2015年5月28日木曜日

2015.05.24 宇都宮シンフォニーオーケストラ第14回定期演奏会

宇都宮市文化会館 大ホール

● クラシック音楽の愛好家(聴くほうの)は世の中にあまたいらっしゃる。クラシックに特化したブログも数えきれないほどにネット上に存在している。
 じつは,それらを読まないようにしている。なぜというに,読んでしまうと,自分がこういうブログを書いている意味が疑わしくなってくるからだ。もっというと,書く資格が自分にあるのかどうかも。


● ところが,ときどきは読んでしまう。そうすると,存分に劣等感が刺激されることになる。
 そもそもの耳の感度。鑑賞能力。曲とその背景に対する理解。音楽を聴いている期間の長さ(キャリア)。聴き始めた年齢。語彙の豊富さ。文章表現の巧みさ。
 自分はそのどれにおいても劣るというのはわかるわけでね。さて,ではどこに立ち位置を求めればいいのか。そんな場所は残っていないのじゃないか。


● その隙間を地元密着に求めて,ノラリクラリと今まで書いてきたんだけどね。そろそろ年貢の納め時かもしれないなぁ。ま,何とかしぶとく,しがみついていたいとは思うんだけど。
 などと思いながらこれを書き始めた。


● 管弦楽は今月10日に宇都宮ジュニアオケを聴いたばかり。なんだけど,ずいぶん昔のことのような気がする。この感覚って,久しく味わったことがない。この間,何があったってわけでもないんだけどね。
 開演は午後2時。チケットは1,000円。当日券を購入。曲目は次のとおり。
 ブラームス 大学祝典序曲
 ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番
 ブラームス 交響曲第1番


● ブラームスの1番。ブラームスが長年かけて完成させたわけだけれども,彼の4つの交響曲の中でも最も高揚感に満ちていると思われる。
 偉大すぎるベートーヴェンの背中が眼前にあったはずだ。ベートーヴェンと自分の間には誰もいない。途方にくれるのと光明を見いだすのと,その繰り返しだったかもしれない。放り投げようと思ったこともあったか(いや,それだけはなかったか)。


● ベートーヴェンとの格闘に注がざるを得なかったエネルギーの総量は,凡人の想像が及ぶところではないけれども,その熱が曲の全体に充満していると,こちらは勝手に受けとめる。
 この曲の4つの楽章が保持している質量たるや,とんでもないものだということくらいは,ぼくでも感じる。朝,ちょっと聴いてみようかとCDをかけるとエラい目にあう。この曲を聴くんだったら,それ相応の覚悟を要する。


● ベルリオーズのように競技ルールを変更することを自らに許さなかった。ベートーヴェンが敷いたレールのうえで勝負したいと思ったのか。
 律儀という単語を思いだす。シューマン夫妻への献身や,ドヴォルザークへの細やかな対応をみると,いっそうその感を強くする。宮沢賢治的な気配を感じたりもする。
 まぁ,勝手な受けとめ方ではあるんだけどね。


● この曲は高揚感に満ちていながら,基本姿勢はいたって端正だ。ゆえに,演奏もまた端正であってほしい。突き抜けていいところなど,この曲の中には1ヶ所もない。ピシッと統制がとれた演奏であってもらいたい。
 波やうねりはもちろんある。どこまであがるんだと思うところもある。が,基本は抑制でなければならないと,これまた勝手に思っている。どんな曲でもフライングは厳禁だろうけど,この曲ではいっそうそうだ。

● と偉そうに語っているんだけどねぇ,演奏する側はどんな気持ちで演奏してるんだろうか。こういう容易ならざる曲に対して。
 2楽章のコンミスのソロ。3楽章の木管の連弾(という言葉をここで使っていいのか?)。4楽章のステージがせりあがるかのような重厚な高揚。
 聴きどころはいくつもあった。奏者側からすれば聴かせどころ。そのどれもが聴かせてくれるものだった。たいしたものだ。
 いや,実際,疲れると思うんですよねぇ。聴いてる側がこれだけ疲れるんだからねぇ。文字どおりの意味で,体力って大事なんだろうな。


● ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。ピアノは越田美和さん。彼女のピアノを堪能すればいいわけだ。が,協奏曲はやっぱりバック(管弦楽)が締まっていることが大事だよね。
 ソリストと指揮者とオケが三つどもえになって押したり引いたりってのもあるのかもしれないし,ソリストがオケを引っぱるってこともあるのだろうけれども,押そうが引こうが引っぱろうが引っぱられようが,演奏の出来を決めるのは管弦楽のような気がする。


● であればこそ,ソリストも乗っていけるのではあるまいか。乗ってオケを引っぱることもできる。オケがこけちゃってたら,引っぱる気にもならないもんね,たぶん。というわけで,このオーケストラであればこそ。
 高名なピアノ協奏曲を生で聴いている,今ここに自分はたしかに存在しているっていう,自分に対するリアリティーのようなものを感じることができた。

2 件のコメント:

  1. 演奏者にとって、聴衆の感想は気になるものです。こちらのブログは独自の視点で率直な感想を載せていただいているので、必ず本番の後は拝見しています。私個人はプロもどきの評論家の意見なんか興味もそそられないです。
    こちらはプレイヤーの間では有名で、みんな知ってます。ぜひともこれからも続けていただきたいと思ってます。

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    1. ありがとうございます。とても励まされます。
      演奏している方々に読んでいただけるのは,私とすればこのうえない光栄です。

      以前は聴き終えて会場を出るときには,このブログの文章がほとんど完成型で頭の中にできあがっていました。あとは,パソコンをたたいて外部化すればいいだけでした。
      が,そんな時期はあまり続かず,今では文章の断片すら浮かばないようになってしまってまして。ブログを書くのがシンドくなってきたといいますか。

      演奏する側は全力でステージを作ってくるのですから,それを聴いて感想を公開する以上は(しかも,誰に頼まれたわけでもなく,自分が勝手にやっている),こちら側も全力を放出しなければならない,その程度のシンドさは当然,引き受けなければならない,と一方では思うのですが,この状態で文章を書いて公開するのもなんだかなぁ,と考えることがあるようになりました。

      実際,「毎回,同じことを繰り返して書いているんじゃないか,おまえ」と,自分に突っこみたくなるような有様ですし。

      ですが,そんなことを考えることじたいが,身の程知らずの思いあがりなのかもしれません。
      初めて,管弦楽の生演奏を聴いたときの感激を思いだして(真岡市民交響楽団によるブラームスの2番でしたが),日々新たに,ステージの演奏に対面するよう努めて,駄文を弄していくことにします。

      これからもよろしくお願いします。ありがとうございました。

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