すみだトリフォニーホール 大ホール
● 欧米人にとって教会って何なのか。ひょっとすると,解毒装置なのか。普段,オレがオレがで自己主張と欲の追求に明け暮れているから,週に1回,懺悔してスッキリするための解毒装置が教会なのか。
だとすれば,おまえら,週1じゃ足りないんじゃないか,週に2回行けよ。とまあ,不謹慎極まることを想像したりするんですよ。
● そういうことではないんでしょうね。結局,彼らにとってのキリスト教というのは,ぼくの理解の外にある。
しかし,キリスト教なくして,只今現在のクラシック音楽はあり得なかった。そのヨーロッパ生まれの音楽が,今じゃ世界中で演奏されている。音楽として世界の共通言語になっているんでしょ。キリスト教とは切り離されて,音楽だけで成立している。
なんだけど,ヨーロッパ人が味わうようにはぼくらは味わえていないんでしょうね。宗教的な背景というか,宗教と音楽との絡み具合が,ぼくらにはわからないんだから。
● で,ヨハネ受難曲。イエスの受難の物語。それに対する思慕の念が吐露される。
信仰を持たないぼくは,これってそもそも史実なのと思ってしまうんですよ。要するに,物語の中に入っていけない。小賢しいことを考えるなと我ながら思うんだけど,どうもダメだ。
● コーラル・アーツ・ソサイアティはドイツ公演までやっている本格派。毎回,団員募集から始めているようだけれども,ずっと続けている人が多いのでしょうねぇ。
10年前にもヨハネ受難曲を手がけている。今回が二度目。とはいえ,当時とメンバーが同じはずはない。一から作ってきたんでしょうね。
● で,その合唱もさることながら,管弦楽が素晴らしすぎた。今回はヴィオラとフルートが耳に残ったけれど,どのパートも一騎当千のつわものたちという感じ。
アンサンブル of トウキョウ。知っている人はとっくに知ってるんだろうけど(30年近くの歴史がある),ぼくは知りませんでしたよ,恥ずかしながら。いや,ほんとに恥ずかしい。
● エヴァンゲリスト役(テノール)のマイケル・コネーレ氏を筆頭に,宇野徹哉(バス),國光ともこ(ソプラノ),日野妙果(アルト),セバスチャン・クライン(バス)と,独唱陣もよくこれだけ揃えたなというもの。
声楽家はたっぷりと余裕のある体型というのは,今は昔の話。スレンダーでも声は出る。國光さんなんかその証明。
指揮者はヨアヒム・ノイガルト氏を招聘。かの地では合唱指揮者として知られているらしい。長身でイケメン。羨ましい。
● 開演は午後1時15分。チケットはS席で4,000円。前から7列目の中央だった。指揮者の頭が字幕の真ん中を遮ってしまう。前後から意味は推測できるので,支障はなかったけれど。
今回の最大の収穫は,字幕によって歌詞の意味がわかったこと。オペラほどではないにしても,意味がわからないんじゃちょっとつらい。CDも何度か聴いているんだけど,歌詞カードを見ながら聴くなんてことはしないから,隔靴掻痒の感があった。
これで,CDに向かう際の大きな障壁が消えたと思う。って,この程度でヨハネを聴いていいんだろうかねぇ。
0 件のコメント:
コメントを投稿