ミューザ川崎 シンフォニーホール
昨日の法政大学交響楽団もそうだし,今日の青山学院管弦楽団もそうなのだが,もし東京のホールを予約していたら,予定どおりに開催できていただろうか。たまたま多摩川を渡った川崎のホールを予約しておいたことが,じつにどうもラッキーな結果になっている。実際,明日,東京で開催される予定だった演奏会にも行くつもりでいたんだけれども,そちらは無観客での開催になった。
● 普段の行いが良かったから川崎のホールを予約できたわけではもちろんないのだろうから(いや,行いは良かったんだろうけど),このあたりは運としか言いようがない。
本当は都内でやりたかったけど・・・・・・。ま,ミューザで演奏する楽団に,そんなのはないでしょうけどね。
● この楽団の演奏を聴くのも,今回が初めて。プログラム冊子に掲載されている団員名簿によると,団員は145名。インカレ団体で,そのうち63名は他大学の学生だ。
その中に法政大学の学生も2人いる。昨夜もミューザのステージに乗っていたわけかと思って,昨日のパンフを開いてみたんだけども,そこには名前がなかった。
自分の大学にもオーケストラがあるのに,そっちはスルーしてこちらに来ているのは,演奏環境がこちらがいいと判断してのことだろうか。こちらにいた方が上手くなれる,と。友人関係とか自分の技量との見合いとか,そういうことなんですかねぇ。
選択肢がたくさんあって自由に選べるのは,とにもかくにも羨ましい。一から十までたまたま入った大学で完結しなければならないっていうのは不条理だ。今の時代が指し示すところは,一所定住ではなくてキャラバンの方だ。
● 開演は18時。チケットは1,000円。座席は使用数を半分に抑えて全席指定。ただし,当日券もあったようだ。
曲目は次のとおり。指揮は篠﨑靖男さん。
ヨハン・シュトラウスⅡ 喜歌劇「こうもり」序曲
ボロディン 歌劇「イーゴリ公」より “だったん人の乙女たちの踊り” “だったん人の踊り”
チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調
男の制服はそれがどんなものであれ,制服を着た男を凛々しく見せる効果がある。威圧感とセットになった凛々しさだ。
女の制服はそれがどんなものであれ,色が白いのより七難隠す効果がある。したがって,当然,ステージ効果も大きい。ホームラン級の効果だ。少なくとも,走者一掃のスリーベースヒットに匹敵する。奏者の多くは女子なのだから尚更だ。
● 「こうもり」を聴いて,水準の高さはすぐにわかった。少し姿勢を正して聴く態勢に自ずとなった。
チャイコフスキーの5番は,記憶に残るメモリアル的な演奏だった。あくまで,ぼく的には,だけれど。今まで聴いたチャイ5の中で,ひょっとするとナンバーワンかもしれない。
ステージで演奏した奏者たちにとっても,なぜこういう演奏ができたのかわからない,と狐につままれたような気分が残っているのでは,とも思ってみる。もう一度やってみろと言われてもできない,っていう。
● たしかに技術はある。都内の大学オケの中でも屈指のひとつと言ってよいのだと思われる。
けれども,若い人たちの演奏は技術だけはない。技術を越えたところ,あるいは技術を外れたところで,大きな収穫を持ち帰ることがある。若さの不可思議としか言いようがないものだ。
それゆえ。どうせ聴くなら若い人たちの演奏を聴きたいと思ってきたし,今も思っている。
● という情緒論だけではしょうがないので,少し具体的な感想を記しておく。
チャイコフスキーなのだから(というより,ロシアなのだから)管楽器が全体に占める割合が大きくなる。ファゴットをはじめ木管が堅実だ。ここでエラーが出ないというのは,聴いている側の安心材料になる。心平らかに(?)聴くことができる。
● 第2楽章冒頭のホルンソロは,下手に見えるように上手く吹かなくてはいけない。途切れそうで途切れない。外れそうで外れない。
そんなことができるのか。上手く見えてもいいからしっかり上手く吹いてほしい,とぼくなんぞは思うんだけども,それに対する回答が示されたと言うかな。
● 弦が休みなく場を耕していく。耕された土壌から何か豊穣なものが生まれてくる予感がする。
コンミスの巧まざる牽引(つまり,牽引しなきゃと思って牽引していない)が光る。それやこれやで,素晴らしいチャイ5ができあがった。
● 約40分間,世界を満たして,砂絵のごとく跡形もなく消えていく。終曲が近くなる頃,この演奏を聴けることはもう二度とないのだと思うと,胸がいっぱいになった。
終わるな,終わるな,このままずっと続いてくれ,と泣きたいような気分で思ったことだった。
● アンコールもチャイコフスキー。「くるみ割り人形」から “花のワルツ”。
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