那須野が原ハーモニーホール 大ホール
● 開演は午後4時30分。チケット(前売券)は1,200円。
合唱の演奏会を聴くのは,これが2回目か。2年前にルックスエテルナを聴いて以来のような気がする。
● 前半は,混声,男声,女声の順で。最も印象に残ったのは男声で,これは何というか,自分でも意外だった。
「荒城の月」を聴いて,これほどシンミリした気分になったことはない。「故郷」もそう。
くどいようで申し訳ないんだけど,聴いたこと自体,あまりない。それは前提なんですけど。
● 日本の原風景というか,かつての農村の風景というか,それが歌として残っているわけですね。
おそらく,当時でもすでにリアルではなかったのだと思う。作詞家が相当にデフォルメを加えているというか,彼の心象風景を詞にしたものだと思うんだけど,ともかく歌の中に,懐かしい風景が固定されている。
だから,ぼくらは安心してどんどん変わっていける。戻れる場所が歌の中にあるんだから。
● 雄渾さはかけらもない。箱庭のような小さな風景の中で,細やかな,ほとんど独りよがりと言いたくなるような内面の物語を作ってきたんだな。微細な肌理を重ねていくような感じでね。
それはまた,逃げ場にもなってくれたに違いない。そうやって,ぼくらはバランスをとって生きてきたんだし,これからもそうして生きていく。
● それを男声で表現しても,デリカシーの塊のような歌になるんですな。人の声が持つ浄化力って,たしかにあるな,と。
● 休憩後は,フォーレの「レクイエム」。ソプラノに藤井あやさん,バリトンに渡辺祐介さん。オルガンは室住素子さんが担当。
ただし,管弦楽はなくて,寺嶋陸也さんのピアノが,これは伴奏といっていいのか,とにかく管弦楽の代わりを務めた。
● 三大「レクイエム」のひとつに数えられている著名な曲だ。ぼくだってCDは持っている。持っているんだけども,レクエイムだったりミサ曲だったりっていうのは,取っつきにくい印象。
ひとつには詩がわからないということ。わからなくても,オペラと違って,決定的に困ることはない。おおよその意味がわかっていればいい。
● 早い話,ベートーヴェンの「第九」だって,合唱団が今歌っているのはどんな意味なのかなんてわからないで聴いている。それで隔靴掻痒を感じるかっていうと,そんなことはない。
もっと言っちゃうと,日本のお経だってどんな意味なのかわからないけど,雰囲気が掴めていればそれでいい。それで困ることは何もない。
ではあっても,なかなかね,積極的にCDに手が伸びることがないなぁ。
● もうひとつは,キリスト教に距離があることだね。欧米人がわかるようにはわからないという諦めもある。
万軍の主なんて言葉は,言わんとするところはわかるような気がするんだけど,それこそ隔靴掻痒の感を覚えてしまう。たぶん,このあたりの欧米人の感覚は,日本語では表現できないのではないかと思う。
● この種の曲は否応なしに聴く機会を作らないと,聴かないままで終わってしまいそうだ。こういう機会はありがたいものだ。
モーツァルトやベルディに比べると,アッサリしている感じ。重厚感とかこってり感が削ぎ落とされている。洗練されていると言い換えてもいいかも。胃にもたれないというか。
他国は知らず,三大「レクイエム」の中ではフォーレが一番好きだっていう日本人は多いんじゃないかなと思った。
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