ミューザ川崎 シンフォニーホール
● ミューザ川崎で法政大学交響楽団の定演。初めての拝聴になる。開演は18時30分。チケットは1,000円。自由席だけれども,使用する座席は半分に抑えてある。
Twitterで当日券があるとの告知があったので,当日券で聴くことにしていた。17時から販売開始とあったので,その10分前に着いたのだけれど,実際に販売が始まったのは17時30分。それで支障は何もないわけだが,ひょっとすると客の出足を見て30分繰り下げたんだろうかな。
● 曲目は次のとおり。指揮は海老原光さん。
シベリウス 交響詩「フィンランディア」
ボロディン 交響詩「中央アジアの草原にて」
ベートーヴェン 交響曲第7番
● 首都圏の大学オケの多くがそうであるように,この楽団も法政大学の学生のみで構成されているわけではない。出演者名簿に載っているのは賛助やOB・OGを除いて57名。そのうち,17名は他大学の学生。コンミスも他大学の学生だ。
が,ここまでなら特に驚くことでもない。驚いたのは,最初に大学の校歌を演奏したことだ。これまでの大学オケの演奏でも校歌を演奏したところは皆無だった。法政大学交響楽団ではこれが恒例になっているんだろうか。観客のほとんどはOB・OGなのか。
自身のことを言うと,在学中に校歌を聞いたのは二度しかない。入学式と卒業式だ。卒業後に聞いたことは一度もない。大学と大学の卒業生向け行事に近づくことがないからだが,でもまぁそれが普通だろう。そうでもない?
● 違和感を持ったのがもうひとつあって,それは指揮者だ。海老原光さんのはずなんだけども,別の人のような。
海老原さんに何かあって,学生指揮者(これも他大学の学生)が代役を務めているのかと思った。演奏するのが校歌なんだし。
が,本番になっても,学生指揮者がヒョイヒョイと現れる。おいおい,君の出番はもう終わったんじゃないのかい。
結局,最後まで変わることはなかったので,彼が海老原さんだったのだろう。学生が相手で,彼らに同化しすぎた? いやいや,そんなことはないんだろうけどね。今でもその違和感が続いているですよね。
こういう時期ゆえに思うように合奏練習ができなかったという事情もあるだろう。その分,一生懸命さは充分に伝わってきた。
● コンミスはグイグイと牽引していくタイプではないようだ。自分は法政大学の学生ではないので・・・・・・という遠慮があったからではないだろう。それは考えられない。
前に出るのが嫌いなタイプはいるもので,時に会社の社長にもそういうタイプはいるかもしれない。それではリーダーが務まらないかといえば,それはまた別義だ。というより,前に出るのを苦にしないだけで務まるわけもないのだ。
彼女は彼女のやり方でコンミスを務めていた。あるいは,コンミスを演じていた。
● 文系の大学生は勉強しない。なぜ勉強しないかといえば,する必要に迫られないからだ。勉強などしなくても卒業はできる。今でもそれは同じだろう。
卒業したあと,会社や役所で仕事をしていくうえで,大学で勉強しなかったことが致命傷になるかといえば,そんなことはない。世の中にある仕事の大半は,日本語の読み書きができて,ある程度の押しの強さと打たれ強さがあれば,他に必要なものはない。
仮にあっても泥縄で勉強すれば間に合う。というより,勉強は泥縄でやるのが最も効率的だ。予め備える勉強は,「当事と越中褌は向こうから外れる」というときの当事になることがほとんどだ。
● 大学の教室や図書館よりも,部室にいる時間の方がずっと長いという学生もいるだろう。ステージで演奏している奏者の中の法政大学以外の学生は,自分の所属先はどこだと思っているのだろう。
卒業証書は所属している大学からもらうわけだが,時間的にも,一緒にいる人間関係からしても,自分は法政大学交響楽団の卒業生という意識になるのかならないのか。
● そこまで入れあげているわけではないのかもしれないけれども,そうした二重所属的な関わり方ができる首都圏の大学生を羨ましいと思う気持ちが,ぼくにはある。
田舎だとそうはいかない。だって,大学がひとつしかないんだから。複数あっても行き来する交通手段がないんだから。
首都圏でも運動部だと難しいだろう。六大学の対抗戦で法政大学野球部に他大学の学生がいるってことは,おそらくないんでしょ。
そういうことができる環境にいるんだったら,それをやった方がお得だと思う。疑いを抱かないですむような所属意識は持たない方が良い気がする。
● なお,アンコール曲はチャイコフスキー「眠れる森の美女」から “ワルツ”。
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