宇都宮市立南図書館 サザンクロスホール
● バッハのフランス組曲を2回に分けて演奏。今日はその1回目。バッハのフランス組曲をチェンバロで聴けるんだから,ともかく出かけていった。
チケットは通し券で1,600円。開演は午後6時半。
● 曽根麻矢子さんのCDを一応,聴いてはいる。だけど,チェンバロって何を聴いても同じように聞こえてしまう。フランス組曲もゴルトベルク変奏曲も同じに聞こえる。区別がつかない。聴き慣れていないからなんでしょうけどね。あるいは,聴き方が悪いからなんだろうけど。
さすがに生で聴けばそんなことはないだろうと思う一方で,管弦楽に比べれば,生とCDの差は少ないだろうから,やっぱり同じに聞こえちゃうかなぁと思ったり。
ま,こんな程度で聴きに行っているわけですが。
● よくいえばアットホームな感じ。横山さんの音楽教室の生徒さんたちが多かったんだろうか。ほんのりと始まった。
淡々と弾いていくうちに,だんだん場ができてきた。チェンバロを聴くという場。
● ところが,その場がほぼできあがったところに語りが入ってしまった。声は届いているんだけど,何を言っているのかはわからない。内容がではなくて,発話が。せっかくできた場が,崩れてしまったとぼくには感じられた。
この辺は賛否両論があるはずだけれど,解説はプログラムに回して,観客に届けるのは演奏のみでいいと,ぼくは思う。演奏がすべてを語ってくれるはずだ。それをどう受け取るかは観客に委ねるしかない。誤解や曲解もあるだろうけれども,そこは仕方がない。
● 生演奏を聴くことの効果というのはある。聴くというのは,つまりは消費だ。それを何かに活かすために聴いてる人は,いたとしても少数だろう。つまりは,気持ちよく時間を消費できれば,それで充分だ。快い時間を持てること。それが効果の最たるもの。
もうひとつ,快い時間を拡大するきっかけになることがある。今回でいうと,眠っていたCDを聴いてみようという気にさせてくれた。平均律クラヴィーア曲集とかイギリス組曲など,チェンバロ演奏を収録したCDがある。それに向かうベクトルを作ってくれた。
● 会場の宇都宮市立南図書館はもともと田んぼだったところ。隣に宇都宮工業高校があるけれども,ほかに建物はない。平野が拡がっていて,半端ない開放感が味わえる。
ここで田植えや稲刈りをしていた人たちも,同じように伸び伸びした空気を感じていたんだろうか。だとしたら,農業って悪い仕事じゃないなぁ。
でも,あれだな,こういうところで開放感を感じるのは,普段せせこましいところにいるからだ。当時,農作業をしていた人たちにはあたりまえの風景だったはず。ことさらに開放感として受けとめることはなかったろうなぁ。
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