壬生町中央公民館 大ホール
● わけあって車が使えないので,東武電車で出かけた。壬生駅で下車するのは相当に久しぶり。確実に四半世紀はあいていると思う。要するに,用事がないわけだからね。
東武の壬生駅は無人駅といわれても納得するくらいの建物。ふた昔ほど前の田舎の駅舎はだいたいこんなもんだったな,っていう。
迷惑施設ですみません,とでも言いたげにひっそりと佇んでいる。もちろん,迷惑施設のはずなどないわけだが。
● 壬生って,町とはいえ,人口4万を数える。ただし,おもちゃのまちとか獨協医大とか,中心部から遠い北側がどんどん開発されて開けてきて,旧市街?は取り残された感がないでもない。
お寺が多い印象がある。何といっても,慈覚大師円仁を生んだのは,この壬生の地と伝えられる。円仁の誕生寺というのは相当数あるけれど,彼が壬生の出というのは,学術的にも認められているところらしく,地元の誉れでもあるだろう。
とはいえ。円仁に関心があるって人は,壬生にもそんなにはいないでしょうねぇ。最澄や鑑真に関心を寄せる人が,京都や奈良でも多くはないってのと同じ。
昔は城下町でもあり,日光に向かう人たちの宿場町でもあった。その佇まいが比較的保たれているようにも感じられる。
● 城跡は壬生町城址公園として整備されている。中央公民館,歴史民俗資料館,図書館と,町の文化教育施設がここに集中している。
で,この中央公民館が侮れない。ハード的にもかつての公民館というイメージではない。かなり質の高いコンサートが催行されることがある。
● 何だかんだいっても,栃木の中心は圧倒的に宇都宮であって,音楽の催事についても,県の文化センターと市の文化会館をチェックしておけば,まぁまぁ取りこぼしはない。
のだが,重大な例外が3つある。那須野が原ハーモニーホールと足利市民会館と壬生町中央公民館だ。足利はちょっと遠いので,わかっていてもなかなか行けないわけだけど,壬生町中央公民館はネットでも情報を見つけることができずに,後で地団駄を踏む結果になったことが何度かある。
● 今回のプラハ放送交響楽団の来日公演も,栃木では宇都宮ではなく壬生町で行われましたよ,と。
曲目は次のとおり。
スメタナ 交響詩「我が祖国」より「モルダウ」
ショパン ピアノ協奏曲第1番
ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」
よそでは,ピアノはスタニスラフ・ブーニンが演奏したようなんだけど(ピアノ曲ではなくて,ベートーヴェンの5番だったり,ドヴォルザークのチェロ協奏曲の場合もあったようだね),ここでは地元出身の佐藤立樹さんが登場。そのせいかどうか,チケットはS席で4,000円という破格の安さ。開演は午後3時。
いや,終演後の感想になるんだけど,これで4,000円とは本当に安かった。
● ぼくには4回目の海外オーケストラ。奏者入場。背が高いのに感嘆。燃費,悪いんだろうなぁ。
アメリカ人に対しては,味オンチの大喰らいっていうイメージを持っている。不味いものを大量に喰う。何が楽しくて生きてんだ,おまえら,って思う。チェコはどうなんだろ。
● しかし,「モルダウ」冒頭のフルートからボヘミアの風を感じた。陳腐な表現ですまない。それから,そもそもチェコには行ったことがないので,ボヘミアの風って体感したことがない。重ねてすまない。
が,なんとも味がある。テーブルマナーは熟知しているけれども,ここはマナーどおりじゃない方がいいよね,こんな崩し方はどうよ,ってこちらが試されてる感じ。
弦も,楽器の構え方から,身体の使い方から,奏者ごとにだいぶ違う。こういう演奏は見てて楽しい。もちろん,出てくる音がいいから,楽しいと感じるわけだけど。
● ショパンのピアノ協奏曲。オケとしてはお付き合いのつもりだろう。
ソリストの佐藤さん,地元に生まれて,高校から慶応。慶応の法学部を卒業してからパリに留学して音楽修行。もっとも,大学でも法律の勉強は放っておいて,音楽に没頭していたに違いない。
勉強も音楽も傑出していたんだろう。問題は,それが直ちに本人の幸せにつながるとは限らないってこと。
本人としても,来し方をふり返って,いささか以上の後悔があるかもしれない(いや,ないかもしれないけど)。
● コンマスが交替して,ドヴォルザークの9番。
何も言うことはない。これほどの演奏をぼくが聴いていいんだろうか。
指揮はオンドレイ・レナルト。緻密に指揮をする。パフォーマンスじゃなくて。奏者も信頼を置いている。奏者はいずれも一騎当千のつわものたちだろうが,これほど指揮者を見て演奏している楽団はそんなにはないかも。といって,過ぎたるは及ばざるがごとしなんだろうけど,そこはプロで,過ぎてはいない。
多くはない女性奏者,だいたい美人。ただし,遠目では。こういうものは遠目に限るよね。
● 残念だったのは,前の席に座っていた婆さんたちが(爺さんも),終曲後,直ちに立ちあがって,拍手の中を退出しだしたことだね。これが少なくない数いてね。それも揃って前の方に座っていたものでね。どうして,あと2,3分の我慢ができないかねぇ。それを惜しむほどに忙しくもあるまいに。
アンコールはドヴォルザークのスラヴ舞曲(op.72)第7番。婆さんたちの退出がなければ,あと1曲くらいやってくれたんじゃないかなぁ。
● ところで,そのアンコール曲がスラヴ舞曲の7番だと気づくのにちょっと時間を要した。開演前にイヤホンを耳に突っこんで聴いたばかりだったにもかかわらず。
目の前で展開される生演奏の臨場感と音量,迫力は,イヤホンを通して流れてくる曲とはまったく別ものだったので。
約2時間のコンサートが終了した直後の満足感は,他のものでは代替できません。この世に音楽というものが存在すること。演奏の才に恵まれた人たちが,時間と費用を惜しまずに技を磨いていること。その鍛錬の成果をぼくたちの前で惜しみなく披露してくれること。そうしたことが重なって,ぼくの2時間が存在します。ありがたい世の中に生きていると痛感します。 主には,ぼくの地元である栃木県で開催される,クラシック音楽コンサートの記録になります。
2013年6月30日日曜日
2013.06.29 立教大学交響楽団東京演奏会
東京芸術劇場 コンサートホール
● 立教大学交響楽団は,同志社大学と「同立交歓演奏会」を開催している。会場は東京と京都で交替。京都でやった年には,単独で東京演奏会を開催するらしい。今回聴いたのはその東京演奏会。
このほかに,定期演奏会,メサイア演奏会,卒業演奏会を定例の行事として催行しているらしい。かなり生産性の高い大学オケですな。
大学オケっていうかアマオケの場合は,量か質かっていう問題は成立しないでしょうからね。量をこなすためにはそれ相当の質を備えていなければならない。
ゆえに,これだけの量をこなしている以上,演奏水準も高いはずだ。
● 開演は午後6時30分。チケットはS席とA席の2種で,Sが1,500円でAが1,000円。であれば,Sにするのが正解。
なんだけど,ぼくは当日券でAを購入。Aですかと訊いてくるから,思わずYesと答えてしまったんですね。いえ,Sを,と言えばいいだけなんだけど,その程度のことを妙に面倒に感じることがあって,この日はたまたまそういう心境だったんでした。
で,指定された席へ。ちょっと遠かったですかね。
● 当日券が残っていたとはいっても,客席は相当埋まっていた。このホールをここまで満たすためには,大学関係者だけでは無理。よそからお客さんが来てくれないとね。
ひとつには大学の知名度もあるでしょうね。地の利もあるかもしれない。駅のすぐそばに,これほどのホールがあるってこと。立教の学生に言わせれば,芸術劇場は自分たちの庭に建っているようなものかも。
ぼくなんぞは,1,000円で東京芸術劇場のコンサートホールに入れれば,それだけでお得,と感じてしまうところがあるから。都の施設だから使用料はけっして高くはないんだろうけどさ。
指揮は田中一嘉さん。トレーナーも数多く抱えている。練習環境にも恵まれているようだ。
● 曲目はチャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」と,ドヴォルザークの交響曲第7番の2つ。
「ロメオとジュリエット」は,直近では5月に真岡市民交響楽団の演奏で聴いている。今回も聴きごたえがあった。ハラハラしたという意味ではなく,スリリングだったし。この曲はこのスリリングさをどこまで出せるかだもんね。
● ドヴォルザークの第7番を生で聴くのは,これが二度目。分厚いという印象。正確にいうと,今回の演奏を聴いて,分厚い曲だと感じたということ。
何かねぇ,若い学生たちの演奏を聴きながら,これを写真として切り取れば,いい写真になるんだけどなぁと思いましたねぇ。背景は東京芸術劇場の壁面やパイプオルガンになるわけだから,高級感あふれる1枚になるぞぉ。
アンコールは,ヨハン・シュトラウスの「トリッチ・トラッチ・ポルカ」。大いに盛りあがって終演。
● ここへ来ると,置いてあるチラシを見ていくだけでも刺激になる。刺激を受けたからどうなるってものでもないんだけど,刺激じたいが快感だからね。
東京芸術劇場のホームページを丹念に見ていけば,同等以上の情報を得られるはずだけど,やっぱり,現地の空気感ってあるもんな。
● 立教大学交響楽団は,同志社大学と「同立交歓演奏会」を開催している。会場は東京と京都で交替。京都でやった年には,単独で東京演奏会を開催するらしい。今回聴いたのはその東京演奏会。
このほかに,定期演奏会,メサイア演奏会,卒業演奏会を定例の行事として催行しているらしい。かなり生産性の高い大学オケですな。
大学オケっていうかアマオケの場合は,量か質かっていう問題は成立しないでしょうからね。量をこなすためにはそれ相当の質を備えていなければならない。
ゆえに,これだけの量をこなしている以上,演奏水準も高いはずだ。
● 開演は午後6時30分。チケットはS席とA席の2種で,Sが1,500円でAが1,000円。であれば,Sにするのが正解。
なんだけど,ぼくは当日券でAを購入。Aですかと訊いてくるから,思わずYesと答えてしまったんですね。いえ,Sを,と言えばいいだけなんだけど,その程度のことを妙に面倒に感じることがあって,この日はたまたまそういう心境だったんでした。
で,指定された席へ。ちょっと遠かったですかね。
● 当日券が残っていたとはいっても,客席は相当埋まっていた。このホールをここまで満たすためには,大学関係者だけでは無理。よそからお客さんが来てくれないとね。
ひとつには大学の知名度もあるでしょうね。地の利もあるかもしれない。駅のすぐそばに,これほどのホールがあるってこと。立教の学生に言わせれば,芸術劇場は自分たちの庭に建っているようなものかも。
ぼくなんぞは,1,000円で東京芸術劇場のコンサートホールに入れれば,それだけでお得,と感じてしまうところがあるから。都の施設だから使用料はけっして高くはないんだろうけどさ。
指揮は田中一嘉さん。トレーナーも数多く抱えている。練習環境にも恵まれているようだ。
● 曲目はチャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」と,ドヴォルザークの交響曲第7番の2つ。
「ロメオとジュリエット」は,直近では5月に真岡市民交響楽団の演奏で聴いている。今回も聴きごたえがあった。ハラハラしたという意味ではなく,スリリングだったし。この曲はこのスリリングさをどこまで出せるかだもんね。
● ドヴォルザークの第7番を生で聴くのは,これが二度目。分厚いという印象。正確にいうと,今回の演奏を聴いて,分厚い曲だと感じたということ。
何かねぇ,若い学生たちの演奏を聴きながら,これを写真として切り取れば,いい写真になるんだけどなぁと思いましたねぇ。背景は東京芸術劇場の壁面やパイプオルガンになるわけだから,高級感あふれる1枚になるぞぉ。
アンコールは,ヨハン・シュトラウスの「トリッチ・トラッチ・ポルカ」。大いに盛りあがって終演。
● ここへ来ると,置いてあるチラシを見ていくだけでも刺激になる。刺激を受けたからどうなるってものでもないんだけど,刺激じたいが快感だからね。
東京芸術劇場のホームページを丹念に見ていけば,同等以上の情報を得られるはずだけど,やっぱり,現地の空気感ってあるもんな。
2013.06.29 東京農工大学管弦楽団第18回サマーコンサート
ルネこだいら 大ホール
● ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し
ぼくとすれば,フランスなんぞへ行きたいとはさらさら思わないが,東京なら行ってもいい。といっても,東京でやりたいことがあるわけではない。べつに用事はない。東京だって,ぼくに用事はないだろう。
というわけで,意気はあまりあがらないんだけれども,東京に出かけてみることにした。宇都宮駅で「都区内りんかいフリーきっぷ」を買おうと思った。ら。この切符,なくなってたんですね。あら,残念。普通に東京(山手線内)までの切符を買った。
● もう何年,新幹線に乗ってないかなぁ。新幹線を使うほど忙しい暮らしはしていない。東京だったら,在来線で充分。在来線のグリーン車,かなり楽ちん。
のだが。在来線のグリーン車にももうだいぶ乗ってない。宇都宮からならまず座れるからね,グリーン車の必要はあまり感じないっちゃ感じないんだけどね。
それ以前に,おまえ,グリーンに乗れるほど稼いでいるのか,と問われると,黙って俯くしかない,っていうところがなぁ。
● 「フロイデ」をツラツラと眺めて,東京農工大学管弦楽団の演奏会を聴きに行くことにした。
国立大学の中ではかなり地味めな存在ではあるまいか。この大学がどういう大学なのかは,名前から推測できる以上のことは知らない。知らなくても支障はない。
● 会場のある小平にはどうやって行けばいいのか。普通に新宿から西武線に乗った。これで正解なんだけど,正解以外の行き方もあったよなぁと,少々反省も。川越の方から入ってみるとか,JR武蔵野線のどこかの駅からのアクセスを考えるとか。
ところで,ぼくはよほど田舎者で,新宿は手に負えないっていうか,駅の構内で迷子になることもあるくらいでさ。昔はどうにかなってたと思うんだけど,サザンテラスができてから,ほんとわかりにくくなった。
で,今日は,西武新宿駅に行くのに手間取っちゃってさぁ。こういうところをスイスイ歩ける人って,凄いなぁ。と,田舎者は思うのでありました。
● 開演は午後2時。入場無料。曲目は次のとおり。
ボロディン 歌劇「イーゴリ公」より序曲
グリーグ ノルウェー舞曲
ドヴォルザーク 交響曲第8番
● なんだけども,主には新宿で乗換に余計な手間をかけたために,会場に着いたのは2時を5分ほど過ぎていた。
なので,1曲目の「イーゴリ公」序曲が終わるまでロビーで待つことになった。演奏者や時間どおりに来たお客さんに迷惑がかからないように,ちゃんと対処がなされていたということですね。当然,こうでなければいけませんよね。
というわけで,ちゃんと聴いたのは「ノルウェー舞曲」から。
● 高橋誠也さんを常任指揮者に迎えている。恵まれているといっていいんでしょうね。
その高橋さんがプログラムに載せている文章によると,「昔は大学に入学してから楽器を手にする,言わば初心者が多く,4月からほぼ1年掛けて曲を仕上げることが精一杯でした。ところが最近では高校時代から,又はもっと前からの経験者が多くなり,数か月で曲を仕上げることができるようになったので,サマーコンサートを考えるようになったと思われます」とある。
普通の大学に入学する学生でも,そういう子が増えているんですねぇ。こういうところが日本の足腰の強さなのかなぁと,チラッと考えた。豊かだってことがその前提なんだけど,豊かさをどう消費するかってのは色々あるわけだからさ。
● 高橋さんは,また「学生たちは若者らしく好きなことに情熱を傾けて練習に没頭していて,肝心の学業の方は?と心配になるほどです」とも書いている。
すべての楽団員がそうだってわけでもないんだろうけど,好きなことに没頭しているって羨ましいね。ほんとに羨ましい。なぜなら,そういう経験をぼくは持ったことがないからなんだなぁ。
学業なんざ,どうにでもなる(ならないか)。没頭優先でいいんでしょうね。っていうか,そうでなければならないものでしょうね。
● というわけだから,演奏も聴きごたえがあった。「ドヴォ8」3楽章の優雅な旋律を演奏しているときのヴァイオリンの弓遣い。あ,こういうふうにやってたのか,っていう。
アンコールは,ブラームスのハンガリー舞曲5番。1年生も何人か加わって大所帯で演奏。
● ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し
ぼくとすれば,フランスなんぞへ行きたいとはさらさら思わないが,東京なら行ってもいい。といっても,東京でやりたいことがあるわけではない。べつに用事はない。東京だって,ぼくに用事はないだろう。
というわけで,意気はあまりあがらないんだけれども,東京に出かけてみることにした。宇都宮駅で「都区内りんかいフリーきっぷ」を買おうと思った。ら。この切符,なくなってたんですね。あら,残念。普通に東京(山手線内)までの切符を買った。
● もう何年,新幹線に乗ってないかなぁ。新幹線を使うほど忙しい暮らしはしていない。東京だったら,在来線で充分。在来線のグリーン車,かなり楽ちん。
のだが。在来線のグリーン車にももうだいぶ乗ってない。宇都宮からならまず座れるからね,グリーン車の必要はあまり感じないっちゃ感じないんだけどね。
それ以前に,おまえ,グリーンに乗れるほど稼いでいるのか,と問われると,黙って俯くしかない,っていうところがなぁ。
● 「フロイデ」をツラツラと眺めて,東京農工大学管弦楽団の演奏会を聴きに行くことにした。
国立大学の中ではかなり地味めな存在ではあるまいか。この大学がどういう大学なのかは,名前から推測できる以上のことは知らない。知らなくても支障はない。
● 会場のある小平にはどうやって行けばいいのか。普通に新宿から西武線に乗った。これで正解なんだけど,正解以外の行き方もあったよなぁと,少々反省も。川越の方から入ってみるとか,JR武蔵野線のどこかの駅からのアクセスを考えるとか。
ところで,ぼくはよほど田舎者で,新宿は手に負えないっていうか,駅の構内で迷子になることもあるくらいでさ。昔はどうにかなってたと思うんだけど,サザンテラスができてから,ほんとわかりにくくなった。
で,今日は,西武新宿駅に行くのに手間取っちゃってさぁ。こういうところをスイスイ歩ける人って,凄いなぁ。と,田舎者は思うのでありました。
● 開演は午後2時。入場無料。曲目は次のとおり。
ボロディン 歌劇「イーゴリ公」より序曲
グリーグ ノルウェー舞曲
ドヴォルザーク 交響曲第8番
● なんだけども,主には新宿で乗換に余計な手間をかけたために,会場に着いたのは2時を5分ほど過ぎていた。
なので,1曲目の「イーゴリ公」序曲が終わるまでロビーで待つことになった。演奏者や時間どおりに来たお客さんに迷惑がかからないように,ちゃんと対処がなされていたということですね。当然,こうでなければいけませんよね。
というわけで,ちゃんと聴いたのは「ノルウェー舞曲」から。
● 高橋誠也さんを常任指揮者に迎えている。恵まれているといっていいんでしょうね。
その高橋さんがプログラムに載せている文章によると,「昔は大学に入学してから楽器を手にする,言わば初心者が多く,4月からほぼ1年掛けて曲を仕上げることが精一杯でした。ところが最近では高校時代から,又はもっと前からの経験者が多くなり,数か月で曲を仕上げることができるようになったので,サマーコンサートを考えるようになったと思われます」とある。
普通の大学に入学する学生でも,そういう子が増えているんですねぇ。こういうところが日本の足腰の強さなのかなぁと,チラッと考えた。豊かだってことがその前提なんだけど,豊かさをどう消費するかってのは色々あるわけだからさ。
● 高橋さんは,また「学生たちは若者らしく好きなことに情熱を傾けて練習に没頭していて,肝心の学業の方は?と心配になるほどです」とも書いている。
すべての楽団員がそうだってわけでもないんだろうけど,好きなことに没頭しているって羨ましいね。ほんとに羨ましい。なぜなら,そういう経験をぼくは持ったことがないからなんだなぁ。
学業なんざ,どうにでもなる(ならないか)。没頭優先でいいんでしょうね。っていうか,そうでなければならないものでしょうね。
● というわけだから,演奏も聴きごたえがあった。「ドヴォ8」3楽章の優雅な旋律を演奏しているときのヴァイオリンの弓遣い。あ,こういうふうにやってたのか,っていう。
アンコールは,ブラームスのハンガリー舞曲5番。1年生も何人か加わって大所帯で演奏。
2013年6月24日月曜日
2013.06.23 森麻季&横山幸雄デュオリサイタル
栃木県総合文化センター メインホール
● たぶん,お客さんの多くは,森麻季さんのソプラノを聴きに来たんだと思う。横山さんは名手とはいえ,今回は森さんの伴奏を務めるんだろう,と。ぼくもそうだった。
のだが。横山さんのピアノに驚愕。
正直,ピアノってあんまり好きじゃなかった。っていうか,メジャーなのによくわからない楽器だった。何度か聴いてはいるんだけれども,どうも頭の上に霧がかかっているような感じでね。
● その霧が晴れたっていうか。頭の中のモヤモヤがサーッと消えていく感じを味わった。いや,完全に晴れたわけじゃないのかもしれないけど。つまり,錯覚かもしれないから。
前半のリストの2曲(リゴレット・パラフレーズ,メフィスト・ワルツ第1番)でオォッと思い,後半のショパンの2曲(幻想即興曲,ポロネーズ第6番)でピアノに対する見方が変わった。ちょっと大げさなもの言いですけどね。
● ともあれ。このリサイタル,開演は午後3時。全席指定で料金は一律3,000円。チケットは早めに買っておいたんだけど,席のチョイスを誤った。聴くのはほとんどオーケストラだから,オーケストラ基準で席を選んでしまうんですよねぇ。
オーケストラだとあんまり前に座ってしまうとけっこう辛いことになるんだけど,小規模な演奏会のときは,前の席がいいですな。
● 森麻季さん,1曲目はグノーの歌劇「ファウスト」から「宝石の歌」。
したたるような美貌。失礼ながら40歳をいくつか過ぎていらっしゃると思うんだけど,スレンダーでメリハリのある体型は完全に維持されている。
こういうのって,基本,持って生まれたもの。なんだけど,生まれたあとにそれを維持していくのも,並の苦労じゃなさげだ。彼女の場合は,無数の視線にさらされ,たくさんの拍手を浴びて,形づくられてきたもの。筋金の入り具合が違うんでしょうね。
歌唱については,ぼくが口を出してはいけない。指揮者の朝比奈隆が,まだ駆けだしだった彼女に期待を表明しているのを,なんかで読んだ記憶がある。
● この後,横山さんが上記のリスト2曲を演奏。
ピアニストって,演奏しながら思い入れたっぷりに表情を作る人が多いでしょ。切なそうにしてみたり,遠くを見るような目になったり。
こういうのに知性の欠落を感じることはありませんか。あるいは,たしなみの喪失を感じたりしない? ありていにいえば下品さを感じることってありません?
べつに悪いことじゃないと思うんですけどね。それで集中できるんだったら,それはそれでけっこうなんだけど。
横山さんはポーカーフェイスで淡々と弾く。これじたいが何だか新鮮でさ。で,ピアノから飛びでてくる音は,とんでもなく表情豊かで。
● 再び,森さんが登場して,デュパルクの「旅への誘い」「悲しき歌」「フィデレ」の3つを。作品の大半を自ら破棄したというデュパルクのエピソード(というには,少々シリアス過ぎる話だが)を森さんが披露。
彼女,喋りはあまり得意じゃない感じ。何から何まで巧いってんじゃなぁ。人間離れしすぎだもんね。
● 20分間の休憩ののち,今度は日本の歌曲を。越谷達之助「初恋」,山田耕筰「からたちの花」,久石譲「スタンド・アローン」。
NHKの「坂の上の雲」はすべてリアルタイムで見てるんだけど,エンドクレジットは見てなかったかも。だから,「スタンド・アローン」もちゃんと聴いたのは,今回が初めてかも。バカだねぇ。
● このあと,横山さんのピアノソロ。自作の「バッハ=グノーの“アヴェ・マリア”の主題による即興」と先に書いたショパンの2曲。
幻想即興曲も英雄ポロネーズも何度も聴いている。今まで聴いたのとは何かが違う。その何かとは何なのかがわからない。
横山さん,ほとんど間をおかずに,パパッと次の曲に手をおろす。職人の矜持のようなものを発散させていた。悪いけど,オレ,プロなんだよ,間合いなんていらないんだよ,っていう感じでね。
● ここから何の脈絡もない連想。
木村拓哉主演の「ロングバケーション」っていう人気ドラマがありましたね。若き木村君演じる主人公の瀬名がそのまま順調に育っていれば,ちょうど今の横山さんのようになっていたのかなぁ,と。
瀬名はグレン・グールドに憧れていたんだけど,横山さんもグールドをお好きかも。ご自身はそういうタイプじゃないようなんだけど。
● ピアノソロのあとは,森さんがプッチーニの歌劇から2曲。「ジャンニ・スキッキ」から“私の愛しいお父さん”,「ラ・ボエーム」から“私が街を歩くと”。
これでプログラム本体は終了。
● 「バッハ=グノーの“アヴェ・マリア”の主題による即興」を聴いたときに,いかに横山さんのピアノが歌っていても,“アヴェ・マリア”は森さん,歌ってくれないかなぁと思いますな。
最後の最後にちゃんと歌ってくれて,スッキリした感じで会場をあとにできた。
● たぶん,お客さんの多くは,森麻季さんのソプラノを聴きに来たんだと思う。横山さんは名手とはいえ,今回は森さんの伴奏を務めるんだろう,と。ぼくもそうだった。
のだが。横山さんのピアノに驚愕。
正直,ピアノってあんまり好きじゃなかった。っていうか,メジャーなのによくわからない楽器だった。何度か聴いてはいるんだけれども,どうも頭の上に霧がかかっているような感じでね。
● その霧が晴れたっていうか。頭の中のモヤモヤがサーッと消えていく感じを味わった。いや,完全に晴れたわけじゃないのかもしれないけど。つまり,錯覚かもしれないから。
前半のリストの2曲(リゴレット・パラフレーズ,メフィスト・ワルツ第1番)でオォッと思い,後半のショパンの2曲(幻想即興曲,ポロネーズ第6番)でピアノに対する見方が変わった。ちょっと大げさなもの言いですけどね。
● ともあれ。このリサイタル,開演は午後3時。全席指定で料金は一律3,000円。チケットは早めに買っておいたんだけど,席のチョイスを誤った。聴くのはほとんどオーケストラだから,オーケストラ基準で席を選んでしまうんですよねぇ。
オーケストラだとあんまり前に座ってしまうとけっこう辛いことになるんだけど,小規模な演奏会のときは,前の席がいいですな。
● 森麻季さん,1曲目はグノーの歌劇「ファウスト」から「宝石の歌」。
したたるような美貌。失礼ながら40歳をいくつか過ぎていらっしゃると思うんだけど,スレンダーでメリハリのある体型は完全に維持されている。
こういうのって,基本,持って生まれたもの。なんだけど,生まれたあとにそれを維持していくのも,並の苦労じゃなさげだ。彼女の場合は,無数の視線にさらされ,たくさんの拍手を浴びて,形づくられてきたもの。筋金の入り具合が違うんでしょうね。
歌唱については,ぼくが口を出してはいけない。指揮者の朝比奈隆が,まだ駆けだしだった彼女に期待を表明しているのを,なんかで読んだ記憶がある。
● この後,横山さんが上記のリスト2曲を演奏。
ピアニストって,演奏しながら思い入れたっぷりに表情を作る人が多いでしょ。切なそうにしてみたり,遠くを見るような目になったり。
こういうのに知性の欠落を感じることはありませんか。あるいは,たしなみの喪失を感じたりしない? ありていにいえば下品さを感じることってありません?
べつに悪いことじゃないと思うんですけどね。それで集中できるんだったら,それはそれでけっこうなんだけど。
横山さんはポーカーフェイスで淡々と弾く。これじたいが何だか新鮮でさ。で,ピアノから飛びでてくる音は,とんでもなく表情豊かで。
● 再び,森さんが登場して,デュパルクの「旅への誘い」「悲しき歌」「フィデレ」の3つを。作品の大半を自ら破棄したというデュパルクのエピソード(というには,少々シリアス過ぎる話だが)を森さんが披露。
彼女,喋りはあまり得意じゃない感じ。何から何まで巧いってんじゃなぁ。人間離れしすぎだもんね。
● 20分間の休憩ののち,今度は日本の歌曲を。越谷達之助「初恋」,山田耕筰「からたちの花」,久石譲「スタンド・アローン」。
NHKの「坂の上の雲」はすべてリアルタイムで見てるんだけど,エンドクレジットは見てなかったかも。だから,「スタンド・アローン」もちゃんと聴いたのは,今回が初めてかも。バカだねぇ。
● このあと,横山さんのピアノソロ。自作の「バッハ=グノーの“アヴェ・マリア”の主題による即興」と先に書いたショパンの2曲。
幻想即興曲も英雄ポロネーズも何度も聴いている。今まで聴いたのとは何かが違う。その何かとは何なのかがわからない。
横山さん,ほとんど間をおかずに,パパッと次の曲に手をおろす。職人の矜持のようなものを発散させていた。悪いけど,オレ,プロなんだよ,間合いなんていらないんだよ,っていう感じでね。
● ここから何の脈絡もない連想。
木村拓哉主演の「ロングバケーション」っていう人気ドラマがありましたね。若き木村君演じる主人公の瀬名がそのまま順調に育っていれば,ちょうど今の横山さんのようになっていたのかなぁ,と。
瀬名はグレン・グールドに憧れていたんだけど,横山さんもグールドをお好きかも。ご自身はそういうタイプじゃないようなんだけど。
● ピアノソロのあとは,森さんがプッチーニの歌劇から2曲。「ジャンニ・スキッキ」から“私の愛しいお父さん”,「ラ・ボエーム」から“私が街を歩くと”。
これでプログラム本体は終了。
● 「バッハ=グノーの“アヴェ・マリア”の主題による即興」を聴いたときに,いかに横山さんのピアノが歌っていても,“アヴェ・マリア”は森さん,歌ってくれないかなぁと思いますな。
最後の最後にちゃんと歌ってくれて,スッキリした感じで会場をあとにできた。
2013年6月22日土曜日
2013.06.22 東京都交響楽団名手による弦楽四重奏 「カルテット・ローエ」&ハープ
那須野が原ハーモニーホール 小ホール
● 「カルテット・ローエ」とは都響の楽員4人によるストリングス。田口美里さん(ヴァイオリン),小林久美さん(ヴァイオリン),小林明子さん(ヴィオラ),江口心一さん(チェロ)の4人。今回は,これにハープの山崎祐介さんが加わった。
開演は午後2時。チケットは2,000円。
● プログラムの副題は「ハープの魅力を極上のストリングスと一緒に!!」というもの。誇大表示ではなかった。このメンバーの演奏を2,000円で聴けるのはお得っぽい。映画1本分+αの金額と交換でこういう時間を過ごせるとは,何といい時代に巡り合わせたことかと思う。
のだが,お客さんの入りは6割程度だったか。けっこう空席が目立っていた。室内楽だとこんなものですか。
● まずは,ヘンデルの「ハープ協奏曲 変ロ長調」から。
軽妙で腹にもたれない。山崎さんの説明によれば,この曲はヘンデルがロビーで休憩中のお客のために作ったもの。
主役はハープになるわけだけど,ハープの独奏の間,じっと楽譜を見つめている4人の姿が印象的。なんかさ,いいんですよね,その姿がね。
● 次は,ハープのソロ。ダマーズの「アダージェット」と「タンゴ」。いずれも短い曲。
山崎さんはダマーズと何度か会ったことがあるそうで,一緒に呑んだときのエピソードなどを披露。
● 次は田口さんのヴァイオリンとハープで,マスネ「タイスの瞑想曲」。
今回の演奏会で最も印象に残ったものをひとつあげろと言われれば,これ。
曲じたいが甘美で文句を言わせないわけだけど,田口さんのヴァイオリンにうっとりというわけでした。ほとんど目をとじて演奏していた。
CDは吉田恭子さんのしか持っていない。何の不満もないんだけど,いくつか聴きくらべてみたくもなった。ま,そういうときはYouTubeでいいんだけどさ。
● 次は,サン=サーンスの「白鳥」。
江口さんのチェロとハープで。チェロが好きな人にはたまらなかったろう。
山崎さんによれば,サン=サーンスはこの「白鳥」を含む「動物の謝肉祭」を世に出すつもりはなかったらしい。友人が勝手に出してしまった。今となっては,その友人に感謝ですな。
● 再び,カルテットとハープで,グランジャニー「ラプソディー」。
これまた山崎さんの解説によれば,グランジャニーはハープの神様のような人。ピアノならホロヴィッツ,チェロならカザルスに相当するような。
また,敬虔なカソリック信者でもあったらしく,ラプソディー(狂詩曲)なのにグレゴリオ聖歌を下敷きにしている,と。
この曲は一度も聴いたことがなかった。CDも持っていない。
● と,ここまでずっと山崎さんのトークが展開されてきた。このトークってのも上手下手があって,下手なトークを聞かされるのは閉口だ。黙って演奏だけしてろよと言いたくなる。
山崎さんはなかなか上手なのだった。もちろん,ハープ演奏のプロではあってもトークのプロではないわけだから,的確に笑いを取るとか,自由自在に聴衆を操るというわけにはいかない。
のだが,間合いとか話題転換とか上手なものだ。慣れているのかもしれない。
最も大事なのは声質じたいがいいことだ。素人のトークは声質が一番モノを言う。山崎さん,声質がいいんですな。高すぎず低すぎず,ボリュームをあげなくてもよく通る声なんでした。
● 15分間の休憩の後,「カルテット・ローエ」の4人でベートーヴェンの「弦楽四重奏曲第9番」。
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を生で聴くのは,たぶん初めて。っていうか,CDでもあまり聴いたことがない。ほとんどないか。
ベートーヴェンといえば,どうしたって交響曲だし,ピアノ曲やヴァイオリン・ソナタも多少聴くことがあるんだけど,弦楽四重奏曲はどういうわけか聴かさんない。ぼくの場合は,ですけど。
● 弦楽四重奏曲を知らないでは,ベートーヴェンを語る資格がない。語るつもりもないから,資格なんかなくたっていいようなものだけど,これを聴かないまま人生を閉じるのは,やや口惜しい。
であるからして,今回のような機会をそれこそ機会にして,CDに親しめればいい。
● で,どうだったかというと,ぼくの水準ではやや難解かもしれない。かもしれないじゃくて,はっきり難解だ。良さを良さと感じとれていないと思う。
だが,しかし。たぶん,今日以降,CDを聴いていくことになると思う。そういう意味では,今回,このコンサートを聴いた甲斐はあったんじゃないか,と。
● 問題はCDの聴き方なんですよね。多くの人がiPodやスマホで聴いているんじゃないかと思う。それだけってことはないにしても,それがメインの聴き方になっているんじゃないか,と。
ぼくもそのひとりなんだけど,これって削がれる音がどうしたって出てしまうし,雑踏の中で聴くことになるから,音楽以外の音も聞こえてしまう。あまりいい聴き方じゃないですよね。
● かといって,これをやらないでってことになると,聴く時間の確保が難しい。さらに加えて,恥ずかしながら(本当は恥ずかしいとは思ってないんだけど),オーディオ環境も貧弱を極めている。出せる音量も限られてくる。住環境の然らしめるところだ。
なので,やむを得ない。リッピングしてスマホに転送しました。
● アンコールはマスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲。もちろん,ハープも入って。
● 「カルテット・ローエ」とは都響の楽員4人によるストリングス。田口美里さん(ヴァイオリン),小林久美さん(ヴァイオリン),小林明子さん(ヴィオラ),江口心一さん(チェロ)の4人。今回は,これにハープの山崎祐介さんが加わった。
開演は午後2時。チケットは2,000円。
● プログラムの副題は「ハープの魅力を極上のストリングスと一緒に!!」というもの。誇大表示ではなかった。このメンバーの演奏を2,000円で聴けるのはお得っぽい。映画1本分+αの金額と交換でこういう時間を過ごせるとは,何といい時代に巡り合わせたことかと思う。
のだが,お客さんの入りは6割程度だったか。けっこう空席が目立っていた。室内楽だとこんなものですか。
● まずは,ヘンデルの「ハープ協奏曲 変ロ長調」から。
軽妙で腹にもたれない。山崎さんの説明によれば,この曲はヘンデルがロビーで休憩中のお客のために作ったもの。
主役はハープになるわけだけど,ハープの独奏の間,じっと楽譜を見つめている4人の姿が印象的。なんかさ,いいんですよね,その姿がね。
● 次は,ハープのソロ。ダマーズの「アダージェット」と「タンゴ」。いずれも短い曲。
山崎さんはダマーズと何度か会ったことがあるそうで,一緒に呑んだときのエピソードなどを披露。
● 次は田口さんのヴァイオリンとハープで,マスネ「タイスの瞑想曲」。
今回の演奏会で最も印象に残ったものをひとつあげろと言われれば,これ。
曲じたいが甘美で文句を言わせないわけだけど,田口さんのヴァイオリンにうっとりというわけでした。ほとんど目をとじて演奏していた。
CDは吉田恭子さんのしか持っていない。何の不満もないんだけど,いくつか聴きくらべてみたくもなった。ま,そういうときはYouTubeでいいんだけどさ。
● 次は,サン=サーンスの「白鳥」。
江口さんのチェロとハープで。チェロが好きな人にはたまらなかったろう。
山崎さんによれば,サン=サーンスはこの「白鳥」を含む「動物の謝肉祭」を世に出すつもりはなかったらしい。友人が勝手に出してしまった。今となっては,その友人に感謝ですな。
● 再び,カルテットとハープで,グランジャニー「ラプソディー」。
これまた山崎さんの解説によれば,グランジャニーはハープの神様のような人。ピアノならホロヴィッツ,チェロならカザルスに相当するような。
また,敬虔なカソリック信者でもあったらしく,ラプソディー(狂詩曲)なのにグレゴリオ聖歌を下敷きにしている,と。
この曲は一度も聴いたことがなかった。CDも持っていない。
● と,ここまでずっと山崎さんのトークが展開されてきた。このトークってのも上手下手があって,下手なトークを聞かされるのは閉口だ。黙って演奏だけしてろよと言いたくなる。
山崎さんはなかなか上手なのだった。もちろん,ハープ演奏のプロではあってもトークのプロではないわけだから,的確に笑いを取るとか,自由自在に聴衆を操るというわけにはいかない。
のだが,間合いとか話題転換とか上手なものだ。慣れているのかもしれない。
最も大事なのは声質じたいがいいことだ。素人のトークは声質が一番モノを言う。山崎さん,声質がいいんですな。高すぎず低すぎず,ボリュームをあげなくてもよく通る声なんでした。
● 15分間の休憩の後,「カルテット・ローエ」の4人でベートーヴェンの「弦楽四重奏曲第9番」。
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を生で聴くのは,たぶん初めて。っていうか,CDでもあまり聴いたことがない。ほとんどないか。
ベートーヴェンといえば,どうしたって交響曲だし,ピアノ曲やヴァイオリン・ソナタも多少聴くことがあるんだけど,弦楽四重奏曲はどういうわけか聴かさんない。ぼくの場合は,ですけど。
● 弦楽四重奏曲を知らないでは,ベートーヴェンを語る資格がない。語るつもりもないから,資格なんかなくたっていいようなものだけど,これを聴かないまま人生を閉じるのは,やや口惜しい。
であるからして,今回のような機会をそれこそ機会にして,CDに親しめればいい。
● で,どうだったかというと,ぼくの水準ではやや難解かもしれない。かもしれないじゃくて,はっきり難解だ。良さを良さと感じとれていないと思う。
だが,しかし。たぶん,今日以降,CDを聴いていくことになると思う。そういう意味では,今回,このコンサートを聴いた甲斐はあったんじゃないか,と。
● 問題はCDの聴き方なんですよね。多くの人がiPodやスマホで聴いているんじゃないかと思う。それだけってことはないにしても,それがメインの聴き方になっているんじゃないか,と。
ぼくもそのひとりなんだけど,これって削がれる音がどうしたって出てしまうし,雑踏の中で聴くことになるから,音楽以外の音も聞こえてしまう。あまりいい聴き方じゃないですよね。
● かといって,これをやらないでってことになると,聴く時間の確保が難しい。さらに加えて,恥ずかしながら(本当は恥ずかしいとは思ってないんだけど),オーディオ環境も貧弱を極めている。出せる音量も限られてくる。住環境の然らしめるところだ。
なので,やむを得ない。リッピングしてスマホに転送しました。
● アンコールはマスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲。もちろん,ハープも入って。
2013年6月16日日曜日
2013.06.16 第34回宇都宮市民芸術祭 バレエ&ダンス フェスティバル
宇都宮市文化会館 大ホール
● 宇都宮市民芸術祭実行委員会のバレエ部会が主管ということになっているけど,宇都宮市洋舞連盟というのがあって,実質的な催行者はその洋舞連盟。洋舞連盟とはバレエスクールの業界団体。
たぶん,市民芸術祭実行委員会のバレエ部会の部会長は,洋舞連盟加盟者の持ち回りってことになっているんだろう。あまりやりたい役じゃないでしょうね。
● 今回の出場団体は,ダンスセンターセレニテ,ヒロコ ダンス スタジオ,MK.School of Ballet,橋本陽子エコール ドゥ バレエ,の4団体。これも,たぶん,持ち回りなんでしょうね。
県民芸術祭なんてのもあるから,そちらとも調整しつつ,出場団体を決めているのだろう。
● 開演は午後1時半。入場は無料。観客は出場者の保護者と家族と友人で占められていたと思う。
ということは,赤ん坊の泣き声が絶えないことは暗黙の了解事項。舞台が動いている最中に出入者が途切れないことも暗黙の了解事項。
ここで行われているのは屋内運動会ですか的な惨状を呈するわけだけど,これを認めないと,この催事じたいが成立しなくなるんでしょうねぇ。
● 初っ端はダンスセンターセレニテの生徒さんによる「瑠璃の空に」というアンサンブル。結局,ダンスって若い肉体の躍動感ってことに尽きるのかなぁと思いながら見てた。
勝手に躍動するだけだと,なかなか美に至ることはないから,そこに演出(振付)によって秩序を与える。
● 「手の幻」も印象に残った。ソロのダンス。これはもう身体能力の高さに感嘆するほかはない。この感嘆するほかはないっていうのが,どうにも快感なわけです。
だって感嘆するしかないんだからね。演技を見ている最中に,頭であれこれ考える余地なんかないんだから。ある意味,無心になれるわけですよ。
● 幼児のダンスも当然ある。彼や彼女たちの愛らしさには抵抗する術がない。文句を言わせない。強烈だ。
ただし。であるがゆえに,その愛らしさはひと目見れば気がすんでしまう。長く見続けるのは,けっこう大変。
● なので,その後に大人のダンスが来ると,ホッとする。落ち着ける。やっぱ,大人が踊ってナンボだよなぁ,とか思う。
もちろん,大人といっても,乙女と呼んでいい年齢の女性たちなわけですが。
● その大人の女性たちのアンサンブルで,最も印象的だったのは,橋本陽子エコール ドゥ バレエのひとつめの演目「ドガ」。
dancer's secret minds という意味ありげな副題が付いてるんだけど,ひたすら優雅。女性美の極致と言いたくなるような趣あり。最後まで手を抜かない演出もお見事。
女性の優雅さって,たぶん抑制されたセクシーさだと思うんだけど,この抑制の効いたセクシーさを表現するのに要求される身体能力と運動量はハンパない感じ。誰にでもできるってもんじゃない。
● 自然の中に美はない。自然にしてたんじゃ美しくならない。自然に逆らわないといけない。
そこを極めようとすれば,踊る側も,バレエの練習だけを一生懸命にやってればいいってことにはならないんでしょうね。練習を離れた普段の生活も,あんまり自然にしてたんじゃいけないんだろうな。
● 食べたいものを食べたいだけ食べてたんじゃダメだろうし,見たいテレビを好きなだけ見てるってのも有害でしょう。洋服だって,着たいものを自由に着るっていうそれだけじゃまずいんじゃないかなぁ。
いい音楽を聴いて,いい絵を見る機会も作って,できればいい恋愛もして(これ,かなり難しいと思うけど),かといって絵に描いたような優等生的生活でもダメだろうし。
しかも,そういうことって,いい歳になってから始めても付け焼き刃にしかならないからね,タイミングの問題もある。
● 一番遊びたいときに遊びを抑えて,自由にやりたいときに自由を制限して,それに伴う視野狭窄を可能な限り回避して,っていう。舞台で美の表現者たらんとするのは,とんでもなく大変そうだ。
でも,おまえがその表現者だ,と神様に選ばれてしまう人がいるんだよね。選ばれてしまったらしようがない。茨の道を行くしかない。
うーん,趣味でやってる分にはいいけどねぇ。選ばれちゃったらどうなんだろうなぁ。
● 気になったことがひとつあった。前半の2団体が終わったところで,休憩をはさんだ。この休憩時間帯には客席の照明がつくんだけど,前半,後半それぞれの団体交代のときは,照明が落ちたままになっていた。
この際に,出入者がけっこうでるわけで,ここで照明を落としたままだと,具体的に転倒の危険があるんじゃないか。
照明を落としたままにするのであれば,この時点での出入を遮断する措置が必要だろう。どんどん会場に入れておきながら客席の照明をつけないというのは,いかがなものか。大昔の映画館じゃないんだから。
もし怪我をする人が出たら,洒落にならないと思うんだけど。
● 宇都宮市民芸術祭実行委員会のバレエ部会が主管ということになっているけど,宇都宮市洋舞連盟というのがあって,実質的な催行者はその洋舞連盟。洋舞連盟とはバレエスクールの業界団体。
たぶん,市民芸術祭実行委員会のバレエ部会の部会長は,洋舞連盟加盟者の持ち回りってことになっているんだろう。あまりやりたい役じゃないでしょうね。
● 今回の出場団体は,ダンスセンターセレニテ,ヒロコ ダンス スタジオ,MK.School of Ballet,橋本陽子エコール ドゥ バレエ,の4団体。これも,たぶん,持ち回りなんでしょうね。
県民芸術祭なんてのもあるから,そちらとも調整しつつ,出場団体を決めているのだろう。
● 開演は午後1時半。入場は無料。観客は出場者の保護者と家族と友人で占められていたと思う。
ということは,赤ん坊の泣き声が絶えないことは暗黙の了解事項。舞台が動いている最中に出入者が途切れないことも暗黙の了解事項。
ここで行われているのは屋内運動会ですか的な惨状を呈するわけだけど,これを認めないと,この催事じたいが成立しなくなるんでしょうねぇ。
● 初っ端はダンスセンターセレニテの生徒さんによる「瑠璃の空に」というアンサンブル。結局,ダンスって若い肉体の躍動感ってことに尽きるのかなぁと思いながら見てた。
勝手に躍動するだけだと,なかなか美に至ることはないから,そこに演出(振付)によって秩序を与える。
● 「手の幻」も印象に残った。ソロのダンス。これはもう身体能力の高さに感嘆するほかはない。この感嘆するほかはないっていうのが,どうにも快感なわけです。
だって感嘆するしかないんだからね。演技を見ている最中に,頭であれこれ考える余地なんかないんだから。ある意味,無心になれるわけですよ。
● 幼児のダンスも当然ある。彼や彼女たちの愛らしさには抵抗する術がない。文句を言わせない。強烈だ。
ただし。であるがゆえに,その愛らしさはひと目見れば気がすんでしまう。長く見続けるのは,けっこう大変。
● なので,その後に大人のダンスが来ると,ホッとする。落ち着ける。やっぱ,大人が踊ってナンボだよなぁ,とか思う。
もちろん,大人といっても,乙女と呼んでいい年齢の女性たちなわけですが。
● その大人の女性たちのアンサンブルで,最も印象的だったのは,橋本陽子エコール ドゥ バレエのひとつめの演目「ドガ」。
dancer's secret minds という意味ありげな副題が付いてるんだけど,ひたすら優雅。女性美の極致と言いたくなるような趣あり。最後まで手を抜かない演出もお見事。
女性の優雅さって,たぶん抑制されたセクシーさだと思うんだけど,この抑制の効いたセクシーさを表現するのに要求される身体能力と運動量はハンパない感じ。誰にでもできるってもんじゃない。
● 自然の中に美はない。自然にしてたんじゃ美しくならない。自然に逆らわないといけない。
そこを極めようとすれば,踊る側も,バレエの練習だけを一生懸命にやってればいいってことにはならないんでしょうね。練習を離れた普段の生活も,あんまり自然にしてたんじゃいけないんだろうな。
● 食べたいものを食べたいだけ食べてたんじゃダメだろうし,見たいテレビを好きなだけ見てるってのも有害でしょう。洋服だって,着たいものを自由に着るっていうそれだけじゃまずいんじゃないかなぁ。
いい音楽を聴いて,いい絵を見る機会も作って,できればいい恋愛もして(これ,かなり難しいと思うけど),かといって絵に描いたような優等生的生活でもダメだろうし。
しかも,そういうことって,いい歳になってから始めても付け焼き刃にしかならないからね,タイミングの問題もある。
● 一番遊びたいときに遊びを抑えて,自由にやりたいときに自由を制限して,それに伴う視野狭窄を可能な限り回避して,っていう。舞台で美の表現者たらんとするのは,とんでもなく大変そうだ。
でも,おまえがその表現者だ,と神様に選ばれてしまう人がいるんだよね。選ばれてしまったらしようがない。茨の道を行くしかない。
うーん,趣味でやってる分にはいいけどねぇ。選ばれちゃったらどうなんだろうなぁ。
● 気になったことがひとつあった。前半の2団体が終わったところで,休憩をはさんだ。この休憩時間帯には客席の照明がつくんだけど,前半,後半それぞれの団体交代のときは,照明が落ちたままになっていた。
この際に,出入者がけっこうでるわけで,ここで照明を落としたままだと,具体的に転倒の危険があるんじゃないか。
照明を落としたままにするのであれば,この時点での出入を遮断する措置が必要だろう。どんどん会場に入れておきながら客席の照明をつけないというのは,いかがなものか。大昔の映画館じゃないんだから。
もし怪我をする人が出たら,洒落にならないと思うんだけど。
2013年6月15日土曜日
2013.06.15 サマー・フレッシュ・コンサート
那須野が原ハーモニーホール 小ホール
● 那須野が原ハーモニーホール(那須野が原文化振興財団)が主催する「クラシック・サマーシリーズ」の第1弾。第81回日本音楽コンクールのファイナリストによる協演。
開演は午後3時。全席指定で料金は3,000円。当日,チケットを購入。後ろの方の席しか残っていなかったけれども,何の問題もなし。
栃木県で最もいいホールをあげろと言われれば,この那須野が原ハーモニーの小ホールを推す。多少の誇張を加えていえば,このホールに悪い席は存在しない。
左右のゆとりがもうちょっとあるといいと思うけど,まぁ,これで不満を言ったら申しわけないだろう。
● トップバッターはピアノの江沢茂敏さん。日音コンクールこそ3位だったものの,受賞歴は華々しい。桐朋学園の3年生。田舎紳士的風貌なんだけど,東京都の出身。
演奏したのはスクリャービン「幻想曲ロ短調」。堂々たるもんですな。押しだしの良さは,上手に共通した特徴ですな。
出場者のそれぞれが,プログラム曲のあとにアンコール曲を演奏して,次の奏者に替わるという方式だった。江沢さんが演奏したアンコール曲は,同じスクリャービンで「左手のための小品」より「ノクターン」。左手一本でここまでできちゃうよ,と。かっこいい。こういう曲ってエチュードにちょうどいいものなんですか。
● この種の演奏会は,ぼくには難易度が高い。ほぼオーケストラしか聴いていないし,CDで聴くのもオーケストラ曲がメインになっているからで,そこから外れた曲(膨大にあるわけだが)にはとんと馴染みがないってのが,第一の理由。
作曲家や奏者にとっても,小回りのきく小さな曲の方が,思いを乗せやすいってことはあるんだろうか。あるいは,遊べるっていうか。とんがらせやすいっていうか。
こちらがその思いにピッタリとはまればいいんだけど,そういうことはたぶんめったにないと思うので,そのあたりも難易度が高くなる理由かもしれない。
● ヴァイオリンの会田莉凡さん。桐朋学園の4年生。会田さんもまた華々しい受賞歴。コンクールで測れる部分がどの程度なのかぼくには見当もつかないんだけど(コンクール用の傾向と対策があって,それがけっこう有効性を持ってしまってるんじゃないかと,密かに邪推もしてるんだけど),キラキラとまばゆい才能をまとっていることは間違いないんでしょうね。
演奏したのは,ショーソン「詩曲」。諏訪内晶子さんのCDでたぶん一度は聴いてるんじゃないかと思うけど,記憶にはとどまっていない。
アンコールはヴィエニャフスキ「華麗なるポロネーズ1番」。たっぷりと聴かせてもらった感じ。ピアノ伴奏は田中麻紀さん。
● 次は声楽。テノールの松原友さん。関西二期会の会員で,すでにプロとして活躍中。声楽の人って,ステージ袖から登場したとたんに聴衆の気持ちを掴むのが巧いですな。オペラの舞台でその訓練も積んでしょうね。
山田耕筰「からたちの花」とシューベルトの「漁師の歌」「鱒」「春に」「ミューズの子」。アンコールもシューベルトで「音楽に寄せて」。
なんでこういう声がでるのかね。誰でもきちんと訓練すれば,ある程度のところまでは出せるようになるのか。
ピアノ伴奏は佐野まり子さん。ちなみに,今回の見所のひとつは,ピアノ伴奏の女性陣の競演。皆さん,美形でね。見るなと言われても見ちゃいますよ,どうしてもね。
● クラリネットの川上一道さん。ウェーバーの「グランド・デュオ・コンチェルタンテ」を演奏。山形交響楽団の団員。すでにプロ。精密な演奏。クラリネットを構えたとたんに,クラリネットの先端まで神経が通うみたいな。
石橋尚子さんのピアノにも注目。見事な伴奏ぶりで,こういうところにもプロっているんだなぁ,と。
● 川上さんは沖縄出身で,大学も沖縄県立芸術大学。地元の秀才が地元の大学に行ったって感じね。猫も杓子も東大を目指すんじゃつまらないものなぁ。
才能あふれる俊才が芸大や桐朋に蝟集するって面白くないよねぇ。あの先生に師事したいからっていう理由で中央を目指すって,ありふれてるっていうか,あたりまえすぎるっていうか。そんなの吹っ飛ばしてみせろよって思うことがあって(無責任だな),その実例を見るとオオッと思う。
というわけで,アンコールは沖縄の曲。普久原恒男「芭蕉布」。
● 最後は,トランペットの篠崎孝さん。彼もすでに大阪フィルのトランペット奏者を務めている。プログラムのプロフィール紹介によれば,大学を卒業してすぐに大阪フィルに入団したようだ。
演奏したのは,ピルスの「トランペットのためのソナタ」。この曲は正真正銘,CDでも聴いたことがない。今回初めて聴いた。ピアノ伴奏は小松祥子さん。
トランペットの音色って,勇壮だったり哀愁をおびていたり。表情を幅広くつけることができる楽器なんですね。ジャズで多用されるのも納得という,ちょっと無難にまとめすぎの結論。
アンコールはアンダーソン「トランペット吹きの子守唄」。さすがにこれは何度か聴いたことがある。
● 15分間の休憩のあと,第2部。第2部は「那須野が原ハーモニーホール・ゆかりのアーティストコーナー」と題して,那須塩原市出身の金子鈴太郎(チェロ)さんが登場。
大阪シンフォニカーのチェロ奏者を務めて,現在は長岡京室内アンサンブルをはじめ,種々のステージで活躍中,と。大晦日に東京文化会館で催行される「ベートーヴェンは凄い! 全交響曲連続演奏会」のステージでお見かけしたこともある。
● 演奏したのは,バッハの「無伴奏チェロ組曲」の4番と3番。玄人受けする楽曲でしょうね。ぼくを含めて大方のお客さんには相当な難物だったと思われる。
こういうものを自然にいいと感じて味わえるようになりたいものだ。しかし,そこに至るには,相当に道遠しという感じがする。
● 今回は,この演奏会に合わせて,ロビーで「那須塩原市の洋画家 星功(ほしいさお)展」も開催されていた。
ピエロの絵とトスカーナの風景画。けれども,ぼくには猫に小判。どうも絵はわからない(いや,絵もわからない,と言い直した方が正確か)。頭でわかろうとしてるんだろうか。
● 那須野が原ハーモニーホール(那須野が原文化振興財団)が主催する「クラシック・サマーシリーズ」の第1弾。第81回日本音楽コンクールのファイナリストによる協演。
開演は午後3時。全席指定で料金は3,000円。当日,チケットを購入。後ろの方の席しか残っていなかったけれども,何の問題もなし。
栃木県で最もいいホールをあげろと言われれば,この那須野が原ハーモニーの小ホールを推す。多少の誇張を加えていえば,このホールに悪い席は存在しない。
左右のゆとりがもうちょっとあるといいと思うけど,まぁ,これで不満を言ったら申しわけないだろう。
● トップバッターはピアノの江沢茂敏さん。日音コンクールこそ3位だったものの,受賞歴は華々しい。桐朋学園の3年生。田舎紳士的風貌なんだけど,東京都の出身。
演奏したのはスクリャービン「幻想曲ロ短調」。堂々たるもんですな。押しだしの良さは,上手に共通した特徴ですな。
出場者のそれぞれが,プログラム曲のあとにアンコール曲を演奏して,次の奏者に替わるという方式だった。江沢さんが演奏したアンコール曲は,同じスクリャービンで「左手のための小品」より「ノクターン」。左手一本でここまでできちゃうよ,と。かっこいい。こういう曲ってエチュードにちょうどいいものなんですか。
● この種の演奏会は,ぼくには難易度が高い。ほぼオーケストラしか聴いていないし,CDで聴くのもオーケストラ曲がメインになっているからで,そこから外れた曲(膨大にあるわけだが)にはとんと馴染みがないってのが,第一の理由。
作曲家や奏者にとっても,小回りのきく小さな曲の方が,思いを乗せやすいってことはあるんだろうか。あるいは,遊べるっていうか。とんがらせやすいっていうか。
こちらがその思いにピッタリとはまればいいんだけど,そういうことはたぶんめったにないと思うので,そのあたりも難易度が高くなる理由かもしれない。
● ヴァイオリンの会田莉凡さん。桐朋学園の4年生。会田さんもまた華々しい受賞歴。コンクールで測れる部分がどの程度なのかぼくには見当もつかないんだけど(コンクール用の傾向と対策があって,それがけっこう有効性を持ってしまってるんじゃないかと,密かに邪推もしてるんだけど),キラキラとまばゆい才能をまとっていることは間違いないんでしょうね。
演奏したのは,ショーソン「詩曲」。諏訪内晶子さんのCDでたぶん一度は聴いてるんじゃないかと思うけど,記憶にはとどまっていない。
アンコールはヴィエニャフスキ「華麗なるポロネーズ1番」。たっぷりと聴かせてもらった感じ。ピアノ伴奏は田中麻紀さん。
● 次は声楽。テノールの松原友さん。関西二期会の会員で,すでにプロとして活躍中。声楽の人って,ステージ袖から登場したとたんに聴衆の気持ちを掴むのが巧いですな。オペラの舞台でその訓練も積んでしょうね。
山田耕筰「からたちの花」とシューベルトの「漁師の歌」「鱒」「春に」「ミューズの子」。アンコールもシューベルトで「音楽に寄せて」。
なんでこういう声がでるのかね。誰でもきちんと訓練すれば,ある程度のところまでは出せるようになるのか。
ピアノ伴奏は佐野まり子さん。ちなみに,今回の見所のひとつは,ピアノ伴奏の女性陣の競演。皆さん,美形でね。見るなと言われても見ちゃいますよ,どうしてもね。
● クラリネットの川上一道さん。ウェーバーの「グランド・デュオ・コンチェルタンテ」を演奏。山形交響楽団の団員。すでにプロ。精密な演奏。クラリネットを構えたとたんに,クラリネットの先端まで神経が通うみたいな。
石橋尚子さんのピアノにも注目。見事な伴奏ぶりで,こういうところにもプロっているんだなぁ,と。
● 川上さんは沖縄出身で,大学も沖縄県立芸術大学。地元の秀才が地元の大学に行ったって感じね。猫も杓子も東大を目指すんじゃつまらないものなぁ。
才能あふれる俊才が芸大や桐朋に蝟集するって面白くないよねぇ。あの先生に師事したいからっていう理由で中央を目指すって,ありふれてるっていうか,あたりまえすぎるっていうか。そんなの吹っ飛ばしてみせろよって思うことがあって(無責任だな),その実例を見るとオオッと思う。
というわけで,アンコールは沖縄の曲。普久原恒男「芭蕉布」。
● 最後は,トランペットの篠崎孝さん。彼もすでに大阪フィルのトランペット奏者を務めている。プログラムのプロフィール紹介によれば,大学を卒業してすぐに大阪フィルに入団したようだ。
演奏したのは,ピルスの「トランペットのためのソナタ」。この曲は正真正銘,CDでも聴いたことがない。今回初めて聴いた。ピアノ伴奏は小松祥子さん。
トランペットの音色って,勇壮だったり哀愁をおびていたり。表情を幅広くつけることができる楽器なんですね。ジャズで多用されるのも納得という,ちょっと無難にまとめすぎの結論。
アンコールはアンダーソン「トランペット吹きの子守唄」。さすがにこれは何度か聴いたことがある。
● 15分間の休憩のあと,第2部。第2部は「那須野が原ハーモニーホール・ゆかりのアーティストコーナー」と題して,那須塩原市出身の金子鈴太郎(チェロ)さんが登場。
大阪シンフォニカーのチェロ奏者を務めて,現在は長岡京室内アンサンブルをはじめ,種々のステージで活躍中,と。大晦日に東京文化会館で催行される「ベートーヴェンは凄い! 全交響曲連続演奏会」のステージでお見かけしたこともある。
● 演奏したのは,バッハの「無伴奏チェロ組曲」の4番と3番。玄人受けする楽曲でしょうね。ぼくを含めて大方のお客さんには相当な難物だったと思われる。
こういうものを自然にいいと感じて味わえるようになりたいものだ。しかし,そこに至るには,相当に道遠しという感じがする。
● 今回は,この演奏会に合わせて,ロビーで「那須塩原市の洋画家 星功(ほしいさお)展」も開催されていた。
ピエロの絵とトスカーナの風景画。けれども,ぼくには猫に小判。どうも絵はわからない(いや,絵もわからない,と言い直した方が正確か)。頭でわかろうとしてるんだろうか。
2013年6月10日月曜日
2013.06.09 栃木県交響楽団第95回定期演奏会
宇都宮市文化会館 大ホール
● 開演は午後2時。チケットは1,200円。全席自由なんだけど,栃響のチケットだけは必ず前売券を買っている。当日券だと300円ほど高くなるというセコイ理由もあるんですけどね,正直。
● 今回の曲目は次のとおり。
フンパーディンク 歌劇「ヘンゼルとグレーテル」前奏曲
チャイコフスキー バレエ「眠りの森の美女」組曲
マーラー 交響曲第4番 ト長調
● 注目はマーラーということになる。この日は小山市に誕生した日本交響楽団の第1回目の演奏会もあって,そちらも小森谷巧さんのヴァイオリンでメンデルスゾーンの協奏曲を聴けるという美味しいプログラムだった。
だけど,栃響がマーラーをやるとあっては,やはり,こちらに足が向いてしまったよ,と。
● マーラーって万人向けではない(万人向けの作曲家なんていませんな。モーツァルトくらいか)。が,好きな人はやけに好きって感じ。
で,ぼくもマーラーが嫌いじゃない。おまえにマーラーがわかるのかよと訊かれれば,わかるって何?と返したい。
● 理由はといえば,カントリーチックなところ。垢抜けない。ゴツゴツしている。でも,重戦車のような力強さがある。道なき道を行く。こっちへ行くと決めたら,道があろうとあるまいとこっちへ行くのだ。
実直。不器用。でこぼこ。好き勝手。つぎはぎ。突っぱり。怪力。道草。粘着。
マーラーを聴いてて,ぼくが思い浮かべるイメージはこんなものだ。ただ,不思議なんだけど,それを間近ではなく遠くから眺めると,整ってる感じがする。
● ただね,とんでもなく長いから,なかなかCDでも聴ききれないんですよね。BGM代わりに流しておくような曲じゃないし。無理やり聴かされないと,最後まで通して聴くことがない。ま,ぼくの場合は,だけど。
そういう曲こそ,ライヴで聴きたい。といって,大がかりになるからなかなか演奏される機会がない。4番が「マーラーの全交響曲中もっとも規模が小さく,曲想も軽快」だとしても,それでもなかなか地元で聴ける機会はない。
● だから,これまで1番,2番,5番しか聴いたことがない。ゆえに,今回の栃響の4番は貴重な機会。その機会を得られただけでも,ぼく的にはありがたい。
これは絶対,聴きに行くぞ。というわけで,前売券を買っておいた,と。
● 指揮は三原明人さん。ソリスト(ソプラノ)は平井香織さん。指揮者にもソリストにも文句のあろうはずがない。管弦楽の栃響にも文句はない。
栃響って,指揮者にとってはけっこう楽しい場になってるんじゃないかと推測する。素直そうだし,一生懸命だし,何だかんだ言っても(言われても)技量は栃木県を代表するものだし。
● マーラー4番は静かに糸を引くように,余韻を残して終わる。その余韻が退くまで拍手が起きなかった。客席のレベル,高い。
っていうか,余韻が退くまでは演奏は終わらないってのを,指揮者がオケに徹底させたってことだね。あるいは,指揮者に言われるまでもなく,オーケストラも先刻承知だったってことですね。指揮者も力を抜かなかったし,奏者も構えを崩さなかった。
● こうした終わり方のあとに,アンコールはヨハン・シュトラウスの「春の声」。もちろん,平井さんのソプラノが入った。華麗に明るく盛りあがって終曲。
この終わり方が,やはり一番かなぁ。客席も満足するしね。
● というわけなんだけど,ぼく的に最も印象に残ったのは,1曲目の「ヘンゼルとグレーテル」前奏曲の出だし。
ホルンで始まる。このホルンがね,何というのか,ここは言葉を選ばなければいけないところなんだけど,意外だったんですよ。いい意味で意外だった。
このホルンで気分が良くなってしまって,それが終演まで続いた感じ。あのホルンは大きかった。
● それと今回はコンマス。第2のソリストのようなものだものな。趣味でずっとやってきたっていうんじゃなく,ヴァイオリンに集中した数年間があるんでしょうね。まったく危なげがなかった。
● 開演は午後2時。チケットは1,200円。全席自由なんだけど,栃響のチケットだけは必ず前売券を買っている。当日券だと300円ほど高くなるというセコイ理由もあるんですけどね,正直。
● 今回の曲目は次のとおり。
フンパーディンク 歌劇「ヘンゼルとグレーテル」前奏曲
チャイコフスキー バレエ「眠りの森の美女」組曲
マーラー 交響曲第4番 ト長調
● 注目はマーラーということになる。この日は小山市に誕生した日本交響楽団の第1回目の演奏会もあって,そちらも小森谷巧さんのヴァイオリンでメンデルスゾーンの協奏曲を聴けるという美味しいプログラムだった。
だけど,栃響がマーラーをやるとあっては,やはり,こちらに足が向いてしまったよ,と。
● マーラーって万人向けではない(万人向けの作曲家なんていませんな。モーツァルトくらいか)。が,好きな人はやけに好きって感じ。
で,ぼくもマーラーが嫌いじゃない。おまえにマーラーがわかるのかよと訊かれれば,わかるって何?と返したい。
● 理由はといえば,カントリーチックなところ。垢抜けない。ゴツゴツしている。でも,重戦車のような力強さがある。道なき道を行く。こっちへ行くと決めたら,道があろうとあるまいとこっちへ行くのだ。
実直。不器用。でこぼこ。好き勝手。つぎはぎ。突っぱり。怪力。道草。粘着。
マーラーを聴いてて,ぼくが思い浮かべるイメージはこんなものだ。ただ,不思議なんだけど,それを間近ではなく遠くから眺めると,整ってる感じがする。
● ただね,とんでもなく長いから,なかなかCDでも聴ききれないんですよね。BGM代わりに流しておくような曲じゃないし。無理やり聴かされないと,最後まで通して聴くことがない。ま,ぼくの場合は,だけど。
そういう曲こそ,ライヴで聴きたい。といって,大がかりになるからなかなか演奏される機会がない。4番が「マーラーの全交響曲中もっとも規模が小さく,曲想も軽快」だとしても,それでもなかなか地元で聴ける機会はない。
● だから,これまで1番,2番,5番しか聴いたことがない。ゆえに,今回の栃響の4番は貴重な機会。その機会を得られただけでも,ぼく的にはありがたい。
これは絶対,聴きに行くぞ。というわけで,前売券を買っておいた,と。
● 指揮は三原明人さん。ソリスト(ソプラノ)は平井香織さん。指揮者にもソリストにも文句のあろうはずがない。管弦楽の栃響にも文句はない。
栃響って,指揮者にとってはけっこう楽しい場になってるんじゃないかと推測する。素直そうだし,一生懸命だし,何だかんだ言っても(言われても)技量は栃木県を代表するものだし。
● マーラー4番は静かに糸を引くように,余韻を残して終わる。その余韻が退くまで拍手が起きなかった。客席のレベル,高い。
っていうか,余韻が退くまでは演奏は終わらないってのを,指揮者がオケに徹底させたってことだね。あるいは,指揮者に言われるまでもなく,オーケストラも先刻承知だったってことですね。指揮者も力を抜かなかったし,奏者も構えを崩さなかった。
● こうした終わり方のあとに,アンコールはヨハン・シュトラウスの「春の声」。もちろん,平井さんのソプラノが入った。華麗に明るく盛りあがって終曲。
この終わり方が,やはり一番かなぁ。客席も満足するしね。
● というわけなんだけど,ぼく的に最も印象に残ったのは,1曲目の「ヘンゼルとグレーテル」前奏曲の出だし。
ホルンで始まる。このホルンがね,何というのか,ここは言葉を選ばなければいけないところなんだけど,意外だったんですよ。いい意味で意外だった。
このホルンで気分が良くなってしまって,それが終演まで続いた感じ。あのホルンは大きかった。
● それと今回はコンマス。第2のソリストのようなものだものな。趣味でずっとやってきたっていうんじゃなく,ヴァイオリンに集中した数年間があるんでしょうね。まったく危なげがなかった。
2013年6月9日日曜日
2013.06.08 越谷市民交響楽団第30回定期演奏会-越響の第九
越谷コミュニティセンター(サンシティホール) 大ホール
● このブログを立ちあげてから,演奏会に出かける頻度があがった。ブログを更新するために演奏会に出かけるという,どう考えても本末転倒の仕儀ではある。
このオーバーペースはいずれ修正しなければならないと思っていたんだけど,だんだんこのペースが身についてしまって,コンサートがない週があると,何とか埋められないかとそちこち探し回るようになってしまった。何だかなぁ。他にやることないのか,オレ。
● で,「フロイデ」をつらつらと眺めていたら,この時期に「第九」の演奏があるのを発見。越谷市民交響楽団の定演。「第九」の第1楽章を生で聴けると思ったら,足は自然に南に向かっていた。
宇都宮線,京浜東北線,武蔵野線と乗り継いで,南越谷で下車。宇都宮から1,620円。栗橋か久喜で東武線に乗り換えるのが正解でしょうね。その方が速い。運賃も安くなる。所要時間を考慮しないのであれば,宇都宮から東武線に乗ると1,030円ですむ。
● 開演は午後5時。チケットは1,000円。指揮は佐藤和男さん。真岡市民交響楽団の常任も務めているので,ぼく的にはお馴染み感がある。
ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲を演奏してから,「第九」。
● 「第九」にはシラーの詩がついているのだから,ベートーヴェンの意図は言語によって明瞭で,この曲の解釈に紛れはない(少ない)だろう。プログラムにもきっちりと解説が載っている。
それとは別に,ぼくの脳内に勝手にわいてくるイメージがあるわけね。突拍子もないイメージ。
第1楽章のテーマはですね,宇宙創生なんですよ。ビッグバン以前の宇宙(というのは語義矛盾だけど)がたゆたっている。それが,どういう機序が働いたのかわからないけど,宇宙が産みだされるわけですよ。一度目,うまくいかない。二度目,やはりだめ。三度,四度・・・・・・。やっとビッグバンが首尾を果たして,宇宙ができる。ビッグバンは難産だったんですな。うまくいったことを見届けて,第1楽章が終わる。
● 第2楽章は地球の話。地球から見える宇宙の光景は登場するんだけど,基本,地球の進化や胎動が描かれる。
第3楽章になると,一気に人間の精神世界の話になる。したがって,第3楽章と第4楽章はひと括り。もっとも,第4楽章ではビッグバン以前の情景や地球の進化についておさらいすることになるんだけど。
● 徒し事はさておき,第3楽章冒頭のヴィオラはいいですな。ヴィオラの音色をここまで崇高に響かせる曲を,ぼくは他に知らない。
ティンパニの気迫と集中に注目。プログラムの曲目解説にも「(第2楽章では)ティンパニの独創的な使い方が大変耳に(目にも)付きます」とあるんだけれど,第2楽章に限らず,ティンパニがかっこよかった。
場所がら目立つってこともあるでしょうね。気迫と集中は,他の奏者も劣るところはないと思うんだけど,とにかく目立つから。
● 1stヴァイオリンは大半が女子。その水準の高さに瞠目。ヴァイオリンに限らず,セミプロ級(あるいはセミのつかないプロ級)の腕前の持ち主がけっこうな数いるっぽい。
一方で,団員間に技量の差はやはりある。アマオケの宿命,っていうより,そこがアマオケの持ち味でしょうね。客席側の一員としては,そこをどう楽しめるか。ミスに注意が行ってるようでは,聴き手として未熟。
● ソリストは,藤永和望さん(ソプラノ),星野恵理さん(アルト),猪村浩之さん(テノール),大井哲也さん(バリトン)。皆さん,プロの歌い手ですな(二期会会員)。まずもって文句のない布陣。
合唱団はサンシティ市民合唱団。地元の合唱団でしょう。総勢で約110名の中編隊。しかし,これだけいれば充分だった。男声がやや少ない嫌いはあるけれど,残念ながらというか何というか,これがあたりまえだもんね。
● じつのところ,CDを聴いていると,第4楽章はなくてもいいんじゃないかと感じることがある。純粋な器楽曲にした方がよかったんじゃないのかなぁと,生意気にも思うことがあるんですよ。
でも,こうして生で聴いてみるとねぇ,そういう思いは吹っ飛びますよね。生の合唱が発する圧倒的な説得力。「第九」はこれでいいんだ,っていうね。
● というわけで,充分以上に堪能。千里の道を越えて来た甲斐があったというか,元は取ったぞって感じですね。
● 指揮者の佐藤さんが,プログラムに次の文章を寄せている。
● このブログを立ちあげてから,演奏会に出かける頻度があがった。ブログを更新するために演奏会に出かけるという,どう考えても本末転倒の仕儀ではある。
このオーバーペースはいずれ修正しなければならないと思っていたんだけど,だんだんこのペースが身についてしまって,コンサートがない週があると,何とか埋められないかとそちこち探し回るようになってしまった。何だかなぁ。他にやることないのか,オレ。
● で,「フロイデ」をつらつらと眺めていたら,この時期に「第九」の演奏があるのを発見。越谷市民交響楽団の定演。「第九」の第1楽章を生で聴けると思ったら,足は自然に南に向かっていた。
宇都宮線,京浜東北線,武蔵野線と乗り継いで,南越谷で下車。宇都宮から1,620円。栗橋か久喜で東武線に乗り換えるのが正解でしょうね。その方が速い。運賃も安くなる。所要時間を考慮しないのであれば,宇都宮から東武線に乗ると1,030円ですむ。
● 開演は午後5時。チケットは1,000円。指揮は佐藤和男さん。真岡市民交響楽団の常任も務めているので,ぼく的にはお馴染み感がある。
ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲を演奏してから,「第九」。
● 「第九」にはシラーの詩がついているのだから,ベートーヴェンの意図は言語によって明瞭で,この曲の解釈に紛れはない(少ない)だろう。プログラムにもきっちりと解説が載っている。
それとは別に,ぼくの脳内に勝手にわいてくるイメージがあるわけね。突拍子もないイメージ。
第1楽章のテーマはですね,宇宙創生なんですよ。ビッグバン以前の宇宙(というのは語義矛盾だけど)がたゆたっている。それが,どういう機序が働いたのかわからないけど,宇宙が産みだされるわけですよ。一度目,うまくいかない。二度目,やはりだめ。三度,四度・・・・・・。やっとビッグバンが首尾を果たして,宇宙ができる。ビッグバンは難産だったんですな。うまくいったことを見届けて,第1楽章が終わる。
● 第2楽章は地球の話。地球から見える宇宙の光景は登場するんだけど,基本,地球の進化や胎動が描かれる。
第3楽章になると,一気に人間の精神世界の話になる。したがって,第3楽章と第4楽章はひと括り。もっとも,第4楽章ではビッグバン以前の情景や地球の進化についておさらいすることになるんだけど。
● 徒し事はさておき,第3楽章冒頭のヴィオラはいいですな。ヴィオラの音色をここまで崇高に響かせる曲を,ぼくは他に知らない。
ティンパニの気迫と集中に注目。プログラムの曲目解説にも「(第2楽章では)ティンパニの独創的な使い方が大変耳に(目にも)付きます」とあるんだけれど,第2楽章に限らず,ティンパニがかっこよかった。
場所がら目立つってこともあるでしょうね。気迫と集中は,他の奏者も劣るところはないと思うんだけど,とにかく目立つから。
● 1stヴァイオリンは大半が女子。その水準の高さに瞠目。ヴァイオリンに限らず,セミプロ級(あるいはセミのつかないプロ級)の腕前の持ち主がけっこうな数いるっぽい。
一方で,団員間に技量の差はやはりある。アマオケの宿命,っていうより,そこがアマオケの持ち味でしょうね。客席側の一員としては,そこをどう楽しめるか。ミスに注意が行ってるようでは,聴き手として未熟。
● ソリストは,藤永和望さん(ソプラノ),星野恵理さん(アルト),猪村浩之さん(テノール),大井哲也さん(バリトン)。皆さん,プロの歌い手ですな(二期会会員)。まずもって文句のない布陣。
合唱団はサンシティ市民合唱団。地元の合唱団でしょう。総勢で約110名の中編隊。しかし,これだけいれば充分だった。男声がやや少ない嫌いはあるけれど,残念ながらというか何というか,これがあたりまえだもんね。
● じつのところ,CDを聴いていると,第4楽章はなくてもいいんじゃないかと感じることがある。純粋な器楽曲にした方がよかったんじゃないのかなぁと,生意気にも思うことがあるんですよ。
でも,こうして生で聴いてみるとねぇ,そういう思いは吹っ飛びますよね。生の合唱が発する圧倒的な説得力。「第九」はこれでいいんだ,っていうね。
● というわけで,充分以上に堪能。千里の道を越えて来た甲斐があったというか,元は取ったぞって感じですね。
● 指揮者の佐藤さんが,プログラムに次の文章を寄せている。
当時指揮科の学生だった僕に,師匠の三石精一先生は「指揮なんてのは実際にオケを振ってみなくちゃ分かりゃしないよ。」とよくおっしゃっていた。 最近その言葉の意味を痛感する。指揮者は,特にアマチュア・オーケストラに対しては,教える立場ではあるが,オーケストラを振ることによってそれ以上に学ぶのである。先生の言葉は,適用範囲のかなり広いテーゼですよね。座学に類するものは,しょせん,畳のうえの水練。まずやってみなくちゃな。まずやってみることを怖がらないって大事だよね。
2013年6月3日月曜日
2013.06.02 小山市交響吹奏楽団第33回定期演奏会
小山市立文化センター 大ホール
● 何度か吹奏楽を聴いて,吹奏楽も楽しいものだと了解できたんで,今回は小山市交響吹奏楽団の定期演奏会にお邪魔することに。
チケットは前売券が500円,当日券が700円。当日券で入場。開演は午後2時。
● この小山市交響吹奏楽団は「1980(昭和55)年,当時の間々田中学校吹奏楽部の卒業生により間々田青少年吹奏楽団として結成され」た。現在は「高校生から40歳代までの幅広いメンバーで毎週日曜日,間々田市民交流センターにて楽しく活動してい」るとのこと。
いろんな仕掛けを作って,客席サービスに努めていた。地元密着というか,ひとつのコミュニティができあがっているというか。ステージと客席が地元紐帯で強く結ばれているような感じ。
開演前に市長のあいさつもあった。当然,市民に向けた内容だった。
よそ者が紛れこんでは申しわけないような気もした。ところかまわず行きゃいいってもんでもないかも。
● 一方,客席はというと,ほぼ満席。ほとんどは地元の方々だと思われる。
集団で来ていた中学生や高校生を除くと,来場者の平均年齢はかなり高い。いい悪いではなく,現代日本の縮図。今の日本は年寄りしかいない国。
● 前半の第1部は次の4曲。
イントラーダ「S-S-S」(鈴木英史 作曲)
勇者のマズルカ(三澤慶 作曲)
漁り火は波に戯れ(福島弘和 作曲)
エル・カミーノ・レアル(リード 作曲)
● 合間に指揮者の原進さんが,曲の解説をした。これが解説にとどまらず,ほとんどトークになっていて,そのトークが巧いのに一驚。
声質がいい。邪魔にならない声なんですな。しゃべりのテンポもいい。職業を間違えたんじゃないかとまでは思わなかったけれども,羨ましいね,こういうふうにできる人。
ちなみに申しあげると,彼,なかなかのスタイリストでもあるようだった。
● 「漁り火は波に戯れ」を作曲した福島弘和さんが会場に来ていて,その福島さんと原さんの掛け合いは,聞きものだった。これだけでチケット代の元は取ったかな,と。
福島さん,小学校でトランペットを始め,中学校でオーボエに転じた。「漁り火は並に戯れ」は青森の下北吹奏楽団からの委嘱で作曲したそうなんだけど,漁り火の情景ではなくて,漁り火を見ている人たちがどう感じているかを想像して,曲を作ったという意味のことをおっしゃっていた。
音楽とは気楽に長くつきあってもらいたい,と。聴きたくなければ聴かなければいいんだし,また聴きたくなれば聴けばいいんだし,演奏したくなれば吹奏楽団に入ればいいんだし,と。3つめはなかなか簡単にはいかなそうだけど,理屈としてはよくわかりますな。
● というわけで,特別なことを聴いたわけではないんだけれども,実直な人柄が伝わってくるような。都会的な原さんに対して,カントリージェントルマンといった感じで。
問題は,このトークのために,演奏中も視線が指揮者に集中してしまって,奏者を見れなくなることだね。
● 後半の第2部は,「サウンド・オブ・ミュージック」と「ハウルの動く城」のメドレー。カーペンターズの「青春の輝き」とメンケン「魔法にかけられて」。映画「タイタニック」に使われた「MY HEART WILL GO ON」。
最後は,ワーグナーの「ローエングリン」から「第3幕への前奏曲」「婚礼の合唱」「エルザの大聖堂への行列」の3曲。
第2部の司会は井ノ上京子さん。
● その第2部のタイトルは「愛と青春が織りなす旋律たち」っていうんだけど,コピーとしてはベタに過ぎるような気がする。じゃあ,おまえ考えてみろよ,っていわれると,何も出てこないんだけどさ。
愛とか青春って,今でも訴求力のある言葉なのか。
いや,そこで斜に構えて,フンッと鼻をならす方が下品だな。いいんだろうな,このタイトルで。
● アンコールで原さんのトランペットも聴かせてもらえた。限界まで巧い。
唯一,気になったのは,赤ん坊の泣き声が間欠的に聞こえていたこと。泣き声はこちらが我慢すればいいことなんだけど,首の座らない乳児をこの音量に晒すってのは,ほとんど虐待じゃないのかなぁ(そうでもないのか,考えすぎか)。
乳飲み子を虐待にさらしてまで聴くに値する音楽は,この世に存在しない。あるいは,そうまでして果たさなければならない義理も,この浮世にはない。
● 何度か吹奏楽を聴いて,吹奏楽も楽しいものだと了解できたんで,今回は小山市交響吹奏楽団の定期演奏会にお邪魔することに。
チケットは前売券が500円,当日券が700円。当日券で入場。開演は午後2時。
● この小山市交響吹奏楽団は「1980(昭和55)年,当時の間々田中学校吹奏楽部の卒業生により間々田青少年吹奏楽団として結成され」た。現在は「高校生から40歳代までの幅広いメンバーで毎週日曜日,間々田市民交流センターにて楽しく活動してい」るとのこと。
いろんな仕掛けを作って,客席サービスに努めていた。地元密着というか,ひとつのコミュニティができあがっているというか。ステージと客席が地元紐帯で強く結ばれているような感じ。
開演前に市長のあいさつもあった。当然,市民に向けた内容だった。
よそ者が紛れこんでは申しわけないような気もした。ところかまわず行きゃいいってもんでもないかも。
集団で来ていた中学生や高校生を除くと,来場者の平均年齢はかなり高い。いい悪いではなく,現代日本の縮図。今の日本は年寄りしかいない国。
● 前半の第1部は次の4曲。
イントラーダ「S-S-S」(鈴木英史 作曲)
勇者のマズルカ(三澤慶 作曲)
漁り火は波に戯れ(福島弘和 作曲)
エル・カミーノ・レアル(リード 作曲)
● 合間に指揮者の原進さんが,曲の解説をした。これが解説にとどまらず,ほとんどトークになっていて,そのトークが巧いのに一驚。
声質がいい。邪魔にならない声なんですな。しゃべりのテンポもいい。職業を間違えたんじゃないかとまでは思わなかったけれども,羨ましいね,こういうふうにできる人。
ちなみに申しあげると,彼,なかなかのスタイリストでもあるようだった。
● 「漁り火は波に戯れ」を作曲した福島弘和さんが会場に来ていて,その福島さんと原さんの掛け合いは,聞きものだった。これだけでチケット代の元は取ったかな,と。
福島さん,小学校でトランペットを始め,中学校でオーボエに転じた。「漁り火は並に戯れ」は青森の下北吹奏楽団からの委嘱で作曲したそうなんだけど,漁り火の情景ではなくて,漁り火を見ている人たちがどう感じているかを想像して,曲を作ったという意味のことをおっしゃっていた。
音楽とは気楽に長くつきあってもらいたい,と。聴きたくなければ聴かなければいいんだし,また聴きたくなれば聴けばいいんだし,演奏したくなれば吹奏楽団に入ればいいんだし,と。3つめはなかなか簡単にはいかなそうだけど,理屈としてはよくわかりますな。
● というわけで,特別なことを聴いたわけではないんだけれども,実直な人柄が伝わってくるような。都会的な原さんに対して,カントリージェントルマンといった感じで。
問題は,このトークのために,演奏中も視線が指揮者に集中してしまって,奏者を見れなくなることだね。
● 後半の第2部は,「サウンド・オブ・ミュージック」と「ハウルの動く城」のメドレー。カーペンターズの「青春の輝き」とメンケン「魔法にかけられて」。映画「タイタニック」に使われた「MY HEART WILL GO ON」。
最後は,ワーグナーの「ローエングリン」から「第3幕への前奏曲」「婚礼の合唱」「エルザの大聖堂への行列」の3曲。
第2部の司会は井ノ上京子さん。
● その第2部のタイトルは「愛と青春が織りなす旋律たち」っていうんだけど,コピーとしてはベタに過ぎるような気がする。じゃあ,おまえ考えてみろよ,っていわれると,何も出てこないんだけどさ。
愛とか青春って,今でも訴求力のある言葉なのか。
いや,そこで斜に構えて,フンッと鼻をならす方が下品だな。いいんだろうな,このタイトルで。
● アンコールで原さんのトランペットも聴かせてもらえた。限界まで巧い。
唯一,気になったのは,赤ん坊の泣き声が間欠的に聞こえていたこと。泣き声はこちらが我慢すればいいことなんだけど,首の座らない乳児をこの音量に晒すってのは,ほとんど虐待じゃないのかなぁ(そうでもないのか,考えすぎか)。
乳飲み子を虐待にさらしてまで聴くに値する音楽は,この世に存在しない。あるいは,そうまでして果たさなければならない義理も,この浮世にはない。
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