栃木県総合文化センター メインホール
● 開演は午後7時。チケットは800円。
さて,ここでつまらない,あまりにつまらない話をしなければならない。いや,しなければらないってことはぜんぜんないんだけど,しておきたい。
初めてこの楽団の演奏を聞いたのは2009年の7月,第67回の定演だった。そのとき,アンケートに答え,アンケート用紙に住所と氏名を書いてだした。
ら。次からは招待状のハガキが届くようになった。
● が,どうもその,タダで聴くってのが面白くない。チケットは800円なのだから,その800円を払ったうえで聴きたい。
終演後に指揮者とコンマスに花束を贈呈することが多いじゃないですか。自分が払った入場料が,その花束の花の1本の何分の1かに化けているんだなと思えたほうが気持ちがいい。払っていないと,あれは人のお金で成りたっているもので,自分はまったく与っていないなと思わなくちゃいけない。あまり愉快ではない。
● 大学オケってカンパを募るところもあったりする。宇大オケもそれをやってくれれば,安んじて招待状で聴けるんだけど,ここはそういうことはやらないようだ。
となると,招待状があってもチケットを買って入場することにするか。
● ところが,ここでまたイジイジと考えてしまう。招待状を出すにも手間とコストがかかっているはずだ。最低でも52円の郵送料はかかるんだし,プリンターのインク代とかね,細々とかかる。何より時間がかかる。
そうやって投函してくれた招待状を使わないのも申しわけないのじゃないか。気持ちは千々に乱れるわけね。
● でね,チケットを買ったうえで,招待状で入場したこともあるんですよ。でも,これもどこかおかしい。神経症的な感じも受ける。
結局,チケットを買うのと招待状で入場するのを,交互に採用することにした。今回はチケットを買う番。
長々とした前振りは以上で終わり。
● 曲目は次のとおり。
ヴェルディ 歌劇「ナブッコ」序曲
チャイコフスキー バレエ組曲「くるみ割り人形」
ブラームス 交響曲第1番 ハ短調
● 指揮は北原幸男さん。貴族的な顔立ち。藤原摂関家の血筋につながるんじゃないかっていうようなね。
って,そういうことはどうでもよくて,指揮者って反射神経とスピード感なんだと思うんですよね。頭なんか使ってたんじゃ音楽は停まってしまう。
彼のシャープな動きを見て,そう思う。
● 「くるみ割り人形」は優美であるよりも骨太であることを優先したようだった。なるほどねと思いながら聴いてたんだけど,ピンぼけな感想かもしれない。
● 現在まで残っている交響曲の中で,最も質量(=エネルギー量)の大きい曲はどれか。ベートーヴェンの第九でもなく,マーラーでもブルックナーでもなく,ショスタコーヴィチの7番でもなく,ブラームスのこの第1番ではないかと思うことがある。
構想20年は関係ないはずだ。サラサラ書いたか苦吟したか。それと作品の質量とは何の関係もない(と思う)。
けど,ブラームスの1番に関してだけは,ブラームスの長きにわたる怨念というか焦りというか魂というか,それが練り込められて質量に転化しているようにも感じられる。
● こういう曲に対面するとき,奏者側はどう覚悟するんだろうか。覚悟っていうか,気持ちの始末をどうつけるのか。
どんな楽曲でも,演奏するときには,それ相応の気持ちの整理が必要で,この曲に限った話ではないんだろうけどさ。
● 弦を中心にOB・OGが助っ人に入っていた。それもあってか,あるいはそれがなくても同じだったか,きっちりと大人のブラームスになっていた。
大人のブラームス? 何だそれ? 書いていて自分で突っ込みを入れたくなった。
安定していた。少しくらい押されても崩れないぞっていう感じの演奏だった。
ますますわからないね,これじゃね。
● 曲が奏者をインスパイアするってことが絶対にあると思う。ステージの奏者たちがブラームスにインスパイアされていたと思われた。
集中,そしてまた集中。それはインスパイアの結果であったか。
● アンコールはブラームス,ハンガリー舞曲からおなじみの5番。満足した。満ち足りたという意味の文字どおりの満足だ。
いやいや,800円払ってチケットを買って良かったよ。
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