● 今年も開催される首都圏の音楽大学オーケストラ・フェスティバル。著名な指揮者が音大の学生オケを率いて競演する。チケットは1,000円。破格の安さだ。ぼくは通し券を買っているので,750円。
問題は,自分を会場まで運んでいくための電車賃が3,790円ほどかかること(自治医大駅でいったん降りて,「休日おでかけパス」を買う)。しかし,それでも聴きに行く価値は充分にある。今回で3年目になる。
● 初回の今日は,武蔵野音楽大学と洗足学園音楽大学。開演は午後3時。
武蔵野音楽大学管弦楽団はシベリウスの2番。指揮は梅田俊明さん。
● 今,ここで演奏している学生たちの多くは,演奏家ではない道を進むのだろう。そこは音大だからといって他の学部とあまり異なるところはないだろう。
問題は,法学部や経済学部,文学部といった普通の学部であれば,普通に高校生をやっていればいい。そのために意識して抑制することなど何もなくてすむ。何もなくてすむと言い切ってしまっていい,とぼくの経験から言っておく。
● ところが,音大に入るためには,子どもの頃から楽器をやっていなければならない。1年か2年,受験勉強的に楽器の練習をして入れるものではないだろう。
楽器の練習のために,やりたいと思ったのにやれなかったことも多かったに違いない。そこが普通の学部とは違う。
● 入学前に投じてきた時間と労力(たぶん,お金も)がまるで違うのだ。加えて,入学時にすでに進路の幅を大きく制限されることを,自ら受け入れているように思われる。会社員や公務員といった普通のサラリーマンになりたいとは思っていないだろうから。
入学後も,法学部や経済学部の学生は勉強などしないですむけれども,音大だとレッスン漬けになるのではないか。入学後の過ごし方も他とはだいぶ異なるものになる。
● にもかかわらず,学生の多くはサラリーマンになる。そこの屈折はいかほどのものなのか。案外,そういうものだと受け入れているのかもしれないけど。
そういう目で見てしまうからなのか,ステージの学生たちに純なるものを感じてしまう。ま,こちら側のたんなる感傷なのだろうけどね。
● してみれば,多くの学生にとっては,今回の演奏が今までの20年近いあれやこれの体験の集大成なのだろう。
プロの演奏家になるのでもない限り,卒業後にこれまでと同じ質量のレッスンを継続することは難しいはずだから,それぞれ自分史上最高の演奏をするのが今回なのかもしれない。
● という気持ちでシベリウスを聴く。しみじみとした演奏だった。終演後はいくつかブラボーの声が飛んだ。ぼくの隣のお父さんも叫んでいた。
● 洗足学園音楽大学管弦楽団は「展覧会の絵」。指揮は秋山和慶さん。
3日にも聴いたばかりの曲だ。そのときは,サクソフォンをクラリネットと間違えるというチョンボを犯した。
今回はそこはさすがに誤らなかったけれども,さて,どこまで聴けたものやら。
● ぼくはプロオケの演奏はさほど聴いた経験がないので,あまり語る資格がないんだけど,たぶん,プロの演奏を聴いても,ここまで襟を正す気持ちになるかどうか。
演奏に載せているものの大きさ。それが彼らは違うように思う。そこが直截に伝わってくるというか。
終演後はこちらも疲れている。もちろん,心地のいい疲れではある。
● ただし,それもこちらの感傷のせいかもしれない。聴くという行為にもたぶん創造的な部分があるのだと思うけど,そこを聴き手が自在に操れるものではないのだろう。
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