2016年8月25日木曜日

2016.08.20 麻布学園OBオーケストラ 特別演奏会2016

東京芸術劇場 コンサートホール

● 山下洋輔さんが登場する。これは聴きに行こうかなというわけで,ネットでもってチケットをゲットしておいた。
 セブンイレブンで代金引換で受け取れるんだからね。便利な時代になった。
 ただし,システム使用料なんぞという名目で,540円ほどむしり取られる。

● 座席はS席とA席の2種。Sが2,500円でAが2,000円。であれば,Sにしとけってことになる。ぼくは3,040円を払ってS席チケットを買っておいたわけだ。
 実際には当日券もあった。いくつの区画が空いていた。おそらくA席だろう。それでかまわなければ,当日券の方が予定というロープに縛られずにすむという利点もある。

● 開演は午後1時半。プログラムは次のとおり。
 藤倉大 ホルン協奏曲第2番 Part1
 ガーシュウィン ラプソディ・イン・ブルー
 ラフマニノフ 交響曲第2番 ホ短調

● ぼくはだいぶ早めに着いてしまっていた。が,それで正解だった。指揮者の鈴木優人さんと山下さん,ホルン独奏の福川伸陽さんによるプレトークがあったから。
 鈴木さんと山下さんは麻布学園のOB。このプレトークが面白かった。

● たとえば,興味を持ったものは徹底的にやるのが麻布精神だと山下さんが言えば,徹底的にやってすぐに飽きてしまうのも麻布精神,と鈴木さんが続ける。
 日本は貧富の差が少ない例外的な国だということは以前から言われている(小泉政権以来,格差が拡大しているとも言われているけれど)。差がないのは貧富だけじゃなくて,こういう何とか精神というのも,あまり差がないのじゃないかね。徹底的云々,すぐに飽きる云々というのも,わりと多くの学校で言われているのではないか。特に男子校では。
 山下さんと鈴木さんの話を聞いて,自分の学校も同じだと思った人が,けっこういたのじゃないかと思う。

● この演奏会はもちろん外に開かれた演奏会で,チケットさえ買えば誰でも入場できる。麻布学園の関係者でなければならないということはない。
 ただ,だいぶ,その,同窓会行事的な色彩が濃厚だ。最後には校歌を演奏して,麻布学園の関係者やOBは立って歌う慣わしのようだ。
 聴衆の過半は立っていたんじゃなかろうか。麻布学園は男子校のはずだが,立って歌っている人の中には女性もけっこういた。在学生あるいは卒業生の母親だろうか。たぶん,誇らしいのだろうな。

● さて。一曲目は藤倉大さんのホルン協奏曲。ホルン独奏は福川伸陽さん。N響の主席。世界初演とある。二度目はあるんだろうか。
 「ホルンがフォルテでカッコよく吹くのに加え,それが調性音楽となると,仮病を使ってでも聴きに行きたくない」という人が作った曲だ。不思議なテイストの曲だ。

● 言い方はいろいろできると思うんだけど,ぼくはディズニーシーのマーメイドラグーンにいるような気分になった。ポワン,ポワン,ポワンという金属音(?)がマーメイドラグーンなんだよねぇ。
 ただ,演奏する側は少々以上に厄介だったのではないだろうか。吹いてる側がポワン,ポワンとしているわけにいかないもんね。

● 「ラプソディ・イン・ブルー」で山下さん,登場。ぼくの席は2階の右翼バルコニーだったので,彼の肘打ちや拳打ちの様は見えなかったんだけど,オーラが違うというかね,客席をガッと掴む感じがね,気持ちいいくらい凄い。
 あざとくはないんだよね。あざとくはないのに,一瞬で客席を掴む。

● 「ラプソディ・イン・ブルー」はピアノだけでは成り立たない。管弦楽が支えなければならない。で,このオーケストラの腕前がかなりのものなんですよ。
 麻布の卒業生ってみんな東大に行くというイメージでしょ。それでもって,これだけ巧いのはなんで?
 賛助に入ってた奏者の中にはプロもいた。プロじゃなくても,音大出身者ばかりだったろう。であっても,賛助だけが巧くて本体が普通なら,ここまでの演奏はできない。
 東大オケも相当に巧いものね。あまり深くは考えず,こういうこともあるのだと思うことにしよう。

● 正直なところ,山下さんの「ラプソディ・イン・ブルー」が聴きたくて,栃木の在からやってきた。これを聴けば帰ってもいいと思っていた。
 だけど,この水準の管弦楽が演奏するラフマニノフの2番を聴かないで帰るのは,大馬鹿野郎のすることだとすぐに気がついた。

● その前に山下さんのアンコール。ハロルド・アーレン「オーバー・ザ・レインボー」。山下さんのピアノに福川さんのホルンが絡んでいく感じか。
 山下さん,福川さんに気を遣ってか敬意を表してか,わりと絡みやすくしていた感あり(していなかったかもしれない)。
 この短い演奏だけでも,チケットの元は取れたかと思うくらいだ。

● では,ラフマニノフの2番。福川さんもホルンの列に加わっていた。豪華なオーケストラだ。
 これほど激しいラフマニノフを聴いたことがあったろうか。この曲は生だけでもかなりの回数,聴いていると思う。その中でここまで動きの大きい演奏を聴いたことがあったかどうか。
 いい悪いの問題ではもちろんなく,こういうラフマニノフもあるのかと単純に驚いただけだ。

● 第3楽章ではセクシーさを感じた。緩徐とはセクシーという意味なのか。セクシーというよりエロティック。エロスを感じたと言い直してみるか。
 そこをもう少し細かく砕いて言ってくれないかと言われたって困る(言われないだろうけど)。きれいなプロポーションの乙女の寝姿を見ているような感じなんですよね。
 きれいなプロポーションの乙女だよ。こちらはずっと見ていたいわけだよ。終わるな,ずっと続け,と思っていた。

● 4楽章ではまた大きな動きと大きなうねり。ここに世界が凝縮しているような。今,ここを読み解ければ,世界を解釈できたことになる,みたいな。
 もちろん,そんなのは錯覚なんだけど,聴く者をしてそう思わせるのは,作曲家の力業なのか,演奏の巧みなのか。

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