約2時間のコンサートが終了した直後の満足感は,他のものでは代替できません。この世に音楽というものが存在すること。演奏の才に恵まれた人たちが,時間と費用を惜しまずに技を磨いていること。その鍛錬の成果をぼくたちの前で惜しみなく披露してくれること。そうしたことが重なって,ぼくの2時間が存在します。ありがたい世の中に生きていると痛感します。 主には,ぼくの地元である栃木県で開催される,クラシック音楽コンサートの記録になります。
2013年4月8日月曜日
2013.04.08 間奏27:お読みいただき,ありがとうございます(2)
● このブログを立ちあげてから,1年とちょっと。それでPVが3万。読んでくださる方の実人数はその1割にも満たないとしても,上出来です。出来すぎです。読んでいただけるのは本当に嬉しいです。ありがとうございます。
画像なし,長すぎる文章,栃木ローカル,低い鑑賞水準。にもかかわらず,これほど読んでいただけるとは。
● 演奏する側は,それぞれのレベルで,それぞれなりに全力を注いでステージを作ってくるものでしょう。その全力投球の演奏を聴いて,頼まれもしないのに勝手に感想を書くわけだから,こちらもこちらなりのレベルで力を注がなくてはいけない。
ぼくの拙い能力と経験では高度な内容は盛りこめない。それはわかっている。
結果において頓珍漢なことを書くことはあるにしても(っていうか,あるに決まってるんだけど),手抜きゆえの頓珍漢ではないようにしたい。弁解できない頓珍漢ならいいけれど,弁解が効くような頓珍漢はあってはならない。
● 心構えとしてはそのように思っているのですが,自分のブログを読み返してみると,「ギャッと叫んでロクロ首」の心境になることがしばしばありますねぇ。
● で,ここから天に唾するようなことを書くのですが,ぼく自身は人さまのブログはあまり読んでいません(あまり,であって,まったく,ではありませんが)。
同じコンサートを他の人はどんなふうに書いているのか,もちろん気にはなります。なので,それらをチェックしていた時期もあったのですが,すぐにやめました。
● 演奏する側は,評価がやはり気になるものでしょう。
けれども,評価を気にしてブログをチェックするような愚を犯すより,知ったふうに書いたりしていないお客さんの中にこそ,端倪すべからざる聴き巧者がいる可能性が高いでしょうから,そういう人の意見を引っぱりだす努力を試みた方がいいんでしょうね。
いわゆる「アンケート」ではなかなか出てこないから,個人的なつながりがあるといいんだけれども。
● そもそもが,きちんと練習して,いい(と自分が思う)演奏をすれば(しようと努めていれば)それでいい,どう評価するかは人それぞれ,と割りきってしまえれば,たぶんそれが最善なのかも。
● ひょっとすると,批評の真似事をぼくもしてしまうかもしれない(あるいは,過去にしているかもしれない)。そのときは,柳に風と受け流していただけると幸いです。猿脳(の持ち主)が何か言っているようだ,と。
自分で自分の首を絞めているようで具合が悪いんだけど,これからもこのブログをよろしくお願いします,とは言いにくいような。
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