2014年5月31日土曜日

2014.05.31 アリス=紗良・オット ピアノリサイタル

栃木県総合文化センター サブホール

● 開演は午後3時。チケットは3,000円。

● ピアノをやめても,モデルでいくらでも喰っていけるだろうと思える容姿と肢体で,軽やかに登場。靴は履いていないようだった。それでもこんなに足が長いんだからな。演奏が終わると,何事もなかったかのようにスタスタと去っていく。
 こうまで美形だと,演奏ではなく奏者に気をとられてしまう。ここまで阿呆な聴衆はぼくくらいのものか。いや,決してそんなことはないと思うぞ。

● プログラムは,ベートーヴェンとバッハとリスト。
 ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調「テンペスト」
 バッハ 幻想曲とフーガ イ短調
 バッハ(ブゾーニ編曲) シャコンヌ
 リスト 「愛の夢」第2番,第3番
 リスト パガニーニ大練習曲

● この水準の演奏になると,正直,ぼくにはわからない。わかるとはどういうことかということすら,わからないんだけど。
 出し惜しみしていない。隠しだてはなし。アンタらには見せないワタシが別にいるもんね,といった感じはまったくなく,すべてを晒して勝負してるっていうか。芸人魂という言葉が浮かんできた。女を張ってる。
 それが造りだす迫力は圧倒的だ。ひとつやふたつのミスタッチがどうした。四の五の言わせない全部投入のパフォーマンス。

● 楽しみにしていたのは,バッハの「シャコンヌ」。ピアノ版はCDを含めて聴いたことがない。怠慢でしょって言われそうだけど,彼女の演奏で「シャコンヌ」ピアノ版を初めて聴けたのは,相当にラッキーなことだと思う。
 「シャコンヌ」はいろんな人が,オーケストラや弦楽合奏やピアノなどに編曲しているけれども,それをしたくなるのは大いにわかる。何というのか,根源を揺さぶるっていうか,この曲さえあればほかに何が必要なの,っていうような。内包がとんでもなく大きいというか。
 これだけの曲を具体的に表現するのも,楽じゃないと思う。人生を長く経験し,酸いも甘いも噛みわけた人が演奏すればいいっていうほど単純な話でもないし。

● 2日前に日本に着いたそうだ。それでこの演奏。明日は仙台。どんだけタフなんだか。このあたりですでに脱帽。

2014年5月26日月曜日

2014.05.26 間奏41:東京大学音楽部管弦楽団サマーコンサートのチケット申込み

● 東大オケ恒例のサマーコンサート。今年も全国5箇所で開催される。1回目が東京で,7月21日。チケットはサイトから申込む。

● ここまでは去年と同じ。そこから先が変わっていた。去年までは振込用紙が郵送されてきた。が,今回はメールで振込先を知らせてきた。それで終わり。
 振込をするのに振込用紙の現物などいらないわけだから,これで何の不都合もない。楽団事務局も手間と費用が省けるだろう。

● 翌日には振込まで終了。全部,ネット上ですませられる。大幅な時間短縮。気持ちいいくらいに速く進む。
 ほかのところではどうやっているんだろう。すべからくこういうふうにやってもらいたいと思いましたね。

● あとは,当日を待つだけだ。よんどころない用事が入らなければいいが。

2014.05.25 宇都宮シンフォニーオーケストラ第13回定期演奏会

宇都宮市文化会館 大ホール

● 宇都宮シンフォニーオーケストラの今回は,まず,シューマンの「マンフレッド」序曲。恥ずかしながら初めて聴く。
 プログラムの解説によれば「かつての恋人を死に追いやってしまった罪を抱えて悩み,アルプスの山中をさまよい続けた末,遂にその恋人の霊と再会しますが,許しを乞うと共に自らも息絶えるという内容」。なるほど,重厚というか重々しい印象の曲だった。

● 次はモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番。モーツァルト19歳の作。
 久しぶりのモーツァルト。さきほどの「マンフレッド」序曲とは対照的な軽やかさ。これだよ,これ。気分が晴れてくる感じだね。
 モーツァルトの協奏曲は,独奏より管弦楽で聴かせる部分が大きいと思っている。小体な陣容で充分に楽しませてもらえた。
 ソリストは柿沼紀子さん。宇都宮女子高校から桐朋に進んだんですね。オケのゲストコンサートマスターも宇女高出身の菅井綾子さん。宇女高が排出した人材は,この分野でも多士済々のようだ。

● お二人の経歴を見ると,音楽を極めようと志すとかなりお金がかかりそうだと思わされる。大学を終えてからアメリカやフランスに留学したりとか。
 音楽に限らないでしょうけどね。何であれ,極めようとするとお金の問題を避けて通ることはできないものでしょ。下世話な話で申しわけないけれども。

● 最後はチャイコフスキーの交響曲第5番。先週,真岡市民交響楽団の演奏で聴いたばかり。
 2楽章のはじめ。ホルンや,オーボエをはじめとする木管陣は,けっこうなプレッシャーだと思うんだけど,ここは聴かせどころ。その木管が安定しているという印象。
 曲が持っている力ってあるなと思いますよね,こういうのを聴くと。「旋律をユニゾンで弾かせる」ことによって効果を出すのって,チャイコフスキーのお家芸。ずるいなぁとも思うけど,客席側に抵抗する術はない。

● アンコールはディズニーメドレーで客席サービス。ディズニーの曲って,CDを2,3枚持っていてときどき聴くんだけど,こうして生で聴きますとね,けっこういいよなぁと思いますな。
 ぼくはあれですよ,イッツ・ア・スモール・ワールドに流れている「世界はひとつ」がいいですかなぁ。

● ところで。宇都宮市文化会館で営業している「サンフォルテ」。何度か利用させてもらっている。といっても,一番安いホットケーキしか注文したことがない。それにドリンクバーを付ける。
 注文するとすぐに出てくる。作りおきしておいて,レンジでチンなんでしょうね。それで文句があるかといえば,べつにないんだけど。
 ドリンクバーがあるくらいだから,大衆食堂かファミレスの趣。言っちゃなんだけど,お客さんも含めてね。騒々しい。必要以上に大きな声で喋りかつ笑う。健康的ともいえる。
 であればこそ,ぼくが行っても浮かないでいられる。いや,それでもひょっとすると浮いてるかも。

2014年5月18日日曜日

2014.05.17 真岡市民交響楽団第50回定期演奏会

芳賀町民会館ホール

● 開演は午後6時。チケットは500円。当日券を購入。

● まずは,シベリウスの「フィンランディア」。荘重感あふれる「フィンランディア」だった。悲壮感と言い換えてもいい。

● 次はガラッと曲調が変わって,フォーレの組曲「ペレアスとメリザンド」。生で聴くのは初めて。あまり演奏されることのない曲を入れてくるのが,真岡市民交響楽団の(最近の)特徴か。
 聴く前にプログラムの曲目解説を読んでおいてよかった。元になった戯曲のあらすじを知っているのといないのとでは,聴くための手がかりに大差ができる。まずは手がかりを持たないで聴いてみるのがいいのかもしれないとも思うんだけど。

● この曲を聴いてて感じたのは,この楽団の香りのようなもの。もぎたてのリンゴを割ったときに放たれる芳香のような。
 これって何なんだろうと考えながら聴いていた。オケにあるものなのか,聴いている自分がそう感じているだけなのか。
 ミスはあった。一曲をノーミスで通すなんて奇跡のようなものだろうということを別にしても,そのミスを香りが包んでしまうような。なんか不思議な感じ。
 
● メインはチャイコフスキーの交響曲第5番。この曲を聴く機会は多い。これまでにライヴだけで11回聴いている。そのいずれもがすでに忘却の彼方に去っているんだけれども,当然,ひとつひとつが別物だった。
 今回の演奏もまた,今回限りの他にはないもの。この楽団にもう一回やってみろと言ったって,同じ演奏はできないわけで。

● その一回性を強く感じたのは,入魂の演奏だったからだ。はばかりながら,団員にとっても記憶に残る演奏になったのではあるまいか。
 ホルンのソロ,気配りがピッと効いたティンパニ,ヴァイオリンの厚み。要因を個々にあげていけばいくつもあげられる。けれども,そういう部分の合計を超えた演奏になったのはなぜか。

● 気が揃っていた。集中が切れなかった。守りに入らず果敢に攻め続けた。それを導いた指揮者(佐藤和男さん)の功績でもある。
 が,そういう言い方でも何かが足りない。魂を込めるとこういう演奏になるのだ,こういうことも起こるのだ,と思うしかない。

● アンコールはグノー “トロイの娘たちの踊り”。
 次回は面目を一新した(まだしてないけど,もうすぐする)真岡市民会館でベートーヴェンの「第九」。

2014.05.17 とびやま古城の音楽会 「邦楽ゾリスデン」コンサート

飛山城史跡公園

● 飛山城って中世のお城なんだけど,実際は城というよりは砦だったんでしょうね。っていうか,もともと城っていうのは砦のことだったんだろう。
 で,言っちゃ何だけど,普通の人が,ここの史的価値を理解するのは,まぁ無理でしょうよ。もちろん,ぼくにもわかりません。

● そういうことより,ナラ,シイ,クヌギ,クリなどの広葉樹林っていうんですか,それがこれだけまとまって残っている所は珍しい。秋にはキノコ狩りもできるんじゃないかね。
 眺望もいいですな。眼下に鬼怒川。その向こうに宇都宮の市街。市街地の背後には日光連山と塩原,那須の山々が切れ目なくつながっている。空ではトンビが悠々と滑空している。

● この時期,天気さえよければ,森林浴で体を喜ばせ,眺望をながめて目を喜ばせるのに,ここは恰好の場所だ。宇都宮の中の小軽井沢とでも申しましょうか(軽井沢に行ったことはないんだけど)。
 と,言いながら,ぼくがここに来るのは二度目。つまり,昨年のこのコンサート以来ってわけで,まぁ普段は来ない。近いんですけどね。今日も自転車で来てるくらいだから。
 休日には休日の生活経路というのがあって,そのルートにないところには気合いを入れないと行かさんないものですな。

● さらに言いつのると,体を喜ばせたり目を喜ばせたりするには,もっといいものがあるもんね。それが何かは人によって違うわけだけどね。
 そうではあるんだけど,来てよかったと思いましたよ。開演までに2時間ほどもあったんだけど,ぜんぜん退屈しなかった。

● 今年もここで「邦楽ゾリスデン」のコンサートが開催された。開演は午後2時。入場無料。
 ぼくもだけれども,会場でお客さんの話を聞いていると,二度目の人も多かったようだ。
 
● 今回も 「邦楽ゾリスデン」の福田智久山,前川智世,津野田智代のお三方による箏と尺八の演奏。「邦楽ゾリスデン」の中でもこの三人で活動する機会が多いんですか。“智世代”というユニット名を作ったようだ。チセダイと読むらしいんだけど。
 最初,主催者が言葉遊びをしてみせたのかと思ったんだけど,そうじゃなかった。

● 前半で印象に残ったのは,宮城道雄の「水の変態」。全部ではなく,いくつかを抜粋しての演奏。前川さんの説明によれば,宮城道雄14歳の作とのこと。
 Wikipediaの解説には「8歳で失明し,生田流箏曲の二代菊仲検校に師事するも,その後兄弟子菊西繁樹の紹介により二代中島検校に師事して11歳で免許皆伝」とある。神さまが箏をやらせるために,8歳の彼から視力を奪ったんだろうな。そう思うしかない天才。
 こういう人には,たとえば発達心理学でいう発達区分なんてのは,まるであてはまらないのだと思う。

● その天才の早期の作品を,名手の演奏で聴く。贅沢ですよねぇ。これを贅沢といわないとすると,この世に贅沢なんてさほどないってことになる。
 今回はこの贅沢を味わうのに要するコストはゼロだ。毎回無料ってわけにはいかないけれども,贅沢を味わうためのコストって,世間で言われているほど高額ではないよな。少し以上にノーテンキな言い方になるかもしれないけれど,ぼくらはいい時代に巡り合わせている。

● 後半の白眉は長沢勝俊「二つの田園詩」。現代邦楽。これも前川さんの説明によると,洋楽の作曲家は箏を演奏したことがないものだから,こういうメロディラインにすると奏者の動きはこうなる,というのをわからないで曲を作る。この曲もそうで,演奏する側はかなり大変だ,と。
 で,実際に大変なんだと思うんだけど,名手が弾くと,その大変さが表にでない。ピアノでもヴァイオリンでもそうですね。弾く人が弾けば,超絶技巧が超絶技巧に見えない。

● ほかに「長等の春」など古いものや,彼らが作曲したオリジナル曲(オゾン,アモール,月花)も披露された。2時間のコンサート。
 こうして何度か聴いていると,彼らの素もちょっと見えてくる。っていうか,演奏を離れれば普通の若者ですよね。こういうキャラクターは自分の職場にもいるかな,と思うような。そりゃそうだ。同じ時代の空気を吸ってるんだもんな。
 ただし,キャラクターが同じだからといって,中身がみな同じってことにはならない。彼らに限らず,誰についても言えることだけど。

2014年5月11日日曜日

2014.05.11 コーラル・アーツ・ソサイアティ第22回定期演奏会-バッハ「ヨハネ受難曲」

すみだトリフォニーホール 大ホール

● 欧米人にとって教会って何なのか。ひょっとすると,解毒装置なのか。普段,オレがオレがで自己主張と欲の追求に明け暮れているから,週に1回,懺悔してスッキリするための解毒装置が教会なのか。
 だとすれば,おまえら,週1じゃ足りないんじゃないか,週に2回行けよ。とまあ,不謹慎極まることを想像したりするんですよ。

● そういうことではないんでしょうね。結局,彼らにとってのキリスト教というのは,ぼくの理解の外にある。
 しかし,キリスト教なくして,只今現在のクラシック音楽はあり得なかった。そのヨーロッパ生まれの音楽が,今じゃ世界中で演奏されている。音楽として世界の共通言語になっているんでしょ。キリスト教とは切り離されて,音楽だけで成立している。
 なんだけど,ヨーロッパ人が味わうようにはぼくらは味わえていないんでしょうね。宗教的な背景というか,宗教と音楽との絡み具合が,ぼくらにはわからないんだから。

● で,ヨハネ受難曲。イエスの受難の物語。それに対する思慕の念が吐露される。
 信仰を持たないぼくは,これってそもそも史実なのと思ってしまうんですよ。要するに,物語の中に入っていけない。小賢しいことを考えるなと我ながら思うんだけど,どうもダメだ。

● コーラル・アーツ・ソサイアティはドイツ公演までやっている本格派。毎回,団員募集から始めているようだけれども,ずっと続けている人が多いのでしょうねぇ。
 10年前にもヨハネ受難曲を手がけている。今回が二度目。とはいえ,当時とメンバーが同じはずはない。一から作ってきたんでしょうね。

● で,その合唱もさることながら,管弦楽が素晴らしすぎた。今回はヴィオラとフルートが耳に残ったけれど,どのパートも一騎当千のつわものたちという感じ。
 アンサンブル of トウキョウ。知っている人はとっくに知ってるんだろうけど(30年近くの歴史がある),ぼくは知りませんでしたよ,恥ずかしながら。いや,ほんとに恥ずかしい。

● エヴァンゲリスト役(テノール)のマイケル・コネーレ氏を筆頭に,宇野徹哉(バス),國光ともこ(ソプラノ),日野妙果(アルト),セバスチャン・クライン(バス)と,独唱陣もよくこれだけ揃えたなというもの。
 声楽家はたっぷりと余裕のある体型というのは,今は昔の話。スレンダーでも声は出る。國光さんなんかその証明。
 指揮者はヨアヒム・ノイガルト氏を招聘。かの地では合唱指揮者として知られているらしい。長身でイケメン。羨ましい。

● 開演は午後1時15分。チケットはS席で4,000円。前から7列目の中央だった。指揮者の頭が字幕の真ん中を遮ってしまう。前後から意味は推測できるので,支障はなかったけれど。
 今回の最大の収穫は,字幕によって歌詞の意味がわかったこと。オペラほどではないにしても,意味がわからないんじゃちょっとつらい。CDも何度か聴いているんだけど,歌詞カードを見ながら聴くなんてことはしないから,隔靴掻痒の感があった。
 これで,CDに向かう際の大きな障壁が消えたと思う。って,この程度でヨハネを聴いていいんだろうかねぇ。

2014年5月8日木曜日

2014.05.05 横山博チェンバロ・リサイタル

宇都宮市立南図書館 サザンクロスホール

● バッハのフランス組曲を2回に分けて演奏。今日はその1回目。バッハのフランス組曲をチェンバロで聴けるんだから,ともかく出かけていった。
 チケットは通し券で1,600円。開演は午後6時半。

● 曽根麻矢子さんのCDを一応,聴いてはいる。だけど,チェンバロって何を聴いても同じように聞こえてしまう。フランス組曲もゴルトベルク変奏曲も同じに聞こえる。区別がつかない。聴き慣れていないからなんでしょうけどね。あるいは,聴き方が悪いからなんだろうけど。
 さすがに生で聴けばそんなことはないだろうと思う一方で,管弦楽に比べれば,生とCDの差は少ないだろうから,やっぱり同じに聞こえちゃうかなぁと思ったり。
 ま,こんな程度で聴きに行っているわけですが。

● よくいえばアットホームな感じ。横山さんの音楽教室の生徒さんたちが多かったんだろうか。ほんのりと始まった。
 淡々と弾いていくうちに,だんだん場ができてきた。チェンバロを聴くという場。

● ところが,その場がほぼできあがったところに語りが入ってしまった。声は届いているんだけど,何を言っているのかはわからない。内容がではなくて,発話が。せっかくできた場が,崩れてしまったとぼくには感じられた。
 この辺は賛否両論があるはずだけれど,解説はプログラムに回して,観客に届けるのは演奏のみでいいと,ぼくは思う。演奏がすべてを語ってくれるはずだ。それをどう受け取るかは観客に委ねるしかない。誤解や曲解もあるだろうけれども,そこは仕方がない。

● 生演奏を聴くことの効果というのはある。聴くというのは,つまりは消費だ。それを何かに活かすために聴いてる人は,いたとしても少数だろう。つまりは,気持ちよく時間を消費できれば,それで充分だ。快い時間を持てること。それが効果の最たるもの。
 もうひとつ,快い時間を拡大するきっかけになることがある。今回でいうと,眠っていたCDを聴いてみようという気にさせてくれた。平均律クラヴィーア曲集とかイギリス組曲など,チェンバロ演奏を収録したCDがある。それに向かうベクトルを作ってくれた。

● 会場の宇都宮市立南図書館はもともと田んぼだったところ。隣に宇都宮工業高校があるけれども,ほかに建物はない。平野が拡がっていて,半端ない開放感が味わえる。
 ここで田植えや稲刈りをしていた人たちも,同じように伸び伸びした空気を感じていたんだろうか。だとしたら,農業って悪い仕事じゃないなぁ。
 でも,あれだな,こういうところで開放感を感じるのは,普段せせこましいところにいるからだ。当時,農作業をしていた人たちにはあたりまえの風景だったはず。ことさらに開放感として受けとめることはなかったろうなぁ。

2014年5月7日水曜日

2014.05.05 第19回マーキュリーバンド定期演奏会

宇都宮市文化会館 大ホール

● 昨年に続いて聴かせてもらいましたよ。前回で実力のほどはわかったつもり。前回はフラッと行ってみたんだけど,今回は期待して行った。
 社会人の吹奏楽団って栃木県にはそんなにたくさんあるわけでもないんだけど,その大半をぼくは聴いたことがない。マーキュリーバンドがどの辺に位置するのか。おそらくリーダー的な存在なのだろうと思うんだけど,ま,他を聴いてないんだから,わかりようがない。わからずとも支障はないわけですが。
 開演は午後2時。入場無料。

● 第1部の曲目は次のとおり。
 合田佳代子 「斎太郎節」の主題による幻想
 レスピーギ シバの女王ベルキス

 「斎太郎節の主題による幻想」は今年度の吹奏楽コンクールの課題曲になっているらしい。「シバの女王ベルキス」も,吹奏楽ではわりと演奏されることが多いようだ。

● 管弦楽では一度も聴いたことがない。組曲版のCDは持っているけれども,恥ずかしながらそのCDすらまだ聴いていない。ので,この曲を聴きたくて出かけたようなものだ。
 この曲,バレエ音楽だっていうんだけど,この音楽にどんなバレエを振り付ければいいのか見当がつかない。バレエのシーンを浮かべることは,まったくできなかった。

● 吹奏楽だからっていうわけでもないんだろう。管弦楽で聴いてみても印象は変わらないと思う。最後はバンダも登場する。大編成になる。しかも,これだけの音量だ。
 音楽が主でダンスが従になったりはしないのか。Wikipedia情報では,初演は成功したらしいんだけどね。

● ストーリーは旧約聖書によっている。シバ国を統治していた女王ベルキスが,イスラエルのソロモン王を訪問。どういうわけか長期滞在になってしまって,ソロモン王とのあいだに子供までつくっちゃう。ソロモン王,たいした男だったんだな。っていうかさ,一国の女王が国をほったらかして何やってんだよ。ダメじゃん。
 この曲は,その来訪の様子を描いたものだっていうんだけど,中東的というか,アラビアンナイト的なイメージを感じた。中東的といい,アラビアンナイト的といっても,こちらが勝手に作ってしまった安直なイメージだね。

● 第2部は,徹底的な観客サービス。吹奏楽に特有のもの。これはステージ側も楽しんでないと成立しないでしょ。かといって,過度に楽しんじゃうとサービスに支障をきたす。このあたりの匙加減ってけっこう難しいんだろうか。そうでもないのかな。
 まずは,前回の続きで,昭和VS平成対決。アニメソング,CM曲,歌謡の3種で演奏比べ。
 CM曲って記憶に残るものなんだなぁとあらためて思った。ずいぶん昔のものでもちゃんと憶えてるんだもんね。テレビばっかり見てたからなんだけど,製作する側も丹精を込めているんでしょうね。
 時代というか世相を最も直截に含んでいるのは,CM曲なのかもしれない。そのときどきの流行歌じゃなくて。

● 第2部の後半は「レ・ミゼラブル」。ぼくは見なかったけれども,一昨年は映画がヒットしたんだっけ。
 ジャン・バルジャンというと,一切れのパンを盗んだために19年も服役した悲劇の主人公というイメージしかなかったんだけど,市長にまでなるんですね。そこからの物語が長いんだ。初めて知りましたよ。

● 社会人の吹奏楽団がここまでの企画を立てて実行に移すのは大変だろう。これが高校生なら学校からの援助もあるだろうし,なにより時間がある。いや,時間はタイトだろうけど,団員の都合を揃えやすい。社会人はそういうわけにいかない。
 それでここまでやれるのは,強力なリーダーがいるか,団員の人的ネットワークをフルに活用できているか。端倪すべからざることだと思える。

2014年5月5日月曜日

2014.05.04 宇都宮北高等学校吹奏楽部第28回定期演奏会

宇都宮市文化会館 大ホール

● 3年連続3回目の拝聴。開演は午後1時半。チケットは800円(自由席)。
 この高校の演奏会は大ホールが満員御礼になることがわかっているので,前売券を買っておくことにしている。当日券より200円安くなるし。

● 生徒は毎年入れ替わるし,指導者だって途中で交替する。にもかかわらず,北高吹奏楽部のテイストというのは連綿と維持されているのだろう(と思う)。伝統というか校風(部風?)というか。不思議なものだよなぁ。人が替わるのに変わらないものがあるって。
 そんなことを思いながら,2階席に着いた。

● 3回目ともなれば,北高クオリティーに対するこちら側の信頼は揺るがない。間違いなく満足させてもらえるはずだし,あるいは満足を超えた驚きを持って帰れるだろう。
 ついでに申せば,信頼の対象は演奏だけではない。設営や進行や案内や受付の手際もまた,賛嘆に値するものであることは,過去2回で体験済みだ。

● 第1部。バーンスタインの「キャンディード」序曲でご挨拶。印象的だったのは,顧問の先生の指揮。力がこもっていて,しかも抑制が効いていた。これなら生徒たちも走りすぎることはないだろうと思われた。
 2曲目はティケリ「シェナンドーァ」。ここでの主役は木管(特にフルート)ということになりますか。音に表情がついていた。いや,聴く人が聴けばどうなのかわからないけれども,ぼくにはそう感じられた。表情までつけてくるか,と。これは奏者の力量。
 3曲目はラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」。こういう曲を高校生が取りあげるんだねぇ。これを破綻なくまとめてくる。そういう時代なんだ。

● 第2部は「スクリーン・ミュージック コレクション」。照明による演出も加わって,ブラスの本領という感じ。
 シフリン「ミッション:インポッシブル」。ドラムスも入る。ぼくなんかからすると,右手と左手を別々に動かせるのが驚異だからね。両手に鉛筆を持って別々の文字をスラスラ書くのと,ドラムを叩くのとどっちが難しいんだろう。というタワけたことを考えてしまうのが,素人の悲しさ。

● ロジャース「私のお気に入り」。「サウンド・オブ・ミュージック」に登場する曲らしい。映画はさすがに複数回見ていると思うんだけど(だいぶ,昔のことだ),この曲は記憶にない。っていうか「エーデルワイス」以外は憶えてないもんね。
 3曲目はジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」。今までバックにいた感のある金管が前面に躍りでて始まる。各パートの水準の高さが最もわかりやすかったのが,この曲。

● 第3部。今回は「眠れる森の美女」。歌のないミュージカルというか,ダンス付きの劇というか。
 ダンスの部分は,生徒たち自身も楽しんで遊んでいると思われる(そうでもないのか)。メインはあくまで吹奏楽にある。ここがしっかりしているから,彼らのダンスの動きを,こちらも楽しむことができる。
 実質的な主役は,オーロラ姫に呪いをかける悪の精カラボス。そのカラボス役の男子生徒がなかなかの健闘。デジレ王子の腕と指の動きにお色気を感じたんですけど。演じていたのは女子? じゃないよねぇ。

● オーロラ姫が100年の眠りから覚めるシーン。どうしたって,ディズニーの「ワンマンズ・ドリームⅡ」を思いだしちゃう。オーロラ姫がむっくりと起きあがるじゃないですか。何の反動もつけずに腹筋の力だけで。腹筋,すげー,って見るたびに思ってましたよ。
 それはここでも同じ。意外に簡単そうなので,自分でもやってみたんだけど,ムリ。まるでムリ。腹がつかえて起きられない。

● 終演後は部員たちが駆け足で出口に並んで,お客さんを見送るのも例年どおり。ステージでのテンションをほぼそのまま維持した状態なんでしょ。興奮さめやらぬという。
 この状態の生徒たちには,何というのか,力がある。こちらがどう出ても勝てないと思わせる力。踊る阿呆と見る阿呆の間には,天地の差がある。

2014年5月1日木曜日

2014.05.01 間奏40:チケットを忘れて出かけたバカ

● コンサートの催行にも適した時期っていうのがあるんでしょうかね。例年,2月と6月は少なくなる(今年の6月はそうでもないようだ。栃木では)。3月,5月,7月は多くて,栃木県内に限っても重なってしまう。どちらかを選ばされる。できればどちらにも行きたいんだけどね。事情を知らない者の勝手な言い草だけれども,もうちょっとバラけてくれると有難いんだけどなぁ。
 で,その5月になった。演奏会だけに限っていえば,最も華やぎのある月だ。ぼく一個のイメージなんだけど。

● いそいそと出かけていった。電車とバスを乗り継いで。ところが,チケットを忘れてきたことに気づく。
 あったんですよ,こういうことが。さすがに初めての失態なんですけどね。

● 前日の夜,就寝前に忘れちゃいけないと,チケットを入れてある紙袋から取り出してテーブルのうえに置いておいたんですよ。忘れないように。それでも忘れた。慌てて出かけたわけでもないですからね。タップリ時間はあったんですから。
 どんだけアホなんだよ。納豆の糸で首くくれよ。

● ぼくは財布とケータイだけ持って出かけるというタイプではないんです。カバンを肩にかけて出かけるわけです。日替わりでカバンを替えると必ず忘れものをするから,オンでもオフでもカバンだけは替えないことにしてる。
 そのカバンに財布と手帳とノートとペンとスマホとケータイ(2台持ちなんで)を入れておくわけです。

● チケットは手帳に挟んでおくことにしてるんですよ。忘れた理由はですね,テーブルに出したところで止めてしまったことですね。
 いつものとおり手帳に挟んでカバンに入れるところまでやっておくべきだった。いつもそうやっているから,翌日はいつものパターンでそのまま出かけてしまったというわけでした。

● けっこう用意周到で,財布だの手帳だのは,家に戻ってもカバンがそれらの定位置であることを変えないようにしてるんです。カバンを傍らに置いておいて,カバンから出して使い,使用後はカバンに戻す。机やテーブルに出しっぱなしにはしない。
 用意周到に至った理由は,何度も財布や定期券を忘れたことがあるからなんですよね。痛い目にあって覚えた習慣なんですけどねぇ。

● にもかかわらず,パターンを踏みはずしてしまった。反省,反省。
 それと,ぜひとも聴きたいと思うコンサートではなかったことも影響してるかも。チケットの扱いが雑になってたかもなぁ。

● こういうのを防ぐ最強の方法は当日券を買うことですよね。当日券で行けそうなものはそうしてるんだけどねぇ。けど,当日券でOKと踏んでいて,転んだこともあるしな。
 結局,そのコンサートはどうしたんだって? 聴かないで終わりました。もう一度チケットを買い直す気にはなれなかったし,取りに戻るには時間がなかったし。諦めましたよ。