2016年3月22日火曜日

2016.03.19 早稲田室内管弦楽団 プロムナードコンサート2016

IMAホール(光が丘IMA)

● 「早稲田大学交響楽団の1992年度卒団生が中心となって結成され」たと,この楽団のホームページで紹介されている。
 大学オケはあまたあるけれども,早稲田大学交響楽団は演奏水準においてもレパートリーの広さにおいても,先頭を走っているのではないかと思われる。

● 早稲オケの演奏は二度しか聴いたことがない。それでここまで言うのも何だけれども,印象はかなり強烈だった。
 そのOB・OGであれば,聴いてガッカリさせられるはずはないなと思った。では行ってみよう,と。

● 新宿で都営大江戸線に乗換え。新宿駅っていうのはねぇ,東京の魔窟というか,行きたくないところなんですよね。なぜというに,構内で迷子になるんだもんね。最悪,現在地がどこなのかわからなくなる。
 サザンテラスができてからだよねぇ。駅にもサザンテラス口ができて,動線が非常にわかりづらくなった。って,ぼくの方向感覚がちょっと悪すぎるだけなんだと思いますが。

● 無事に乗り換えて,大江戸線の終着駅,光が丘に着いた。かなりの時間,乗っていた気がする。ギリギリ東京の練馬区になりますか。もうちょっと行くと,埼玉県和光市になる。
 駅を出ると大きなショッピングセンターがあって,会場のIMAホールもショッピングセンターの中にある。マンションもニョキニョキはえている。高層団地っぽい。真っさらなところを開発したんでしょうかねぇ。

● 開演は午後2時。チケットは1,000円。当日券を購入。曲目は次のとおり。
 ホルスト 第1組曲(ゴードン・ジェイコブ編管弦楽版)
 バッハ シャコンヌ(ヨアヒム・ラフ編管弦楽版)
 ドヴォルザーク 交響曲第8番 ト長調

● 以上の曲を指揮者なしで演奏する。「通常は指揮者を置かず,メンバー同士がアンサンブルを大事にして音楽を作り上げていくように心がけており,練習ではプロフェッショナルの指導を仰いでいます」とのことだ。
 名前に室内と付くものの,れっきとしたオーケストラだ。ドヴォルザークの8番まで指揮者なしでできるのかと思ったら,できるんだな,これが。

● まぁ,不思議はない。たいていのオーケストラはできるんだろう(が,どのレベルでできるかっていうのは,別の問題)。
 コンマスが1曲ごとに交替した。女-男-女。奏者がコンマスをチラッと見る。チラッとなんだけど,真剣なまなざしで。
 コンマスが指揮者を兼ねる。3人目の女性コンマスがコンマス兼指揮者としてお見事。どんどんサインを出していく。奏者から見てわかりやすいだろう。

● バッハの「シャコンヌ」は元々は無伴奏ヴァイオリン曲。それをピアノ版,吹奏楽版,弦楽合奏版,管弦楽版など,いろんな人が編曲してきた。そうさせるだけの魅力をバッハの原曲が持っているわけだ。
 その中で,管弦楽版は生で聴く機会を持てないで今日まできてしまった。やっと渇きを癒せると思ったのが,光が丘まで来た理由の第一。

● 2010年2月28日に宇都宮で“パーカッション&ホルン「クラシカルコンサート」”っていうのがあって,そこに登場した伊勢友一さんが,シャコンヌの管弦楽版を聴いて,音楽ってこんなにすごいことができるのかと感じ入った,それがこの道に進むキッカケになった,ということを話していた。
 それが妙に記憶に残っていて,一度,生で聴いてみたい,と。

● というわりには,CDは1枚しか持っていない。斎藤秀雄編のもの。下野竜也さんの指揮で読響が演奏しているものだ。それを繰り返し聴いてきた。
 ラフが編曲したものは,斎藤編と比べると,軽快で小気味がいいように感じた。デコラティブになることを免れているといいいますか。
 逆に斎藤編に感じる荘重感のようなものは少なくなる。

● ドヴォルザークの8番。コンマスの貢献もあると思うんだけど,指揮者なしでここまでやれるんだな,というのがまず驚き。
 こういうのを聴くと,指揮者って本当に必要なのかと思うんだけど,ま,必要なんでしょうね。

● 3楽章の滑るように肌理の細かい甘美さが見事に表現されていたし,4楽章冒頭のトランペットのファンファーレも完璧。

● 自分が聴きたい演奏ってこういうものなんだよ,と自分が気づかされる。一途なんですね。スレていない。まっすぐな感じがする。
 技術に関しては,現時点で充分に巧い。もっと巧くなってもらってもいいけれども,巧さだけが勝るとその半面で何かが失われないかと不安になる。巧さよりもその何かのほうが重要なのだ。
 ただし,その何かとは何かと問われると,わからないとしか言えない。わからないんだけど,何かすごく大事なものを彼らは所有しているように思われる。

● アマチュアの特権なのかもしれないけれど,ひとつの演奏会にじっくりと時間をかけることができる。じっくりと時間をかければいいものができるとは限らない,というのも真理には違いない。逆に,時間をかけなきゃダメだということも,たぶん,ないだろう。
 が,時間をかけるのがうまく効けば,今回の演奏になる。貯めたものを一気に吐きだすときに出てくる勢いのようなもの,あるいは潔さのようなもの。出し惜しみのなさ。押しつけがましくなく,吸引力だけがある。

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