2013年9月30日月曜日

2013.09.29 ロス・コンパニェロス~フォルクローレ演奏

栃木県立図書館ホール

● 栃木県立図書館が催行する「県民ライブコンサート」の今年度の3回目。開演は午後2時。入場無料。
 今回は,「フォルクローレ演奏~アンデスの響き」と題して,「ロス・コンパニェロス」の演奏。

● 「ロス・コンパニェロス」って,男性5人組のグループ。紹介によると結成して10年。ずっと同じメンバーで活動を続けてきたらしい。リーダーの相馬定治さんは最年長の75歳。5人で300歳を超えるとのことだ。
 お客さんの平均年齢もそれに応じて相当に高い。

● メンバーの友人だか親族だかはわからないけども,固定ファンというのか,ジョージっと声をかける人がいる。
 この種の固定ファンが一定割合を超えてくると,常連ばかりの呑み屋に紛れこんだよそ者の気分を味わうことになる。今回はそこまでのことはなかったものの,少々居心地の悪さを感じた。
 そういうところでもなお存分に楽しめるのが,観客の腕ってことになるんでしょうけどね。ぼくの場合,修行の余地あり。

● 演奏する曲の紹介をはさんで,演奏を始めるわけだ。が,その紹介が単調に過ぎたかも。素人にそれ以上を要求するのは酷かもしれないけれども。
 こういう演奏をする人って,(たぶん)ジャズも聴くんだろうから,メンバー紹介のタイミングも考えて欲しかったような。それと楽器の紹介はしてほしかったかな。
 常連さんが多かったから,いまさら紹介は要らないよね,ってことだったのかもしれないけどね。

● 登場した楽器は次のようなもの。
  ギター
  チャランゴ ギターを極限まで小さくしたような楽器
  サンポーニャ 長さの異なる管を束ねた笛
  ケーナ
  ボンボ 太鼓
  ハーモニカ
 ボンボの皮の材質は何だろうとか,そんなことが気になってしまった。ま,今どきだから,ネットをググればすむ話ではあるんだけどさ。

2013.09.28 須川展也サクソフォン・リサイタル with 田名部有子

栃木県総合文化センター サブホール

● 開演は午後2時。チケットは1,500円。事前に買っておいた。
 当日券もあったようだけれど,サブホールは「ほぼ」を付ける必要がないほどの満席。3階のバルコニー席まですべて埋まった。

● 「宇都宮短期大学創立50周年プレイベント」というわけで,大学側の招待客もいたろうし,コンサート終了後は,吹奏楽をやっている中学生や高校生にクリニックを行う「レベルアップ講座」があったから,中高生もまとまって来ていた。
 のだけれども,須川さんのサクソフォンをこの料金で聴けるとなれば,この程度には集まるものでしょうね。

● 第1部は須川さんのソロ。ピアノ伴奏は小柳美奈子さん。
 カッチーニ(浅川朋之編) アヴェ・マリア
 バッハ G線上のアリア
 吉松 隆 ファジーバードソナタ
 ピアソラ リベルタンゴ
 ガーシュウィン(狭間美帆編曲) 「すべてを知っている場所」からの便り

● この演奏について語る語彙が,どうもぼくの中にはないようだ。語彙がないということは,それに対応する感性や感覚もないのだと考えるべきでしょうね。
 モヤモヤとして言葉にならないもどかしさがあるんだけれども,たぶんそれは,出かかっているのに出ないといったものではなくて,感性がないために掴み損ねていることからくるもどかしさなんだと思う。

● 「アヴェ・マリア」はこちらの涙腺に働きかけてくる感じ。サクソフォンが歌っているという言い方は,できれば使いたくない表現だ。そうではない。このあたり,ピタッとはまる語彙が出てこないわけだ。
 あくまでなめらか。艶めかしいといっていいほどになめらかで,誤解をおそれずにいえば,女性的な演奏だ。須川さん,ひょっとすると女性的な感性を女性以上に持っている方かもしれないと思った。

● 「ファジーバードソナタ」は須川さんが依頼して作曲してもらった曲とのこと。ジャズっぽく始まって,いろんな表現が登場する。3楽章のはじめは神楽を連想させる。
 奏法もいろいろ出てくる。音をださないで息だけを発する。ガワを叩く。最後は重音奏法というんだそうだけど,複数の音を一緒に出す。当然,色は濁るんだけど,こんなこともできるんだなぁ,と。

● 「リベルタンゴ」はいろんな楽器で演奏される名曲ですな。クラリネットで聴いてよし,ヴァイオリンで聴いてよし,何でもよし。演奏時間もちょうどいい。
 ちょっと気分が下向きのとき,役に立ってくれるかも。ちょっと以上にふさいでいるときは,逆効果になりそうでもあるけどね。ぼく的にはiPodに入れておきたい一曲。

● 第2部は,次の3曲。
 スパーク パントマイム
 プーランク トリオ
 長生 淳 パガニーニ・ロスト

● 田名部さんのソロから。スパークの「パントマイム」をテナーサクソフォンで。田名部さん,須川さんのお弟子。高校生のとき,須川さんのコンサートは皆勤したと話していた。
 それがまっすぐ今につながっている。稀有な人生といっていいんだろうな。羨ましいとは思わないんだけど。いや,やっぱり羨ましいかな。

● あとの2曲は須川さんと田名部さんのデュエット。「パガニーニ・ロスト」も須川さんが依頼して作曲されたもの。
 ソプラノサクソフォンの音色って,クラリネットのようでもありオーボエのようでもあり,ときにフルートっぽかったり。それでいて,当然ながら,そのどれでもない。いろんな顔を持つ楽器。

● 小柳さんのピアノにも注目。当然,ソロの部分があるわけだけど,そこを含めて,伴奏は出過ぎちゃいけないってのが基本なんでしょうか。かといって,平板じゃつまらない。その辺の呼吸って難しいんでしょうね。
 小柳さん,その辺が緩急自在っていうか,須川さんと田名部さんを掌で転がしているような感じを受ける瞬間,瞬間があった。彼女のピアノのみの「リベルタンゴ」を聴いてみたいかなと思った。

2013年9月22日日曜日

2013.09.22 栃木県交響楽団特別演奏会

栃木県総合文化センター メインホール

● 前年度のコンセール・マロニエ21の優勝者をソリストに迎えて行われる演奏会。今回のソリストは戸原直さん(ヴァイオリン)と秋本悠希さん(メゾ・ソプラノ)。
 曲目は次のとおり。
 メンデルスゾーン 「真夏の夜の夢」序曲
 メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲 ホ短調
 ワーグナー ヴェーゼンドンクの五つの歌
 R・シュトラウス 歌劇「ばらの騎士」組曲

● コンセール・マロニエ21は,ピアノ,弦楽器,木管,金管,声楽の5部門で構成される。2部門ずつの開催なので,この演奏会のソリストも原則二人が登場する。
 それに合わせてプログラムを構成するから,結果,かなりユニークなプログラムができあがる。今回のプログラムも,普通の演奏会ではまず出てこないものではあるまいか。
 この美味しそうなプログラムで入場無料。開演は午後2時。

● 客席はほぼ満席。2階席の奥の方に少し空きがあったけど。
 後期高齢者が多い。この傾向はたぶん,全国的なんだろう。特に地方では。
 若いお客さんの開拓が急務だってことは誰だってわかることだけれども,しかし,これが難しい。若い世代に属する人たちの総数が急減しているわけだから。

● 休日に何をして過ごすか。徹底的に各人の自由だ。その自由は神聖にして侵すべからず。
 それでもって,楽しいことはいくらでもある。映画を見るもよし。買いものもよし。ディズニーランドに遊びに行くもよし。スポーツに興じるもよし。家でマッタリするもよし。クラシック音楽のコンサートに行くだけが能じゃない。
 観客数がこれからどうなるか。自ずと収まるところに収まっていくのだろう。っていうか,ぼくが心配してどうにかなるようなものでもないわけでね。

● メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲で,戸原さん登場。髪をオールバック気味にして,燕尾服を着用。若き芸術家っていう感じ(まさにそうなんですけどね)。
 体も細いので,全体的な印象がシャープ。聴き手は,こうした外見からも影響を受けてしまう。ぼくだけかもしれないんだけど。

● ぼく程度の耳しか持っていない者が,こういう物言いをするのはいかがなものかと思うんだけど,この1年間で確実に進歩されているような。充実した1年間を過ごされたのではなかろうか。まだ学部の3年生。いったいどこまで行くんだか。
 この時期って,身体的にも変化が大きいから,そっち方面から誘導されての印象になっているかもしれない。1年前のコンセール・マロニエのときとは,たたずまいからして違っていたからね。

● アンコールはバッハの無伴奏ソナタ第3番の第3楽章。たっぷり聴けて,ぼくもだけれど,客席も納得したようだった。ここでも拍手は盛大でしたね。

● 栃響にしても,メンコンは今年2月の定演でも演奏している。自分たちの負担を軽くしようっていう選曲でもあったのかねぇ。
 だとしても,ぜんぜんOKだ。当然だと思う。栃響って,実際,よくやっているなぁと思いますもん。

● 15分間の休憩後,秋本さんが登場。紺色のドレス。これほどの美人なら何を着ても似合ってしまうんだろうけど,今回は妖艶さが付け加わった感じ。何ともミーハーな言い方で申しわけないんですが。
 今月7日の藝祭でも彼女のステージを聴いてるんだけど,あのときは表情も構えも固さを崩さなかった。演奏したのが「オラトリオ長崎」でしたからね。それでニコニコしてたんじゃ顰蹙ものだもんな。
 今回は柔らかさも出してた。地が美形なうえに,妖艶と柔和が加わるんだから,天下無敵。世界は私のもの。

● ワーグナーのこの曲は初めて聴く。ワーグナーの並外れた生命力には敬服するしかない。次から次へと愛人を作れば心理的にも消耗するだろうに,と凡人は思うわけだけど,そんなのは彼には通用しない。
 これも愛人の詩に曲を付けたもの。彼が残した仕事の質量の膨大さとともに,感嘆する以外にありませんな。

● アンコールは日本の「ふるさと」。この間,客席からはしわぶきひとつ聞こえなかった。曲と詩のアピール力。日本人なら誰でも知っているし,誰もが心の琴線をマッサージされたと感じるに違いない。
 これをアンコールに持ってくるのはルール違反じゃないかと思いつつ,秋本さんの歌唱の説得力に圧倒される快感。

● 最後は栃響だけで,組曲「ばらの騎士」。ハープも2台入る大編隊。
 この楽団の生産性の高さは,なんだかんだいって,たいしたものだ。そのあたりは,お客さんもわかっているのだろう。拍手に温度があるように思われた。

2013年9月16日月曜日

2013.09.16 間奏33:台風18号

● 今日は東京芸術劇場で行われる管弦楽のコンサートを聴きに行く予定にしていた。のだが。
 朝方,豊橋に上陸した台風18号がこちらに向かっている。ネットで確認すると,すでに首都圏でも交通機関の混乱が起きている。
 これで催行するのかどうか。こちらもネットで調べてみたが,特に中止という告知はなかった。
 しかし,さすがに思いとどまって出かけないことにした。

● で,その台風なんだけど,もろ直撃された。それにしては,幸いなことに,わが家の近辺では大きな被害はなかったようだ。実際,いつ来て,そして去っていったのか。はっきりとはわからなかった。
 常磐線や埼京線では運休もあったようだけれども,宇都宮線は終日,遅延はあったものの,ほぼ通常運転を維持できたらしい。

● ともあれ,台風が去ってから,宇都宮の街に出かけてみた。いつものとおりだった。駅ビルに入っているお店やレストランは普段どおりに営業。
 午前中は台風なりの天気の荒れ方だった。そこをついて,いつものとおりに出勤し,いつものとおりに仕事を始める。アルバイトやパートさんも同様。

● このあたりが,日本人の凄さでしょうかねぇ。ここまで凄くなくてもいいんじゃないかと思ったりもするんだけれども,ともかくたいしたものだ,この国は。
 遊びのないハンドルのようなものじゃないかと,悪態をつく人もいるのかもしれないけど。

● たいしたものじゃないのはオレくらいかなぁと思いながら,駅前をブラブラした。これから散髪して帰る。それだけの話。

2013.09.14 常磐津がとりもつ「京劇と日本舞踊の素敵な出逢い」

さくら市氏家公民館

● さくら市教育委員会主催の「日中伝統芸能」鑑賞入門講座。さくら市文化振興事業の一環ということ。
 開演は午後2時。入場無料。

● 2部構成で,第1部は「京劇入門」。張春祥さんが,京劇の歴史とか見所とかを解説。あるいは,京劇の構成要素とか,化粧のあれこれについて。
 張さん,日本滞在20年に及ぶそうで,日本語でのやりとりに問題なし。ちなみに,奥さんは日本人で,ご本人も日本国籍を取得しているとのこと。
 京劇が今の形になったのは,さほど古いことではなくて,約200年ほど前のことらしい。日本の歌舞伎と同じように,役者を多く輩出する家系はあるけれども,家元制度はない。能力がない子は役者になれない。役者養成のための学校があって,そこで学ぶ。

● 張さんも東京で「新潮劇院」という京劇の学校を主宰。そこでの教え子というか弟子の張鳥梅さんも,第1部の進行を担っていた。鳥梅さん,当然にして日本人。
 京劇を観るためには中国まで出かけなければならないと思ってたんだけど,日本でもそこそこの,というと失礼だけれども,京劇を観られるようになるのかもしれない。っていうか,もうなっているのか。

● 「京劇を体験しよう」というワークショップもあって,初歩的な手の動き(雲手)を解説してもらってやってみたんだけど,簡単そうにみえるこれが自分では全然できない。
 楽器の演奏もそうですね。見るとやるとじゃ大違いっていうのは,何にでも妥当する古今不易の法則ですな。

● 第2部は,その京劇と常磐津を鑑賞。
 まずは京劇で,張春祥さんの「小商河」。舞台設営から登場人物までだいぶ省略があるので,これで京劇の醍醐味を味わうというわけにはいかないものだと思う。京劇とはこういう衣装でこういう動きをするものなんだよってのを,実演で確認してもらうという趣向でしょう。

● 次は,常磐津の「菊の盃」。京劇とは対照的にスッキリした舞台。
 舞踊の核はセクシーさ。セクシーさと肌の露出度は関係ない。着物で厳重に覆われた立方が踊る常磐津も,セクシーさを感じさせない踊りは下手な踊りということになるのではあるまいかと,素人考えで思っている。
 あ,もちろん,この公演がそうだったといってるわけじゃありませんよ。

● 現代のぼくらにとって,常磐津をそのまま娯楽にするのはけっこう難しい。勉強の対象として見てしまうところがある。頭から入ってしまうっていうか。
 昔の人たちは,これを素直に楽しめたのだろうね。それって,けっこうすごいことかもね。鑑賞する側も場数を重ねないとダメなんでしょうね。その手間に耐えられるかどうか。

● 「菊の盃」では猩々(中国の伝説上の動物)が菊酒を呑んで酩酊するわけだけども,その酩酊する部分で張さんが入って,一緒に演じる。
 のだが,さすがにこれは無理があるようだった。両者のインターフェイスがまったくかみ合わない。

2013年9月14日土曜日

2013.09.13 間奏32:マーラーを聴く

● ブルックナーに続いてマーラーの交響曲を聴いてみた。ブルックナーと違って,いくつかは演奏会で聴いているし,昨年末に少しだけDVDで聴いてもみた。しかし,それがすべてで,マーラーは馴染みが薄い。
 長いし,重いし,BGMがわりにはならないから,聴くなら気合いを入れて聴かないといけない。となると,なかなか腰があがらない。

● ではあるんだけど,やはり聴いたことがない曲があるっていうのは少々まずい感じ。
 で,9月6日から8日までの3日間,マーラーの交響曲をまとめ聴き。一応でも聴いてはおこうという,けっこう消極的な理由から。

● 聴いたCDは次のとおり。これまた,深い理由があって選んでいるはずもない。いきあたりばったり。聴き方もスマホ+イヤホンだから,そんなんじゃ聴いたことにならないよ,と言われるかも。
 第1番ニ長調 バーンスタイン ロイヤル・コンセルトヘボウ
 第2番ハ短調 バーンスタイン ニューヨーク・フィル
 第3番ニ短調 バーンスタイン ニューヨーク・フィル
 第4番ト長調 アバド ベルリン・フィル
 第5番嬰ハ短調 バーンスタイン ウィーン・フィル
 第6番イ短調 エリアフ・インバル 東京都交響楽団
 第7番ホ短調 バレンボイム シュターツカペレ・ベルリン
 第8番変ホ長調 ラトル バーミンガム市交響楽団
 第9番ニ長調 バーンスタイン ベルリン・フィル
 第10番嬰ヘ長調(クック版) ラトル ベルリン・フィル
 「大地の歌」イ短調 ラトル バーミンガム市交響楽団

● 1番や5番は別にして,マーラーの交響曲って交響曲なんだろうか。メインは声楽じゃないですか。カンタータの亜種として扱った方がスッキリするかもね。
 ま,分類なんてどうでもいいっちゃどうでもいいんだけど。

● 正直,もう一度聴いてみようとは思わなかった。ライヴで聴いたときには,けっこう来るものがあったんですけどね。こういう聴き方じゃダメなんでしょうねぇ。
 ライヴで聴ける機会があったときには,確実に拾っていきたい。突破口はこのあたりにしかないような気がしている。
 けど,一方で,無理に突破しなくてもいいかなぁ,と。

2013年9月9日月曜日

2013.09.08 那須フィルハーモニー管弦楽団 名曲コンサート

那須野が原ハーモニーホール 小ホール

● 大ホールがパイプオルガン設置工事中で使えないので,今年の「名曲コンサート」は小ホールで。その代わり,同一日に2回公演。演奏する側の手間は2倍。
 そうでなければ,やってくるお客さんを捌くことができないんでしょうね。疲れるだろうなぁ。打ちあげのビールは旨いかもしれないけど。

● 午後5時からの2回目の演奏を聴いた。チケットは500円。指揮は大井剛史さん。

● 今回は「那須フィルと一緒に音楽世界紀行!」と銘打って,世界各国にゆかりのある曲を演奏。
 ロシア グリンカ 歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
 ドイツ バッハ(マーラー編曲) G線上のアリア
 チェコ スメタナ 歌劇「売られた花嫁」から「フリアント」
 フランス ドビュッシー(リード編曲) ベルガマスク組曲から「月の光」
 イギリス エルガー エニグマ変奏曲から「ニムロッド」
 イタリア ディ・カプア(キャラメッロ編曲) オー・ソレ・ミオ
 モロッコ グリーグ 「ペール・ギュント」第1組曲から「朝」
 エジプト ヨハン・シュトラウス エジプト行進曲
 中国 プッチーニ 歌劇「トゥーランドット」から「誰も寝てはならぬ」
 ブラジル フェルナンデス 歌劇「マルサルテ」から「パトゥーケ」
 メキシコ ポンセ(ロッター編曲) エストレリータ
 アメリカ バーンスタイン(メイソン編曲) 「ウェスト・サイド・ストーリー」セレクション
 日本 外山雄三 管弦楽のためのラプソディ

● ロシアとチェコとブラジルとメキシコのは,初めて聴く曲。おっと,アメリカと日本もそうかも。「ウェスト・サイド・ストーリー」って,ほんの一部しか聴いたことがなかったと思う。
 たくさんの曲のおいしいところをつまみ食い。こういうのも楽しいものだ。

● 演奏前に,大井さんが次に演奏する曲の解説をする。楽しさ成分のかなりの部分は,その大井さんのトークによる。彼,トークが巧いんですね。もちろん,トークの種になる諸々の事柄を広く深く知っているわけだけど,その表現が上手なんだね。
 巧いといったって,プロのアナウンサーのように立て板に水になったんでは興ざめだ。そこは素人のトークであってもらわないと困るんだけど,かといってあまり木訥でもね。その辺の按配が絶妙にいいんですな。
 何を話して何を話さないか。そこのところがたくまずして,すっきりした選択になっている。トークが演奏の邪魔をすることもなかったし。

● イタリアと中国では,小原啓楼さんのテノールが入った。ぼくからすると,はっきりと異能の持ち主ということになる。
 人間の声は観客の耳目を集める度合いが高い。ステージの雰囲気もガラッと変わる。贅沢なものですなぁ。これで500円だからねぇ。

● 那須フィルの演奏を初めて聴いたのは2010年の9月なんだけど,当時と比べるとはっきりと巧くなっているように思える。メンバーの出入りもあってのことかもしれないとしても,後退を防ぐための練習ではなく,前に進むための練習になっているんだろうと思うしかないですな。
 アマチュアなんだから巧くなれる余地は当然残しているとしても,10代の若者ならしらず,いい大人になってからでも巧くなれるものなのかってのが,よくわからない。まったくの未経験ならば,そりゃ練習すれば誰だって巧くなるだろうけど,それなりにやってきた人でも,巧くなれるのか。
 って,なれるようなんだよなぁ。

● プログラムと一緒に配られた「なすフィルだより」によれば,メンバーの中に仙台から通っている人もいるという。新幹線で仙台から那須塩原まで,片道6,290円。回数券を使うともう少し安くなるとしたって,律儀に週に1回往復すると,月にいくらかかる? 東北自動車道を走ってくるのかなぁ。それも気が遠くなりそうな作業だぞ。
 それほどまでの時間とお金を投じてステージに立っている人がいるんだから,こちらも襟を正して聴かないと罰があたりそうだ。
 にしてもさ,そこまでさせるものって何なのだろうね。普通に考えれば,演奏する側にとっても,仙台の方が環境的に恵まれているのじゃないかと思えるしね。

2013年9月8日日曜日

2013.09.07 藝祭2013-A.Schnittke Memorial Orchestra

東京藝術大学 奏楽堂

● 3年ぶりに藝祭に行ってみた。今年は6日から8日までの3日間。できれば3日間とも日参したいわけだけども,ま,そうもいかない。
 で,とりあえず,なか日にお邪魔することに。

● 演しものについては,ホームページに掲載されているので,それを眺めながら決めて行く。15:40からの山田流箏曲自主演奏会と,17:15からのA.Schnittke Memorial Orchestraを聴くことにした。
 3年前と違っていたのは,ほとんどの演奏会が事前に整理券を取らないと入場できないシステムになっていること。

● 整理券の配布時刻はどちらも正午からだったので,まずA.Schnittke Memorial Orchestraの整理券をゲット。次に,山田流箏曲の方に行ったんだけど,すでに配布終了になっていた。うぅーん,人気があるな,山田流。
 高水準の邦楽演奏をタダでたっぷり楽しめるのが,ほかにはない藝祭の魅力(のひとつ)でしょ。好きな人にとってはたまらないはずだ。

● 順序を逆にすれば,あるいは両方ゲットできたかもしれない。
 ともあれ,時間がポッカリ空いてしまった。午後5時までどうしようか。って,こういうときに二の矢を用意しておくのが紳士のたしなみというものだ。
 渋谷に転戦?して,D@E管弦楽団の演奏会を聴いた。大いに満足して,上野に舞い戻った(おかげで山手線を一周することができた)。

● 大学祭の類っていうのは,学生たちが模擬店を開いて,声をからして客の呼び込みをして,若いエネルギーを発散(浪費)するためのものだろ,と思っているわけですよ。キャンパスを一時的に遊園地にして一般開放するのが大学祭,っていうね。
 もちろん,たとえば法学部の学生だったら模擬裁判をやったりとか講演会を開催するとか,真面目っぽいものも昔からあるにはあったと思うんだけど,だいたいはそんなもんでしょうなぁ。

● ところが,藝祭はそういうのもあるんだけど,大方は研究発表的な感じ。日頃の成果をギュッと圧縮してお見せしますよ,というもの。音楽と美術なんだから,それがやりやすいっていうか,そうしてもお客を呼べるっていうところもあるんでしょうかね。お客さんが藝祭に期待しているのも,まさか模擬店じゃないだろうし。
 で,A.Schnittke Memorial Orchestra。仰天してしまった。大学祭でこんなコンサートをやってのけるとは。

● 仕掛人は,大学院生の飯野和英さん。このイベントを構想することは難しくないかもしれない。凡人には思いつかないことだとしても。
 しかし,これをリアルな形に仕上げるのは,いかな芸大という恵まれた環境に置かれていても,相当に難しかったんじゃないのかと思う。
 いや,意外にそうでもないのか。あ,それ面白そうだね,やろうやろう,ってな具合に人が集まっちゃったりするのかねぇ(昔のドラマにはよく登場したシーンだね)。

● シュニトケの「ハイドン風モーツァルト」と「オラトリオ長崎」を演奏。
 「ハイドン風モーツァルト」はCDで聴いても仕方がない。ま,仕方がなくはないんだろうけど,半ば劇のようなものだもんね,観てなんぼだなぁ。
 というようなことも,実際に観たから気づくわけでね。CDに付いている解説書の文章を読んだところで,このイメージを頭の中に再現するのは無理だ。できる人もいるのかもしれないけど。

● ヴァイオリンのソリストがふたり。二瓶真悠さんと長尾春花さん。飯野さんの表現を借りれば,芸大のツートップ。このふたりが前面で押したり引いたりの掛けあいを続ける。
 ステージが暗転して,奏者たちがうなだれて演奏しながら袖に消えていく。指揮者もまた奏者のひとりなんですね,この曲においては。

● しかし,圧巻は「オラトリオ長崎」。
 飯野さんの解説によれば,この曲はシュニトケのモスクワ音楽院の卒業作品。世界初演が2006年。日本初演は2008年(読響)。
 約100人のオーケストラ。ピアノもオルガンも加わる。合唱団は約80人。ソリスト(メゾソプラノ)は秋本悠希さん。これだけのものを自前で用意できるところが,まずすごい。

● ひょっとすると,メッセージ性がここまで露骨なのを忌避する人もいるかもしれない。反論しようのない正論を大げさに表現しているだけじゃないか,っていうような。
 けれども,飯野さんがおっしゃるように「耳に残りやす」いし,何よりこれだけの大編隊が産みだす迫力は有無を言わせない。

● 読響の後,この曲が演奏されたことがあるのかどうか知らない。今回が日本で2回目の演奏だったかもしれない。これから先も,そうそう演奏されることがあるとも思えない。これだけの装備が必要なんだしね。
 稀少価値のある機会に立ち会えたのだと思っている。世界初演がCDになっているから,ともかく聴くことはできるんだけども,芸大クォリティーのライヴを味わえたのは,じつにどうもお得感が強い。下世話な言い方で申しわけないけれど。

2013.09.07 D@E管弦楽団第4回演奏会

渋谷区文化総合センター大和田 さくらホール

● D@E管弦楽団でダテカン。「宮城県仙台市の学生オーケストラで活動していたメンバーが中心となって立ち上げ,ゆかりのある仙台にちなんで楽団名に”伊達”の名を冠しました」とある。
 在京県人会的オーケストラですか。こういうものが宮城県以外にもあるのかどうかは知らないけど。

● なにがなし,親近感をおぼえますな。宮城も栃木も,その昔,坂上田村麻呂に征服された側のエリアに属しますからね。坂上田村麻呂って,日本史の英雄じゃなくて,こっち側にすれば侵略者。とんでもないヤローなわけですよ(正確には,田村麻呂のときには毛奴国はすでに制圧されていたんでした)。
 だから,日本古代史そのものが侵略者の歴史であって,そんなものオレには関係ねーよ,というわけなんですね。大和だの平安京だの知らねーよ。何だよ,それ。

● まぁ,アレですよ。センターにいるのはあまり賢くありませんな。周辺に居場所を取る方がいいですね。
 京都なんて長らく日本の中心だったから,京都に住んでた人たちはエラい目に遭っている。応仁の乱とかさ(われわれも東日本大震災でエラい目に遭ったんだけど)。
 企業や官庁でも,出世の本流に位置していると,何かと大変でしょうな。これまた,本流から離れた周辺に場を取るのが正解。本流にいる人はしようがない。望んでそこにいるんだろうから。ご苦労だけれどもしっかり働け,ってこってすな。

● っていうか,栃木の北半分は北関東というより南東北といった方がしっくり来るところがあるのでね。そんなところからの親近感です。
 でも,ステージで演奏している人たちは,普通に東京人の趣ですな。あたりまえのことで,若いときに都会の風に1年も吹かれれば,だいたい都会風情は身につく。

● 逆に,都会人は田舎に何年いても,田舎風情は身につかない。おそらく,都会風情の方が快適なんでしょうね。
 田舎ってなんやかやと言ってみても,都市に比べれば閉鎖的だから,移り住んだ都会人が田舎風情を身につけることを,田舎の側が許さないってところがあるのかも。
 ゆえに,都会にはすぐに慣れるけれども,田舎にはなかなか慣れることがない。定年退職したら田舎に住んで晴耕雨読,なんて馬鹿げたことをゆめ考えるなよ,都会人。

● ともあれ。開演は午後2時。チケットは1,000円。当日券を購入。
 指揮者は奥村伸樹さん。仙台一高から音大を出たというから,やはり宮城県にゆかりの人。

● 曲目は次のとおり。
 ドビュッシー(ラヴェル編曲) 舞曲(シチリア風タランテラ)
 ラヴェル 古風なメヌエット
 サンサーンス ヴァイオリン協奏曲第3番
 ラフマニノフ 交響曲第2番

● 「仙台市の学生オーケストラで活動していたメンバーが中心となって立ち上げ」たんですよね。学生オケもピンキリだと思うんですが,ここはピンの方の集まりかもしれないんですねぇ。
 っていうか,東京ってさ,いったいどうなっているんだよ,と思うんだよねぇ。ぼくの知る限りでも巧いアマオケがあふれている。その様は壮観といっていいんだけれども,演奏者の裾野がどれだけ広いのか,少々掴みかねる。

● ヴァイオリン協奏曲のソリストは伝田正秀さん。仙台フィルのコンマスを務めていた人だから,これまた仙台ゆかり。
 天才なんでしょうね。プログラムの写真は穏やかそうな紳士だけれども,ステージ上の彼は,不良番長的というか,悪ガキ的というか。
 この曲に関しては,作曲家は演奏技巧を前面に出してはいないらしいんだけど,3楽章なんかとんでもないなという印象。見せ場が次々に登場する。

● ラフマニノフの2番。これだけの音の厚みは初めて経験するものかも。ま,前に聴いたのはすぐ忘れちゃうからね。何度聴いても初めてっていう印象になるのかもしれないんだけどさ。
 こういうのを聴くと,プロオケの演奏は聴かなくていいや,とも思ってしまう(実際にプロのライヴを聴けばまた違った感想を抱くことになる可能性が高いんだろうけど)。プロの演奏はCDで聴けばいい,お金もないし,てなことを思ってしまいます。

● お客さんも宮城ゆかりの人が多かったのかなぁ。お客さんもまたずいぶん都会的な人が多かったけどね。
 どうも宮城は田舎だと強調しているようか。だとしたら,申しわけない。それは本意ではない。
 だいたい,栃木県人のぼくが,他県を田舎呼ばわりするのは,天に唾する以上の愚行だってことくらい,わかっている。

2013年9月4日水曜日

2013.09.03 間奏31:ブルックナーを初めて聴いた

● ぼくは鑑賞者としてもほんとに初心者で,というか極端な偏りがあって,相当にメジャーな作曲家の作品でも聴いたことがないのが膨大にある。
 それでよしとしているところもあって,したがって聴く範囲が広がっていかない。

● といっても,さすがにブルックナーをまったく聴いたことがないというのはまずいだろう。実際,まったく,一切,聴いたことがなかったんですよねぇ。
 で,8月31日と9月1日の2日間で,ガーッと聴いてみた。といっても,交響曲だけ。

● 最初に7番を聴いて,0番から9番まで順に聴いてから,「習作」ともいわれるヘ短調を聴いた。聴いたCDは次のとおり(指揮者とオーケストラ名だけだから,CDを特定できるだけの情報量はないんだけど)。

 交響曲ヘ短調 エリアフ・インバル フランクフルト放送交響楽団
 第1番ハ短調 クラウデォオ・アバド ウィーン・フィル
 第0番ニ短調 下野竜也 大阪フィル
 第2番ハ短調 シモーネ・ヤング ハンブルグ・フィル
 第3番ニ短調 カラヤン ベルリン・フィル
 第4番変ホ長調 ベルナルト・ハイティンク ウィーン・フィル
 第5番変ロ長調 アイヴォー・ボルトン ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団
 第6番イ長調 ギュンター・ヴァント 北ドイツ放送交響楽団
 第7番ホ長調 小澤征爾 サイトウ・キネン
 第8番ハ短調 カラヤン ウィーン・フィル
 第9番ニ短調 カラヤン ベルリン・フィル

● 以上のCDを選んだ理由は特にない。というより,選んだわけではなく,たまたま目に入ったものを入手しておいたに過ぎない。
 目下のところ,いわゆる名盤には興味もないし,自分にとっての名盤を選びだすという状況にも至っていない。至りたいとも思っていない。そもそもが,初めて聴く作品群なわけで,選ぶも何もない。
 さらにいうと,リッピングしたうえで,スマホ+イヤホンで聴いている。この聴き方をしているのに,CDについて云々するのは笑止の沙汰と言われるだろう。
 いわゆる版問題についても,ぼくは何も知らないから,ただ目についたものを聴いてみたというだけ。

● もちろん,この方面を微に入り細を穿って論じたブログや書籍があまたあることは知っているし,ひょんなことからそれら(のごく一部)に目を通したこともある。
 そういうことができる人たちには,ただただ舌を巻くしかない。自分のレベルとは違いすぎる。
 もうひとつ,すごいと思うのは,複数のCDを聴き比べてレビューを書けるだけの時間をどうやってひねりだしているのかってこと。過去における長い時間の蓄積があるのだろうけど,この道に賭ける気迫が違うんでしょうね。
 気迫でたいていの問題は解決できることは,理屈としては納得するんだけども,実際の例を見せられると,たじろがざるを得ませんね。

● で,聴いてどうだったかというと,自分の耳のダメさ加減を思い知るところとなった。11の曲を聴いたというより,同じ曲を11回聴いたという印象。
 こういう聴き方をしては,そうならざるを得ないものかもしれないけれども,それにしてもちょっとどうよ,「同じ曲を11回聴いた」っていうのはねぇ。

● この作曲家は聴き手を選ぶところがありますか。どんな作曲家もそうだと思うんだけど,その度合いが強いかも。
 好きな人はめっぽう好きなんだろうな。他方で,ブルックナーは自分のレパートリーに入っていないっていう人も,わりといそうな気がする。

● ただ,どれも似たような曲調だなぁと思ったことはたしかで,そうなると,最初に聴いた7番が最も良かったですね,ってことになってしまう。やはり,慈しむようにして聴かないといけないものでしょうねぇ。
 でも,橋頭堡は築くことができたと思うので,あとはゆっくりとひとつずつ聴いていければと思う。