すみだトリフォニーホール 大ホール
● このオーケストラ,凄すぎる。1976年に立教大学交響楽団OBが中心になって設立,その後「広く門戸をひろげ」た。
カーネギーホール,ウィーン楽友協会大ホール,北京の世紀劇院大ホール,ベルリンのフィルハーモニーホールで演奏している。他に,ヨーロッパ公演に何度か出かけているようだ。
コンサートマスターは元N響の永峰高志さん。CDも何枚かリリースしている。限りなくプロっぽい感じだよね。
● 今回も,指揮は小林研一郎さん,ソリストに仲道郁代さんを招いている。
ついでに申せば,入場料も3,000円(S)と2,500円(A)。プロオケだとだいたい5,000円といったところだから,まぁ安い。が,アマチュアとしては高いほうに属する。
● しかし,聴き終えてみれば,この3,000円はかなり安いのだった。ほかにも,高名なアマチュアオーケストラがあるね。機会を得て聴いていきたいとは思っているんだけど。
これでアマチュア?って思いますよね。プロとアマ,単純に二つに分けて,そのどちらかってやってしまうのは,単純にすぎるんだろうけどねぇ。プロより巧いアマがいるようなんだよなぁ。
● 曲目は次のとおり。
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調
ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 ニ短調
● ソリストは前述のとおり,仲道郁代さん。彼女のピアノは過去3回聴いている。彼女がベートーヴェンのピアノソナタ全曲を収録したCDを出していることも知っている。っていうか,そのCD,ぼくはすべて持っている。
で,思うに。仲道さんってこんなに巧かったっけ・・・・・・。なっなっ・・・何を言っているんだ,オレは。ぼっぼっぼっ・・・暴言多謝。
● こういうふうに感じたことについて,以下に弁明。
過去に聴いた中にはホールがそれこそどうしようもなかったこともあるし,その他いくつかの理由をでっちあげることができるんだけれども,要は,こちらがいいものをいいと感じられる水準になかったってことなんだと思う。
しかし。これほどのものをいいと感じられなかったって,いったい何なんだ。音盲というやつか。
● 小林さんは,大晦日恒例になった感のある,東京文化会館で行われる「全九」で何年か連続でタクトを取っている。そこで毎回感じることは,オケに対してへりくだるというか,オケを持ちあげるというか,オケにたいして腰が低いというか,そういうことだ。
「全九」のオケは全日本選抜といっていい陣容だから,ことさらにそうしているのかと思ってたんだけど,そうではなかった。
● 演奏が始まってしまえば,指揮者は専制君主だ。また,そうでなければならないものだろう。が,専制君主でいられるためには,その前に心を砕かなければならないことがあるのだろう。
オケからリスペクトを獲得するのは最低限として,適度な距離を計らなければならない。どの長さが適度かは人によって違うし,状況によっても変わってくる。
心の砕き方も人によって方法論は違うだろう。小林流はこうなのだね,たぶん。
● ショスタコーヴィチは,ぼく的にも最も気になる作曲家のひとり。同時に,あまりお近づきになりたくない気持ちも強い。
要はややこしいからなんだよね。スターリンが君臨するソ連に生きている以上,共産党から睨まれれば命がない(かもしれない)。かといって,社会主義芸術に堕したくはない。そのアンビバレントの狭間で苦吟するというイメージ。
● そうなんだと思う。そうなんだと思うんだけど,そうなのか。いや,それだけなのか。それはあまねく普及している固定眼鏡だけれども,その眼鏡で彼を見ていいのか。別の見方はないのか。
っていう,何とも名状しがたいムズムズ感があるんですよねぇ。
● では,すべては作品が語っているはずだから,そういった予備知識を一切捨象して,無心に作品に対すればいいか。
どうもそういうわけにもいかない気がする。無心にこの曲を聴くと,(ぼくの場合はなんだけど)ひとつの世界を築くことができない。何が何だかわからなくなる。
● 面白いんですよ。第1楽章なんか,地の底から宇宙に飛びだし,そのまま地上に戻ってくるみたいな,超高速エレベーターに乗せられて上下に動かされているみたいな(しかも,エレベーターはガラス張りになっていて,外の風景が見えてしまう感じ),軽い酩酊感に襲われる。
第3楽章のたゆたうように優雅でありながら,どことなく無機質なたたずまい。味わうべきところはたくさんある。
● というわけで面白い。だけれども,自分の中でまとまりがつかない。
まぁね,そうやって愚痴っていいほど聴いているわけではない。こうやって高水準の演奏を聴かせてもらうと,ふっと思うわけですよ。
よしっ,今年はショスタコーヴィチ・イヤーにしよう。彼の全曲を聴いて聴いて聴きまくってやろう。
● 今どきだから音源なんてタダでいくらでも手に入るじゃないですか(だものだから,大量の音源を集めようと思えば,いくらでも集まってしまう)。
デジタル携帯プレーヤーやスマホがこれだけ普及しているんだから(しかも,ハイレゾ対応なんぞというすごいことになっている),文字どおり,音楽を持ち歩くことができる。
聴く環境は史上空前といっていいほどに整っている。あとは聴くだけだ。だから,よし聴こうという気にさせてくれるライヴをとらえて実際に聴くように持って行ければ,そのライブは一粒で二度美味しいってことになる。
● 実際にそうすることはたぶんないんだけどね。それが見えてるわけでさ。ここがどうにも問題なんだけど。
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