宇都宮市文化会館 大ホール
● vol.3から,後期交響曲をメインにしたオール・チャイコフスキー・プログラムの演奏会になっていた。指揮は大井剛史さん。
今回が3回目。かつ,今回で終わりになる。
● 開演は午後3時半。ぼくの席は今回もB席(2,000円)。2階席の最前列だから,ぼく的には充分だ。満席の盛況。
● まず,組曲「眠りの森の美女」。バレエ曲とはいえ,優雅一点張りではない。っていうか,優雅一点張りのバレエ曲などないといっていいでしょうね。
とはいえ,一点張りではないけれども,基調はゆったりとした雅びさにある。が,演奏する側はそんな状況じゃない。耳に届く雅びと,目に届く慌ただしさが好対照。
● 次は,「ロココ風の主題による変奏曲」。ソリストは宮田大さん。
宮田さん,このシリーズ,3回目の登場になる。1回目でカバレフスキーの「チェロ協奏曲第1番」を演奏し,2回目では今回と同じ「ロココ風の主題による変奏曲」を演奏している。
いずれも,ぼくの記憶からは完全に消滅している。聴く耳を持たないで聴いたものは,だいたいそうなる。だから,今回聴いたのも忘れてしまう公算が大きい。いい悪いではなく,仕方がないというべきでしょうね。
憶えていたにしても,記憶は必ず変容を受ける。それが救いだともいえるけれども,変容が邪魔になることもある。
それゆえ,忘れてしまうのは,もったいないといえばもったいない。ありがたいといえばありがたい。
● その宮田さん,巧さの塊という印象。巧さだけではないんだろうけど,こちらが感知できるのはその程度のところにとどまる。
切れるところは鋭く切れ,ピアニッシモでは極限まで微少を追求し,切なく歌うところでは抑制を効かせた切なさが客席に届く。
アンコールはバッハの無伴奏組曲から第3番「ブーレ」。
● 最後は,交響曲第6番ロ短調「悲愴」。
「悲愴」の「悲愴」たるゆえんは第4楽章にあるんだろうけど,第1楽章の有為転変きわまりない,めまぐるしい展開が印象的だ。
● プログラムの曲目解説に,「「悲愴」というその和訳も,「原題のpateticheskayaは“燃えるような興奮に充ちた”の意味であり,“悲しみ”のニュアンスはない」と,ロシア語に通じた研究者たちから疑問が呈されている」とある。
「悲愴」を感じさせるのは典型的には終曲部。ここでなるほど「悲愴」だと思ってしまう。けれども,これが全体からするとやや唐突な感じを受ける。それだけ効果が大きいともいえるわけだけど,ぼくとしては“ロシア語に通じた研究者たち”の疑問にシンパシーを覚える。
「悲愴」だと思って聴くからそう聴こえる,ってこともあるんじゃなかろうか。
● というようなことを考えるのも,演奏が見事だったからで,やっぱり違うなぁという印象だね。
アンコールもチャイコフスキーで,組曲「モーツァルティアーナ」から「祈り」。この曲を生で聴くのは二度目。
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