彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール
● NION Philharmonic Orchestra(NIONフィル)は「埼玉県立浦和西高等学校管弦楽部の卒業生が中心となって」「2010年に結成されたオーケストラ」。
この演奏会は「フロイデ」で知った。開演時刻もちょうどいいから,東京に出たついでに聴いていこうかという軽い感じで,埼京線は与野本町駅で下車。
● 会場のさいたま芸術劇場は,栃木の田舎者にしてみれば,驚愕の施設。大小のホールのほかに,音楽ホールと映像ホールを備え,舞台芸術資料室などというものがあり,稽古場や練習室も相当数。「ロトンダ」とか「ガレリア」といった名前の広場や通路も,まぁゴージャス。
たぶん,おそらく,あまり使われていないっていうか,施設のキャパが実需をかなり上回っているのじゃないかと,畏れながら想像する。
● こういうのってさ,そっくり遊びのためのものだよね。生産には1ミリも寄与しない。音楽だの演劇だのにうつつを抜かしているやつだらけになったら,日本は沈むよ。って,ぼくもまた客席でその遊びにうつつを抜かして現在に至っているわけだけど。
でも,遊びなしの人生なんて生きるに値しないというのも真実で,その真実をヨロヨロしながらも実践できる現在の日本は,ありがたくもいい国ですよ。
● 開演は午後6時半。チケットは500円。当日券を購入。
演目はベートーヴェンの1番と7番。指揮者はやはり浦和西高の卒業生である平井洋行さん。浦和西高から芸大に進んだ人ですな。
ちなみに,「音楽ホール」もすばらしいホールなのだった。いやいや,埼玉県,すごい。
● 先に書いたとおり,ついでに立ち寄った演奏会だ。無礼千万な観客ですな。ただ,今までの経験則からすると,たんなる偶然ではあるんだろうけど,「ついで」に失敗なし。
で,このNIONフィルもそうだった。高校の管弦楽部OB・OGの音楽好きが集まって,同好会的にやっている程度なら,まぁどってことないだろ,と思ってたんだけど,どってことあったんでした。
● まず感じたのは,垢抜けているってこと。都会性に溢れていると言い換えてもいい。都会性をまとわない技術の洗練はあるか。今のところ,ないとぼくは思っている。
都市の楽団は巧くて,田舎のそれは下手,っていうことじゃなくてね。どんな田舎にある楽団であっても,巧い演奏をするところは,都市的洗練を獲得している感じがする。
もっというと,遊びって,都市のものだよね。田舎には遊びがない。都市と田舎を分けるものは,遊びの有無,遊びの大小だと思っている(都市に住めば巧くなれるっていう話ではないんですよ)。
● 休憩時間を含めて,約1時間半。ステージから緊張感が切れることはなかった。終演後はぐったりとお疲れの様子だったけれども,こういう演奏を聴かせてもらうと,客席側もまた快い疲れに包まれる。
これがライヴの醍醐味のひとつだ。臨場感ってこういうことをいうのだと思ってみたりする。
● プログラムには,当分,ベートーヴェンを取りあげていくと受け取れる記述があった。楽しみなことだ。毎年,この時期にやってもらえれば。
約2時間のコンサートが終了した直後の満足感は,他のものでは代替できません。この世に音楽というものが存在すること。演奏の才に恵まれた人たちが,時間と費用を惜しまずに技を磨いていること。その鍛錬の成果をぼくたちの前で惜しみなく披露してくれること。そうしたことが重なって,ぼくの2時間が存在します。ありがたい世の中に生きていると痛感します。 主には,ぼくの地元である栃木県で開催される,クラシック音楽コンサートの記録になります。
2013年8月31日土曜日
2013.08.31 Sinfonia Resonanz ベートーヴェン全交響曲連続演奏会・Ⅴ
杉並公会堂 大ホール
● Sinfonia Resonanz(シンフォニア・レゾナンツ)は,「2011年4月にベートーヴェンの交響曲を全曲演奏するために結成された楽団」で「プログラムは全てベートーヴェン作曲によるもので組まれている」。
「団員はその多くが大学生であり,大学オケなどでコンサートマスターやトップを経験した方が数多く参加して」おり,「東京大学,東京工業大学,早稲田大学,慶應義塾大学など,都内の様々な大学から,当団でベートーヴェン・チクルスを演奏するために集まってい」るという。
練習の場所は東大の駒場キャンパスにある。週1,土曜午後に練習しているらしい。
● 東大にしろ,早稲田にしろ,慶應にしろ,それぞれ定評のある学内オケを抱えているわけで,そういうところのいわば上澄みを掬ったようなものか。
プログラムの紹介記事によると,コンサートマスターは東京大学フィロムジカ交響楽団のコンマスを務めた人。ひょっとすると,Sinfonia Resonanzはフィロムジカ交響楽団の別バージョンであるのかもしれない。
仕事も忙しい人に頼めと言うように,それぞれの場所で活動しながら,それ以外に別の場所を持っているほどに活動量の多い人は,たぶん質も高いものだろう。
● 2011年10月を皮切りに,今まで4回にわたって演奏会を開催してきた。次回の「第九」をもって活動終了となるらしい。
気づくのが遅すぎたか。って,チラシは何度か目にしたことがあったんですけどね,やはり東京まで出るのはなかなか大変でね,その都度見送ってしまってたんですね。仕方がない。
● 開演は午後2時。チケットは1,000円。当日券を購入。
チケットを買ってから会場の席に座るまでの間,何度「ご来場ありがとうございます」と挨拶されたか。このあたりも,接客マニュアルが徹底されているようで,なかなかに気持ちが良かった。
● マニュアル接客というのは,昔から批判(非難)の的にされていた。たぶん,批判しやすいものなんだと思う。
昔でいうと,スチュワーデス(当時の言葉)がそうだった。目が笑っていないなんぞと,無茶苦茶なことをいうヤツがいた。今だと,マクドナルドがやり玉にあげられることが多いですかねぇ。
● 前に読んだビジネス書に,こんな話が紹介されていたのを記憶している。ある人がマックでハンバーガーを50個注文したら,マニュアルどおりに「こちらでお召しあがりですか,お持ち帰りですか」と訊かれた,という話。
店内でハンバーガー50個を喰うはずがないだろ,お持ち帰りに決まってるだろ,いちいち訊くな,というわけだ。要するに,状況に応じて,対応を変えなければいけない,いつもマニュアルどおりにやっていてはダメだ,と言いたいわけですね。
● この話が本当にあったものか,どこかの馬鹿が頭の中でこしらえたものか,それは知らない。
店員の対応は間違っていない。マニュアルどおりでいい。逆に,こういうときこそ,マニュアルを守れるかどうかが問題になる。万にひとつということがある。その可能性を常識で排除してはいけない。テイクアウトするのであれば,客側が,「いいえ,違います」とひと言答えればいいだけのことだ。
● サービス提供者にマニュアル以上の対応を求めるのは,客側の驕りだ。問題はマニュアルの出来と,接客者がそのマニュアルをクリアできる水準にあるかどうか。総じていえば,マニュアルをクリアできているところは,そんなに多くはない。
以上は余談。
● 曲目は次のとおり。指揮は小笠原吉秀さん。
バレエ音楽『プロメテウスの創造物』序曲
交響曲第2番 ニ長調
ピアノ,ヴァイオリン,チェロと管弦楽のための三重協奏曲 ハ長調
● いずれも,ベートーヴェンの作品の中では,聴く機会の少ない曲。ぼくなんぞは,「プロメテウス」と「三重協奏曲」はCDでも聴いたことがない。
で,当日,電車の中で「プロメテウス」は全曲聴いてみたんだけど,まぁ何というのか,ピンと来なかった。バレエ音楽といったって,この曲で踊るのはけっこう大変なんじゃないだろうか。振付だって難しいんじゃないのかなぁ。そんなこともないのか。
● しかし,生で聴いてみると,また印象が違ってくる。聴いたのは「序曲」ですからね,純粋な管弦楽曲ってことになるし。
2番もベートーヴェンの交響曲の中ではマイナーだとしても,もはや堂々たるベートーヴェンで,圧倒されるしかない。音楽を聴くことの快感っていろいろあると思うんだけど,筆頭にくるのはこの圧倒される快感だものな。
● 「三重協奏曲」はさらに豪華。ピアノが丹千尋さん, ヴァイオリンが三上亮さん, チェロが遠藤真理さんというラインナップ。
演奏中の遠藤さんは,鬼の形相。怖いほどにね。普段は,たぶん,穏やかで温和で可愛らしい人なんだろうけど。
このトリオの演奏を聴けるのは,これが最初で最後だろうし,「三重協奏曲」そのものを生で聴ける機会があるかどうか。
● Sinfonia Resonanz(シンフォニア・レゾナンツ)は,「2011年4月にベートーヴェンの交響曲を全曲演奏するために結成された楽団」で「プログラムは全てベートーヴェン作曲によるもので組まれている」。
「団員はその多くが大学生であり,大学オケなどでコンサートマスターやトップを経験した方が数多く参加して」おり,「東京大学,東京工業大学,早稲田大学,慶應義塾大学など,都内の様々な大学から,当団でベートーヴェン・チクルスを演奏するために集まってい」るという。
練習の場所は東大の駒場キャンパスにある。週1,土曜午後に練習しているらしい。
プログラムの紹介記事によると,コンサートマスターは東京大学フィロムジカ交響楽団のコンマスを務めた人。ひょっとすると,Sinfonia Resonanzはフィロムジカ交響楽団の別バージョンであるのかもしれない。
仕事も忙しい人に頼めと言うように,それぞれの場所で活動しながら,それ以外に別の場所を持っているほどに活動量の多い人は,たぶん質も高いものだろう。
● 2011年10月を皮切りに,今まで4回にわたって演奏会を開催してきた。次回の「第九」をもって活動終了となるらしい。
気づくのが遅すぎたか。って,チラシは何度か目にしたことがあったんですけどね,やはり東京まで出るのはなかなか大変でね,その都度見送ってしまってたんですね。仕方がない。
● 開演は午後2時。チケットは1,000円。当日券を購入。
チケットを買ってから会場の席に座るまでの間,何度「ご来場ありがとうございます」と挨拶されたか。このあたりも,接客マニュアルが徹底されているようで,なかなかに気持ちが良かった。
● マニュアル接客というのは,昔から批判(非難)の的にされていた。たぶん,批判しやすいものなんだと思う。
昔でいうと,スチュワーデス(当時の言葉)がそうだった。目が笑っていないなんぞと,無茶苦茶なことをいうヤツがいた。今だと,マクドナルドがやり玉にあげられることが多いですかねぇ。
● 前に読んだビジネス書に,こんな話が紹介されていたのを記憶している。ある人がマックでハンバーガーを50個注文したら,マニュアルどおりに「こちらでお召しあがりですか,お持ち帰りですか」と訊かれた,という話。
店内でハンバーガー50個を喰うはずがないだろ,お持ち帰りに決まってるだろ,いちいち訊くな,というわけだ。要するに,状況に応じて,対応を変えなければいけない,いつもマニュアルどおりにやっていてはダメだ,と言いたいわけですね。
● この話が本当にあったものか,どこかの馬鹿が頭の中でこしらえたものか,それは知らない。
店員の対応は間違っていない。マニュアルどおりでいい。逆に,こういうときこそ,マニュアルを守れるかどうかが問題になる。万にひとつということがある。その可能性を常識で排除してはいけない。テイクアウトするのであれば,客側が,「いいえ,違います」とひと言答えればいいだけのことだ。
● サービス提供者にマニュアル以上の対応を求めるのは,客側の驕りだ。問題はマニュアルの出来と,接客者がそのマニュアルをクリアできる水準にあるかどうか。総じていえば,マニュアルをクリアできているところは,そんなに多くはない。
以上は余談。
● 曲目は次のとおり。指揮は小笠原吉秀さん。
バレエ音楽『プロメテウスの創造物』序曲
交響曲第2番 ニ長調
ピアノ,ヴァイオリン,チェロと管弦楽のための三重協奏曲 ハ長調
● いずれも,ベートーヴェンの作品の中では,聴く機会の少ない曲。ぼくなんぞは,「プロメテウス」と「三重協奏曲」はCDでも聴いたことがない。
で,当日,電車の中で「プロメテウス」は全曲聴いてみたんだけど,まぁ何というのか,ピンと来なかった。バレエ音楽といったって,この曲で踊るのはけっこう大変なんじゃないだろうか。振付だって難しいんじゃないのかなぁ。そんなこともないのか。
● しかし,生で聴いてみると,また印象が違ってくる。聴いたのは「序曲」ですからね,純粋な管弦楽曲ってことになるし。
2番もベートーヴェンの交響曲の中ではマイナーだとしても,もはや堂々たるベートーヴェンで,圧倒されるしかない。音楽を聴くことの快感っていろいろあると思うんだけど,筆頭にくるのはこの圧倒される快感だものな。
● 「三重協奏曲」はさらに豪華。ピアノが丹千尋さん, ヴァイオリンが三上亮さん, チェロが遠藤真理さんというラインナップ。
演奏中の遠藤さんは,鬼の形相。怖いほどにね。普段は,たぶん,穏やかで温和で可愛らしい人なんだろうけど。
このトリオの演奏を聴けるのは,これが最初で最後だろうし,「三重協奏曲」そのものを生で聴ける機会があるかどうか。
2013年8月26日月曜日
2013.08.25 カルメン with アンサンブル・ノマド
大泉町文化むら 大ホール
● 今回の会場は群馬県大泉町。駅名は小泉なのに,町名が大泉とは,これいかに。
「大泉町文化むら」はありえないほどに立派な施設。なんだ,こりゃ。なんでこんな田舎にこんな立派な施設があるのだ。大ホールも文字どおりの大ホールで,お金がかかっている。その辺の町民会館とはわけが違う。
しかし,場内にそこはかとなく漂う田舎臭は消すことができない。っていうか,この雰囲気はぼくには近しいもので,むしろホッとするんだけどね。
● ともあれ,アンサンブル・ノマドの演奏を聴くために,ここまで来た。いや,意外に近いんですけどね。少なくとも,わが家からだと茨城のつくばに行くよりはずっと近い。
開演は午後2時。チケットは2,000円(当日券)。
● 第1部は「カルメン」のハイライトをコンサート形式で。地元の高校吹奏楽部や児童合唱団も登場。さらにバレエも。地元(大泉町に限らず)の音楽資源をすべて投入した?
「アルルの女」を挿入してまで,バレエの見せ場を作っていた。「小林はつみクラシックバレエアカデミー」の生徒さんたちなんだけど,どうせやるならもっと彼女たちの踊りを見せてほしかったかなぁ。ないものねだりっていうんでしょうけどね,こういうの。
● 出演者は次のとおり。指揮は中川賢一さん。
カルメン 谷口睦美
ホセ 古橋郷平
エスカミーリョ 加耒 徹
ミカエラ 栗林瑛利子
フラスキータ 村田優衣
メルセデス 清水麻梨沙
● 歌は日本語で歌われたんだけど,たとえ日本語でも字幕をだしてほしくなりますな。
っていうか,このメンバーだったら,原語で普通に聴かせてほしかったというのが正直なところ。
もし可能なら,そっくりこのメンバーでカルメン全幕,やってくれないだろうか。そしたら,また大泉まで行くんだけどね。
● 第2部は,アンサンブル・ノマドの小コンサート。アンサンブル・ノマドって,ギターの佐藤紀雄さんを中心に結成された小集団。とんがったというと語弊があるんだけど,斬新な演奏会を開催していることで知られる。
まず,リョベート編曲の「カタロニア民謡」から「アメリアの誓い」と「紡ぎ女」の2曲。佐藤さんのギター生音で。もちろん,初めて聴くもの。
次は,ラロ「スペイン交響曲」の第5楽章。ヴァイオリンは甲斐史子さん。
● ロドリーゴの「アランフェス協奏曲」の第2楽章。手元にCDは2枚あるけど,聴いたことがあったかどうか。聴かなきゃいけませんね。
最後は同じくロドリーゴの「4つの愛のマドリガル」から「ポプラの林へ行ってきた」。CDが出ていることはわかってるんだけど,ぼくは持っていない。マドリガルっていうんだから当然,歌が入る。栗林さんが登場。
栗林さん,オペラ界のアイドルになれる素質があるように思えたんですけど。
● 以上で終わり。
のだが,このあと,「カルメン」の出演者全員がステージに並んで,アンコールはじつにヴェルディ「椿姫」の“乾杯の歌”。これはお得感が強かった。お得の範疇を超えてましたね。
嬉しかったですね,これはかなり。大変なサービスをしてくれたんだと思う。
● 以下,余談。
はるかな昔,JR線全線完乗っていうのを試みたことがあった。宮脇俊三さんの著作に影響されてのこと。果たせぬまま,熱が冷めてしまった。けど,熾火のようなものはまだ残っているようだ。
今回は,館林から東武の小泉線に乗ったんだけど,この路線に乗るのは,これが最初で最後かもしれない。となれば,全区間に乗っておきたい。
そんなわけで,「大泉町文化むら」へは東小泉で降りるのが近いんだけど,終点の西小泉まで乗って,西小泉駅から歩いて行った。
● このあたり,元々は黒土に覆われた畑だったんでしょうな。その前は平地林だったのか。今は人口4万の町。
ブラジル人が多く住んでいるらしい。日伯ナントカ協会とか,彼らのための教会とおぼしき建物がいくつかあった。
大泉って,ひょっとすると群馬県で最も裕福な町なんだろう。が,それは主には町の財政の話であって,街並みはごく普通。ヒッソリとしていた。買いものと遊びは太田に出て,ってことなんでしょう。
● 帰りは東小泉から太田を経て赤城まで行く電車(桐生線)に乗っておくことに。これまた,こんな機会でもないと,まず乗ることのない路線。
太田駅は高架化されている。立派な駅だ。圏域の中心でしょうね,ここが。ホテルやマンションの高いビルがニョキニョキと建っていて,このエリアでは異質な雰囲気。両毛のマンハッタン。
中心部の空洞化など,どの地方都市も抱えている問題はここにもあるらしいけど,車窓から眺める分には堂々たる都市景観に映る。
隣の館林からは停滞しか感じないのに対して,ここは胎動しているという印象(ただし,胎動が停滞に勝るとは限らない)。足利や桐生にはない勢いをまだ保持している感じ。それもこれも富士重工のおかげなんだろうか。
● さらにいいのは,この都市景観が非常にコンパクトなエリアに収まっていることで(都市がだらしなく広がっているのは,はなはだよろしからず),少し行くとベト6的風景に戻る。
住みやすいところかもしれない。東京に出るにも便利っぽいし。
● 赤城からは上毛電鉄で桐生にでて,JR線で帰宅。ちなみに,上毛電鉄は全区間(西桐生~前橋中央)に乗車済みだ。だいぶ前のことだけど。
ともあれ,こうして東武鉄道の小泉線と桐生線の全区間に乗車し,何がなし満足。伊勢崎線は館林~伊勢崎間が未乗なんだけど,これはまた別の機会に。
(追記 2013.09.09)
東武伊勢崎線の未乗区間(館林-伊勢崎)に乗ってきた。
太田で下車して街を少し歩いてみたんだけど,先日,車窓から抱いた印象とは全然違った。普通の地方都市だった。高いビルなんか目に入ってこなかった。
「両毛のマンハッタン」と感じたのは何だったんだろう。人間の印象なんてあてにならないですね(いや,ぼくの印象は,と言い換えた方がいいですか)。
周辺の市町から買い物客を集めるだけの商業施設の集積もないようだし(郊外にイオンがあるらしい),圏域における太田市のプレステージは,ぼくが思っていたほどでもないのかもしれない。
南口を出ると目抜き通りの両側に風俗店が軒を連ねる。そこを高校生が自転車に乗って下校していく。壮観というか異様というか。目が慣れれば,異様とは感じなくなるのかもしれないけどね。
若かったら気が高ぶったのかもしれないけれども,この年齢になってしまうと,別段そのようなこともなく,こういう街なのかと思うだけだ。
浅草方面からの電車は,ほとんどが太田止まりではないか。特急電車は太田から桐生線に入って赤城まで行く。
ゆえに,太田から伊勢崎までの区間は,運転系統的には盲腸線の趣がある。とはいえ,日中でも30分に1本は走っているし,乗客もそれなりに多い。
● 今回の会場は群馬県大泉町。駅名は小泉なのに,町名が大泉とは,これいかに。
「大泉町文化むら」はありえないほどに立派な施設。なんだ,こりゃ。なんでこんな田舎にこんな立派な施設があるのだ。大ホールも文字どおりの大ホールで,お金がかかっている。その辺の町民会館とはわけが違う。
しかし,場内にそこはかとなく漂う田舎臭は消すことができない。っていうか,この雰囲気はぼくには近しいもので,むしろホッとするんだけどね。
● ともあれ,アンサンブル・ノマドの演奏を聴くために,ここまで来た。いや,意外に近いんですけどね。少なくとも,わが家からだと茨城のつくばに行くよりはずっと近い。
開演は午後2時。チケットは2,000円(当日券)。
● 第1部は「カルメン」のハイライトをコンサート形式で。地元の高校吹奏楽部や児童合唱団も登場。さらにバレエも。地元(大泉町に限らず)の音楽資源をすべて投入した?
「アルルの女」を挿入してまで,バレエの見せ場を作っていた。「小林はつみクラシックバレエアカデミー」の生徒さんたちなんだけど,どうせやるならもっと彼女たちの踊りを見せてほしかったかなぁ。ないものねだりっていうんでしょうけどね,こういうの。
● 出演者は次のとおり。指揮は中川賢一さん。
カルメン 谷口睦美
ホセ 古橋郷平
エスカミーリョ 加耒 徹
ミカエラ 栗林瑛利子
フラスキータ 村田優衣
メルセデス 清水麻梨沙
● 歌は日本語で歌われたんだけど,たとえ日本語でも字幕をだしてほしくなりますな。
っていうか,このメンバーだったら,原語で普通に聴かせてほしかったというのが正直なところ。
もし可能なら,そっくりこのメンバーでカルメン全幕,やってくれないだろうか。そしたら,また大泉まで行くんだけどね。
● 第2部は,アンサンブル・ノマドの小コンサート。アンサンブル・ノマドって,ギターの佐藤紀雄さんを中心に結成された小集団。とんがったというと語弊があるんだけど,斬新な演奏会を開催していることで知られる。
まず,リョベート編曲の「カタロニア民謡」から「アメリアの誓い」と「紡ぎ女」の2曲。佐藤さんのギター生音で。もちろん,初めて聴くもの。
次は,ラロ「スペイン交響曲」の第5楽章。ヴァイオリンは甲斐史子さん。
● ロドリーゴの「アランフェス協奏曲」の第2楽章。手元にCDは2枚あるけど,聴いたことがあったかどうか。聴かなきゃいけませんね。
最後は同じくロドリーゴの「4つの愛のマドリガル」から「ポプラの林へ行ってきた」。CDが出ていることはわかってるんだけど,ぼくは持っていない。マドリガルっていうんだから当然,歌が入る。栗林さんが登場。
栗林さん,オペラ界のアイドルになれる素質があるように思えたんですけど。
● 以上で終わり。
のだが,このあと,「カルメン」の出演者全員がステージに並んで,アンコールはじつにヴェルディ「椿姫」の“乾杯の歌”。これはお得感が強かった。お得の範疇を超えてましたね。
嬉しかったですね,これはかなり。大変なサービスをしてくれたんだと思う。
● 以下,余談。
はるかな昔,JR線全線完乗っていうのを試みたことがあった。宮脇俊三さんの著作に影響されてのこと。果たせぬまま,熱が冷めてしまった。けど,熾火のようなものはまだ残っているようだ。
今回は,館林から東武の小泉線に乗ったんだけど,この路線に乗るのは,これが最初で最後かもしれない。となれば,全区間に乗っておきたい。
そんなわけで,「大泉町文化むら」へは東小泉で降りるのが近いんだけど,終点の西小泉まで乗って,西小泉駅から歩いて行った。
● このあたり,元々は黒土に覆われた畑だったんでしょうな。その前は平地林だったのか。今は人口4万の町。
ブラジル人が多く住んでいるらしい。日伯ナントカ協会とか,彼らのための教会とおぼしき建物がいくつかあった。
大泉って,ひょっとすると群馬県で最も裕福な町なんだろう。が,それは主には町の財政の話であって,街並みはごく普通。ヒッソリとしていた。買いものと遊びは太田に出て,ってことなんでしょう。
● 帰りは東小泉から太田を経て赤城まで行く電車(桐生線)に乗っておくことに。これまた,こんな機会でもないと,まず乗ることのない路線。
太田駅は高架化されている。立派な駅だ。圏域の中心でしょうね,ここが。ホテルやマンションの高いビルがニョキニョキと建っていて,このエリアでは異質な雰囲気。両毛のマンハッタン。
中心部の空洞化など,どの地方都市も抱えている問題はここにもあるらしいけど,車窓から眺める分には堂々たる都市景観に映る。
隣の館林からは停滞しか感じないのに対して,ここは胎動しているという印象(ただし,胎動が停滞に勝るとは限らない)。足利や桐生にはない勢いをまだ保持している感じ。それもこれも富士重工のおかげなんだろうか。
● さらにいいのは,この都市景観が非常にコンパクトなエリアに収まっていることで(都市がだらしなく広がっているのは,はなはだよろしからず),少し行くとベト6的風景に戻る。
住みやすいところかもしれない。東京に出るにも便利っぽいし。
● 赤城からは上毛電鉄で桐生にでて,JR線で帰宅。ちなみに,上毛電鉄は全区間(西桐生~前橋中央)に乗車済みだ。だいぶ前のことだけど。
ともあれ,こうして東武鉄道の小泉線と桐生線の全区間に乗車し,何がなし満足。伊勢崎線は館林~伊勢崎間が未乗なんだけど,これはまた別の機会に。
(追記 2013.09.09)
東武伊勢崎線の未乗区間(館林-伊勢崎)に乗ってきた。
太田で下車して街を少し歩いてみたんだけど,先日,車窓から抱いた印象とは全然違った。普通の地方都市だった。高いビルなんか目に入ってこなかった。
「両毛のマンハッタン」と感じたのは何だったんだろう。人間の印象なんてあてにならないですね(いや,ぼくの印象は,と言い換えた方がいいですか)。
周辺の市町から買い物客を集めるだけの商業施設の集積もないようだし(郊外にイオンがあるらしい),圏域における太田市のプレステージは,ぼくが思っていたほどでもないのかもしれない。
南口を出ると目抜き通りの両側に風俗店が軒を連ねる。そこを高校生が自転車に乗って下校していく。壮観というか異様というか。目が慣れれば,異様とは感じなくなるのかもしれないけどね。
若かったら気が高ぶったのかもしれないけれども,この年齢になってしまうと,別段そのようなこともなく,こういう街なのかと思うだけだ。
浅草方面からの電車は,ほとんどが太田止まりではないか。特急電車は太田から桐生線に入って赤城まで行く。
ゆえに,太田から伊勢崎までの区間は,運転系統的には盲腸線の趣がある。とはいえ,日中でも30分に1本は走っているし,乗客もそれなりに多い。
2013年8月25日日曜日
2013.08.24 Le voci 第13回公演 ヴェルディ「仮面舞踏会」
かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホール
● 昨年までは知らなかったけれど,オペラを自主公演している団体って,けっこうたくさんあるんですね。こんなにあったのかと驚いている。
で,今回はLe vociの「仮面舞踏会」にお邪魔することに。
● でも,気がすんだっていうかさ,もういいかなって気分もでてきてる。たぶん,オーバーペースが原因だと思う。正直,ちょっと疲れているようだしな。
この時期,「青春18きっぷ」でJRの電車賃が安くなるので,ここぞとばかり首都圏に出かけてるんだけど,ほかにやることはないのかよ,と自分に突っこみたくもある。
かといってさ,わがアパートは陽あたりが良すぎてね,エアコンが効かないくらいに温かくなってくれるしさ。どうせ家にはいられないわけでね。疲れているのも,主には暑さのせいなんでしょうね。この時期はどなた様もお疲れなんだろうしね。
● 開演は午後6時。チケットは4,000円。
開演に先立って,演出の伊藤隆浩さんのレクチャーがあった。仮面をかぶっているということは,その下にほんとの顔があるわけで,それらふたつの顔が作りだす綾を味わってほしい,というようなこと。
けれども,そうした深い味わい方はなかなか難しいですね。専門家と一般聴衆の違いっていうか。
● 出演者は次のとおり。指揮は安藤敬さん。
リッカルド 川野浩史
レナート 川上 敦
アメーリア 大久保陽子
オスカル 中川美和
ウルリカ 飯島由利江
シルヴァーノ 須山智文
● 大久保さんのアメーリアが清楚かつ妖艶。リアルにこんな女性が近くにいたら,人生を誤るかもしれないな。鼻も引っかけてもらえないだろうけどさ。
彼女,急遽立ったピンチヒッターだったらしいんだけど,こちらとしてはラッキーだったかも。
● 川上さんは,本業のかたわら「サンデー・バリトン」として活動を続けている,とプログラムに紹介されている。プロの歌い手と共演するって,どんな按配のものなんだろう。
正直,他の出演者との技量の差は隠しようもないんだけど(あたりまえだ),臆するところがないのは年の功か。あるいは,臆しているんだけどもそれを押し殺して,必死こいて務めていたのかなぁ。自分はアマチュアだからと居直っていないのは立派だと思った。
● Le vociがそもそも「若手歌手ならびにアマチュア歌手を主とした発信の場」として結成されたものだ。
おそらく,本番の舞台が一番勉強になるだろうし,かつモチベーションを喚起してくれるものだろうから,こういう場があるのは貴重でしょうね。
● いくつかの偶然が重なって悲劇が起こる。出発点は,リッカルドとアメーリアの相思相愛だ。肉体関係はありませんでしたっていったって,レナートに言わせれば,そんなのは枝葉末節。
でも,人を好きになるのはしようがない。この人を好きになるぞと決めてから好きになるんじゃないもんね。気がついたら好きになってたんだから。そこは制御不可能。
● 問題はさ,「好き」は持続しないってことを弁えられるかどうかだな。リッカルドとアメーリアが「好き」に任せて駆け落ちしたとしても,それは愚かの証明だもんね。駆け落ち先で仲違いするに決まってるんだから。レナートとすれば,愚者に去られて清々したと思えばいい。
って,そう考えちゃうとつまらないよなぁ。正しいんだけどつまらない。
● ぼくらは誰もが愚者で,物語は愚者が作る。だからこの世は生きるに値する。愚者ではない人がもしいたとして,彼にとってはこの世はどう映るだろう。無色透明なんだろうか。
という安直すぎる結論にしておきたい。
● 昨年までは知らなかったけれど,オペラを自主公演している団体って,けっこうたくさんあるんですね。こんなにあったのかと驚いている。
で,今回はLe vociの「仮面舞踏会」にお邪魔することに。
● でも,気がすんだっていうかさ,もういいかなって気分もでてきてる。たぶん,オーバーペースが原因だと思う。正直,ちょっと疲れているようだしな。
この時期,「青春18きっぷ」でJRの電車賃が安くなるので,ここぞとばかり首都圏に出かけてるんだけど,ほかにやることはないのかよ,と自分に突っこみたくもある。
かといってさ,わがアパートは陽あたりが良すぎてね,エアコンが効かないくらいに温かくなってくれるしさ。どうせ家にはいられないわけでね。疲れているのも,主には暑さのせいなんでしょうね。この時期はどなた様もお疲れなんだろうしね。
● 開演は午後6時。チケットは4,000円。
開演に先立って,演出の伊藤隆浩さんのレクチャーがあった。仮面をかぶっているということは,その下にほんとの顔があるわけで,それらふたつの顔が作りだす綾を味わってほしい,というようなこと。
けれども,そうした深い味わい方はなかなか難しいですね。専門家と一般聴衆の違いっていうか。
● 出演者は次のとおり。指揮は安藤敬さん。
リッカルド 川野浩史
レナート 川上 敦
アメーリア 大久保陽子
オスカル 中川美和
ウルリカ 飯島由利江
シルヴァーノ 須山智文
● 大久保さんのアメーリアが清楚かつ妖艶。リアルにこんな女性が近くにいたら,人生を誤るかもしれないな。鼻も引っかけてもらえないだろうけどさ。
彼女,急遽立ったピンチヒッターだったらしいんだけど,こちらとしてはラッキーだったかも。
● 川上さんは,本業のかたわら「サンデー・バリトン」として活動を続けている,とプログラムに紹介されている。プロの歌い手と共演するって,どんな按配のものなんだろう。
正直,他の出演者との技量の差は隠しようもないんだけど(あたりまえだ),臆するところがないのは年の功か。あるいは,臆しているんだけどもそれを押し殺して,必死こいて務めていたのかなぁ。自分はアマチュアだからと居直っていないのは立派だと思った。
● Le vociがそもそも「若手歌手ならびにアマチュア歌手を主とした発信の場」として結成されたものだ。
おそらく,本番の舞台が一番勉強になるだろうし,かつモチベーションを喚起してくれるものだろうから,こういう場があるのは貴重でしょうね。
● いくつかの偶然が重なって悲劇が起こる。出発点は,リッカルドとアメーリアの相思相愛だ。肉体関係はありませんでしたっていったって,レナートに言わせれば,そんなのは枝葉末節。
でも,人を好きになるのはしようがない。この人を好きになるぞと決めてから好きになるんじゃないもんね。気がついたら好きになってたんだから。そこは制御不可能。
● 問題はさ,「好き」は持続しないってことを弁えられるかどうかだな。リッカルドとアメーリアが「好き」に任せて駆け落ちしたとしても,それは愚かの証明だもんね。駆け落ち先で仲違いするに決まってるんだから。レナートとすれば,愚者に去られて清々したと思えばいい。
って,そう考えちゃうとつまらないよなぁ。正しいんだけどつまらない。
● ぼくらは誰もが愚者で,物語は愚者が作る。だからこの世は生きるに値する。愚者ではない人がもしいたとして,彼にとってはこの世はどう映るだろう。無色透明なんだろうか。
という安直すぎる結論にしておきたい。
2013.08.24 合奏団ZERO第11回定期演奏会
杉並公会堂 大ホール
● 合奏団ZEROの演奏会は,昨年の夏に続いて今回が2回目。開演は午後2時。前回は入場無料のカンパ制だったけれども,今回は1,000円のチケット制。当日券を購入。
実際は,チラシを持参すれば当日券と引き換えるというわけで,実質,入場無料に近かったんですけどね。他に,招待状のハガキもあるわけだし。集客と費用負担の狭間でどこにポジションを置けばいいのか,楽団としても悩んでいるようでもある。
● 部外者の気楽さで言わせていただけば,これだけの演奏を披露しているわけだから,基本,有料チケット制でいいと思う。
自分を棚にあげていうと,無料にすることの唯一の問題点は,客質が下がることだ。お金を払ってでも聴きに来たいというお客さんだけを相手にすればいいと,割り切ってしまうのは難しいのか。
東京ではあまたのアマオケがあって,それぞれ演奏会を開いている。対して,観客(あるいは観客予備軍)は限られている。地縁,出身縁をもたないところは,集客に悩む。のだけれども,数多きがゆえに尊からず。
というのは,綺麗事にすぎますかねぇ。過ぎるな,たぶん。
● 今回は,R・シュトラウスの「四つの最後の歌」とラフマニノフの交響曲第2番。エキストラも入れて,金管も揃った普通のオーケストラ編成。
● 「四つの最後の歌」について,常任指揮者の松岡究さんが,「音楽をやるものとして「本当に出会えてよかった,音にする喜びをこれほど感じられる作品はないといっても過言ではない」と心から思えるような充実した作品」と紹介している。
歌詞の和訳もプログラムに掲載されている。歌詞の意味はわからなくても鑑賞に支障はないものでしょうね。逆に,音を聴いて何も感じなければ,歌詞の意味がわかったところで,やはり何も感じないものでしょ。
ソリスト(ソプラノ)は松尾香世子さん(この楽団とは過去にも何度か共演しているようだ)だから,何も感じなかったからといって,その責めを歌い手に帰すわけにはいかない。自分の感性を疑うしかない。
● で,ちょっと自分の感性の鈍さかげんを疑ってますね,今。
じつは,バッハの「マタイ受難曲」を聴いても,なんだかピンと来なかったりする。脳細胞の配線の大事なところが何ヶ所か切れているのかもしれない。
「シャコンヌ」の管弦楽版や「ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲」を聴くと,これはすげぇと思えるんですよ。ところが,どうも声楽曲には反応が鈍い。たんに経験不足?かもしれないんだけど。たくさん聴くようにすれば,何とかなるのかねぇ。
● ピアノがあまり好きじゃない,っていうかよくわからない,ぼくのような者にとっては,ピアノ協奏曲ではなくて,この交響曲2番がラフマニノフを代表するもの。
この曲を高い水準の演奏で聴けるとすれば,そのためだけに生き長らえる価値がある。とまで言ってしまうと,やや過剰表現になってしまうけど。
● 「おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり」というのは,反論しようのない真理だけれど,おもしろくすみなすための具体的な手がかりがあるのとないのとでは,大変な相違だ。
ぼくの場合はこうした演奏を聴くという手がかりが与えられている。かたじけなくもありがたいことですよ。
● 透明さとか深みとか,諧謔とか洒落っ気とか,曲によっては故意の稚拙さとか,演奏に求められるものはいろいろとあるんだろうけど,ひとつを建てれば同時に他も建つ,ということがあるに違いない。
濁りがなければたいてい深みも出る。少なくともぼく程度の鑑賞レベルだと,そういうことが多い。
で,この合奏団ZEROの演奏には,濁りがない。聴いてると,しみじみしてくる。それで充分すぎる。
● 作品は完成すると同時に,作者から切り離されて存在するもの。作曲家がその曲に何をこめたかは作曲家の問題で,聴く側には関係のないことがらだ。
もちろん,そういうことを知っていると,深く鑑賞できるのかもしれないけど,基本は聴く側がそれぞれの甲羅に合った穴を掘りつつ聴くことになる。
● 中にはとんでもなく深い穴を掘る聴き手もいるんだろうな。そこまで深い穴を掘らせる曲や演奏もすごいけれども,第一にはその聴き手の技ってことになるんだろうね。
理屈的には,作曲家が掘った穴よりもさらに深い穴を掘って聴く聴き手も存在しうるわけで,そういう意味では,鑑賞っていう行為はたんなる受け身ではないんだろう。
ただ,そうした聴き手はめったにいないっていうだけで。
● 合奏団ZEROの演奏会は,昨年の夏に続いて今回が2回目。開演は午後2時。前回は入場無料のカンパ制だったけれども,今回は1,000円のチケット制。当日券を購入。
実際は,チラシを持参すれば当日券と引き換えるというわけで,実質,入場無料に近かったんですけどね。他に,招待状のハガキもあるわけだし。集客と費用負担の狭間でどこにポジションを置けばいいのか,楽団としても悩んでいるようでもある。
● 部外者の気楽さで言わせていただけば,これだけの演奏を披露しているわけだから,基本,有料チケット制でいいと思う。
自分を棚にあげていうと,無料にすることの唯一の問題点は,客質が下がることだ。お金を払ってでも聴きに来たいというお客さんだけを相手にすればいいと,割り切ってしまうのは難しいのか。
東京ではあまたのアマオケがあって,それぞれ演奏会を開いている。対して,観客(あるいは観客予備軍)は限られている。地縁,出身縁をもたないところは,集客に悩む。のだけれども,数多きがゆえに尊からず。
というのは,綺麗事にすぎますかねぇ。過ぎるな,たぶん。
● 今回は,R・シュトラウスの「四つの最後の歌」とラフマニノフの交響曲第2番。エキストラも入れて,金管も揃った普通のオーケストラ編成。
● 「四つの最後の歌」について,常任指揮者の松岡究さんが,「音楽をやるものとして「本当に出会えてよかった,音にする喜びをこれほど感じられる作品はないといっても過言ではない」と心から思えるような充実した作品」と紹介している。
歌詞の和訳もプログラムに掲載されている。歌詞の意味はわからなくても鑑賞に支障はないものでしょうね。逆に,音を聴いて何も感じなければ,歌詞の意味がわかったところで,やはり何も感じないものでしょ。
ソリスト(ソプラノ)は松尾香世子さん(この楽団とは過去にも何度か共演しているようだ)だから,何も感じなかったからといって,その責めを歌い手に帰すわけにはいかない。自分の感性を疑うしかない。
● で,ちょっと自分の感性の鈍さかげんを疑ってますね,今。
じつは,バッハの「マタイ受難曲」を聴いても,なんだかピンと来なかったりする。脳細胞の配線の大事なところが何ヶ所か切れているのかもしれない。
「シャコンヌ」の管弦楽版や「ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲」を聴くと,これはすげぇと思えるんですよ。ところが,どうも声楽曲には反応が鈍い。たんに経験不足?かもしれないんだけど。たくさん聴くようにすれば,何とかなるのかねぇ。
● ピアノがあまり好きじゃない,っていうかよくわからない,ぼくのような者にとっては,ピアノ協奏曲ではなくて,この交響曲2番がラフマニノフを代表するもの。
この曲を高い水準の演奏で聴けるとすれば,そのためだけに生き長らえる価値がある。とまで言ってしまうと,やや過剰表現になってしまうけど。
● 「おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり」というのは,反論しようのない真理だけれど,おもしろくすみなすための具体的な手がかりがあるのとないのとでは,大変な相違だ。
ぼくの場合はこうした演奏を聴くという手がかりが与えられている。かたじけなくもありがたいことですよ。
● 透明さとか深みとか,諧謔とか洒落っ気とか,曲によっては故意の稚拙さとか,演奏に求められるものはいろいろとあるんだろうけど,ひとつを建てれば同時に他も建つ,ということがあるに違いない。
濁りがなければたいてい深みも出る。少なくともぼく程度の鑑賞レベルだと,そういうことが多い。
で,この合奏団ZEROの演奏には,濁りがない。聴いてると,しみじみしてくる。それで充分すぎる。
● 作品は完成すると同時に,作者から切り離されて存在するもの。作曲家がその曲に何をこめたかは作曲家の問題で,聴く側には関係のないことがらだ。
もちろん,そういうことを知っていると,深く鑑賞できるのかもしれないけど,基本は聴く側がそれぞれの甲羅に合った穴を掘りつつ聴くことになる。
● 中にはとんでもなく深い穴を掘る聴き手もいるんだろうな。そこまで深い穴を掘らせる曲や演奏もすごいけれども,第一にはその聴き手の技ってことになるんだろうね。
理屈的には,作曲家が掘った穴よりもさらに深い穴を掘って聴く聴き手も存在しうるわけで,そういう意味では,鑑賞っていう行為はたんなる受け身ではないんだろう。
ただ,そうした聴き手はめったにいないっていうだけで。
2013年8月19日月曜日
2013.08.18 ブラス・ファンタジスタ金管アンサンブル
那須野が原ハーモニーホール 小ホール
● 開演は午後2時。チケットは1,300円。
なんだけど,今回はチケットはタダで手に入った。同僚がくれたんですよ。君にやるからありがたく拝領しろ,と。
同僚は,ご招待券プレゼントってやつに応募して当選したらしい。自分の少ない運を使って手に入れたものだから,あだやおろそかに扱うなよと言うんだけど,実際に行ってみたところ,招待席と思われる席もすべて埋まっているわけではないようだった。
要するに,全員当選するくらいの応募者しかいなかったのではあるまいか。というわけだから,安心しろ。貴君の運は1ミクロンも減ってはいないぞ。
● ブラス・ファンタジスタは金管五重奏のグループ。
牛腸和彦さん(トランペット),尾崎浩之さん(トランペット),小林祐治さん(ホルン),渡辺善行さん(トロンボーン),本間雅智さん(チューバ)の5人。
牛腸さんのトランペットのみ,今年1月の栃木県総合文化センター主催「フレッシュアーティスト・ガラ・コンサート」で聴いている。
● 第1部は公開クリニックと題して,大田原中学校吹奏楽部の演奏に対して,ブラス・ファンタジスタの5人がクリニックを行う。
旨い空気を吸い,旨い水を飲み,旨い米を喰って(栃木だもん),スクスクと育ったとおぼしき嬢ちゃん(圧倒的多数)坊ちゃん(圧倒的少数)たちがステージに並んだ。
曲は「南風のマーチ」(渡口公康)。まず通して演奏してから,順番にここはこうした方がいいというアドバイスを与えて,部分部分を再奏していく。
で,最初の演奏がどうして立派なもので,別に直すところなんてないんじゃないの,と思ったわけだけど・・・・・・。
● まずはチューニングの際の注意。あまりチューナーに頼るなということ。機械の針が真ん中に来ることだけに気を取られるな,と。
聞きようによっては,いい加減でもいいよ,とも取れる。もちろん,いい加減でいいんだよってことを言ったわけじゃないんだけどね。
● タンギング。中学1年生でダブルタンギングは早すぎるなどと考えないで,曲を見てダブルタンギングがいいと思ったら,そうするように。
頭打ち・裏打ち。他の楽器の音をよく聴いて。
メロディー。テンポばかりに気を取られるな。自分が音にどんな色をつけたいのか,そこを大切に。
そして,トリオ。
● 総じて,テンポや縦の線を合わせることに気を取られ過ぎるな,まず楽しむ気持ちが大切だとか,何を伝えたいのか,どんな表情をつけたいのか,各自が勝手にそれをやると,かえってテンポやリズムが早く合ってきたりするものだ,という指摘が多かったようだ。
中学生なんだからこんなものだろうという迎合はなかったようだ。しかし,一方で,中学生を慮っての大人の助言だなとも思えた。
● いろんないい音楽をたくさん聴くこと,というアドバイスもあった。これ,大事なことだと思う。即効性はなくても,ジワジワと効いてくるんだろう。
問題は,中学生は忙しいってことだな。なにせ時間がない。勉強も部活もあるし,友だちづきあいもある。恋心も芽ばえる。関心の8割はそれだったりする。親の小言にもつき合わなきゃいけない。忙しいのだ。
いい音楽をたくさん聴く時間,取れるといいんだけどね。
● で,初めと終わりの演奏を聴き比べてみて,なにか違いを発見できたか。先生方は良くなったっていうんだけど,ぼくの耳では知覚できなかったかな。
ダメだね。っていうかですね,この公開クリニック,客席に対してもクリニックになっているところがミソですな。そのための公開なのかもしれないなと思ったり。
● 第2部はブラス・ファンタジスタのコンサート。
カルメン前奏曲のあと,ケッツァー「子供のサーカス」。
そして,クレスポの「アメリカ組曲第1番」。ただし,「ガウチョのサンバ」ははずして,「ラグタイム」「ボサ・ノヴァ」「ペルー風ワルツ」「メキシコの音」の4つを演奏。“演奏者にとってはかなりの難曲”として知られているらしい。
が,この5人は難曲であることを感じさせませんね。超絶技巧を超絶技巧に見せないで演奏するっていいますか。横っ飛びに捕球すればファインプレーになるのに,サッと動いて体の正面で捕球して,何事もなかったように一塁に送球してる,っていいますか。
● ま,これ,聴いてる側(ぼくのことですが)の水準があまりにひどくて,超絶技巧を見せられても,それが超絶技巧であることに気づかないっていう可能性もありますけどね。うん,その可能性の方が大きいような気がしてきた。
● この5人,気持ち良さそうなんだよなぁ。最近,筒井康隆さんの「舞台に立つってのがそもそも大変な快楽ですからね。どんな役者さんに聞いても,セックスなんてどうでもよくなってしまうって言うくらいのもんですからね」(「笑犬楼の知恵」金の星社 p97)っていう文章を読んだんだけど,役者ばかりじゃなくて演奏者も同じなのか。
一度やったらやめられなくなるくらいの快感があるのか。だとすれば,彼らがお客さんを大事にする理由がストンと納得できるんだけどね。
● 最後は再び,大田原中学校吹奏楽部にブラス・ファンタジスタの5人も加わって,「南風のマーチ」を演奏。
さらに,生徒たちだけで「鳳凰」(鈴木英史)というのを演奏した。いたって難解に聴こえるんですけど。じつはそうでもないのか,実際に難解なのか。その辺がわからないのが,どうも情けない。
でもねぇ,こういうのを中学生がやれちゃうんですねぇ。昔からそうでしたか。ぼくが中学生だった頃のブラスバンド部って,たぶんできなかったんじゃないかと思うんだけど。高校野球もそうだけれど,昔に比べると,諸事,レベルが上がってますよねぇ。
● アンコールは「栄冠は君に輝く」。これは5人も加わっての演奏。
ここで顧問の先生が真面目人間であることを露呈しちゃった。口上で,作新が勝ち進んでいますが,と言っちゃったんだね。作新は,昨日,日大山形に敗れているんですよ。
今日のことで頭がいっぱいだったんでしょうね。仕事熱心で真面目な人なんだと思う。
● 開演は午後2時。チケットは1,300円。
なんだけど,今回はチケットはタダで手に入った。同僚がくれたんですよ。君にやるからありがたく拝領しろ,と。
同僚は,ご招待券プレゼントってやつに応募して当選したらしい。自分の少ない運を使って手に入れたものだから,あだやおろそかに扱うなよと言うんだけど,実際に行ってみたところ,招待席と思われる席もすべて埋まっているわけではないようだった。
要するに,全員当選するくらいの応募者しかいなかったのではあるまいか。というわけだから,安心しろ。貴君の運は1ミクロンも減ってはいないぞ。
● ブラス・ファンタジスタは金管五重奏のグループ。
牛腸和彦さん(トランペット),尾崎浩之さん(トランペット),小林祐治さん(ホルン),渡辺善行さん(トロンボーン),本間雅智さん(チューバ)の5人。
牛腸さんのトランペットのみ,今年1月の栃木県総合文化センター主催「フレッシュアーティスト・ガラ・コンサート」で聴いている。
● 第1部は公開クリニックと題して,大田原中学校吹奏楽部の演奏に対して,ブラス・ファンタジスタの5人がクリニックを行う。
旨い空気を吸い,旨い水を飲み,旨い米を喰って(栃木だもん),スクスクと育ったとおぼしき嬢ちゃん(圧倒的多数)坊ちゃん(圧倒的少数)たちがステージに並んだ。
曲は「南風のマーチ」(渡口公康)。まず通して演奏してから,順番にここはこうした方がいいというアドバイスを与えて,部分部分を再奏していく。
で,最初の演奏がどうして立派なもので,別に直すところなんてないんじゃないの,と思ったわけだけど・・・・・・。
● まずはチューニングの際の注意。あまりチューナーに頼るなということ。機械の針が真ん中に来ることだけに気を取られるな,と。
聞きようによっては,いい加減でもいいよ,とも取れる。もちろん,いい加減でいいんだよってことを言ったわけじゃないんだけどね。
● タンギング。中学1年生でダブルタンギングは早すぎるなどと考えないで,曲を見てダブルタンギングがいいと思ったら,そうするように。
頭打ち・裏打ち。他の楽器の音をよく聴いて。
メロディー。テンポばかりに気を取られるな。自分が音にどんな色をつけたいのか,そこを大切に。
そして,トリオ。
● 総じて,テンポや縦の線を合わせることに気を取られ過ぎるな,まず楽しむ気持ちが大切だとか,何を伝えたいのか,どんな表情をつけたいのか,各自が勝手にそれをやると,かえってテンポやリズムが早く合ってきたりするものだ,という指摘が多かったようだ。
中学生なんだからこんなものだろうという迎合はなかったようだ。しかし,一方で,中学生を慮っての大人の助言だなとも思えた。
● いろんないい音楽をたくさん聴くこと,というアドバイスもあった。これ,大事なことだと思う。即効性はなくても,ジワジワと効いてくるんだろう。
問題は,中学生は忙しいってことだな。なにせ時間がない。勉強も部活もあるし,友だちづきあいもある。恋心も芽ばえる。関心の8割はそれだったりする。親の小言にもつき合わなきゃいけない。忙しいのだ。
いい音楽をたくさん聴く時間,取れるといいんだけどね。
● で,初めと終わりの演奏を聴き比べてみて,なにか違いを発見できたか。先生方は良くなったっていうんだけど,ぼくの耳では知覚できなかったかな。
ダメだね。っていうかですね,この公開クリニック,客席に対してもクリニックになっているところがミソですな。そのための公開なのかもしれないなと思ったり。
● 第2部はブラス・ファンタジスタのコンサート。
カルメン前奏曲のあと,ケッツァー「子供のサーカス」。
そして,クレスポの「アメリカ組曲第1番」。ただし,「ガウチョのサンバ」ははずして,「ラグタイム」「ボサ・ノヴァ」「ペルー風ワルツ」「メキシコの音」の4つを演奏。“演奏者にとってはかなりの難曲”として知られているらしい。
が,この5人は難曲であることを感じさせませんね。超絶技巧を超絶技巧に見せないで演奏するっていいますか。横っ飛びに捕球すればファインプレーになるのに,サッと動いて体の正面で捕球して,何事もなかったように一塁に送球してる,っていいますか。
● ま,これ,聴いてる側(ぼくのことですが)の水準があまりにひどくて,超絶技巧を見せられても,それが超絶技巧であることに気づかないっていう可能性もありますけどね。うん,その可能性の方が大きいような気がしてきた。
● この5人,気持ち良さそうなんだよなぁ。最近,筒井康隆さんの「舞台に立つってのがそもそも大変な快楽ですからね。どんな役者さんに聞いても,セックスなんてどうでもよくなってしまうって言うくらいのもんですからね」(「笑犬楼の知恵」金の星社 p97)っていう文章を読んだんだけど,役者ばかりじゃなくて演奏者も同じなのか。
一度やったらやめられなくなるくらいの快感があるのか。だとすれば,彼らがお客さんを大事にする理由がストンと納得できるんだけどね。
● 最後は再び,大田原中学校吹奏楽部にブラス・ファンタジスタの5人も加わって,「南風のマーチ」を演奏。
さらに,生徒たちだけで「鳳凰」(鈴木英史)というのを演奏した。いたって難解に聴こえるんですけど。じつはそうでもないのか,実際に難解なのか。その辺がわからないのが,どうも情けない。
でもねぇ,こういうのを中学生がやれちゃうんですねぇ。昔からそうでしたか。ぼくが中学生だった頃のブラスバンド部って,たぶんできなかったんじゃないかと思うんだけど。高校野球もそうだけれど,昔に比べると,諸事,レベルが上がってますよねぇ。
● アンコールは「栄冠は君に輝く」。これは5人も加わっての演奏。
ここで顧問の先生が真面目人間であることを露呈しちゃった。口上で,作新が勝ち進んでいますが,と言っちゃったんだね。作新は,昨日,日大山形に敗れているんですよ。
今日のことで頭がいっぱいだったんでしょうね。仕事熱心で真面目な人なんだと思う。
2013年8月18日日曜日
2013.08.17 La Primavera 第8回公演 ベッリーニ「ノルマ」
江東区文化センター
● この夏は,いくつかのオペラをまとめて聴く機会に恵まれて,ちょっと嬉しい。この日はLa Primavera によるベッリーニ「ノルマ」。
開演は午後6時。チケットは3,500円(自由席。指定席という名の不自由席は4,000円)。
● 出演者は次のとおり。指揮は苫米地英一さん。演出は奥村啓吾さん。
ノルマ 森田雅美
ポリオーネ 秋谷直之
アダルジーザ 巖淵真理
オロヴェーゾ 大澤恒夫
フラーヴィオ 飯島竜也
クロティルデ 安倍宏枝
● 予備知識は何もない状態で臨んだ。最初,ガリア人の兵士が登場するので,ガリア対ローマの争いがメインテーマで,ノルマは邪馬台国の卑弥呼よろしく巫女さんを演じるのかと思った。
当然,そうではなくて,ノルマ,ポリオーネ,アダルジーザの三角関係が綾なす,諸々のドロドロや情念や相剋がテーマなんでした。
● で,こうなると,男性の大半は物語には入っていけないものでしょうね。女性は,その点,没入できるからすごい。
ノルマやアダルジーザに感情移入できるんでしょうからね。生身の女はとてもそんなものじゃないと,自分が女なんだからよくよくわかっていながら,それが感情移入を妨げない。すごいですよね。いや,皮肉じゃなしに,女性のここがすごいと思うんですよ。
● ノルマとアダルジーザの顔と体型がよく似ていて,ふたりが一緒に登場するまでは,ぼくには区別がつかなかった。アダルジーザが登場したところで,なんでここでノルマが出てくるんだといぶかることがあった。
こちらの視認能力に問題あり。ここも女性だったら問題なく区別できるに違いない。
● 舞台下に管弦楽団がひかえるわけだけど,ピット用に掘りさげられてはいなかったので,音が水平にまっすぐ客席に届く。くぐもることがない。奏者の様子もよく見える。いいんだか悪いんだか,微妙なところ。
● オペラの醍醐味というのが,まだよくわからない。じつはそんなものはなくて,ひとりひとりがそれぞれ好きなように楽しめばいいのだとも思う。
劇に酔うか歌に酔うか,それぞれお好きにどうぞ,っていうものなのだろう。ストーリー重視もよし,アリアを聴くのがすべてでもよし。言葉でいえばそういうことなんでしょうけどね。
● 森田さん,秋谷さん,巖淵さんと,聴かせどころではきちんと聴かせてくれて,まったく何の不満もなし。
今回感じたのは,合唱の水準が高かったこと。特に,男声。気持ちが良かった。
● プログラムのキャスト紹介によると,大澤さんは小劇場からオペラに移ったとのこと。こういう人もいるんですね。イタリアで基礎から勉強した。
大学は工学部。オペラのスタートが少し遅れたことになるんだけど,そこまでさせるものって何なのだろうねぇ。舞台って相当な快感を与えてくれるものなのか。
● 以下,余談。
田舎者が東京に出ると,移動は電車になる。JR,私鉄,地下鉄の路線網が東京中を埋め尽くしているので,電車だけで何とかなると思っている。
で,実際,何とかはなるんだけど,こちらが早とちりをすることがある。今回の江東区文化センターは地下鉄の最寄駅は東洋町(東西線)。JRで錦糸町に出て,半蔵門線に乗り換えればいいのだと思っていた。ぜんぜんそうじゃないですよね。
しかも,江東区文化センターって一度行ったことがあるんですよ。にもかかわらず,こういう早とちりというか,勘違いをしてしまう。少々,泡を喰っちまいました。
結局,錦糸町から会場までは四ツ目通りを行けばいいので,都バスに乗って向かった。
● 東京ではとバス以外の乗合バスに乗るのは,たぶん初めてのこと。乗り方も田舎のバスとは違うんですな。乗るときに運賃を払う。全区間均一運賃であって初めて可能なこと。200円でした。安いのか高いのかはわからないけど。
で,思うんだけど,バスって地元で生活している人のためのものですよね。あたりまえなんだけどさ。よそから来たばかりの人が路線バスを乗りこなすのは無理だもんね。地理に精通してないと,どのバスに乗ればいいのかわからないもん。
今回は,行き方があまりに単純だったので,ぼくも迷うことなく乗れたわけで。
● 帰りは,錦糸町まで歩いてみた。歩道を自転車がたくさん走っているのが,歩行者としては難。だけども,この道路状況で自転車は車道に降りろとは,ちと言いづらい。
ちょっと入ってみたくなる呑み屋さんもありますな。さすがは東京で,土曜の夜でも活気があるんでした。今度は昼間歩いてみたいと思った。
● この夏は,いくつかのオペラをまとめて聴く機会に恵まれて,ちょっと嬉しい。この日はLa Primavera によるベッリーニ「ノルマ」。
開演は午後6時。チケットは3,500円(自由席。指定席という名の不自由席は4,000円)。
● 出演者は次のとおり。指揮は苫米地英一さん。演出は奥村啓吾さん。
ノルマ 森田雅美
ポリオーネ 秋谷直之
アダルジーザ 巖淵真理
オロヴェーゾ 大澤恒夫
フラーヴィオ 飯島竜也
クロティルデ 安倍宏枝
● 予備知識は何もない状態で臨んだ。最初,ガリア人の兵士が登場するので,ガリア対ローマの争いがメインテーマで,ノルマは邪馬台国の卑弥呼よろしく巫女さんを演じるのかと思った。
当然,そうではなくて,ノルマ,ポリオーネ,アダルジーザの三角関係が綾なす,諸々のドロドロや情念や相剋がテーマなんでした。
● で,こうなると,男性の大半は物語には入っていけないものでしょうね。女性は,その点,没入できるからすごい。
ノルマやアダルジーザに感情移入できるんでしょうからね。生身の女はとてもそんなものじゃないと,自分が女なんだからよくよくわかっていながら,それが感情移入を妨げない。すごいですよね。いや,皮肉じゃなしに,女性のここがすごいと思うんですよ。
● ノルマとアダルジーザの顔と体型がよく似ていて,ふたりが一緒に登場するまでは,ぼくには区別がつかなかった。アダルジーザが登場したところで,なんでここでノルマが出てくるんだといぶかることがあった。
こちらの視認能力に問題あり。ここも女性だったら問題なく区別できるに違いない。
● 舞台下に管弦楽団がひかえるわけだけど,ピット用に掘りさげられてはいなかったので,音が水平にまっすぐ客席に届く。くぐもることがない。奏者の様子もよく見える。いいんだか悪いんだか,微妙なところ。
● オペラの醍醐味というのが,まだよくわからない。じつはそんなものはなくて,ひとりひとりがそれぞれ好きなように楽しめばいいのだとも思う。
劇に酔うか歌に酔うか,それぞれお好きにどうぞ,っていうものなのだろう。ストーリー重視もよし,アリアを聴くのがすべてでもよし。言葉でいえばそういうことなんでしょうけどね。
● 森田さん,秋谷さん,巖淵さんと,聴かせどころではきちんと聴かせてくれて,まったく何の不満もなし。
今回感じたのは,合唱の水準が高かったこと。特に,男声。気持ちが良かった。
● プログラムのキャスト紹介によると,大澤さんは小劇場からオペラに移ったとのこと。こういう人もいるんですね。イタリアで基礎から勉強した。
大学は工学部。オペラのスタートが少し遅れたことになるんだけど,そこまでさせるものって何なのだろうねぇ。舞台って相当な快感を与えてくれるものなのか。
● 以下,余談。
田舎者が東京に出ると,移動は電車になる。JR,私鉄,地下鉄の路線網が東京中を埋め尽くしているので,電車だけで何とかなると思っている。
で,実際,何とかはなるんだけど,こちらが早とちりをすることがある。今回の江東区文化センターは地下鉄の最寄駅は東洋町(東西線)。JRで錦糸町に出て,半蔵門線に乗り換えればいいのだと思っていた。ぜんぜんそうじゃないですよね。
しかも,江東区文化センターって一度行ったことがあるんですよ。にもかかわらず,こういう早とちりというか,勘違いをしてしまう。少々,泡を喰っちまいました。
結局,錦糸町から会場までは四ツ目通りを行けばいいので,都バスに乗って向かった。
● 東京ではとバス以外の乗合バスに乗るのは,たぶん初めてのこと。乗り方も田舎のバスとは違うんですな。乗るときに運賃を払う。全区間均一運賃であって初めて可能なこと。200円でした。安いのか高いのかはわからないけど。
で,思うんだけど,バスって地元で生活している人のためのものですよね。あたりまえなんだけどさ。よそから来たばかりの人が路線バスを乗りこなすのは無理だもんね。地理に精通してないと,どのバスに乗ればいいのかわからないもん。
今回は,行き方があまりに単純だったので,ぼくも迷うことなく乗れたわけで。
● 帰りは,錦糸町まで歩いてみた。歩道を自転車がたくさん走っているのが,歩行者としては難。だけども,この道路状況で自転車は車道に降りろとは,ちと言いづらい。
ちょっと入ってみたくなる呑み屋さんもありますな。さすがは東京で,土曜の夜でも活気があるんでした。今度は昼間歩いてみたいと思った。
2013.08.17 サカモトキネンオーケストラ 夏の特別公演
横浜市神奈川区民文化センター かなっくホール
● サカモトキネンオーケストラ,って。遊んでいるのはわかるんだけど,名前の由来がいまいちわからない。
プログラムに写真が掲載されている「アマオケ界のMr.Children」が坂本君で,彼にちなんでいるんだろうってところまでは想像が及ぶんだけども,彼の名を冠した具体的な理由というか事情がわかると,その遊びをこちらも共有しやすくなるかなぁ。
プログラムにも「サカモトキネンオーケストラとは・・・」なる解説があるんだけど,その辺の事情はやはりわからない仕組みになっていて。
● その解説に「熱い気持ちを一つ,勢いとノリに任せてみよう。どんな日頃のしがらみも忘れて,子どものように無邪気に遊んでみよう。そんな愉快で純粋な楽しみがサカモトキネンの掲げる唯一のコンセプトです」とある。
こういうのを純粋と呼ぶかバカと呼ぶかは,ほとんど言葉の問題だとしても,かなり羨ましいぞ。団員の平均年齢はだいぶ若くて,そんなに若いのにどんなしがらみがあるっていうんだよ,なんて言うつもりも全然ないぞ。
しがらみってやつも,量より質が厄介で,少なくとも当事者の主観においては,若いときほど,しがらみの質が大きく見えるものだろうしね。
● プログラムの団員名簿には,それぞれが属しているオーケストラまで紹介されている。Seven★Star Orchestraやアパッショナート管弦楽団をはじめ,それぞれが別なところで演奏活動をしている(してない人ももちろんいる)。
忙しいでしょ。上の「しがらみ」も,演奏活動絡みのものが多いのかなぁ。
● 開演前に木管のロビーコンサートならぬステージコンサートがあった。
浴衣で登場。これさ,女子の浴衣はいいんだけど,男子のそれにはちょっと目をそむけたくなるところがあってさ。何でだろうねぇ。長身細身だと浴衣って合わないのかもね。あるいは,たんに見慣れていないからってことかもしれないんだけど。
一般に,日本人男子は和服が似合わなくなってると思えますなぁ。これもたんに着慣れていないから?
● とはいえ,今年は浴衣姿のカップルを見かけることが多くなってますな。ユニクロ効果なんだろうか。和服回帰というほど大げさなトレンドではないんだろうね。
でも,海外に向いていた目が国内に向くようになっているのは,ときどき感じること。特に若い人たちにその傾向が顕著なように思う。
こういうのって,いいも悪いもないものだよね。ぼく一個は若者は常に正しいと思っているので,彼らに批判的な気持ちになったときは,自分のスタンスを疑うことにしている。正確にいうと,そうありたいと思っている。ま,なかなかできないでいるんだけど。
● かなっくホール,収容人員300人のこぶりなホールだけど,けっこういいホールっぽい。客席の勾配もちょうどいいし。
開演は午後1時半。入場無料。指揮者は河上隆介さん。
● 曲目はすごい。ベートーヴェンの2番をやったあと,モーツァルトのピアノ協奏曲第20番。締めはベートーヴェンの5番。
本番の演奏も浴衣でやるのかと思ったら,さすがにそうではなかった。女子が浴衣でどうやってチェロを立てるんだよ,ってことだもんな。チェロは全員が男性だったけど。ここ,男性が多い。珍しい。
● ぼくは5番よりも2番の方が印象に残った。なにはともあれ,巧いんですよ。
「子どものように無邪気に遊」ぶにしろ,「勢いとノリに任せ」るにしろ,それができるためには一定の技術の裏打ちがどうしたって必要で,それなしに勢いとノリに任せて遊んだら,ほんとに遊びになっちゃうもんな。演奏会にならない。
若さが放つ清新さと熱っぽさ,その背後の確かな技術。ひとつの理想型だと思う。
● 自らを「エロオケ」と称したりもするんだけど,基本的に行儀がいいんでしょうね。たぶん,頭もいいんだろうな。優等生っぽい。
優等生の世界における勢いであり,ノリであり,子どもであり,無邪気であり,純粋であり,熱であり,仲間であるんだろう。本物の不良が音楽を始めて,ガーッと上達して,ここと同じ水準の演奏会をやれたら,しばらく立てなくなるほどの驚愕すべき音の流れが客席を覆い尽くすんだろうけど,現実にはそういうことは起こらない。
だから優等生ではいけないということはもちろんない。これまたいいも悪いもないもので,優等生とは不良になる才能を欠いた人たちという定義もできるわけだから,その才能がなければ優等生にとどまるしかない道理だ。
● ただし,作曲家はたいてい不良だ。出自のいい不良もいれば,そうでない不良もいる。常人では耐え難いほどの苦痛や挫折を味わったりもしている。
ほかの職業にも就けたけれどもたまたま作曲家になったというんじゃなくて,作曲家しかなかったという人たちが多い(ように思う)。作曲という営為がなかったとしたら,野垂れ死んでいたか刑務所に入ったかっていうような。
その不良が残した楽譜を優等生が再現するという図式。過度に単純化しすぎているけれども,どうもそんなことなのかなぁ。
● モーツァルトのピアノ協奏曲のソリストは,江里俊樹さん。6歳からピアノを始めたそうだ。開成高校から東大医学部という絵に描いたような秀才コースを歩むかたわら,ピアノにも倦むことがなかったのだろう。
おまけに容姿も端正。驚くんだけれど,世の中にはこういう人がいる。天は二物を与えず,っていうのは本当だ。二物しか与えないなんてケチなことを天はしない。見込んだ人には三物も四物も与えるのだ(森博嗣さんの受け売り)。
現在は大学院に在籍。医学の世界の大学院って,授業料を払いながらこきつかわれるっていう,割に合わない身分でしょ。この人こそ忙しいに違いない。そこを縫って,コンサート活動を継続しているっていうのが,すでにして常人離れしている。たいしたものだなぁ。
● 弾き方も端正だと感じられた。女流ピアニストにしばしば見られるような(男性にもいるけれども),切なげな表情で情感たっぷり気に弾くっていうのがぼくは大嫌いで(第一,見た目が途方もなく下品じゃないか),江里さんのような弾き方はとても好ましいものとして,ぼくの目には映る。
● と,勝手なことを書かせていただいちゃいましたが,アマチュアの演奏でここまでのものって,そうそうはないと思った。こういう演奏こそ,聴けるときに聴いておかないと。
● サカモトキネンオーケストラ,って。遊んでいるのはわかるんだけど,名前の由来がいまいちわからない。
プログラムに写真が掲載されている「アマオケ界のMr.Children」が坂本君で,彼にちなんでいるんだろうってところまでは想像が及ぶんだけども,彼の名を冠した具体的な理由というか事情がわかると,その遊びをこちらも共有しやすくなるかなぁ。
プログラムにも「サカモトキネンオーケストラとは・・・」なる解説があるんだけど,その辺の事情はやはりわからない仕組みになっていて。
● その解説に「熱い気持ちを一つ,勢いとノリに任せてみよう。どんな日頃のしがらみも忘れて,子どものように無邪気に遊んでみよう。そんな愉快で純粋な楽しみがサカモトキネンの掲げる唯一のコンセプトです」とある。
こういうのを純粋と呼ぶかバカと呼ぶかは,ほとんど言葉の問題だとしても,かなり羨ましいぞ。団員の平均年齢はだいぶ若くて,そんなに若いのにどんなしがらみがあるっていうんだよ,なんて言うつもりも全然ないぞ。
しがらみってやつも,量より質が厄介で,少なくとも当事者の主観においては,若いときほど,しがらみの質が大きく見えるものだろうしね。
● プログラムの団員名簿には,それぞれが属しているオーケストラまで紹介されている。Seven★Star Orchestraやアパッショナート管弦楽団をはじめ,それぞれが別なところで演奏活動をしている(してない人ももちろんいる)。
忙しいでしょ。上の「しがらみ」も,演奏活動絡みのものが多いのかなぁ。
● 開演前に木管のロビーコンサートならぬステージコンサートがあった。
浴衣で登場。これさ,女子の浴衣はいいんだけど,男子のそれにはちょっと目をそむけたくなるところがあってさ。何でだろうねぇ。長身細身だと浴衣って合わないのかもね。あるいは,たんに見慣れていないからってことかもしれないんだけど。
一般に,日本人男子は和服が似合わなくなってると思えますなぁ。これもたんに着慣れていないから?
● とはいえ,今年は浴衣姿のカップルを見かけることが多くなってますな。ユニクロ効果なんだろうか。和服回帰というほど大げさなトレンドではないんだろうね。
でも,海外に向いていた目が国内に向くようになっているのは,ときどき感じること。特に若い人たちにその傾向が顕著なように思う。
こういうのって,いいも悪いもないものだよね。ぼく一個は若者は常に正しいと思っているので,彼らに批判的な気持ちになったときは,自分のスタンスを疑うことにしている。正確にいうと,そうありたいと思っている。ま,なかなかできないでいるんだけど。
● かなっくホール,収容人員300人のこぶりなホールだけど,けっこういいホールっぽい。客席の勾配もちょうどいいし。
開演は午後1時半。入場無料。指揮者は河上隆介さん。
● 曲目はすごい。ベートーヴェンの2番をやったあと,モーツァルトのピアノ協奏曲第20番。締めはベートーヴェンの5番。
本番の演奏も浴衣でやるのかと思ったら,さすがにそうではなかった。女子が浴衣でどうやってチェロを立てるんだよ,ってことだもんな。チェロは全員が男性だったけど。ここ,男性が多い。珍しい。
● ぼくは5番よりも2番の方が印象に残った。なにはともあれ,巧いんですよ。
「子どものように無邪気に遊」ぶにしろ,「勢いとノリに任せ」るにしろ,それができるためには一定の技術の裏打ちがどうしたって必要で,それなしに勢いとノリに任せて遊んだら,ほんとに遊びになっちゃうもんな。演奏会にならない。
若さが放つ清新さと熱っぽさ,その背後の確かな技術。ひとつの理想型だと思う。
● 自らを「エロオケ」と称したりもするんだけど,基本的に行儀がいいんでしょうね。たぶん,頭もいいんだろうな。優等生っぽい。
優等生の世界における勢いであり,ノリであり,子どもであり,無邪気であり,純粋であり,熱であり,仲間であるんだろう。本物の不良が音楽を始めて,ガーッと上達して,ここと同じ水準の演奏会をやれたら,しばらく立てなくなるほどの驚愕すべき音の流れが客席を覆い尽くすんだろうけど,現実にはそういうことは起こらない。
だから優等生ではいけないということはもちろんない。これまたいいも悪いもないもので,優等生とは不良になる才能を欠いた人たちという定義もできるわけだから,その才能がなければ優等生にとどまるしかない道理だ。
● ただし,作曲家はたいてい不良だ。出自のいい不良もいれば,そうでない不良もいる。常人では耐え難いほどの苦痛や挫折を味わったりもしている。
ほかの職業にも就けたけれどもたまたま作曲家になったというんじゃなくて,作曲家しかなかったという人たちが多い(ように思う)。作曲という営為がなかったとしたら,野垂れ死んでいたか刑務所に入ったかっていうような。
その不良が残した楽譜を優等生が再現するという図式。過度に単純化しすぎているけれども,どうもそんなことなのかなぁ。
● モーツァルトのピアノ協奏曲のソリストは,江里俊樹さん。6歳からピアノを始めたそうだ。開成高校から東大医学部という絵に描いたような秀才コースを歩むかたわら,ピアノにも倦むことがなかったのだろう。
おまけに容姿も端正。驚くんだけれど,世の中にはこういう人がいる。天は二物を与えず,っていうのは本当だ。二物しか与えないなんてケチなことを天はしない。見込んだ人には三物も四物も与えるのだ(森博嗣さんの受け売り)。
現在は大学院に在籍。医学の世界の大学院って,授業料を払いながらこきつかわれるっていう,割に合わない身分でしょ。この人こそ忙しいに違いない。そこを縫って,コンサート活動を継続しているっていうのが,すでにして常人離れしている。たいしたものだなぁ。
● 弾き方も端正だと感じられた。女流ピアニストにしばしば見られるような(男性にもいるけれども),切なげな表情で情感たっぷり気に弾くっていうのがぼくは大嫌いで(第一,見た目が途方もなく下品じゃないか),江里さんのような弾き方はとても好ましいものとして,ぼくの目には映る。
● と,勝手なことを書かせていただいちゃいましたが,アマチュアの演奏でここまでのものって,そうそうはないと思った。こういう演奏こそ,聴けるときに聴いておかないと。
2013年8月12日月曜日
2013.08.11 エルデ・オペラ管弦楽団第7回演奏会 ヴェルディ「椿姫」
神奈川県立音楽堂
● 今年のエルデ・オペラ管弦楽団は,ヴェルディの「椿姫」全3幕をコンサート形式で。開演は午後4時。チケットは2,500円(自由席)。
「椿姫」を観る(聴く)のはこれが二度目。昨年7月の栃木県総合文化センター開館20周年記念公演が「椿姫」だった。
初めて観るオペラは何がいいか。結論は何でもいいってことになるんだろうけど,「椿姫」なんかは格好のものでしょうね。絶対,泣けるもんね。オペラっていい,って思える確率が高くなりそうだ。
ぼくも実質的に初めて観たオペラが,昨年7月の「椿姫」だったんだけど,幸運な偶然を得たと思っている。
● この楽団の演奏家は,昨年に続いて二度目。
ヴィオレッタは梅津香織さん。アルフレードにファビオ・ブオノコーレ氏。昨年の「蝶々夫人」でもピンカートンを演じていましたね。ジェルモンは渡辺弘樹さん。やはり昨年はシャープレスを演じた。
フローラに二見麻衣子さん。ガストン子爵が寺田宗永さん。ドゥフォール男爵に香月健さん。ドゥビニー侯爵は野村光洋さん。グランヴィル医師に高橋正尚さん
アンニーナは実川裕紀さん。彼女も昨年はケイト役で出てましたね。
指揮も昨年と同じく大浦智弘さん。合唱はフィオーレ・オペラ合唱団。
● コンサート形式とはいえ,皆さん芸達者でオペラ感は充分。昨年7月のときは,ヴィオレッタが亡くなるラストで泣いてしまったので,今回はこらえてやるぞと思ってたんだけど,やっぱりねぇ,そうもいかなくてさ。
ここ,管弦楽が「泣け,ほら,泣け」と言ってるように聞こえるもんねぇ。
● このオペラは主役がすべてっていえばいえるんだと思う。梅津さん,ビシッと主役を張って,間然するところがない。主役がコケたら劇がコケちゃうわけだから,主役のプレッシャーって相当なものなんでしょうね。
存在感があったのがジェルモン。存在感というか父親としての貫禄。メイクも効果的だったと思う。もっと弱々しいところも漂わせている人物かもしれないけれど。
● ストーリーの展開上で際立つのは,アルフレードのバカさ加減。アルフレードが男性代表だとすると,男ってバカだなぁと思いますよねぇ。女の助けなしにはまともに生きていけないのが男だな,っていう。
昔は,男は仕事,女は家庭と,性役割が一応あったから,ともかく男は稼いできてくれて,子供と自分を養ってくれた。が,今は女性も自分を喰わせていくことぐらい,自分でできる。そうなれば,男などたんなるバカなお荷物以外のものではなくなる。
女性からすれば,バカと関わったってしようがないってことになりそうなんだけど,現実はそうなっていないのは不思議でもあり,ありがたくもあり。
● 贅沢な3時間になった。これで2,500円はありえないほどにお得。
場所もいいですな。横浜の市街地にぽっかりとある静かな空間。この空間性が贅沢感を醸すのにひと役買っているかもしれない。
● 今年のエルデ・オペラ管弦楽団は,ヴェルディの「椿姫」全3幕をコンサート形式で。開演は午後4時。チケットは2,500円(自由席)。
「椿姫」を観る(聴く)のはこれが二度目。昨年7月の栃木県総合文化センター開館20周年記念公演が「椿姫」だった。
初めて観るオペラは何がいいか。結論は何でもいいってことになるんだろうけど,「椿姫」なんかは格好のものでしょうね。絶対,泣けるもんね。オペラっていい,って思える確率が高くなりそうだ。
ぼくも実質的に初めて観たオペラが,昨年7月の「椿姫」だったんだけど,幸運な偶然を得たと思っている。
● この楽団の演奏家は,昨年に続いて二度目。
ヴィオレッタは梅津香織さん。アルフレードにファビオ・ブオノコーレ氏。昨年の「蝶々夫人」でもピンカートンを演じていましたね。ジェルモンは渡辺弘樹さん。やはり昨年はシャープレスを演じた。
フローラに二見麻衣子さん。ガストン子爵が寺田宗永さん。ドゥフォール男爵に香月健さん。ドゥビニー侯爵は野村光洋さん。グランヴィル医師に高橋正尚さん
アンニーナは実川裕紀さん。彼女も昨年はケイト役で出てましたね。
指揮も昨年と同じく大浦智弘さん。合唱はフィオーレ・オペラ合唱団。
● コンサート形式とはいえ,皆さん芸達者でオペラ感は充分。昨年7月のときは,ヴィオレッタが亡くなるラストで泣いてしまったので,今回はこらえてやるぞと思ってたんだけど,やっぱりねぇ,そうもいかなくてさ。
ここ,管弦楽が「泣け,ほら,泣け」と言ってるように聞こえるもんねぇ。
● このオペラは主役がすべてっていえばいえるんだと思う。梅津さん,ビシッと主役を張って,間然するところがない。主役がコケたら劇がコケちゃうわけだから,主役のプレッシャーって相当なものなんでしょうね。
存在感があったのがジェルモン。存在感というか父親としての貫禄。メイクも効果的だったと思う。もっと弱々しいところも漂わせている人物かもしれないけれど。
● ストーリーの展開上で際立つのは,アルフレードのバカさ加減。アルフレードが男性代表だとすると,男ってバカだなぁと思いますよねぇ。女の助けなしにはまともに生きていけないのが男だな,っていう。
昔は,男は仕事,女は家庭と,性役割が一応あったから,ともかく男は稼いできてくれて,子供と自分を養ってくれた。が,今は女性も自分を喰わせていくことぐらい,自分でできる。そうなれば,男などたんなるバカなお荷物以外のものではなくなる。
女性からすれば,バカと関わったってしようがないってことになりそうなんだけど,現実はそうなっていないのは不思議でもあり,ありがたくもあり。
● 贅沢な3時間になった。これで2,500円はありえないほどにお得。
場所もいいですな。横浜の市街地にぽっかりとある静かな空間。この空間性が贅沢感を醸すのにひと役買っているかもしれない。
2013年8月11日日曜日
2013.08.10 東京大学音楽部管弦楽団サマーコンサート2013
ノバホール 大ホール
● 東大オケのサマーコンサートは今年も健在。今年はすでに終了した東京(7月28日)を皮切りに,今回のつくば,名古屋(12日),神戸(13日),北九州(15日)と5都市で開催。
3年前にもつくばで催行された。会場も同じノバホール。そのとき,初めてつくばの地を踏んだ。今回,つくばは2回目。こういうことでもないと,つくばに出ることはないですよね。研究学園都市っていうんだから,そうそうぼくに縁のあるはずもないし。
● でね,栃木のわが家からつくばって,地図上ではそんなに離れていないわけですよ。けれども,ゆえあって車が使えない。そうなると,わが家からつくばに出るのは,ちょっとしたイベントになってしまうんですね。
時間的に一番速いのは,JRで秋葉原に出て,つくばエキスプレスに乗り換える方法だ。いったん南下して,次に北上するという。三角形の二辺往来。しかもこの三角形,二辺が長くて底辺が短い。何だか面白くないわけですね。
● 次なる方法は,宇都宮からバスで真岡に出て,真岡鉄道,関東鉄道常総線,つくばエクスプレスを乗り継ぐというやり方。言っちゃなんだけど,いったん東京に出るよりずっと時間がかかる。わが家からだと,この方法で真岡に出るのがすでに二辺往来になってしまうしね。
宇都宮線,水戸線,常磐線とJRを乗り継いで,土浦(または荒川沖)からバスで入るという方法もある。やはり二辺往来より時間がかかる。
ちなみに申しあげますが,東京まで新幹線を使うなんてことは考えていない。在来線だ。それでもいったん東京に出るのが最も時間節約的な方法ってことになる。車以外の方法で北関東を東西に移動するのは,とんでもなく不便だよ,ってことなんですけどね。
● すべて採用したくない。いっそのこと,つくばまで自転車で行ってしまおうかと考えた。
じつは2年前のこの時期に,土浦まで自転車で往復しようと試みたことがあるんですよ。が,真壁を過ぎたあたりで引き返すことになった。土浦まで行ってしまっては帰りのエネルギーが残らなそうだったので。
加えて,昨年4月以降,まったく自転車に乗っていない。これでつくば往復は少し無謀かなと思い直した。自転車に乗るのに必要な筋肉が落ちきっているだろうからな。
無謀だからこそやるべきだとも,チラッとは思ったんだけど。そんなこともできないようじゃ,男廃業しろよ,って。でもさ,すでに廃業しちゃってるかも。
● 結局,真岡まで自転車で行って(片道30㎞),真岡から上記の方法で行くことにした。決めてみると,これが最もまっとうな方法だと思えるんだけど,真岡まで自転車で行くんだったら,つくばまで行ってしまえよ,っていう気持ちもどっかにある。
真岡鉄道と関東鉄道常総線の共通1日乗車券ってのがあって,普通に切符を買うより千円程度安くなる。費用的にもこれが最安。
● ところが。あろうことか,当日,寝坊。結局,往きは秋葉原経由で,復りは常磐線経由ということにあいなった。
そうまでして,この東大オケの演奏を聴きたい理由は何かといえば,背すじを伸ばしたいからっていうあたりになるのかなぁ。
この楽団の演奏を聴くと,背すじが伸びる気がするんですね。演奏そのものはもちろんだけど,案内や誘導のスタッフを含めてね。
学生がここまでやっているのに,オレもこうしちゃいらんねぇやって思うんですよ。もちろん,終演後,速やかに元の木阿弥になるわけです。言うまでもないけど。なんだけれども,その2時間の快感を買うために,この程度のコストを支払うのは受忍限度の範囲内だと思っている。
ぼくよりずっと遠方から来ているお客さんもいるに違いない。たとえば,北陸とか東北からも。それだけの吸引力のあるコンサートだと思います。
● 東大オケに限らず,学生がやる演奏会ってだいたいそうですな。ただ,この楽団は演奏レベルも含めて,そこが突出している。隙というものが見あたらない。小憎らしいほどに仕上げてくる。
その小憎らしさが,まぁ何というか,とても気持ちがいいわけですな。
● 開演は午後2時。チケットは1,000円(自由席)。
太陽光が皮膚を抉るような暑さの中,きちんとネクタイを締めたスタッフが入口の前に立って,挨拶をして来場者を迎える。このあたりが背すじが伸びる所以なんだけども,こうまで暑いときにはネクタイをはずしてもいいんじゃないのかなぁ。自分たちの熱中症の心配もしないとな。
と,部外者は思ったりするんだけど,彼らには彼らのこだわりというか考え方があるはずだ。たんに決まりだからこうしてますっていうんじゃなくて(いやいや待てよ,決まりだからしているだけか)。
● 客席は満員御礼。曲目は次のとおり。
メンデルスゾーン 「真夏の夜の夢」序曲
ストラヴィンスキー 火の鳥(1919年版)
ブラームス 交響曲第4番 ホ短調
● この楽団のサマーコンサートを聴くのは,これが4年連続の4回目。どれほどの腕前かはもうわかっている。
今回も期待どおりの演奏で,こちらとすれば唖然呆然。鬼気迫るほどの集中力。合間に見せるリラックス(余裕だね)。細部をくっきりと描きだす表現力とそれを支える技術。
● 指揮は三石精一さん。サマーコンサートは毎回,三石さんが指揮者を務める。
勝手な想像だけれども,三石さんにとっても,この仕事は楽しみのひとつになっているのではあるまいか。御年81歳になられるはずだけれども,その三石さんにして,この学生たちとの交流から秘かに学ばれているものがあるのじゃないかと愚察する。
● で,背すじを伸ばしてくれるといえば,学生たち以上に三石さんがそうで,81歳でなんでこんなにパワフルな指揮ができるんだよ,っていうわけです。
60歳台後半に見えますな。前面の老いは隠せても,背中に現れる老いは隠せないというけれども(言わない? 今思いついたんで書いてみたんだけど),背中も若い。音楽界の三浦雄一郎ですな。
3日に一度は,ステーキをレアで召しあがっているに違いないぞ。だとしても,だから若いんじゃなくて,若いからそんなことができるんだな。若さの理由というのは,結局,わからないものだ。
● アンコールはドヴォルザークのスラヴ舞曲(Op.72)第2番ホ短調。
最後にドイツ民謡の「歌声ひびく野に山に」を客席と歌ってお開きとなるわけだけど,その前奏に水戸黄門のテーマ?を演奏するというね,このあたりが小憎らしいということだね。しかも,その水戸黄門までしっとりと聴かせてくれちゃう,っていうね。
「歌声ひびく野に山に」じたい,これで一曲になるし,たっぷり聴けて満足。
● 東大オケのサマーコンサートは今年も健在。今年はすでに終了した東京(7月28日)を皮切りに,今回のつくば,名古屋(12日),神戸(13日),北九州(15日)と5都市で開催。
3年前にもつくばで催行された。会場も同じノバホール。そのとき,初めてつくばの地を踏んだ。今回,つくばは2回目。こういうことでもないと,つくばに出ることはないですよね。研究学園都市っていうんだから,そうそうぼくに縁のあるはずもないし。
● でね,栃木のわが家からつくばって,地図上ではそんなに離れていないわけですよ。けれども,ゆえあって車が使えない。そうなると,わが家からつくばに出るのは,ちょっとしたイベントになってしまうんですね。
時間的に一番速いのは,JRで秋葉原に出て,つくばエキスプレスに乗り換える方法だ。いったん南下して,次に北上するという。三角形の二辺往来。しかもこの三角形,二辺が長くて底辺が短い。何だか面白くないわけですね。
● 次なる方法は,宇都宮からバスで真岡に出て,真岡鉄道,関東鉄道常総線,つくばエクスプレスを乗り継ぐというやり方。言っちゃなんだけど,いったん東京に出るよりずっと時間がかかる。わが家からだと,この方法で真岡に出るのがすでに二辺往来になってしまうしね。
宇都宮線,水戸線,常磐線とJRを乗り継いで,土浦(または荒川沖)からバスで入るという方法もある。やはり二辺往来より時間がかかる。
ちなみに申しあげますが,東京まで新幹線を使うなんてことは考えていない。在来線だ。それでもいったん東京に出るのが最も時間節約的な方法ってことになる。車以外の方法で北関東を東西に移動するのは,とんでもなく不便だよ,ってことなんですけどね。
● すべて採用したくない。いっそのこと,つくばまで自転車で行ってしまおうかと考えた。
じつは2年前のこの時期に,土浦まで自転車で往復しようと試みたことがあるんですよ。が,真壁を過ぎたあたりで引き返すことになった。土浦まで行ってしまっては帰りのエネルギーが残らなそうだったので。
加えて,昨年4月以降,まったく自転車に乗っていない。これでつくば往復は少し無謀かなと思い直した。自転車に乗るのに必要な筋肉が落ちきっているだろうからな。
無謀だからこそやるべきだとも,チラッとは思ったんだけど。そんなこともできないようじゃ,男廃業しろよ,って。でもさ,すでに廃業しちゃってるかも。
● 結局,真岡まで自転車で行って(片道30㎞),真岡から上記の方法で行くことにした。決めてみると,これが最もまっとうな方法だと思えるんだけど,真岡まで自転車で行くんだったら,つくばまで行ってしまえよ,っていう気持ちもどっかにある。
真岡鉄道と関東鉄道常総線の共通1日乗車券ってのがあって,普通に切符を買うより千円程度安くなる。費用的にもこれが最安。
● ところが。あろうことか,当日,寝坊。結局,往きは秋葉原経由で,復りは常磐線経由ということにあいなった。
そうまでして,この東大オケの演奏を聴きたい理由は何かといえば,背すじを伸ばしたいからっていうあたりになるのかなぁ。
この楽団の演奏を聴くと,背すじが伸びる気がするんですね。演奏そのものはもちろんだけど,案内や誘導のスタッフを含めてね。
学生がここまでやっているのに,オレもこうしちゃいらんねぇやって思うんですよ。もちろん,終演後,速やかに元の木阿弥になるわけです。言うまでもないけど。なんだけれども,その2時間の快感を買うために,この程度のコストを支払うのは受忍限度の範囲内だと思っている。
ぼくよりずっと遠方から来ているお客さんもいるに違いない。たとえば,北陸とか東北からも。それだけの吸引力のあるコンサートだと思います。
● 東大オケに限らず,学生がやる演奏会ってだいたいそうですな。ただ,この楽団は演奏レベルも含めて,そこが突出している。隙というものが見あたらない。小憎らしいほどに仕上げてくる。
その小憎らしさが,まぁ何というか,とても気持ちがいいわけですな。
● 開演は午後2時。チケットは1,000円(自由席)。
太陽光が皮膚を抉るような暑さの中,きちんとネクタイを締めたスタッフが入口の前に立って,挨拶をして来場者を迎える。このあたりが背すじが伸びる所以なんだけども,こうまで暑いときにはネクタイをはずしてもいいんじゃないのかなぁ。自分たちの熱中症の心配もしないとな。
と,部外者は思ったりするんだけど,彼らには彼らのこだわりというか考え方があるはずだ。たんに決まりだからこうしてますっていうんじゃなくて(いやいや待てよ,決まりだからしているだけか)。
● 客席は満員御礼。曲目は次のとおり。
メンデルスゾーン 「真夏の夜の夢」序曲
ストラヴィンスキー 火の鳥(1919年版)
ブラームス 交響曲第4番 ホ短調
● この楽団のサマーコンサートを聴くのは,これが4年連続の4回目。どれほどの腕前かはもうわかっている。
今回も期待どおりの演奏で,こちらとすれば唖然呆然。鬼気迫るほどの集中力。合間に見せるリラックス(余裕だね)。細部をくっきりと描きだす表現力とそれを支える技術。
● 指揮は三石精一さん。サマーコンサートは毎回,三石さんが指揮者を務める。
勝手な想像だけれども,三石さんにとっても,この仕事は楽しみのひとつになっているのではあるまいか。御年81歳になられるはずだけれども,その三石さんにして,この学生たちとの交流から秘かに学ばれているものがあるのじゃないかと愚察する。
● で,背すじを伸ばしてくれるといえば,学生たち以上に三石さんがそうで,81歳でなんでこんなにパワフルな指揮ができるんだよ,っていうわけです。
60歳台後半に見えますな。前面の老いは隠せても,背中に現れる老いは隠せないというけれども(言わない? 今思いついたんで書いてみたんだけど),背中も若い。音楽界の三浦雄一郎ですな。
3日に一度は,ステーキをレアで召しあがっているに違いないぞ。だとしても,だから若いんじゃなくて,若いからそんなことができるんだな。若さの理由というのは,結局,わからないものだ。
● アンコールはドヴォルザークのスラヴ舞曲(Op.72)第2番ホ短調。
最後にドイツ民謡の「歌声ひびく野に山に」を客席と歌ってお開きとなるわけだけど,その前奏に水戸黄門のテーマ?を演奏するというね,このあたりが小憎らしいということだね。しかも,その水戸黄門までしっとりと聴かせてくれちゃう,っていうね。
「歌声ひびく野に山に」じたい,これで一曲になるし,たっぷり聴けて満足。
2013年8月10日土曜日
2013.08.09 鹿沼市立西中学校管弦楽部第23回定期演奏会
鹿沼市民文化センター 大ホール
● 東中に続いて,今度は西中の演奏会。この2校が,管弦楽部を有する,栃木県でたった2つの中学校ってこと。
開演は午後6時。入場無料。平日のこととて,客席はだいぶ空席が目立ったが,開演後にけっこう埋まった。
東中のときと同様に,ビデオやスマホでの動画撮影をする人が多くて,液晶画面の花がそちこちで咲いた。演奏中にカメラのフラッシュがたかれることもしばしば。これはしかし,事柄の性質上,やむを得ないものだろう。
● まずは木管五重奏。ハイドンの「ディヴェルティメント」の第1章。次が金管五重奏で,演奏したのは「銀河鉄道999」(タケカワユキヒデ)。
「今年は3年生が少なく,1・2年生しかいないパートもあ」るようで,この五重奏も3年生はいなかったようだ。中学校に入ってから楽器を始めたのだとすると,本当に始めて間もない生徒たちによる演奏ということになる。
● たしかにそう聴こえるわけだけど,短期間でここまで来れればたいしたものだとも思う。しかも,それだけやってるわけじゃないんだからね。部活なんだから。
少年少女が持つ魔力みたいなものもある。真っ直ぐな佇まいというか,凛々しさというか,無垢さというか。そうしたものが,技術不足を埋めてくれる。客席に届くものは技術だけでは決まらない。
この点,若いほど有利でしょうね。だからこそ,若い演奏者はそれに甘えずに技術を鍛えることに精進しなきゃいけない。これも明白なことではあるんだけど。
● 実際はね,中学生にもなっていれば無垢なはずがないってことは,自分が中学生だった頃を思いだせば明らかですよね。それでも今の自分と比べればさ,あの頃は無垢だったなぁって思うもんね。
そこから不可逆的な変化を遂げて現在にいたる,か。ま,これは順番だからね。
● 次は弦楽合奏。ホルストの「セントポール組曲」第1楽章と,バルトークの「ルーマニア民族舞曲」。
立派なもの。中学生になってから楽器を始めて,部活でしか楽器に触っていないっていうのは,信じられない。それ以前から始めているか,部活以外にどこかでレッスンしているか。もし,部活だけでここまでなれるんだとすると,部活ってものを,自身が中学生だった頃からなめていたってことになるな。
あるいは,ぼくの耳が弦には甘いのかもしれない。
● このあとはオーケストラ。「ジブリメドレー」「インディー・ジョーンズ メドレー」のあと,レオポルト・モーツァルトの「おもちゃの交響曲」。
ここまでは客席サービスってことですか。水笛とかね,楽しいですな,これ。これを生で聴いたのは初めてだったし,たぶんこれからもないかもな。
プログラムの「曲目解説」によれば,レオポルトの作であるかどうかは疑問があるらしい。そのことも,今回,初めて知ったこと。
ところで,この「曲目解説」,生徒が書いたんじゃないよな,まさか。顧問の先生が書いたんだろうな。もし,これを生徒が分担して書いているんだとしたら,ぼくの中学生像は根本から覆ってしまう。
● 続いて,モーツァルトの「魔笛」序曲。フルートが目立った感じ。
最後はベートーヴェンの4番の第1楽章。これが今年度のコンクールの課題曲になっているらしい。本当かよ(って,本当に決まっているんだけど)。高度なことをやってるんだなぁ。
終演後,イヤホンを耳につっこんで,4番の全曲を聴きながら帰った。ちなみに,カルロス・クライバーではなく,カラヤンで聴いている。
● アンコールはパッヘルベル「カノン」。チェロのピッツィカートが快かった。こういう何でもないところをおろそかにしちゃいけないよね。
● プログラムの表紙の絵は部員によるもの。何を訴えたいのかわかりやすいし(逆にわかりにくくしちゃってもいいかも),10年前なら想定できない絵柄っていう意味で現代的だし。
こういうのを中学生に自由にやらせると,時に面白いものが出てくるんですなぁ。
● 会場内の冷房が効きすぎて,途中で頭が痛くなってきた。女性の皆さんは大変だったろう。
でも,装置が昔のもので,細かい調整はできないようになってるんだろうな。たぶん,そうなんだろうな。仕方がないね。
● 東中に続いて,今度は西中の演奏会。この2校が,管弦楽部を有する,栃木県でたった2つの中学校ってこと。
開演は午後6時。入場無料。平日のこととて,客席はだいぶ空席が目立ったが,開演後にけっこう埋まった。
東中のときと同様に,ビデオやスマホでの動画撮影をする人が多くて,液晶画面の花がそちこちで咲いた。演奏中にカメラのフラッシュがたかれることもしばしば。これはしかし,事柄の性質上,やむを得ないものだろう。
● まずは木管五重奏。ハイドンの「ディヴェルティメント」の第1章。次が金管五重奏で,演奏したのは「銀河鉄道999」(タケカワユキヒデ)。
「今年は3年生が少なく,1・2年生しかいないパートもあ」るようで,この五重奏も3年生はいなかったようだ。中学校に入ってから楽器を始めたのだとすると,本当に始めて間もない生徒たちによる演奏ということになる。
● たしかにそう聴こえるわけだけど,短期間でここまで来れればたいしたものだとも思う。しかも,それだけやってるわけじゃないんだからね。部活なんだから。
少年少女が持つ魔力みたいなものもある。真っ直ぐな佇まいというか,凛々しさというか,無垢さというか。そうしたものが,技術不足を埋めてくれる。客席に届くものは技術だけでは決まらない。
この点,若いほど有利でしょうね。だからこそ,若い演奏者はそれに甘えずに技術を鍛えることに精進しなきゃいけない。これも明白なことではあるんだけど。
● 実際はね,中学生にもなっていれば無垢なはずがないってことは,自分が中学生だった頃を思いだせば明らかですよね。それでも今の自分と比べればさ,あの頃は無垢だったなぁって思うもんね。
そこから不可逆的な変化を遂げて現在にいたる,か。ま,これは順番だからね。
● 次は弦楽合奏。ホルストの「セントポール組曲」第1楽章と,バルトークの「ルーマニア民族舞曲」。
立派なもの。中学生になってから楽器を始めて,部活でしか楽器に触っていないっていうのは,信じられない。それ以前から始めているか,部活以外にどこかでレッスンしているか。もし,部活だけでここまでなれるんだとすると,部活ってものを,自身が中学生だった頃からなめていたってことになるな。
あるいは,ぼくの耳が弦には甘いのかもしれない。
● このあとはオーケストラ。「ジブリメドレー」「インディー・ジョーンズ メドレー」のあと,レオポルト・モーツァルトの「おもちゃの交響曲」。
ここまでは客席サービスってことですか。水笛とかね,楽しいですな,これ。これを生で聴いたのは初めてだったし,たぶんこれからもないかもな。
プログラムの「曲目解説」によれば,レオポルトの作であるかどうかは疑問があるらしい。そのことも,今回,初めて知ったこと。
ところで,この「曲目解説」,生徒が書いたんじゃないよな,まさか。顧問の先生が書いたんだろうな。もし,これを生徒が分担して書いているんだとしたら,ぼくの中学生像は根本から覆ってしまう。
● 続いて,モーツァルトの「魔笛」序曲。フルートが目立った感じ。
最後はベートーヴェンの4番の第1楽章。これが今年度のコンクールの課題曲になっているらしい。本当かよ(って,本当に決まっているんだけど)。高度なことをやってるんだなぁ。
終演後,イヤホンを耳につっこんで,4番の全曲を聴きながら帰った。ちなみに,カルロス・クライバーではなく,カラヤンで聴いている。
● アンコールはパッヘルベル「カノン」。チェロのピッツィカートが快かった。こういう何でもないところをおろそかにしちゃいけないよね。
● プログラムの表紙の絵は部員によるもの。何を訴えたいのかわかりやすいし(逆にわかりにくくしちゃってもいいかも),10年前なら想定できない絵柄っていう意味で現代的だし。
こういうのを中学生に自由にやらせると,時に面白いものが出てくるんですなぁ。
● 会場内の冷房が効きすぎて,途中で頭が痛くなってきた。女性の皆さんは大変だったろう。
でも,装置が昔のもので,細かい調整はできないようになってるんだろうな。たぶん,そうなんだろうな。仕方がないね。
2013年8月5日月曜日
2013.08.04 荒川区民オペラ第15回公演 ヴェルディ「シモン・ボッカネグラ」
サンパール荒川 大ホール
● 「シモン・ボッカネグラ」はベルディの中ではマイナーというか,あまり上演されることがないんじゃないかと思う。それを観ることができるのはありがたいです。
じつはCDは持っている。持っているんだけど,聴いたことはない。オペラはたいていそう。なぜって,台詞の意味がわからないとどうにもならないから。CDに付いてくる対訳本を見ながら聴けばついていけるのかもしれないけど,そんなウザッたいことはする気にならないもんね。
● オペラに関してはDVDがいいと思う。字幕も出る。「シモン・ボッカネグラ」のDVDは持っていないけどね(アマゾンで2千円台で買えるんですな)。
でもね,持っていても,可能であれば,DVDではなく生から入りたい。ほんとに可能であれば,なんだけど。で,今回はそれが実現しましたよ,と。
● ミラノ・スカラ座だのパリ・オペラ座だのっていうのは,自分には無縁なものだと思っている。何より経済というか,チケットの料金の関係で。そういうものこそ,DVDで代用体験すればいい。っていうか,するしかない。
オペラに限らず,バレエでもオーケストラでも,もっといえば食事や洋服でも,この問題はつきまとってくる。本物主義ってやつ。
主義はどうあれ,現実は妥協することと見つけたり。っていうか,最近の日本人ってけっこうすごくてさ,本場と伍して渡り合えるようになった分野は,野球やサッカーだけじゃない。
● このホールに行くのは,今回が二回目。前回は上野から地下鉄日比谷線で三ノ輪に出て,そこから歩いた。今回はJR常磐線で三河島に出ることに。三河島からは,基本,常磐線(下り)の進行方向に歩けばいいので,迷う余地はない。
焼肉屋が並ぶ細い路地を歩いた。新大久保や大阪の鶴橋とは比ぶべくもないけれども,プチ・コリアンタウンの趣がある一画だ。
● さて,荒川区民オペラ,開演は午後2時。座席は全席指定。A席とB席の2種。A席が5,000円でB席が3,500円。このホール,決して広くはないからB席でも問題はないと思うんだけど,A席を買っておいた。
当日券もあったようなんだけど,会場はほぼ満席だったから,まずは予約しておくのが吉でしょうね。
● ホームページから事務局にメールすると,振込先を教えてくれる。そこに代金を振り込むとチケットが送られてくる。“ぴあ”とかコンビニ決済より,紛れがなくてわかりやすい。年寄りには助かる。
事前に座席は指定せず。で,送られたチケットの座席は前から3列目の中央。特等席ですな。申しわけないほどの特等席。もう少し後ろでもよかったんだけどさ。
● 公演は3日と4日に,キャストを交替して開催。ぼくが行った4日のキャストは次のとおり。
シモン・ボッカネグラ 佐野正一
アメーリア 金見美佳
フィエスコ 伊藤 純
ガブリエーレ 川久保博史
パオロ 細川雅哉
指揮は小崎雅弘さん。
● 結果,大満足。充分以上に楽しめた。じつにどうも贅沢なエンタテインメント。
鑑賞水準の低い人ほど,高い演奏水準のステージを観た方がいいんでしょうね。ステージがこちらの低さを埋めてくれる。
● 理由は大きく二つある。ひとつは,アメーリアを演じた金見美佳さんの美貌。プログラムでも「華やかな容姿と美声を持つ若手ソプラノ歌手」と紹介されているけど,まったくそのとおり。化粧映えするお顔なんでしょうね。
バレエはルックス,オペラは実力,といわれたのは,今は昔の話。オペラもどんどん大衆化してくると,ルックスを等閑に付すわけにはいかなくなる。ガブリエーレとパオロを夢中にさせるアメーリアであってみれば,舞台上では美しく華やいでいてもらわないと困る。
● もうひとつは,パオロの悪役ぶり。シモンを総督にした立役者でもあるわけだから,パオロは精悍な悪役ってことになる。恋人のいるアメーリアに横恋慕するくらいだから,生命力も旺盛はなずだ(イタリア男なら,それが普通なのかもしれないけど)。
細川さん,それを演じて秀逸。たぶん,悪役って演じやすいんだとは思う(女性だったら,蓮っ葉な女って演じやすそうだ)。なんだけど,見事な悪役でね。
● オペラ歌手って,当然,体も鍛えているんでしょう。手入れを怠っていないはずだ。客席から観てても,それは充分にうかがわれる。大変な仕事だよなぁ。
ジムに行ったりもするんだろうけど,練習じたいが,第一の体作りになっているんだろうな。
ぼくの席からは,小崎さんの指揮ぶりも見ることができた。ていねいに指揮をしておられた。
● この「シモン・ボッカネグラ」に関しては,事前にストーリーを承知しておいた方がいいでしょうね。それをしておかないと,プロローグの収納先にとまどってしまうかもしれない。テレビドラマや映画と違って,「それから25年後」なんて表示は字幕に出ないから。
● 5,000円をどう使うか。いろんな使い方ができる。ディズニーのパスポートを買うにはちょっと足りないけど,少し足せば買える。1日をディズニーランドで過ごすことができる。映画なら3回か4回見れるか。プロのオーケストラも聴けるし,今なら居酒屋でたっぷり呑めるな。ユニクロだとポロシャツが5枚買えるかも。
5,000円ってけっこう使いでのあるお金だよね。それを3時間のオペラを観ることに使う。贅沢かも。それ以前に,お得かも。
● 「シモン・ボッカネグラ」はベルディの中ではマイナーというか,あまり上演されることがないんじゃないかと思う。それを観ることができるのはありがたいです。
じつはCDは持っている。持っているんだけど,聴いたことはない。オペラはたいていそう。なぜって,台詞の意味がわからないとどうにもならないから。CDに付いてくる対訳本を見ながら聴けばついていけるのかもしれないけど,そんなウザッたいことはする気にならないもんね。
● オペラに関してはDVDがいいと思う。字幕も出る。「シモン・ボッカネグラ」のDVDは持っていないけどね(アマゾンで2千円台で買えるんですな)。
でもね,持っていても,可能であれば,DVDではなく生から入りたい。ほんとに可能であれば,なんだけど。で,今回はそれが実現しましたよ,と。
● ミラノ・スカラ座だのパリ・オペラ座だのっていうのは,自分には無縁なものだと思っている。何より経済というか,チケットの料金の関係で。そういうものこそ,DVDで代用体験すればいい。っていうか,するしかない。
オペラに限らず,バレエでもオーケストラでも,もっといえば食事や洋服でも,この問題はつきまとってくる。本物主義ってやつ。
主義はどうあれ,現実は妥協することと見つけたり。っていうか,最近の日本人ってけっこうすごくてさ,本場と伍して渡り合えるようになった分野は,野球やサッカーだけじゃない。
● このホールに行くのは,今回が二回目。前回は上野から地下鉄日比谷線で三ノ輪に出て,そこから歩いた。今回はJR常磐線で三河島に出ることに。三河島からは,基本,常磐線(下り)の進行方向に歩けばいいので,迷う余地はない。
焼肉屋が並ぶ細い路地を歩いた。新大久保や大阪の鶴橋とは比ぶべくもないけれども,プチ・コリアンタウンの趣がある一画だ。
● さて,荒川区民オペラ,開演は午後2時。座席は全席指定。A席とB席の2種。A席が5,000円でB席が3,500円。このホール,決して広くはないからB席でも問題はないと思うんだけど,A席を買っておいた。
当日券もあったようなんだけど,会場はほぼ満席だったから,まずは予約しておくのが吉でしょうね。
● ホームページから事務局にメールすると,振込先を教えてくれる。そこに代金を振り込むとチケットが送られてくる。“ぴあ”とかコンビニ決済より,紛れがなくてわかりやすい。年寄りには助かる。
事前に座席は指定せず。で,送られたチケットの座席は前から3列目の中央。特等席ですな。申しわけないほどの特等席。もう少し後ろでもよかったんだけどさ。
● 公演は3日と4日に,キャストを交替して開催。ぼくが行った4日のキャストは次のとおり。
シモン・ボッカネグラ 佐野正一
アメーリア 金見美佳
フィエスコ 伊藤 純
ガブリエーレ 川久保博史
パオロ 細川雅哉
指揮は小崎雅弘さん。
● 結果,大満足。充分以上に楽しめた。じつにどうも贅沢なエンタテインメント。
鑑賞水準の低い人ほど,高い演奏水準のステージを観た方がいいんでしょうね。ステージがこちらの低さを埋めてくれる。
● 理由は大きく二つある。ひとつは,アメーリアを演じた金見美佳さんの美貌。プログラムでも「華やかな容姿と美声を持つ若手ソプラノ歌手」と紹介されているけど,まったくそのとおり。化粧映えするお顔なんでしょうね。
バレエはルックス,オペラは実力,といわれたのは,今は昔の話。オペラもどんどん大衆化してくると,ルックスを等閑に付すわけにはいかなくなる。ガブリエーレとパオロを夢中にさせるアメーリアであってみれば,舞台上では美しく華やいでいてもらわないと困る。
● もうひとつは,パオロの悪役ぶり。シモンを総督にした立役者でもあるわけだから,パオロは精悍な悪役ってことになる。恋人のいるアメーリアに横恋慕するくらいだから,生命力も旺盛はなずだ(イタリア男なら,それが普通なのかもしれないけど)。
細川さん,それを演じて秀逸。たぶん,悪役って演じやすいんだとは思う(女性だったら,蓮っ葉な女って演じやすそうだ)。なんだけど,見事な悪役でね。
● オペラ歌手って,当然,体も鍛えているんでしょう。手入れを怠っていないはずだ。客席から観てても,それは充分にうかがわれる。大変な仕事だよなぁ。
ジムに行ったりもするんだろうけど,練習じたいが,第一の体作りになっているんだろうな。
ぼくの席からは,小崎さんの指揮ぶりも見ることができた。ていねいに指揮をしておられた。
● この「シモン・ボッカネグラ」に関しては,事前にストーリーを承知しておいた方がいいでしょうね。それをしておかないと,プロローグの収納先にとまどってしまうかもしれない。テレビドラマや映画と違って,「それから25年後」なんて表示は字幕に出ないから。
● 5,000円をどう使うか。いろんな使い方ができる。ディズニーのパスポートを買うにはちょっと足りないけど,少し足せば買える。1日をディズニーランドで過ごすことができる。映画なら3回か4回見れるか。プロのオーケストラも聴けるし,今なら居酒屋でたっぷり呑めるな。ユニクロだとポロシャツが5枚買えるかも。
5,000円ってけっこう使いでのあるお金だよね。それを3時間のオペラを観ることに使う。贅沢かも。それ以前に,お得かも。
2013.08.03 鹿沼市立東中学校オーケストラ部第14回定期演奏会
鹿沼市民文化センター 大ホール
● 高校生の演奏は何度か聴いたことがあるけれども,中学生のオーケストラは聴いたことがない。それも道理,吹奏楽ならともかく,管弦楽部を抱える中学校はごく少ない。ぼくの知る限り,栃木県には2校しかない。その2校とも鹿沼にある。
ちなみに,高校でも管弦楽部があるのは10校に満たないが,そのひとつは鹿沼高校だ。鹿沼にはジュニアオケもある。なかなかすごいのだ。
どんなキッカケがあって,鹿沼でこれほど少年少女のオーケストラ活動が盛んになったのか。その辺の事情については,何も知らないんだけど。
● ともあれ,その中学生の演奏を聴いてみたいと思った。ただ,二の足を踏ませるものがひとつだけある。
観客のほぼすべてが生徒の父兄だろうと思われることだ。屋内運動会あるいは村祭り的なムードが会場に充満するだろう。それは覚悟しておかないと。こっちが闖入者なんだしな。
取り得る対応策はひとつ。前の方に座らないこと。後方に席を取ることだ。騒々しいやつほど,前に行くから。これが経験則の教えるところだ。
● と思って出かけてみたんだけど,いや失礼しました,父兄の皆さん。そんなことにはならなかったんでした。
唯一,演奏中にビデオカメラやスマートフォンの液晶画面が,客席のそちこちで,咲きほこる花さながらにキラキラしていたけれども,これは許容されるんでしょうね。動画撮影中に着信音は鳴らなかったしさ。
● 生徒の側の進行管理,ステージ設営はたいしたもの。この生徒たちをこの父兄たちが養育してるんだよなぁ。不思議だよねぇ,考えてみると。かけ算九九もろくにできない者が微積分まで知っている人に数学を教えているようなものじゃないか,と思ったりしたね。
実際はさ,生徒たちは今がオンなわけで,オンとオフの差は相当あるに違いないんだけどさ。対して,父兄の方はオフ状態なわけだからね。
● プログラムに掲載されている校長あいさつによれば,「近年の少子化傾向もあって,部員数の確保も大きな課題」になっているらしい。
オーケストラ部に限らないんでしょうね。総数が減っているんだから,いかんともしがたいですよねぇ。各部が部員を取り合う図式になっているのかもしれないね。
しかし,「重奏部門においては全国1位に相当する文部科学大臣賞を,2年連続で受賞」したとある。とびきり上手な生徒が何人かいるんだろうか。
● 開演は午後2時。入場無料。内容は2部構成で,前半は金管,木管,弦それぞれのアンサンブル。後半がオーケストラ。
で,まず,金管アンサンブル。演奏したのは次の3曲。
宇宙戦艦ヤマト(宮川泰)
世界に一つだけの花(槇原敬之)
文明開化の鐘(高橋宏樹)
● 失礼ながら,ステージ(で演奏する奏者)に対して言いたいことをひとつだけ持っている。
ステージに立ったら,自分の技術の巧拙を忘れること。たとえ拙であっても,巧なんだと思いこむこと。
オドオドしたり球をあてにいったりしないこと。思いきりよく踏みこんで,フルスイングを試みること。野球と違って,来る球はすべてストライクに決まっているんだから。
結果なんか,気にしたってしょうがない。どうせ観客は朴念仁だ。失敗したってわかるものか。っていうか,わかられたって,別にかまわないじゃないか。
● プロなら知らず,ステージに立つアマチュアに要求される能力の筆頭に来るものが,この思いこめる能力だと思う。
本番に勝る練習はないわけで,その本番という練習を実りあるものにするためにも,自分は巧いと思いこんで,巧い自分ならどうするかをイメージし,そのイメージのとおりにやってしまうこと。
● とはいえ,このアンサンブルが拙だったというわけではない。ぜんぜんそうではない。特に「文明開化の鐘」は伸び伸びと演奏してた。ひょっとして吹きやすかったりするんだろうか。
ひっかかったのは客席の方で,「宇宙戦艦ヤマト」が始まってすぐに手拍子を始めたオバサンがいたんですよ。これはどうなのか。OKなのか,NGなのか。
手拍子を入れたくなるリズムではあるよね。ひょっとすると,彼女はこの学校の教師なのかもしれない。応援の気分を込めた手拍子だったのかもしれない(ただ,ぼく一個の感想を述べれば,相当以上に耳障りだった。演奏の邪魔をしているように思われた)。
● 次は木管アンサンブル。
「となりのトトロ」(久石譲)とモーツァルトの木管五重奏曲ハ短調の第1楽章。ぼくの中にある中学生のイメージを壊してくれる。中学生をなめちゃいけないぜ,と,当の中学生に知らされるのはかなりの快感。
● メンバーが交替して,ルパン三世のテーマ(大野雄二),イベール「三つの小品」の第1曲と第3曲,夕焼け小焼け変奏曲(渡辺弘和)を演奏。
驚いたのは「夕焼け小焼け変奏曲」。同じメロディーを和風,タンゴ風,ジャズ風など,いくつものバリエーションで吹きわける。楽譜のとおりに吹けばそうなるんだろうけど,そうだとしてもこの完成度には驚くしかなかった。
フルートもオーボエも乗るところに乗り遅れない。ホルンも難しい楽器だろうに,上手に手なづけている感じがした。クラリネットもファゴットも,ほんとに中学生なの,って思った。
● さらに驚いたのが,弦楽合奏。全国1位を取った重奏ってのは,この弦楽合奏のことなんですかね。
ヴィヴァルディの「四季」から「冬」を演奏。ノイズが少ない。客席に届いてくる音に濁りがない。
ソロを弾く女子生徒の巧さがハンパない。呆れるほど。しかし,スタープレーヤーひとりが巧くて,他がダメならば,こういう合奏にはならないわけで,全体的にレベルが高いんですな。
ひょっとすると,彼女が他メンバーへの刺激になって,全体を引きあげるという好循環が効いているのかもしれない。でも,そうした絵に描いたような理想的な循環って,そうそうは実在しないものでしょ。
● 15分間の休憩の後,今度はオーケストラの演奏。
まずは,ヴェルディの歌劇「運命の力」序曲。結論から先に言ってしまうとですね,ぼくが知る限りでも,ここより下手な大人のアマチュアオーケストラ,・・・・・・あるぞ。
前半のアンサンブルでも聴かせてくれた,フルートとオーボエの健闘が印象的。
● 次は,ホルストの組曲「惑星」から「木星」を演奏。メリハリがあって,平原綾香もまっ青(になるかどうか知らないけど)の表現力。
少なくとも平原綾香の「ジュピター」をCDで聴いてるより,今回のこの演奏の方が,こちらに訴えてくるものがずっと大きい。ま,CDと生とを比較するわけにはいかないんだけれど。
● リムスキー・コルサコフの交響組曲「シェエラザード」第4楽章。コンミスのヴァイオリン・ソロが圧巻。客席も息をつめて,彼女の演奏を見つめていた感じ。有無を言わさぬ説得力とはこういうことだ。
彼女,高校は音楽科に進むのかなぁ。プロへの道はなお峻険だろうけど,プロになるならないにかかわらず,青春をヴァイオリンに賭けてみるのはありだよなぁ,とか思った。
● 最後は,ストラヴィンスキーの組曲「火の鳥」(1919年版)から「魔王カスチェイの凶悪な踊り」と「終曲」。
ステージの奏者たちを見ていると,コンミスが突出しているわけでもないのかなあとも思える。それぞれ,なんだか凄い感じ。
● それより,これだけのバリエーションを展開できる中学オーケストラ部ってのが,なかなか腑に落ちてこなくてね。
ぶっちゃけ,どうせ中学生だもんな,ってあんまり期待しないで行ったわけです。結果,あまりにも想像と違っていたものだから,ぼくの脳が落ち着き先を見つけられないでいる。
あっという間の2時間だった。恐れいりました,っていうのが最終的な感想だ。
● 帰宅後,あらためてプログラムを読み直してみたら,部長あいさつに,「(部員の)ほとんどが中学生になってから楽器を始めた初心者です」とあった。
本当か? 本当にそうなのか? いや,不思議はない。高校や大学で始める人もいる。中学で始めていれば早い方だ。なんだけど,初心者であそこまで行けるものなのか。腑に落ちなさがいっそう強くなった。
● 高校生の演奏は何度か聴いたことがあるけれども,中学生のオーケストラは聴いたことがない。それも道理,吹奏楽ならともかく,管弦楽部を抱える中学校はごく少ない。ぼくの知る限り,栃木県には2校しかない。その2校とも鹿沼にある。
ちなみに,高校でも管弦楽部があるのは10校に満たないが,そのひとつは鹿沼高校だ。鹿沼にはジュニアオケもある。なかなかすごいのだ。
どんなキッカケがあって,鹿沼でこれほど少年少女のオーケストラ活動が盛んになったのか。その辺の事情については,何も知らないんだけど。
● ともあれ,その中学生の演奏を聴いてみたいと思った。ただ,二の足を踏ませるものがひとつだけある。
観客のほぼすべてが生徒の父兄だろうと思われることだ。屋内運動会あるいは村祭り的なムードが会場に充満するだろう。それは覚悟しておかないと。こっちが闖入者なんだしな。
取り得る対応策はひとつ。前の方に座らないこと。後方に席を取ることだ。騒々しいやつほど,前に行くから。これが経験則の教えるところだ。
● と思って出かけてみたんだけど,いや失礼しました,父兄の皆さん。そんなことにはならなかったんでした。
唯一,演奏中にビデオカメラやスマートフォンの液晶画面が,客席のそちこちで,咲きほこる花さながらにキラキラしていたけれども,これは許容されるんでしょうね。動画撮影中に着信音は鳴らなかったしさ。
● 生徒の側の進行管理,ステージ設営はたいしたもの。この生徒たちをこの父兄たちが養育してるんだよなぁ。不思議だよねぇ,考えてみると。かけ算九九もろくにできない者が微積分まで知っている人に数学を教えているようなものじゃないか,と思ったりしたね。
実際はさ,生徒たちは今がオンなわけで,オンとオフの差は相当あるに違いないんだけどさ。対して,父兄の方はオフ状態なわけだからね。
● プログラムに掲載されている校長あいさつによれば,「近年の少子化傾向もあって,部員数の確保も大きな課題」になっているらしい。
オーケストラ部に限らないんでしょうね。総数が減っているんだから,いかんともしがたいですよねぇ。各部が部員を取り合う図式になっているのかもしれないね。
しかし,「重奏部門においては全国1位に相当する文部科学大臣賞を,2年連続で受賞」したとある。とびきり上手な生徒が何人かいるんだろうか。
● 開演は午後2時。入場無料。内容は2部構成で,前半は金管,木管,弦それぞれのアンサンブル。後半がオーケストラ。
で,まず,金管アンサンブル。演奏したのは次の3曲。
宇宙戦艦ヤマト(宮川泰)
世界に一つだけの花(槇原敬之)
文明開化の鐘(高橋宏樹)
● 失礼ながら,ステージ(で演奏する奏者)に対して言いたいことをひとつだけ持っている。
ステージに立ったら,自分の技術の巧拙を忘れること。たとえ拙であっても,巧なんだと思いこむこと。
オドオドしたり球をあてにいったりしないこと。思いきりよく踏みこんで,フルスイングを試みること。野球と違って,来る球はすべてストライクに決まっているんだから。
結果なんか,気にしたってしょうがない。どうせ観客は朴念仁だ。失敗したってわかるものか。っていうか,わかられたって,別にかまわないじゃないか。
● プロなら知らず,ステージに立つアマチュアに要求される能力の筆頭に来るものが,この思いこめる能力だと思う。
本番に勝る練習はないわけで,その本番という練習を実りあるものにするためにも,自分は巧いと思いこんで,巧い自分ならどうするかをイメージし,そのイメージのとおりにやってしまうこと。
● とはいえ,このアンサンブルが拙だったというわけではない。ぜんぜんそうではない。特に「文明開化の鐘」は伸び伸びと演奏してた。ひょっとして吹きやすかったりするんだろうか。
ひっかかったのは客席の方で,「宇宙戦艦ヤマト」が始まってすぐに手拍子を始めたオバサンがいたんですよ。これはどうなのか。OKなのか,NGなのか。
手拍子を入れたくなるリズムではあるよね。ひょっとすると,彼女はこの学校の教師なのかもしれない。応援の気分を込めた手拍子だったのかもしれない(ただ,ぼく一個の感想を述べれば,相当以上に耳障りだった。演奏の邪魔をしているように思われた)。
● 次は木管アンサンブル。
「となりのトトロ」(久石譲)とモーツァルトの木管五重奏曲ハ短調の第1楽章。ぼくの中にある中学生のイメージを壊してくれる。中学生をなめちゃいけないぜ,と,当の中学生に知らされるのはかなりの快感。
● メンバーが交替して,ルパン三世のテーマ(大野雄二),イベール「三つの小品」の第1曲と第3曲,夕焼け小焼け変奏曲(渡辺弘和)を演奏。
驚いたのは「夕焼け小焼け変奏曲」。同じメロディーを和風,タンゴ風,ジャズ風など,いくつものバリエーションで吹きわける。楽譜のとおりに吹けばそうなるんだろうけど,そうだとしてもこの完成度には驚くしかなかった。
フルートもオーボエも乗るところに乗り遅れない。ホルンも難しい楽器だろうに,上手に手なづけている感じがした。クラリネットもファゴットも,ほんとに中学生なの,って思った。
● さらに驚いたのが,弦楽合奏。全国1位を取った重奏ってのは,この弦楽合奏のことなんですかね。
ヴィヴァルディの「四季」から「冬」を演奏。ノイズが少ない。客席に届いてくる音に濁りがない。
ソロを弾く女子生徒の巧さがハンパない。呆れるほど。しかし,スタープレーヤーひとりが巧くて,他がダメならば,こういう合奏にはならないわけで,全体的にレベルが高いんですな。
ひょっとすると,彼女が他メンバーへの刺激になって,全体を引きあげるという好循環が効いているのかもしれない。でも,そうした絵に描いたような理想的な循環って,そうそうは実在しないものでしょ。
● 15分間の休憩の後,今度はオーケストラの演奏。
まずは,ヴェルディの歌劇「運命の力」序曲。結論から先に言ってしまうとですね,ぼくが知る限りでも,ここより下手な大人のアマチュアオーケストラ,・・・・・・あるぞ。
前半のアンサンブルでも聴かせてくれた,フルートとオーボエの健闘が印象的。
● 次は,ホルストの組曲「惑星」から「木星」を演奏。メリハリがあって,平原綾香もまっ青(になるかどうか知らないけど)の表現力。
少なくとも平原綾香の「ジュピター」をCDで聴いてるより,今回のこの演奏の方が,こちらに訴えてくるものがずっと大きい。ま,CDと生とを比較するわけにはいかないんだけれど。
● リムスキー・コルサコフの交響組曲「シェエラザード」第4楽章。コンミスのヴァイオリン・ソロが圧巻。客席も息をつめて,彼女の演奏を見つめていた感じ。有無を言わさぬ説得力とはこういうことだ。
彼女,高校は音楽科に進むのかなぁ。プロへの道はなお峻険だろうけど,プロになるならないにかかわらず,青春をヴァイオリンに賭けてみるのはありだよなぁ,とか思った。
● 最後は,ストラヴィンスキーの組曲「火の鳥」(1919年版)から「魔王カスチェイの凶悪な踊り」と「終曲」。
ステージの奏者たちを見ていると,コンミスが突出しているわけでもないのかなあとも思える。それぞれ,なんだか凄い感じ。
● それより,これだけのバリエーションを展開できる中学オーケストラ部ってのが,なかなか腑に落ちてこなくてね。
ぶっちゃけ,どうせ中学生だもんな,ってあんまり期待しないで行ったわけです。結果,あまりにも想像と違っていたものだから,ぼくの脳が落ち着き先を見つけられないでいる。
あっという間の2時間だった。恐れいりました,っていうのが最終的な感想だ。
● 帰宅後,あらためてプログラムを読み直してみたら,部長あいさつに,「(部員の)ほとんどが中学生になってから楽器を始めた初心者です」とあった。
本当か? 本当にそうなのか? いや,不思議はない。高校や大学で始める人もいる。中学で始めていれば早い方だ。なんだけど,初心者であそこまで行けるものなのか。腑に落ちなさがいっそう強くなった。
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