ミューザ川崎 シンフォニーホール
● 音大フェスティバルの2回目。開演は午後3時(これは各回とも統一されている)。
● まず,初登場の上野学園大学。指揮は下野竜也さん。客席もほのぼのとした拍手で初登場を歓迎した感じ。
ウェーベルンの「管弦楽のための5つの小品」。ウェーベルンはシェーンベルクのお弟子さん。プログラムノートの楽曲紹介によれば,ウェーベルンは「極度に凝縮した音楽のあり方を模索した」人であるらしい。
「伝統的な和声や旋律,形式といった概念が後退」し,「揺らめきや震え。かすかに気配を漂わせ,一瞬のうちに沈黙の中に消え去ってしまう,何か」が浮かび上がるというのだが,聴いてみるとたしかにそのとおりだった。
● が,その「何か」が何なのか。それは聴いた後もわからない。こういうのはわかろうとしてはいけないものなのかもしれないとも思った。
わかるというのは,自分にとって既知の知識や概念に組み込んで,違和感を取りのぞくことだから。そんなことをしたのでは,せっかくの「何か」が死んでしまうかもしれない。
脈絡のない5つの夢を続けて見たような感じもした。
● 次はモーツァルトの交響曲第35番「ハフナー」。CDでは何度も聴いているこの曲も,生でとなると,あんがい聴く機会がない。
演奏する側にとっては,道は単純でわかりやすいけれども,幅員が狭くて,無事に通り抜けるのはそんなに簡単じゃないってことになるんだろうか。
下野さんの指揮ぶりも見所のひとつだったと思う。
● 武蔵野音楽大学は,バルトークの「管弦楽のための協奏曲」を用意。指揮は時任康文さん。
この曲もぼくには難解。バルトークは何をしたかったのだ? それがわからなくてね。曲を聴いたんだろ,それが俺のしたかったことなんだよ,と言うんだろうかなぁ。
● あらゆる奏法を散りばめ,考えつく限りの音の連鎖と組合せを披瀝し,すでにある旋律と自分の楽想を詰められるだけ詰めこむ。そういうことをしたかったのか。
要するに,散らかってるなぁと思ってしまうわけですよ。
バルトークは病をおしてこの曲を完成させた。そんなときに,アラカルトの食べ放題メニューを作るようなことはしないでしょ。
おかしいのは自分の方だよなと思ってましてね。結果,いはく,難解。
● 洗足学園は,レスピーギの「ローマの噴水」「ローマの松」。指揮は秋山和慶さん。
ハープのほかに,ピアノ,チェレスタ,オルガンも加わり,バンダも登場するわけだから,大編隊になる。当然,そんなに聴ける機会はない。
と思いきや,「ローマの松」は一昨年度のこのフェスティバルの合同チームの演奏で聴いているんでした。指揮も秋山さんだった。あのときは,メインがマーラーの5番だった。とんでもなかったな。
● 演奏はもうね,ひれ伏すしかない感じ。ここまで3大学の演奏を聴いて,チケットが750円であることを思うと,あまりのお得感に膝がガクガクする。
が,作曲家に対して,ここまでの大編隊にする必要があったのかね,と思ったりもしてね。埒もないことがチラッチラッと頭をかすめた。
● 終わってみれば,グッタリと心地よい疲れが残った。これがライヴを聴くことの醍醐味でもある。
願わくば,今から栃木の田んぼの村まで帰る必要がなければ,最高なんだが。
● 今回は近くにブラボー屋がいた。ブラボー屋って,意外に内弁慶でオタクっぽい人が多いのかもしれないね。
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