2016年3月30日水曜日

2016.03.26 第5回音楽大学フェスティバル・オーケストラ

東京芸術劇場 コンサートホール

● 首都圏の9つの音大の選抜チームによる演奏会。昨年の11~12月には各大学ごとのオーケストラの演奏があった。最後にオールスターチームが演奏する。
 この時期だから,4年生は卒業式を終えている。3年生主体のチームになるのだろうと思っていたんだけども,そうではないらしい。
 「学生が“ひとりの音楽家”となって学び舎を巣立つ前に,大学の垣根を超えてひとつのオーケストラを奏でる,夢の2日間である」とプログラム冊子に書かれていた。
 “夢の2日間”というのは,昨日もミューザ川崎で同じ演奏会をやっているからだ。

● そうなのか。この時期だと出たくても出られない学生も多いだろうけど,思いで深いイベントになるんだろうな。
 大学の4年間は誰もが同じ場所で同じことを学ぶ。が,4月からはそれぞれの道を行くことになる。3年,5年,10年と経つうちに,いよいよ自他の立ち位置は大きく離れることだろう。同級生だからといっても,思いで話以外には,話が合わなくなる。
 そうなるはずで,ならなかったらおかしい。

● 音大に入ったくらいなんだから,プロの音楽家を目指していた人が多いのだろう。が,プロの道に進むのは,彼らの中のほんの一部のはずだ。
 彼ら彼女らの多くは小さい挫折感を味わっているのかもしれないし,当初の想定どおりでサバサバしているのかもしれない。
 どっちにしたって,切替えは速い人たちなのだろうな。切替えの速さは,演奏家に求められる資質の中でも,重要なもののひとつなのだろうから。

● 開演は午後3時。席はSとAの2種で,S席が2,000円。今回のぼくの席はだいぶ前のほうで,管楽器の奏者は見えなかった。その変わり弦は奏者の息づかいまで感じられるほど。
 プログラムは次の2曲。ロシアの東西横綱揃い踏みという感じ。指揮は尾高忠明さん。
 チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調
 ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 ニ短調

● チャイコフスキーの5番を聴いてから,ショスタコーヴィチの5番を聴くわけですよ。聴くほうにもそれなりのスタミナが要求される。演奏する側にとってはさらにそうだろう。

● まず,チャイコフスキーの5番。2楽章のホルン独奏もまったく危なげなく,最初から最後まで安心して聴いていられるのは,当然といえば当然。
 動きもきれいだ。背中がピンと伸びた美しきコンサートミストレスが,画竜の点睛となって,絵として見ても様になっている。

● ショスタコーヴィチでは男性のコンマスに交替。プログラム冊子の曲目解説からひとつだけ転載しておく。
 第4番の作曲の筆を進めている最中,1936年1月,プラウダ紙にある記事が載る。新聞中面に掲載された匿名の小さな記事の題名は「音楽の代わりに荒唐無稽」。ショスタコーヴィチのオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」を批判する内容だが,この意味することは重大だった。スターリン政権下,西欧流の難解な音楽を書く作曲家は“形式主義者”とみなされ,粛清される,芸術への弾圧が始まったのだ。ショスタコーヴィチは交響曲第4番をその後完成させ,リハーサルを始めたが,曲の危険性を察知したか,急遽初演を中止した。そして1年後の1937年,プラウダ紙の批判記事への返答のように,体制が求める社会主義リアリズムに叶うように作曲したのが交響曲第5番である。
● この曲は先週も聴いている。コンサートを選ぶときに,曲で選ぶことはあまりないので,これは偶然そうなったにすぎない。
 こういう偶然はむしろ歓迎するところだけれど。

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