東京大学駒場Ⅰキャンパス900番教室(講堂)
● 2年前は東大の五月祭と駒場祭,芸大の藝祭と3つの大学祭に出かけていった。タダで高水準の演奏をたくさん聴ける。こんなお得なことはないっていうケチ根性からだ。
藝祭にしても東大のふたつの大学祭にしても,プチ「ラ・フォル・ジュルネ」じゃないかと思うほどに舞いあがったものだけれども,やはり場違いなところに来ているという感が強かった。藝祭と駒場祭ではそのことを痛感した。
学生のお祭りなんですよね。若い世代だけで盛りあがりたいわけだよね。当の学生たちに訊けば,いやそんなことはないですよ,どなたでも来ていただければありがたいですよ,と答えるに違いない。だけれども,場の空気というのは自ずと現れるもので,その空気を乱しては申しわけない。
ということで,昨年は行かなかった。っていうか,ずっと行かないつもりでいた。
● のだが,今年は駒場祭の最終日にだけ,お邪魔させてもらうことにした。ケチ根性が勝った結果だ。
それとね,若い学生たちの演奏には,他にはない清々しさっていうか,もっと伸びる芽が見えるっていうか,いわく言いがたい魅力がありますよね。自分が年をとったからいっそうそう思うのかもしれないんだけど。
● 駒場祭の企画の多彩さは目が眩むほどだけれども,ぼくは他のことには興味がない。東大にいくつかある学生オケの演奏を聴きたい。それだけだ。
ちなみに,東大じゃなくてもいいんじゃないか,複数の学生オケがある大学は東大以外にもあるだろう,と言われるかもしれないんですけどね。なぜ東大か。その理由はひじょうに明解。ホームページなんですよ。
栃木から行くんでね,事前に予定を立てておきたいわけです,大雑把にでもね。駒場祭のホームページは企画内容とかタイムテーブルをしっかりと出してくれるし,タイミングが早め早めで,その予定を立てやすいんですよ。他大学はこのあたりがわりと不充分なんだなぁ。
● 11:15からフィロムジカ交響楽団(実際には11:30の開演となった)。「今年フィロムジカに入団した初心者の多くがこの曲で初舞台を踏みます」とのこと。駒場祭の性格からして,それはそういうものなのだろうな,と。
曲目は次の3曲。与えられる時間に限りがあるから,通常のコンサートよりも短めのラインナップになっている。
グラズノフ 祝典序曲
チャイコフスキー 幻想序曲「ロミオとジュリエット」
チャイコフスキー 交響曲第5番(ただし,3楽章と4楽章のみ)
● なるほど幼顔の学生たちだった。けれど演奏も幼いかというと,そんなことはない。
今年の秋はチャイコフスキーの5番を聴く機会が多い。もちろん,何度聴いてもOKだ。今日,この場所でしか聴けないものだから。それぞれの演奏が一期一会だから。
14日に聴いたキエフ交響楽団の演奏をどうしても思いだしてしまう。あのとき,キエフ交響楽団の「ロミオとジュリエット」をぼくは凡庸だと感じた。が,盛りあげ方は巧い,と。
だが,違った。楽譜どおりに弾いただけだったのだ。今回のフィロムジカの演奏も同じだったから,たぶんそうなのだろう。こんな初歩的な勘違いをわざわざ書くのもどうかと思うんだけど,ぼくの耳はどうもいけない。
● この楽団は東大以外の学生も参加しているけれど,多くは東大生。最近になってやっと東大コンプレックスというものから解き放たれたというか,どうでもいいじゃんと思えるようになった。
ただ,素晴らしい勉強頭のほかに,演奏のたしなみまで持っているってのは,羨ましい。自分との落差を感じてしまう。時代の違いってのもあるんだろうけどね。
● 会場である900番教室は2階席もあって,2階席の背後にはパイプオルガンも設置されている。音楽の演奏も考えて作られていると思われるんだけど,さすがに普通のホールと比べてしまえば見劣りがする。っていうか,比べてはいけないものだね。外の「祭」のざわめきも聞こえてくるし。
が,その分,全体が小さいから,ステージとの距離は近くなる。音響などはさほど気にならない。そもそも大学祭での演奏会だって承知して聴いてるわけだから。
● 次は13:30から吹奏楽部の演奏。この吹奏楽部は多くが東大以外の学生。そのほとんどは女子。ざっくりいうと,非東大の大勢の女子と東大の少数の男子で構成されている。
何が言いたいのかっていえば,東大男子が羨ましいぞ,と。
● 2年前の五月祭でも聴いたんだけど,巧いのかそうじゃないのかよくわからなかった(つまり,巧いとは思わなかったってことになりますか)。
が,3曲目の「ジェラード・コン・カフェ」(真島俊夫作曲)を聴くに及んで,認識を新たにした。巧いです。すみませんでした。今まで気づかなくて。
4曲目の「ヒロイック・サガ」(ジェイガー作曲)でさらにその感を深くした。聴いてよかったと思った。● 最後は15時から音楽部管弦楽団。こちらも「毎年1,2年生を中心に結成された駒場オーケストラで駒場祭に臨みます。今年はドイツ系作曲家の以下3曲を演奏します。若さあふれるオーケストラの響きをお楽しみください!」とある。うん,まさにそのために来ているわけでね。
こちらは次の3曲。
ウェーバー 歌劇「オベロン」序曲
ニコライ 歌劇「ウィンザーと陽気な女房たち」序曲
ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」
● たまげましたよ。1,2年生が演奏しても,ここまで完成度が高いってのは何事であるか。入部してくるのはその時点でかなりの腕の持ち主たちなのだろうと思うほかはない。ま,それをいうなら先のフィロムジカも同じだけれど。
現実に目の前で演奏しているのを聴いているわけだから,それを認めるしかないんだけども,いや,それにしてもね。
小器用というのでは全然ない。地力がある。本格的に巧い。こなすべきものはこなしている。では,大量に練習しているのかといえば,そうでもないような気がする。そのへんの凄さを感じるというか。
● ステージに段差がないので,1階席に座ると管の奏者は見えない。っていうか,手前のヴァイオリン奏者しか見えないんだけど,ヴァイオリンに関していうと男子がずっと多くて(ただし,コンサートマスターは女子),男っぽい感じの楽団だった。
その男っぽい楽団が表現は女性的というか,繊細というか,艶っぽいというか,光沢があるというか。変な言い方で申しわけないんだけれども,細い指で背中をなぞられるような感じでゾクッとしたぞ。
● 今回は模擬店を出している学生たちにも声をかけてみた。もちろん,普通に対応してくれる。たいてい混んでいるから,話しこむってところまではいかないけれど,普通に素直ないい子たちだよね。当然っちゃ当然な感想だけど。
こちらから「若い世代だけで盛りあがりたいわけだよね」と壁を作ってしまってはいけなかったなと反省しました。
演奏もそうだけれども,結局のところ,若い学生たちにエネルギーを分けてもらったってことになるんですかね。