横浜市神奈川区民文化センター かなっくホール
もうひとつ。管弦楽より室内楽の方が,聴き手を選ぶ。いや,そんなことはないのかもしれないけれども,ぼくにはそう思える。
つまり,自分が聴き手として室内楽を苦手としているからだ。苦手を克服しようなどという大袈裟なものではないけれど,苦手なままでは損をする。
● ということなので,この演奏会を知ってしまった以上,行かないわけには行くまい。栃木の在から電車を5回乗り換えて(というのは東武線を使ったので。宇都宮,南栗橋,曳舟,浅草,新橋で乗換えた),東神奈川にやって来た。
開演は午後2時。入場は無料だけれども,お約束の事前予約制。
● 曲目は次のとおり。相当なボリュームになる。重量級だ。
メンデルスゾーン 弦楽四重奏曲第3番 ニ長調
シューマン 弦楽四重奏曲第2番 ヘ長調
シューベルト 弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」 ニ短調
ブラームス ピアノ四重奏曲第3番 ハ短調
● アンサンブル アコルト がどういう団体なのかというのが,まずわからない。わからなくても何の支障もないわけだけど。
最初にメンデルスゾーンを演奏した4人組はクアトロピラストリというらしい。シューベルトを演奏したのは,カルテットKeynz。そうしたいくつもの4人組が集まったのがアンサンブル アコルト というわけだろうか。
出入り自由な開かれた団体なんだろうか。よくわからない。わからないけれども,今回で10回の演奏会を重ねる。
● 曲目解説も実奏者ならではのもので,色々と蒙を啓かれる。特に面白かったのがシューマンについて語ったもの。
半拍ずらしが延々と続く。したがって,とんでもない苦労を強いられる。
「もどかしいのは,自然に聴こえることが成功だから,この苦労が客席に伝わらないこと。この徒労感に耐え切れなくなった僕たちは,ついに,ずらされた裏拍スタートの記譜を表拍スタートに読み替えるという禁じ手の誘惑に負けてしまう」。
アッハハハ。と笑ってはいけないところだろうけど,早々に負けるのが賢いのかもしれないよね。そこまでシューマンは折込済みなんだろうしね。
● 弦楽四重奏曲といえばベートーヴェンの後期と呼ばれる作品群が有名。変化と進化を止めないベートーヴェンを称えるのに,後期の弦楽四重奏曲はその好例として示される。それ以前とはガラッと変わっている,と。
その嚆矢となる第12番を作曲したのは1825年。シューベルトの「死と処女」は1824年。ベートーヴェンの12番ができあがる1年前だ。その楽譜をベートーヴェンは見ているんだろうか。見ているんでしょうね。
● ベートーヴェンが孤高の一本杉であったとは考えにくい。他は知らず,われ独り行く,であったはずがない。
手塚治虫が若い漫画家の画風やストーリーや背景に影響を受けて,自身の漫画を変えていったように,ベートーヴェンもまた自分より若く,自分を尊敬している若い作曲家から影響を受けていたんでしょう。
● その時期の手塚治虫を見ると,大家としてゆるぎない地位を確立してなお,自分を超える者が出るのが我慢できなかったのではないかと思えなくもない。要するに,かなりの負けず嫌いだったのじゃないか,と。
ベートーヴェンも同じだったのだろう,ということにしておきたい。
● ともあれ,晩年のシューベルトはベートーヴェンに深い影響を与えたように思われる。シューベルトの何がそうさせたのかといえば,諦念のようなものではなかったか。
悲しみを湛えた諦めのようなもの。何を諦めたのかはわからないが,自分を諦めたのか,あるいは人生を諦めたのか。否応なく終わりが見えた。そこから来る何ものか。
● 最後にブラームスのピアノ四重奏曲で優美に締めて,終了となった。
たぶんだけれども,今回の奏者たちは,音大に行くという直截な手段を選ばずに,それに代わる方法で技術と読解力を磨いてきた人たちではないかと思う。つまり,狭義の正統派ではない。
面白い人たちが集まっていると思えたのだが,失礼ねと言われちゃうかもしれない。
● こういう時期なので,使用座席は制限している。その制限下の座席はほぼ埋まっていた。
これほどお客さんが入るのは初めてなので・・・・・・と主催者が言っていたけれども,こういう演奏をしていればお客さんはだんだん増えてくるものでしょ。お客さんって正直だもんね。
多くの演奏会が中止になって,聴きに行ける演奏会がなくなってしまっているから,というのではないと思いますよ。
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