2021年5月31日月曜日

2021.05.30 プロースト交響楽団 第33回定期演奏会

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● じつは今日は東京都内の某所で開催される別の演奏会に行くつもりでいた。が,東京都では緊急事態宣言が再延長され,その演奏会も無観客で実施されることになった。
 ではというので,ミューザで開催されるこの演奏会のチケットを買った。席はS,A,Bの3種。S席を奮発した。2,000円。

● プロースト交響楽団の演奏は一度聴いているつもりでいた。都内でも有数の上手な楽団だと思っていた。けれども,それはぼくが勝手に作ってしまった記憶のようだった。
 こういうとき,聴いた演奏会のすべてをブログの形で記録にしておくと,何かと便利なものだ。Googleの検索エンジンで検索できるんだから。
 で,Google先生が,おまえがこの楽団の演奏を聴いたことは過去に一度もないぞ,と教えてくれるわけだ。

● しかし,ある記憶はあるのだから,いかんともし難い。たぶん,どこかで聴いたのをプロースト交響楽団のものと思い違いをして,それが脳内に定着してしまったのだと思うが,残っている記憶がけっこう具体的だから厄介だ。
 いや,逆に,実際に聴いているのならこれほど具体的に憶えているはずがないという,妙な確信もある。ここまで憶えていられるなら記録を残しておく必要もない。それ以前に,そんな記憶力が自分にあるはずがない。
 というくらいに具体的な記憶が作られてしまっているのだ。困ったものだ。

● というわけで,初めての拝聴になる。楽団のサイトによれば,設立は2003年4月。「首都圏の大学オーケストラや第18回全日本大学オーケストラ大会合同演奏出演者が中心となって結成」された。「団員は130名程度」とのこと。
 当初はマーラーの2番を演奏する予定だったらしい。「復活」公演にしたかったのかどうなのか。が,コロナが思いの外,おとなしくなってくれなかった。
 「復活」は合唱が入る。この状況では厳しかったろう。それで曲目を変更。次のとおり。指揮は大井剛史さん。
 ロッシーニ 歌劇「アルジェのイタリア女」序曲
 ショスタコーヴィチ 交響曲第9番 変ホ長調
 ベートーヴェン 交響曲第5番 ハ短調

● 演奏で飯を食っているわけではないという意味でアマチュアだけれども,腕前はセミプロ級だ。洗練されている。
 その洗練が何から生じているかというのもハッキリしていて,アンサンブルが緻密だからだ。巧いからだ。巧さの先に洗練がある。技術の賜物だ。したがって,おいそれと模倣できるものではない。
 実際に聴いてみての感想が,自分が捏造していた記憶とそっくり同じというのも,何だか妙な感じがする。が,逆に符合が合っているような気もする。

● 純度の高い「運命」を聴きながら,この曲はひょっとしてひょっとすると,ノイズのある少し泥臭い演奏の方が説得力を持ったりもするのかなと思ったりした。
 しかし,それはピントが少し合っていない写真に柔らかさを感じるようなものであるのだろうとも,同時に思う。

● アンコールはなしでサッと終演。コロナのせいかもしれない。この楽団は毎回そうなのかもしれない。
 プロっぽい。日本のプロオケはアンコール曲を演奏することが多いようにも思うんだが。
 今回に関しては,アンコールなしがありがたい。このベートーヴェンを聴いたあとに,何か別の曲を聴きたくはない。この余韻を抱えたまま,ホールを後にしたい。

● プログラム冊子の曲目解説も,曲目解説というよりは一編のエッセイのようなものに仕上げてある。一読の価値がある。演奏会に来れなかった人もプログラム冊子だけ入手して読めればいい。一番いいのは,PDFにでもして楽団のサイトに上げてもらうことだが,そういうことはしていないっぽい。
 ただ,ここが難しいところなのだが,こうした趣の解説は一度読めばいいのであって,二度三度と繰り返して読むには及ばない。

● S席を奮発したわけだが,そのS席はこんな感じだった。すべての席種の中でS席が最も多いことは知っている。こんなものかとも思うんだけどね。
 チケットはミューザのカウンターで買ったのだけど,スタッフの話を憶測を含めてまとめると,ミューザに委託される座席は最初から周辺部になるっぽい。
 ので,楽団に直接予約するのが正解かも。今回はその余裕がなかったんだけど,結果的に当日券があった。当日券を買うのが正解だったでしょ。最後にセコい話で申しわけない。

2021.05.29 青山学院管弦楽団 第118回定期演奏会

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● コロナ禍が続いている。が,地域によって濃淡がある。東京都には緊急事態宣言が出されているが,神奈川県はまん延防止等重点措置。
 昨日の法政大学交響楽団もそうだし,今日の青山学院管弦楽団もそうなのだが,もし東京のホールを予約していたら,予定どおりに開催できていただろうか。たまたま多摩川を渡った川崎のホールを予約しておいたことが,じつにどうもラッキーな結果になっている。実際,明日,東京で開催される予定だった演奏会にも行くつもりでいたんだけれども,そちらは無観客での開催になった。

● 普段の行いが良かったから川崎のホールを予約できたわけではもちろんないのだろうから(いや,行いは良かったんだろうけど),このあたりは運としか言いようがない。
 本当は都内でやりたかったけど・・・・・・。ま,ミューザで演奏する楽団に,そんなのはないでしょうけどね。

● この楽団の演奏を聴くのも,今回が初めて。プログラム冊子に掲載されている団員名簿によると,団員は145名。インカレ団体で,そのうち63名は他大学の学生だ。
 その中に法政大学の学生も2人いる。昨夜もミューザのステージに乗っていたわけかと思って,昨日のパンフを開いてみたんだけども,そこには名前がなかった。
 自分の大学にもオーケストラがあるのに,そっちはスルーしてこちらに来ているのは,演奏環境がこちらがいいと判断してのことだろうか。こちらにいた方が上手くなれる,と。友人関係とか自分の技量との見合いとか,そういうことなんですかねぇ。
 選択肢がたくさんあって自由に選べるのは,とにもかくにも羨ましい。一から十までたまたま入った大学で完結しなければならないっていうのは不条理だ。今の時代が指し示すところは,一所定住ではなくてキャラバンの方だ。

● 開演は18時。チケットは1,000円。座席は使用数を半分に抑えて全席指定。ただし,当日券もあったようだ。
 曲目は次のとおり。指揮は篠﨑靖男さん。
 ヨハン・シュトラウスⅡ 喜歌劇「こうもり」序曲
 ボロディン 歌劇「イーゴリ公」より “だったん人の乙女たちの踊り” “だったん人の踊り”
 チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調

● 女性奏者のコスチュームというのか制服というのか,修道女をシンボライズしたツーピースのドレス。それにまず目が行ってしまった。
 男の制服はそれがどんなものであれ,制服を着た男を凛々しく見せる効果がある。威圧感とセットになった凛々しさだ。
 女の制服はそれがどんなものであれ,色が白いのより七難隠す効果がある。したがって,当然,ステージ効果も大きい。ホームラン級の効果だ。少なくとも,走者一掃のスリーベースヒットに匹敵する。奏者の多くは女子なのだから尚更だ。

● 「こうもり」を聴いて,水準の高さはすぐにわかった。少し姿勢を正して聴く態勢に自ずとなった。
 チャイコフスキーの5番は,記憶に残るメモリアル的な演奏だった。あくまで,ぼく的には,だけれど。今まで聴いたチャイ5の中で,ひょっとするとナンバーワンかもしれない。
 ステージで演奏した奏者たちにとっても,なぜこういう演奏ができたのかわからない,と狐につままれたような気分が残っているのでは,とも思ってみる。もう一度やってみろと言われてもできない,っていう。

● たしかに技術はある。都内の大学オケの中でも屈指のひとつと言ってよいのだと思われる。
 けれども,若い人たちの演奏は技術だけはない。技術を越えたところ,あるいは技術を外れたところで,大きな収穫を持ち帰ることがある。若さの不可思議としか言いようがないものだ。
 それゆえ。どうせ聴くなら若い人たちの演奏を聴きたいと思ってきたし,今も思っている。

● という情緒論だけではしょうがないので,少し具体的な感想を記しておく。
 チャイコフスキーなのだから(というより,ロシアなのだから)管楽器が全体に占める割合が大きくなる。ファゴットをはじめ木管が堅実だ。ここでエラーが出ないというのは,聴いている側の安心材料になる。心平らかに(?)聴くことができる。

● 第2楽章冒頭のホルンソロは,下手に見えるように上手く吹かなくてはいけない。途切れそうで途切れない。外れそうで外れない。
 そんなことができるのか。上手く見えてもいいからしっかり上手く吹いてほしい,とぼくなんぞは思うんだけども,それに対する回答が示されたと言うかな。

● 弦が休みなく場を耕していく。耕された土壌から何か豊穣なものが生まれてくる予感がする。
 コンミスの巧まざる牽引(つまり,牽引しなきゃと思って牽引していない)が光る。それやこれやで,素晴らしいチャイ5ができあがった。

● 約40分間,世界を満たして,砂絵のごとく跡形もなく消えていく。終曲が近くなる頃,この演奏を聴けることはもう二度とないのだと思うと,胸がいっぱいになった。
 終わるな,終わるな,このままずっと続いてくれ,と泣きたいような気分で思ったことだった。

● アンコールもチャイコフスキー。「くるみ割り人形」から “花のワルツ”。

2021.05.29 アンサンブル・マイルストーン 第35回演奏会

神奈川県立音楽堂

● 開演は午後2時。入場無料だが,事前予約制。事前予約というのは,インターネットがあるから成立するやり方だ。ネット以前(つまり20世紀が終わるまで)は,事前予約制でなければならないとなったら,演奏会を開催することはできなかったろう。前売券はあっても,事前予約は考え方として存在していなかった。
 コロナ禍のこの時期,インターネットの恩恵をあらためて噛みしめることになっている。

● 初めての拝聴になる。この楽団のサイトによれば,「2003年にクラシック音楽好きが集まって結成された」楽団で,「メンバーは30~40歳代の様々な職種の会社員が中心」。「団員数は現在30名程度で,モダンオケとしては少ない」。
 ここから得られる情報量は多くない。同じような楽団は他にいくつもありそうな気がする。聴いてみなければわからない。というか,聴いてみればわかる。

● 開場前に爺と婆が入場の列を作る。土曜日の午後とはいえ,若い人を圧して年寄りが多い。コロナ禍の今,あなた方は出歩かないで家にいた方がいいんじゃないですか(→お前が言うな)。
 現在の諸々の規制はあなた方を守るためのものだ。あなた方を守るために,人の移動全体に網をかけている。結果,飲食業界や旅行業界は塗炭の苦しみに喘いでいる。
 あなた方が動かないでいてくれれば,そんなことをする必要はないのだ。率直に申せば,食堂や居酒屋は自由に営業させていいのだと思う。営業規制を強いるのではなくて,営業してもいいから年寄りを入れるな,来ても追い返せ,入れたら過料だぞ,とやるのがいい。

● ただ,あなた方はお金とヒマの両方を持ち合わせている。あなた方が来てくれないと,こうした演奏会でも客席では閑古鳥が鳴いてしまう。そのあたりが痛し痒しではあるんだけれども,年寄がいなくなれば若い人が来るようになるんじゃないかなという,一縷の望みもあってね。
 けれども,あなた方は出歩くのが好きだ。まだ体の自由が利く。仕方がない。出歩くのは良しとしよう。

● が,あなた方の口は締りが悪い。のべつ,だらしなく開いて,聞き取りにくい言葉を喋っている。家の外に一歩でも出たら完黙を貫いて欲しい。それができないなら,それこそ家から出ないで欲しい。今はそういう時期だ。
 昔は,男子ひと度家を出ずれば七人の敵あり,と言われたではないか。七人も敵がいるのに,モヒモヒ,フガフガとやっていたら,あっという間に斬られてしまうではないか。モヒモヒ,フガフガはやめよ。しっかり四方に気を配れ。

● 曲目は次のとおり。指揮は今井治人さんで,第1回からすべての演奏会を今井さんが指揮している。
 ブラームス 悲劇的序曲
 ビゼー 交響曲 ハ長調
 ドヴォルザーク 交響曲第6番 ニ長調

● この時期にこのプログラムはかなりの重量級。いい練習ができたんだろうか。
 「悲劇的序曲」を聴いて,たしかにいい練習ができたのだろうと思った。というか,元々のレベルが高いんでしょうね。少ない練習でここまで仕上げてくる能力があるんでしょう。

● もう一点,今井さんの指揮。ぼくに指揮の何がわかるわけでもないのだが,端正な指揮をする人だ。無駄な動作がない。たとえば,髪をかきあげるとか,下半身で意味のないステップを踏むとか。
 ポイント,ポイントがわかりやすい。どこで入ったらいいのかその指揮じゃわからないでしょ,と思える指揮者にもときたまお目にかかるが,そういうのとは無縁だ。
 おそらく,奏者にもメリハリのある指揮だと映っているのではなかろうか。そういう指揮は身体パフォーマンスとして見ていても,鑑賞に耐えるものだ(→ 本当か)。

● 「交響曲ハ長調」はビゼーが17歳のときの作品であることを,今回の曲目解説で知った。生で聴く機会はそうそうない曲だけれども,何だかんだ言って,やっぱりオーボエですかねぇ。
 そのオーボエが雅なのは,曲がそうなのか演奏によるのか。

● 対して,ドヴォルザーク6番ではフルートの妙が印象的。アンサンブルも精緻で,音に厚みが増していっても輪郭が滲むことはない。技術が確かなんだろう。
 あと,ホールとの相性がいいんだろうかな。小規模なオーケストラと神奈川県立音楽堂との相性。あるいは,曲との相性。ホールも力を貸してくれているような気がした。

● これで無料でいいのかね。千円やそこら取るのに手間をかけたんじゃ合わないから無料でいいよ,ってことですかね。ひょっとしたら募金箱を置いてカンパを募っていたんだろうか。だとしたら申しわけないことをした。気が付かなかった。
 いや,この時期にそれはやらないでしょうね。正真正銘の無料だったんでしょ。申しわけなさを感じつつ,音楽堂を後にした。

2021.05.28 法政大学交響楽団 第145回定期演奏会

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● ミューザ川崎で法政大学交響楽団の定演。初めての拝聴になる。開演は18時30分。チケットは1,000円。自由席だけれども,使用する座席は半分に抑えてある。
 Twitterで当日券があるとの告知があったので,当日券で聴くことにしていた。17時から販売開始とあったので,その10分前に着いたのだけれど,実際に販売が始まったのは17時30分。それで支障は何もないわけだが,ひょっとすると客の出足を見て30分繰り下げたんだろうかな。

● 曲目は次のとおり。指揮は海老原光さん。
 シベリウス 交響詩「フィンランディア」
 ボロディン 交響詩「中央アジアの草原にて」
 ベートーヴェン 交響曲第7番

● 首都圏の大学オケの多くがそうであるように,この楽団も法政大学の学生のみで構成されているわけではない。出演者名簿に載っているのは賛助やOB・OGを除いて57名。そのうち,17名は他大学の学生。コンミスも他大学の学生だ。
 が,ここまでなら特に驚くことでもない。驚いたのは,最初に大学の校歌を演奏したことだ。これまでの大学オケの演奏でも校歌を演奏したところは皆無だった。法政大学交響楽団ではこれが恒例になっているんだろうか。観客のほとんどはOB・OGなのか。
 自身のことを言うと,在学中に校歌を聞いたのは二度しかない。入学式と卒業式だ。卒業後に聞いたことは一度もない。大学と大学の卒業生向け行事に近づくことがないからだが,でもまぁそれが普通だろう。そうでもない?

● 違和感を持ったのがもうひとつあって,それは指揮者だ。海老原光さんのはずなんだけども,別の人のような。
 海老原さんに何かあって,学生指揮者(これも他大学の学生)が代役を務めているのかと思った。演奏するのが校歌なんだし。
 が,本番になっても,学生指揮者がヒョイヒョイと現れる。おいおい,君の出番はもう終わったんじゃないのかい。
 結局,最後まで変わることはなかったので,彼が海老原さんだったのだろう。学生が相手で,彼らに同化しすぎた? いやいや,そんなことはないんだろうけどね。今でもその違和感が続いているですよね。

● ベートーヴェンの7番を弾きこなすのは容易ではないのだろう。第2楽章で???と思わせる場面があった。何事もなかったように繋げていった指揮者を見ると,やはり海老原さんだったのだろうな。
 こういう時期ゆえに思うように合奏練習ができなかったという事情もあるだろう。その分,一生懸命さは充分に伝わってきた。

● コンミスはグイグイと牽引していくタイプではないようだ。自分は法政大学の学生ではないので・・・・・・という遠慮があったからではないだろう。それは考えられない。
 前に出るのが嫌いなタイプはいるもので,時に会社の社長にもそういうタイプはいるかもしれない。それではリーダーが務まらないかといえば,それはまた別義だ。というより,前に出るのを苦にしないだけで務まるわけもないのだ。
 彼女は彼女のやり方でコンミスを務めていた。あるいは,コンミスを演じていた。

● 文系の大学生は勉強しない。なぜ勉強しないかといえば,する必要に迫られないからだ。勉強などしなくても卒業はできる。今でもそれは同じだろう。
 卒業したあと,会社や役所で仕事をしていくうえで,大学で勉強しなかったことが致命傷になるかといえば,そんなことはない。世の中にある仕事の大半は,日本語の読み書きができて,ある程度の押しの強さと打たれ強さがあれば,他に必要なものはない。
 仮にあっても泥縄で勉強すれば間に合う。というより,勉強は泥縄でやるのが最も効率的だ。予め備える勉強は,「当事と越中褌は向こうから外れる」というときの当事になることがほとんどだ。

● 大学の教室や図書館よりも,部室にいる時間の方がずっと長いという学生もいるだろう。ステージで演奏している奏者の中の法政大学以外の学生は,自分の所属先はどこだと思っているのだろう。
 卒業証書は所属している大学からもらうわけだが,時間的にも,一緒にいる人間関係からしても,自分は法政大学交響楽団の卒業生という意識になるのかならないのか。

● そこまで入れあげているわけではないのかもしれないけれども,そうした二重所属的な関わり方ができる首都圏の大学生を羨ましいと思う気持ちが,ぼくにはある。
 田舎だとそうはいかない。だって,大学がひとつしかないんだから。複数あっても行き来する交通手段がないんだから。
 首都圏でも運動部だと難しいだろう。六大学の対抗戦で法政大学野球部に他大学の学生がいるってことは,おそらくないんでしょ。
 そういうことができる環境にいるんだったら,それをやった方がお得だと思う。疑いを抱かないですむような所属意識は持たない方が良い気がする。

● なお,アンコール曲はチャイコフスキー「眠れる森の美女」から “ワルツ”。

2021.05.25 MUZA ランチタイムコンサート パイプオルガン&ソプラノ-フランスのエスプリを感じて

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● 15日に那須野が原ハーモニーホールで聴いた,ジャン=フィリップ・メルカールト氏のオルガン演奏を,今日はミューザで。チケットは500円。川崎信用金庫プレゼンツ。

● 開演は12時10分。昼食を食べていたんじゃ間に合わないから,終演後に食べるんでしょうね。プログラムを持っていくとソフトドリンクが1杯サービスするといった “提携店舗” があるので,事後に食べるように12時10分から始めることにしているんでしょうかね。
 平日の昼休みなんだから,勤め人は来られない。ぼくのようなロートルか,大学生か,中小企業の親父(士業の者も含む)か,専業主婦でなければ,来られないはずだろう。それにしては高齢者じゃない人も多かった(大学生はほぼ見かけなかった)。

● 中小企業の親父というのはちょっと脇に置かなければならないけれども,残りの3つは,何というか,特権階級かもしれんなぁ。大学生は4年間限定の特権階級。卒業したら奴隷に落ちなければならない。
 専業主婦というのは,究極の特権階級でしょうなぁ。生活はカツカツであっても,専業主婦の座にいること自体が王冠を冠っているようなものだ。もはや絶滅危惧種になっていてもおかしくないと思われるところ,しぶとく生存を続けている。

● ロートルはどうかといえば,これがなかなか悪くないのだ。辞めるときに,ぼくよりも年長の方に「辞めてホッとできるのは1ヶ月か2ヶ月だよ。それを過ぎると,どこにも所属していないことが不安になってくるよ。長く勤めた人はそうだよ。勤めている方がいいと思うようになる。まぁ,まずはゆっくりすればいいんだけどね」と言われたんだけど,組織に所属していないことの不安なんて,あるわけないって。
 組織だの世間だのって,どうでもいいものだよ。世間からの信用なんてのは基本なくてもいいものだ,とつくづく思うわ。そんなもの持っていたって,一文の値打ちもないぞ。
 退職したら仕事絡みの人間関係がストンと消えるのだから,地域に居場所を作ることが大切だ,というのも嘘。今,自分がいるところが居場所なんで,それ以外に居場所なんて要らないんだよ。

● 四苦八苦のうち最も堪えるのは怨憎会苦(会いたくない人に会わなければならないこと)でしょ。それが消えるんだよ。会いたくない人が妻や夫だったりすると少々厄介だけれども,そうでもなければ,これはもう天国だよ。
 皆さんも早く60歳,65歳になって,怨憎会苦のない世界に来るといいですよ。
 お金なんか少しあればいいんだよ。たとえば洋服。流行なんてのを一切考慮しないことにすれば,一生困らないだけの在庫がすでにあるでしょ。生きてくのにお金ってそんなに要らないよ。
 ただし,インターネットは味方に付けておくこと。

● 脱線が過ぎた。曲目は次のとおり。15日はドイツ・ロマン派だったけれども,今日のテーマはフランス。
 ドビュッシー 牧神の午後への前奏曲
 ラヴェル シェヘラザード
       Ⅰ アジア Ⅱ 魔法の笛 Ⅲ つれない人
 デュプレ 「エヴォカシオン」より アレグロ・デチーゾ

● 「牧神の午後への前奏曲」はオルガンの前の演奏台で演奏した。ラヴェルの「シェヘラザード」には,歌が入る。というより,歌がメインだ。國光ともこさんのソプラノが入る。
 で,メルカールトさんも下に降りてきた。あらかじめ,リモートコンソールが用意されていたのだが,これがどういう仕組みになっているのかと思って,注意が完全にそちらに向いてしまった。
 単独の電子オルガンのようなものなのか。が,音はパイプオルガンから聴こえてくるぞ。ステージにあるこの電子オルガンのような演奏台と奥のパイプオルガンは,どこでどうつながっているんだろう。Bluetooth接続なのか。そんなバカな・・・・・・というような。

● 終演後に,メルカールトさんと國光さんのアフタートークがあった。國光さんが訊き役で,メルカールトさんがそれに答える。
 國光さんは聴衆代表になって,リモートコンソールについて最初に訊いてくれた。しかし,さすがに接続の仕組みについてまでは踏み込まない。
 オルガンの音の出し方。どこまで高い音が出るのか,低い音が出るのか。音量の調整はどうするのか。鍵盤は三段なのか四段なのか五段なのか。色々と知りたいことを訊いてくれたんだけどね。もちろん,御自身はとうに知っていることだろう。

● パイプオルガンというのはじつは巨大なIT機器なのではないか,と思えてきた。長い生い立ちのある楽器なのだが,技術革新の影響を受けて最も大きく変わってきたのがオルガンだと考えていいのだろうか。

2021.05.23 宮前フィルハーモニー交響楽団 第48回定期演奏会

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● 川崎は東京のベッドタウンという言い方を,昔はよく聞いた。昼間は東京で働いたり学んだりしていて,夜,寝るために帰ってくるところ。今でもベッドタウンという言葉が使われているのかどうかは知らないが,かつては望ましくはないものとして使われていたように記憶している。
 けれども,それって行政区域に囚われた発想だよね。行政の都合で言われていたことじゃないかと思っているんだけどね。
 川崎市はとにかく東西に短い。京浜東北線の川崎市内の駅は川崎駅のみ。川崎駅から蒲田(東京都大田区),あるいは鶴見(横浜市)までの駅間距離も決して長くはない。そうであれば,東京や横浜との行き来は当然で,そこで生きている個人からすれば,そうするのが合理的でもある。

● さて,宮前フィルハーモニー交響楽団。その名のとおり,川崎市の宮前区を本拠とする市民オケなのだろう。初めての拝聴だ。
 チケットはA席(1,500円)とB席(1,000円)の2種。安いB席で聴いた。

● 開演は午後2時。指揮は河地良智さん。洗足学園の副学長を務めた人。指揮者や演奏家の世界で,音大の教授を務めるというのはどの程度のプレステージになるんだろうか。
 曲目は次のとおり。
 ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番
 ブラームス/シェーンベルク編曲管弦楽版 ピアノ四重奏曲第1番

● ラフマニノフのソリストは福間洸太朗さん。1,000円で福間さんのピアノが聴けるって,お得すぎませんか。
 ただし,お得かどうかは聴き手の力量にもよるわけで,“馬の耳に念仏” になってしまっては,いかな高僧の念仏であっても,得にも徳にも結びつかないわけだ。ぼくの耳は馬の耳であったかもしれない。

● 福間さんのアンコールは,ブラームス「ピノのための6つの小品」より第5番ロマンス。

● ブラームスのピアノ四重奏曲第1番の管弦楽版に驚いた。シェーンベルクのオーケストレーションの妙もさることながら,ブラームスのオリジナル曲がそれだけのエネルギーを孕んでいるってことなんでしょう。
 You Tubeで聴けることも,たった今,知った。CDはラトル盤でよろしいんでしょうね。これだけの高密度を味わうには,でも,生演奏しかないでしょうねぇ。

● オーケストラのアンコールは,ブラームスのハンガリー舞曲第6番。

● プログラム冊子が縦書き右開き。ひょっとして初めて接する形かもしれない。たいてい横書きだもんね。しかも,この冊子,印刷も凝っていて,けっこうお金をかけているっぽい。
 内容も充実している。まず,福間さんのインタビュー記事。ラフマニノフやロシア音楽に対する福間さんの見方が述べられている。自身について語っているところもあり,かなり面白く読める。訊き方によってはもっと引き出せたのかもしれないが,プロのインタビュアーがやっているわけではないから,そのあたりは仕方がない。
 指揮者インタビューも面白けれども,これで宮前フィルの活動履歴がおおよそわかる。

● 那須町での水害復興のためのチャリティーコンサートも行っているのだった。平成10年(1998)年8月26日から約1週間で年間降水量の3分の2を超える大雨が降った。その後の復興の過程において,宮前フィルが那須町と関わりをもったということだ。
 どういう契機があったのかはわからない。たまたま人的な繋がりがあったのだろうか。

2021.05.16 真岡市民交響楽団 第61回定期演奏会

真岡市民会館 大ホール

● 昨年の3月31日以来の真岡。良く言えば静かでしっとりしていて,落ち着きのある街だ。
 衣食住のほとんどは市内で揃うだろう。何かを買うために宇都宮に出る必要はない。車を運転しない人が,宇都宮に出るにはバスしかないから(片道千円),そもそも出る気にもならないと思うが。
 食の水準が高い。ぼくが想定しているのは飲み屋なのだが,フラッと出かけていって,ここはハズしたと思ったことがない。海なし県の端っこにあるのに(茨城県に隣接するわけだが),旨い刺身を出す。
 あと,旧二宮町ではどういうわけだかガソリンが安い。

● 久しぶり感がだいぶある真岡市民交響楽団の定演。当日券頼みで来てみたのだが,当日券がないなんてことはなかった。
 開演は午後2時。曲目は次のとおり。指揮は佐藤和男さん。
 メンデルスゾーン 序曲「フィンガルの洞窟」
 ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ロ短調

● 通常の演奏会の前半部だけで,後半部がない。メイン曲なしの片肺飛行だ。そうではあっても,ともかく開催できた。祝着と言うべきだ。
 このあたりの経緯については,プログラム冊子の団長あいさつでも言及されている。「団員が一堂に会して練習することさえままならず」という,ここのところだ。

● 2011年の東日本大震災では栃木県の東部,鬼怒川の東側,で甚大な被害があった。津波といえば山津波のことだと心得る内陸部のことゆえ,死者はゼロではないという数ですんでいるのだが,物的被害は大きかった。特に,真岡市と高根沢町。
 真岡市民交響楽団のフランチャイズである真岡市民会館も長く閉鎖,復旧工事が行われた。このときに被った痛手も相当なものだったと思うのだが,不自由ながら他のホールを使うことができた。練習も思うようにはできなかったと推測するが,思うようにはできなかったのであって,できなかったのではない。

● ところが,今回は,思うようにではなく,練習ができない。なぜなら,外に出ること,人と会うことをコロナが許さないからだ。
 コロナ禍は宿泊業界や飲食業界には激震になった(現在もなっている)が,その核はコミュニケーションを禁じることにある。したがって,コミュニケーションの場を提供する業種はことごとく打撃を受ける。
 典型的には酒場で語らうことができなくなったわけだが,それだけがコミュニケーションではない。オーケストラが奏でるアンサンブルも奏者同士のコミュニケーション,あるいは奏者と観客とのコミュニケーションだとすれば,そのコミュニケーションもまた許されない。人が人に会うことを許されない以上,そうならざるを得ない。

真岡市民会館
● ありとあらゆるコミュニケーションが封じられることになった。人間は群生動物なのだから,これではフラストレーションが溜まる。ずっと続けば,どこかで破綻せざるを得ないものだ。
 音楽活動をやっているのはコミュニケーション欲求の高い人たちではないかと思う。フラストレーションのたまり具合も並ではなかったかもしれない。

● 唯一の救いは,東日本大震災のときは音楽活動の継続に苦労したのは自分たちだけだったのに対して(栃木県内ではたぶん真岡だけだったろう),今回はどこも同じ目に遭っていることだ。自分たちだけではないと思えることは,けっこう大きいのじゃないか。
 それはそうだとしても,昨年度をそっくり棒に振ってしまったわけだ。何でもそうだけれど,ルーティンを回せていることによって維持できているものが,ぼくらが考えている以上に多いことも,今回のコロナ禍で思い知ったことだ。

● さて,と。演奏会の中身について申しあげれば,ドヴォルザークのチェロ協奏曲は出色。栃木県の小都市でここまでのコンチェルトを聴けちゃうんだからねぇ,何だか不思議な気がする。
 佐山裕樹さんのチェロが素晴らしすぎた。けれども,それだけではここまでの出来栄えにはならないわけで,オケの木管陣(特にフルート)の健闘やティンパニの貢献があったからだ。ティンパニの目盛りの細かい捌きは印象的だった。

● が,それだけでもない。他に何かがある。それをうまく掴めないもどかしさというかモヤモヤ感が残っている。とても気持ちの良い何かなんだけれども,ほら,これですよ,と示せない何ものか。
 技術が卓越しているといったことではないのだ。フルートをとってみても,最善手ではない手を指した局面が複数回あったと思う。けれども,そうしたことを越えて客席に迫ってくる何かがある。

● おそらく,この楽団の性格のようなものだ。それは指揮者やコンミスが作っているのではないと思われる。指揮者やコンミスは替わっても,変わらずそこに残るものだ。
 個々の奏者は入れ替わっているはずだ。が,長く続いている間に降り積もって濃くなった空気のようなものが,人は変わっても場をそのままに存続せしめているような。その空気のような何ものかが,とても好ましいものとして,ぼくの目には映る。