2020年9月23日水曜日

2020.09.19 弁天百暇堂 [別館] no.2 楽聖前夜

 早稲田奉仕園 スコットホール

● 弁天百暇堂なる人を喰ったような名前のグループの演奏会。
 弁天百暇堂とはいかなる所以で名づけられたか。配られたプログラム冊子に書いてある。それを読めばなるほどねと思うんだけども,なお “人を喰ったような” という印象が抜けたわけではない。
 演奏会名の “別館” とはこれまた何か。こちらもサイトに説明がある。やはりなるほどとは思うものの,別館ねぇという感覚が抜けない。


● が,そういうことはどうでもよろしい。この時期の開催だ。客席をひとつおきにしたり,来場者の検温をしたりという,余計な手間を引き受けての開催になる。それだけでお疲れさまですということになる。
 この時期に人が集まるコンサートに行く方も行く方じゃないの,と思う向きがあるかもしれないけれども,そうではない。クラシック音楽のコンサート会場でコロナのクラスタが発生する可能性は,絶対にないとは言わないけれども,九分九厘ないだろう。
 理由は単純で,喋らないからだ。喋らないんだから飛沫が飛ばない。おそらくマスクも不要だろうし,席をひとつおきにする必要もないと思う。


● 先月から催行するコンサートがあるようになって,発見したものは行くように努めている。コロナをもらったらどうしようか(逆に,無症状でも陽性である可能性もあるわけだから,感染させたらどうしようか)と不安に思ったことは一度もない。
 談論風発する酒場や至近距離で言葉を交わす風俗店とは違うのだ。あるいは,興奮して大声を出すような類のコンサートとも違うのだ。クラスタなど出るわけがない。


● 開演は午後2時。入場無料。事前予約制。曲目はオール・ベートーヴェン。
 2つのオブリガート眼鏡付きの二重奏曲 変ホ長調
 フルート,ヴァイオリン,ヴィオラのためのセレナード ニ長調(全7楽章のうち,第1,2,3,4,7楽章)
 モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』の「お手をどうぞ」の主題による変奏曲 ハ長調
 弦楽四重奏曲 ヘ長調(ピアノ・ソナタ第9番の作曲者自身による編曲版) 
 4曲のうち,3曲はベートーヴェンが作品番号を付けなかったもの。生で聴ける機会はそんなにない貴重な曲だったとも言える。

● 音大を出てずっとブイブイ言わせてきた人たちではないように思う。いや,音大出もいるのかもしれないけれども,音楽がなければ私の人生もない,という視野狭窄の人はいないようだ。
 そういう若い時期を過ごしてきたのかもしれないけれども,今は要するに,ちゃんとした大人だ。仕事でもそれぞれの持ち分をキチンと(かどうかは知らないけれど,ともかく)果たしている人たちのように思える。
 その上での話なのだが,“好きでやってる” 演奏活動を一定以上に振り切っちゃってる人たちのようでもある。偏りがある。多くの場合,偏りは魅力でもある。


● 東京にはしばしば出てきているが,早稲田はあまり縁のあるエリアではなかった。これが三度目だと思う。
 早稲田にこんなところがあるとは知らなかった。教会のホールなのだが,一般に開放されている。比較的新しい建物のように思えたんだけど,完成は1921年で,都指定の歴史的建造物になっているらしい。きちんと風を入れているのだろう。

2020年9月16日水曜日

2020.09.13 アンサンブル ディマンシュ 第87回演奏会

 府中の森芸術劇場 ウィーンホール

● クラシック音楽の演奏会については満席にして実施することを容認する方向で,政府が検討中であるらしい。着々と正常化に向けて舵が切られている。
 いずれ,コロナウィルスについての知見が確定し,ここまでの対策や防御方法についての検証がなされるはずだが,飛沫感染にのみ注意すればよく,皮膚感染についての対策は無用であったとされるのではないかと,愚察している。
 まぁ,対策案の決定者と検証者が同一になるだろうから,自身の決定について完全否定するような文章にはなるまいが。

● しかし,現時点ではまだ中止や延期が普通だ。催行を決定するには少々の勇気が必要だろう。それ以上に手間が必要になる。体温測定だの,ホールの座席に着座不可の印を付ける作業だの。
 そうした勇気と手間をかけても催行するというのだから,こちらとしても行かざるべからず。っていうか,生演奏があるなら聴きたいということなんですけどね。4~7月はまったく聴けなかったわけだから,仇を取るといった気分がないわけでもないのだ。


● というわけで,東京は府中市にやってきた。オーケストラ ディマンシュなら二度ほど聴いたことがあるけど,こちらのディマンシュは初めてだ。
 開演は午後2時。入場料は1,000円。当日券もあるにはあるが,できれば前売券を購入してくれとのことだった。さもありなん。が,前売券の購入の仕方がわからなかった。
 で,どうしたかといえば招待券をもらっちゃうことにしたのでした。ので,今回は無料で入場している。

● 曲目は次のとおり。
 バッハ 管弦楽組曲第3番 ニ長調
 ファランク 交響曲第3番 ト短調
 ベートーヴェン 交響曲第4番 変ロ長調。
 指揮は平川範幸さん。まだ33歳か。指揮者の33歳は若いと言っていいんでしょうね。 

● 4月から毎日が日曜日になったのと,演奏会が軒並み中止になったのとで,CDを聴いてる時間が確実に増えている。
 ベートーヴェンとバッハがメインで,時々,ブラームスとモーツァルトを聴く。その外に出ることはほとんどないようになった。チャイコフスキーもマーラーも絶えて聴かなくなった。
 いいんだか悪いんだかわからないが,グレン・グールドに親近感を覚える。


府中の森芸術劇場
● で,バッハの管弦楽組曲第3番。CDはカール・リヒターのものが多くの支持を得ているようだけれども,ぼくは鈴木雅昭&バッハ・コレギウム・ジャパンの演奏で聴いている。
 理由があってそうしているわけではない。何もわからないで入手したのがそれだったからだ。他のCDと聴き比べることもしていない。たぶん,これからもしない。


● この第2曲を,後世,アウグスト・ウィルヘルミがヴァイオリン独奏のために編曲したものが「G線上のアリア」として有名になっている。ハ長調に移調するとG線のみで演奏できることからその名が付いたらしいのだが,東日本大震災のあとに「G線上のアリア」が鎮魂歌としてしばしばオーケストラによって演奏された。
 この場合に演奏されたのは,ニ長調の第3番第2曲ではなくて,ハ長調の「G線上のアリア」だったというわけですか。初歩的な疑問で申しわけないのだが,「G線上のアリア」というタイトルはそこまで厳密に用いられているものなのだろうか。第3番第2曲を「G線上のアリア」と呼ぶこともある,ということではなく。


● ファランクという作曲家の名前は初めて聞く。フランスの女性作曲家。プロブラムの曲目解説に彼女の経歴と業績が整理されている。
 その曲目解説によると,第1楽章はシューマンの,第2楽章はメンデルスゾーンの香りがする,とある。ぼくは全体的にチャイコフスキーに近いと感じた。
 もっとも,この曲がパリで初演されたのは1849年だそうだから,そのときチャイコフスキーはまだ9歳だ。

● この楽団では2014年にもこの曲を取りあげており,それが日本初演だろうとのこと。ぼくが知らないのは当然だったわけだ。
 CDはAmazonやタワレコのオンラインストアで手に入るが,巷のCDショップには置かれていないだろう。売れないはずだから。
 そういうものでも2~3日で手に入るんだから,インターネットは素晴らしい。ネット以前には,こういうときはどうしてたんだろう。海外のレーベルに手紙を書くか,ショップに取寄せを依頼するか。それはそれで,届くのを待つ楽しさがあったんだろうかな。

● ベートーヴェンの4番。ベートーヴェン生誕250周年の今年,久方ぶりにそのベートーヴェンを聴けた。文句なしの華でしょうねぇ。交響曲1曲で世界遺産千個に匹敵する。
 この曲はもっぱらカルロス・クライバー&バイエルン国立管弦楽団のCDで聴いている。それで何の不満もないのだが,こうして生で聴けると,得られる情報量がまるで違う。一回性の生演奏に立ち会うことでしか得られない臨場感と視覚情報。
 加えて,コンサートホールは音楽を聴く環境として最上であること。こういうホールで聴くんだったら,然るべき装置でCDを再生するのでも,相当な生感というか,録音音源であることを忘れさせるような臨場感に包まれて聴けるのでしょうね。

● アンコールは「G線上のアリア」。さて,これはニ長調の原曲なのかハ長調に編曲されたものだったのか。

2020年9月11日金曜日

2020.09.06 Piano Duo Nao & Yoshiaki Recital

逗子市 結・yui コミュニティホール

● 4日から東京に遊びに来てて,今日,帰る。帰るんだけども,新橋から横須賀線に乗って,自宅とは真逆の方向にある逗子にやってきた。
 ピアノデュオのコンサートがあるからだ。この時期,生音を聴ける機会は貴重だ。自宅とは真逆の方向であっても,行ける距離ならば行くのだ。

● 唯一面倒なのは,今の時期は当日券というのが事実上なくなっていることだ。当日,受付で,現金と引換にチケットを渡すというのをしなくなっている。
 ソーシャルディスタンスを確保するために,座席数を4分の1しか使わなかったりするので,事前に来場者数を確定しておきたいのでもあるだろう。

● 今回も事前にメールでチケットの取置を依頼するというひと手間があった。10秒もあればすむ手間であって,手間というほどのことでもないのだけれども,ふらっと行ってみるってのはしにくくなっているね。
 催行する側の手間はこんなものではない。これをいつまで続けなくてはならぬのか。
 まったく中国の不手際が恨めしい。ササッと情報を公開して武漢を封鎖していれば,「武漢で妙な風邪が流行ったようだよ」ですんでいたろうに。

● さて。金村奈緒さんと佐藤善彬さんのピアノデュオ。開演は15時30分。チケットは1,500円。
 お二人とも20歳。慶応の理工学部の学生。音大を受けても余裕のよっちゃんで合格していたはず。
 いろんな意味で羨ましいわけだが,個体に大いなるばらつきを与えるのが神の御業というものでしょ。

● 曲目は次のとおり。この時期としては,アンコールを含めて2時間弱の堂々たるリサイタル。

 ラヴェル(シム編) 亡き王女のためのパヴァーヌ(2台ピアノ)
 ドビュッシー 小組曲(連弾)
 デュカス 交響詩「魔法使いの弟子」(2台ピアノ)

 バッハ 楽しき狩こそ我が悦び アリア「羊は憩いて草を食み」(連弾)
 モーツァルト 2台のピアノのためのソナタ ニ長調 K.448(2台ピアノ)

 ラフマニノフ ロシア狂詩曲 ホ短調(2台ピアノ)
 ラヴェル ラ・ヴァルス(2台ピアノ)
 アンコール:ラフマニノフ 「組曲 第2番」より “序奏”(2台ピアノ)

● まず思ったのは,音楽や演奏とはまったく関係のないことで,金村さんはチラシの写真より実物が美人だなってことなんですよね。ということは,写真が間違っている。
 素人が撮ったスナップ写真ではなくて,プロに撮ってもらうべき時期に来ているのではないかなと思った。ちゃんと自分の外見の美しさを捉えた写真を使うこと。

● 腕の確かさは相当なものとお見受けする。音大でもここまでの技量の持ち主はそうそういないのでは。
 それぞれがソロでやるのももちろんありだと思うけれども,デュオとしての歯車の噛合がミクロン単位でヤスリをかけたように(そんなヤスリがあるのかどうかは知らないが),精緻を極めている。
 1+1が2ではなく,3か4になっている,という印象。最初の「亡き王女のためのパヴァーヌ」を聴いて,なるほどねぇと独り言ちた。何がなるほどなのか,自分でもわからないのだが。

● 最も印象に残ったのは,デュカス「魔法使いの弟子」。デュカスの “遊び” を表現するのに,2人の若さが放つ何ものかが決定的な作用を果たしている。たとえば,金村さんの席に仲道郁代さんが,佐藤さんの席に横山幸雄さんが座って,同じ曲を弾いたとしても,この面白さはおそらく生まれない。
 この曲では佐藤さんの技量に瞠目。デリカシーという言葉を思いだした。

● デリカシーとは,新明解国語辞典によれば「繊細(な心づかい)」とある。その意味でのデリカシーだ。
 女性が彼氏や恋人に向かって,「デリカシーのない人ね」と非難するときのデリカシーではない。そのデリカシーは,エゴの別名だからね。どうして私に快をくれないの,という意味だからさ。デリカシーのまさに対極。

● モーツァルトの「2台のピアノのためのソナタ」もちゃんと聴いたのは初めてだ。帰ったら,すぐさまCDをウォークマンに転送することに決めた。こういう曲を聴かないまま一生を終えてしまっていいはずがない。
 そういうことを実地に教えてもらえるのも,こうした演奏会の功徳にかぞえていいだろう。果たせない宿題が増えてしまうということでもあるのだが。

● というわけで,逗子に来て正解だった。満足感に浸りながら,湘南新宿ラインの列車に乗りこんだ。
 はるかなかなた,北極星の先にある宇都宮まで帰ることにする。さしずめこの列車は銀河鉄道999というわけだな。
 逗子から宇都宮までは3,080円。もちろん “青春18きっぷ” を使っている。新幹線に乗換えるという発想はない。乗換なしで宇都宮まで行くわけだしね。

2020年8月30日日曜日

2020.08.23 市川交響楽団 第413回 交響楽の午後

市川市文化会館 大ホール

● JR総武線で江戸川を渡って,市川市にやってきた。千葉県といえば,舞浜のTDRにはひょっとすると延べ1年間ほども行っているかもしれないし,成田空港にも何度も行った。幕張にも数度,千葉市や木更津,鴨川,館山にも行ったことがある。
 が,東京に隣接する市川市は通り過ぎたことしかない(ちなみに,船橋市も同じ)。今回,初めて本八幡駅を降り立った。錦糸町から220円で来れる。

● 本八幡に来たのは,市川交響楽団の定演(“交響楽の午後” という名前になっているが,要するに定期演奏会のことだろう)を聴くため。
 コロナ禍の時期だが,中止や延期が続く演奏会の中にあって,ポツポツと催行するところが出てきている。ぼくも15日と昨日,生の演奏を聴く機会を得た。
 が,いずれも室内楽的な小規模なものだった。それがオーケストラ演奏を開催するというのだから,行かない手はないな,と。

● 開演は午後2時。入場無料。曲目は次のとおり。当初の予定ではもう1曲あったようなのだが,時間を抑えるためだろう,この2曲になった。指揮は大勝秀也さん。
 モーツァルト 「イドメネオ」のための5つの舞曲
 シューマン 交響曲第2番

● しかし,通常の編成ではない。ステージでもソーシャルディスタンスを確保している。弦は1人で1プルト。しかし,少ないのは弦だけで,管は通常の人数だったようだ。シューマンは総勢で50名程度だったか。
 普段ならあり得ない構成だけども,音の聴こえ方に何か違いがあったかというと,ぼくの耳では感知できなかった。弦の奏者にはけっこうなプレッシャーだったのかもしれないけれど。

● プログラム冊子の曲目解説には,「君たちのモーツァルトは歳をとりすぎている。10代前半のダンサーが躍動するように演奏してください」と指揮者から言われたというエピソードが紹介されている。
 クスリと来るわけだけれども,10代前半のダンサーが躍動するような演奏とはどういうもので,どうやればそうした演奏になるのかは,わかったようでわからない。
 もし可能であれば(可能じゃなかったろうけど),10代前半のダンサーが躍動するような演奏というのを別の言葉に置き換えてもらえませんか,と指揮者に尋ねてみると面白かったろう。

● というわけで,今日の本番がそういう演奏になっていたかどうかは,ぼくにわかるはずもないのだけれど,技量は相当なものだし,こういう時期だから合奏練習もままならなかったろうと思われるところ,こんなものでいいか的な妥協はしなかったようだ。かなりのところまで仕上げて客席に差し出している。
 いや,恐れ入りました。人口稠密地帯の市民オケはかくもあるかという印象でした。

2020年8月25日火曜日

2020.08.22 グース室内楽団 第3回コンサート

スタジオ ヴィルトゥオージ

● 手間どったのが会場探し。主催者からメールで地図が送られてきてるのだけど,この地図だけでは辿り着けなかったと思う。地図を読めない男なのだよねぇ。
 百人町は地図にするのが難しいエリアで,地図化するにはけっこうなデフォルメを余儀なくされる。デフォルメもある範囲に収まっていればわかりやすくなるんだけども,限度を超えてしまうと,現地に馴染んでいて地図を必要としない人にしかわからないものになる。
 とか思ってたんだけども,あとで確認したらデフォルメなんて別にされていなかったんでした。

● 地図上の新大久保駅の位置をリアルのどこに措定するかなんだよね。ぼくは実際よりも高田馬場よりの通りを歩いてしまってた。
 地図に記載されていた “スペースDo” に一度行ったことがあるので,間違っていることにすぐに気づけたのは幸い。あとは地図ではなくて地番を頼りに探した。
 この地図だけを頼りにもう一度行っても,辿り着ける自信はない。新大久保駅から延びる “文化通り” がこの地図のどれに当たるのか,わからない。地図をリアルに当てはめるときの支点になるのが,文化通り” だと思うんだけどね。

● コロナ禍はまだ続いているが,外出を自粛して引きこもっているのに厭きてきた。コロナって別に大したことないじゃん,指定感染症から外しちゃってもいいくらいじゃん,と思えるようにもなってきた。
 今のところ,コロナは治った後も後遺症が残ると言われているけど,これも大山鳴動して鼠は一匹も出なかったということになると,素人考えながら思っている。マスコミは飛びつくよね。そよ風が吹いただけでも台風が来たと言いたがる業界だから。

● クラシックの演奏会も中止(延期)一辺倒ではなくなってきつつある。大丈夫なんだという実績がひとつずつ積みあがっていけば,全国的に演奏会復活の流れが本流になるだろう。
 実際,大丈夫のはずだもんね。っていうか,誰がどう考えたって,大丈夫に決まっているという結論しか出て来ないと思うんだけどねぇ。

● 演奏する側は演奏したくてしょうがないのだし,聴く側も聴きたくて仕方がない。欲望や欲求は実現されるのが自然であって,あまり抑圧しちゃいけないや。
 戦後,東京で真っ先に復活したのは映画館だったそうじゃないか。おそらく,日本に限るまい。人間はときに,衣食住より娯楽を先に求めるものだ。
 映画,演劇,音楽。そういった不要不急のもの。なくても生存には影響しないもの。そうしたものを鋭角的に欲するときがある。ぼくらはヨハン・ホイジンガが説くところの,ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)でもあるのだから。

● グース室内楽団は木管五重奏の団体。今年2月に第2回を聴いて,しばらく追ってみようかと思っていた。
 開演は午後2時。入場料は1,000円。こういう時期なので,事前予約制。

● 今はまだ中止や延期が普通だから,生演奏を聴けるってことそのものがありがたくて。同じ思いの人が多いことは,客席が埋まっていたことでわかる。
 ホールじゃなくスタジオだ。パイプ椅子を並べてあるんだけど,ソーシャルディスタンスなんてどこの国の話だという感じで,きっちりと並べてあったが(それでいいのだ),それでもひとつの空きもなし。

● 曲目は次のとおり。
 ハイドン ディベルティメント 変ロ長調
 ドヴォルザーク 弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」(木管五重奏編曲版)
 モーツァルト ピアノ協奏曲第23番イ長調(木管六重奏編曲版)

 いずれも,管弦楽曲だったり弦楽合奏だったりするオリジナルを木管五重奏にアレンジしたもの。木管五重奏で聴くと何が違うかというと,曲の仕組み,成り立ちがクッキリするってことですか。
 いずれも腕に覚えのある人たちなんだろうけど,ぼくは前回からオーボエに注目していて。柔軟性が際立っているように思われる。どんな状況にも対応できそうな。まぁね,他の楽器の奏者もそうなんだけども。
 
● 午前中の練習とお客さんを入れての本番とでは,響きがまるで違うので戸惑っているという話があった。人間が吸音装置になるから,大ホールでも同じ現象はあるのだと思うけど,これくらいの場所にこれだけの人がいれば,てきめんにそうなるんでしょうねぇ。
 演奏者は本番のたびに感じることのはずだから,今回は少し予想を超えたってことなんでしょう。

● マスクをして聴いていると,酸素不足になるのかねぇ。眠気が襲ってくるんですよね。いやいや,将棋の藤井棋聖だってマスクをして対局しているんだから,まさか酸素不足を招くことはないんだろうけど,顔にベタッと化学繊維が貼りついている状態は,とにかく不快。
 加えて,息をするたびに眼鏡が曇る。眼鏡とマスクの相性って,ほんと悪い。要するに,マスクは鑑賞の妨げになるってことね。
 ちなみに,日常生活では3月以降も基本,マスクはしていない(入店時にチェックする百貨店とかあるので,そういうときにはしている)。けれども,外にいるときは喋らない。口を開かない。いつも1人なので,勢いそうなるわけだが。

● こういうところに来るのは女性が圧倒的に多かったものだが,これが変わってきている。今回もそうで,男女比は4対6くらいにまで縮まっている。
 大雑把に,性差の縮小,消滅という現象があるのかと思う。男の世界,女の世界というのが成立しにくくなっている。進歩と考えていいのだろう。それでも残る性差があるとは思うが。

● というわけで,どうも演奏に関して語るところは大いに少なくて,周辺事情ばかりになってしまった。聴く態勢を以前の状態に戻せていない。
 マスク以外にも原因があることはわかっている。24時間の生活リズムをちゃんとしないとだな。

2020年8月16日日曜日

2020.08.15 アウローラ管弦楽団 第7回室内演奏会

杉並公会堂 大ホール

● 3月からのコロナウィルス禍で余儀なくされた引きこもり。他人との接触の遮断。これであらためてわかったのは,外を出歩くこと,人と交わること,あるいは交わらないまでも大勢の人がいるところで過ごすことは,人間のネイチャーだってことだ。
 仕事だって,わざわざ出社して大勢の人間が同じ場所にいなければ回っていかないものではないのだ。そのことはコロナ騒ぎでわかった。が,おそらく,コロナ収束後は元に戻すところが大半だろう。

● 学校だってそうだ。授業じたいは遠隔でも成立する。大学でいえば放送大学の形式でいいのだ(というと,いくつかの批判が出るだろうが,ではいったいどれほどの大学が放送大学を超える内容の授業を学生に提供しているだろうか)。
 が,学生にとっては授業は大学の一部にすぎない。その他の多くを充たすためには,キャンパスという場が必要だ。そこで自分以外の人間と直接接触することによって充たされるのだ。

● そういうことが苦手な人,自分の内にこもりたい人も少なくない。そういう人にとっては,コロナ禍は神風だったかもしれない。集団主義やしつこい同調圧力から自分を守ってくれるシェルターだったかもしれない。
 したがって,そこは配慮が必要なのだが,数からいえば出勤した方が家で仕事しているより楽だと感じる人が多数だろうから,基本は元に戻ることになる(複数の選択肢が作られるといいのだが)。人は楽に流れるという,それだけのことだ。

● コロナと共存していくなんていう器用なことは,おそらく人間にはできない。死亡率は低いのだから(少なくとも日本においては)さっさと罹ってしまえばいいのだと蛮勇を振るうくらいが関の山だろう。
 自然に反するスタイルを長く続けることもできない。コロナが収まらず,ワクチンもできていないとしても,元に戻ろうとする反発力が働く。ほとんど本能といっていいレベルで働くものかと思う。
 コロナに慣れてきたのもある。4月までは得体の知れないものに怯えるだけだったが,今はコロナだけではなく他を視野に入れて,比較衡量して,自分はどう動けばいいかを決定できる程度の余裕を取り戻せている。

● ともあれ,3月頃から自粛を余儀なくされていたクラシック音楽の演奏会も再開されている。その流れがくっきりとしてきている。無観客でやって,その模様をストリーミング配信するのではなく,観客を入れての演奏会がポツポツと出てきている。
 それも,新規感染者数が最多を更新している首都圏から。現時点で地方(大都市圏を除く)はまだ死んだままだ。

● で,3月22日以来のライヴを聴くことができた。アウローラ管弦楽団の室内演奏会。開演は午後3時。入場無料。
 主催者からの案内メールにも「お客様を伴った演奏会はプロオケ・アマオケとも既に再開しておりますが,クラシックの演奏会や映画館での映画鑑賞といった静粛なイベントに於いてクラスターが発生したという事例は無く,「ルールとマナーを守ればクラシックの演奏会は安全だ」という実績を積み上げていくことで,クラシック業界が再開していくことを願っております」とあった。正しい方向性かと思う。

● しいて申しあげれば,「ルールとマナー」は通常期のものでよく,コロナだからといって特別なことを要求されるわけではないということだ。
 開演から終演までは観客が口を開くことはないはずだから,飛沫感染が発生する余地はない。休憩時間と,会場から開演まで,終演から退場までの時間帯にマスクを付けてもらうようにするだけでいい。

● ちなみに,ぼくについて言えば,隣にノーマスクの人がいても黙っていてくれればまったく気にならないのだが,マスクを付けていてもペチャペチャ喋る人に隣にいられると,なんだかゾッとする。つい,汚いものを見るように見てしまう。マスクは飛沫を通してしまうんだよね。
 この時期に最も邪悪なものはお喋りだ。口は排泄器官でもあることを痛感させるのがコロナだ。

● 若い団員による演奏会。曲目は次のとおり。
 オネゲル 夏の牧歌
 ストラヴィンスキー(シャピロ編) バレエ音楽「プルチネルラ」(木管五重奏版)より抜粋
 バーバー 弦楽の為のアダージョ
 シベリウス アンダンテ・フェスティーヴォ
 プロコフィエフ 交響曲第1番ニ長調「古典」

● どうしてこの曲を選んだか,この順番にしたか。プログラム冊子に記載されている。それを読んで感じたのは,若いってそれだけで価値があるということだ。
 人生には “まさか” という坂があると言われる。そのとおりだ。一寸先は闇とも言われる。これまた実感を込めて申しあげるが,まったくそのとおりだ。
 板子一枚下は地獄というのは,海に漁に出る男たちに限った話ではない。誰にとってもそうなのだ。

● 安定などそもそも存在しないのだ。東大を卒業しようと,公務員になろうと,大企業の社員になろうと,どこで人生が破綻するかなどわかったものではない。
 そうならずにすんだとすれば,それはひたすら僥倖によるのであって,人為的な努力の結果ではない。

● しかし,同時にまた,一寸先は光でもあるだろう。“まさか” が下り坂とは限らない。人生は生きるに値する。
 そのことをきちんと腹でわかっている若者たちだなと,この曲目紹介を読んで思ったのだった。たぶん,思い入れが過ぎる読み方のはずだが,そうした若い人たちの演奏だ。心して聴くべし。

● 指揮は湯川紘恵さん。彼女もまたお若い。
 ホール内は弱冷房が効いているが,ステージは客席よりも何度か暑いのだろう。しかも,黒の正装なのだ。サウナの中で指揮をしているようなものだろうか。終演時には汗だくになる。

● ところで。女性の指揮者って珍しくなくなりつつある(ような気がする)のだが,女性でも必ずパンツで指揮をする。スカートで指揮しているところは見たことがない。これって,何か理由があるんだろうか。
 スカートだと動きづらい? 女性性が強調されるのはまずい? 指揮者って擬似的にでも男性じゃないとできないことになってる? 

● 休憩なしの約70分(休憩を設けなかったのは,ロビーに密を作らないため)。短い演奏会だったが,とにかく生の器楽演奏を聴けたのだ。
 ステージも客席も十全な環境には遠いけれども(列を間引くことはないが,1行おきにしか座らせない。奇数列と偶数列で行の空け方を違える。ステージにもソーシャルスペースを設ける。以上の対策はホールの方針によるもの),それでもこの演奏会はありがたかった。
 自分の円の欠けていた部分が戻ってきた感じがする。週末が週末として機能するようになってきたというかな。

● いろんな意味で,Congratulations! 君と僕にCongratulations!! 意味,わからんけどさ。

2020年8月5日水曜日

2020.08.03 間奏66:ストリーミング視聴など

● 栃響のサイトを見ていたら,10月の演奏会まで中止になっている(栃響ではなく,主催団体の決定による)。難しいですかねぇ。これほど長引くとは,正直,思っておりませんでした。
 とはいえ,全国を見てみると,オーケストラの活動が再開される流れにある。といっても,プロオケの話であって,それで飯を喰っている以上,ただ座しているわけにはいかないという事情もあるのだろう。

● ぼくらがコロナに慣れたということもあるかもしれない。4~5月と今とでは,コロナ自体は変わっていないのだろうが(まさかコロナウィルスが弱毒化したわけではあるまい),コロナに対して恐れ慄くという空気ではなくなってきた(と思える)。
 ひょっとすると,世界中で,犬や猫が走り出したのを見て恐竜が出たと思ってしまったのかもしれず(そんなことはないのか),いずれはコロナの新規感染者が出たからといって,いちいち首長が記者会見を開くというような,大げさ極まることはなくなるだろう。

● 良くも悪くも,いつまでも籠っているわけにはいかない。じっとしているのは,動くよりも消耗する。
 状況は何も変わっていなくても,規制は緩和されていく。そういうものだろう。飽きや厭きがそうさせる。
 景気が悪ければ,誰もが節約に走る。が,節約程度のことでも,長く続けば節約疲れが起きる。

● ま,そうした再開に向けての動きがある。しかし,状況によっては尻すぼみになるやもしれないし,何とも先が見えない。
 この先どうなるかはコロナに訊いてくれ,としか言いようがない。

● アマチュア・オーケストラの場合は,自分たちの意思より,ホールの意向に左右されるだろう。
 栃木県でいえば,栃木県総合文化センター,宇都宮市文化会館,那須野が原ハーモニーホールなどだが,いずれも公営の施設なので,所管する自治体の意向ということになる。つまり,必ず横並びになる。突飛なことは起こらない。

● 純然たる民間の施設を使って行われる小規模の演奏会情報にアンテナを立てておくべきか。しかし,民間も公がどうするかを見て,その真似をするしかないかと思われる。
 せっかくのベートーヴェン・イヤーも虚しく過ぎることになりそうだ。仕方ありませぬ。

● そういう時期ゆえ,栃響でも過去の演奏会をストリーミングで聴ける(視れる)ように,精力的にYouTubeに上げている。栃響に限らず,その努力をしているところが多いという印象を受ける。
 演奏会がないのでそういうことに注力できる時間がある? 理由はどうあれ,そのリンクをサイトに貼ると,サイトがずいぶん充実した印象になる。

● 栃響サイトに最近上がった,2017年の第九を聴いてみた。ノートPCに外付けスピーカをつないだだけの貧弱極まる設備で,1時間7分。フルスクリーンにして聴くと,それなりの臨場感はある。
 とはいえ,YouTubeでCD並みの音質を確保するのは難しいんでしょうねぇ。合唱と独唱の音の録りようには大いに不満。が,これも仕方がないんでしょうなぁ。
 映像はともかく,音質に不満ありという,ごくありきたりの印象になる。XperiaかストリーミングWALKMANで聴けば,だいぶ違ってくるのかねぇ。

● 要するに,生の代わりにはならないものだ。あたりまえだが。
 ではあっても,聴き手であるぼくらも,こういう時期だからこそ,普段は聴けないCDを聴くとか,ネットでお宝を探すとか,そうした対応をするより仕方がない。
 大丈夫だから思い切って(演奏会を)やってみろとかね,安全地帯から無責任なことを喚いてみたって仕方がないわけで。

● 聴き手としてやれることをやっていくというのは,畢竟,そうした地味なことであって,演奏家との連帯を謳いあげるとか,危機感を共有するとか,そっちの方向に行くことではないと思っている。