),日本の歌曲を3つ歌った。シャオさんはじめ3人が伴奏を務める。
当然にして,主役は彼女たち。人間の生の声と歌詞の持つ説得力には,器楽は対抗できないもの。
● 第3部は二胡を中心に5曲。
二胡はチェロのように床に立てて弓で弾く弦楽器。これに相当するものは和楽器にはないと思うし,音色がこれに近い楽器も思い浮かばない。ヴァイオリンよりずっと柔らかい音。ふくよかといってもいいかもしれない。強いていうと,尺八の音色に近いか。
ただね,この音色,子どもの頃に何度も聴いているような気がするんですよ。既視感という言葉があるけれども,既聴感っていうんですか,懐かしい感じがした。二胡の音色がもたらす錯覚なんだと思うんですけどね。
細身で華奢な楽器ですね。2本の糸が張ってある。弓は蛇の皮と白馬の尻尾でできているとのことだったけど,それで柔らかい音が豊かに表現される。
中国琵琶もそうだけれども,奏者が名手であることは,素人が聴いてもわかる。
● というわけで,とてもいいものを聴かせてもらったって感じ。ちょうど2時間の演奏会だったんだけど,大いに満足。
運営の仕方に関しては,ちょっとどうなのよと思うことがいくつかあった。のではあるけれど,今回のスタッフを務めたお年寄りの方々が,この後,同じことをすることはたぶんないだろうから,課題を整理して云々というのは,する必要のないことでしょうね。
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