さくら市ミュージアム エントランスホール
● 昨年の今頃,宇都宮の東武百貨店でヴァイオリンコンサートに出くわした。百貨店の売り場の一画で,店内の雑踏が入りこむ中だったけれども,ホールで聴くのとはまた違った面白さをたたえたコンサートだった。
演奏者と観客の距離が近いうえに,少人数だったものだから,演奏者の息づかいや気持ちの切り換えのようなものまで伝わってきた。ライヴ感が大きいということ。
● 今回,このコンサートを知ったときに,思ったのはそのことだった。ああいう距離感でまた聴けるのかっていう。
で,自転車で出かけた。開演は午後2時。ミュージアムの入館料が300円かかるけれども,それ以外に費用は要らない。
● だが,しかし。大変な人出なのだった。主催者が予め用意した椅子では足りなくなるほどで,ホールには収まりきらず,展示室のほうまで列ができたのではないか。
ぼくの席もけっこう後ろのほうになった。
● 演奏者はギターが渡邊洋邦さんで,ヴァイオリンが渡邊弘子さん。
まず,洋邦さんが登場して,ヴァイス「ファンタジー」,ルビーラ「愛のロマンス」(映画「禁じられた遊び」に出てくる有名すぎるメロディーですな),タレガ「アルハンブラの思い出」の3つを演奏。
当然ながら,座って演奏する。演奏会用の専用ホールではないから,客席に段差はない。ぼくの席からは彼の演奏している姿はまったく見えなかった。距離が近いどころではない。
● この3つはギター曲では最もポピュラーというか,よく知られたものなのだと思う。ぼくにとってはそうではないんだけどね。
その音色がともかく直接響いてくるわけで,CDだったらここまで身を入れて聴けたかどうかわからない。否応なく(たぶん不充分だろうけど)集中させてくれるのがライヴのいいところだね。
● このあと,渡邊弘子さんが入って,ギターとヴァイオリンのアンサンブルになった。弘子さんの首から上はぼくの席からも見えたので,だいぶ気が楽になった。
気が楽になるというのも変な言い方だけど,奏者が見えるって大事なこと。ライヴの価値の何割かはここにあると思う。
● 映画音楽を3曲演奏して,ピアソラの「タンゴの歴史」。このコンサートの白眉はここにあったといっていいでしょうね。
楽章ごとに解説を入れるというサービスぶり。解説は最初にまとめてやってもらって,曲は通して演奏したほうがよかったかなとも思う。が,このあたりは難しいところで,これが正解というのはないんだろうな。
● 「タンゴの歴史」はCDを持っていたんでした。が,今まで聴いたことがなかったんですよ。「リベルタンゴ」一辺倒でね。
こうして軌道修正を促してくれるのもライヴの恩恵のひとつだ。ライヴを聴きに行って,そこで初めて出会う曲って相当以上にある。そのすべてを以後聴くようになるかといえば,そんなことはもちろんないんだけど,それでも今回のような経験をすることがあるわけで。
● 洋邦さんも弘子さんも,音楽に投じてきた時間は膨大なはずで,それあればこその高みにいるんだと思う。聴衆にはどうしたってわかってもらえないことも,多々あるのじゃないか。
であれば,孤高の音楽家的な雰囲気があっても不思議じゃないと思うんだけども,そういう演奏家って見たことがないんですよね。
演奏を具体化するためには聴衆の存在は絶対で,演奏家は聴衆へのサービス業という色合いを免れない。相手がお客さんとあれば,愛想も振りまかなければならない。
● って,そういうことではなくて,もともと陽性の人が多いような気がする。今回のお二人もそうで,「サービス」を苦にしないというか,自分が偉いなんて思っていないというか,演奏や音楽については圧倒的な差があるはずの聴衆とイーブンなやりとりが自然にできるようだった。
それを社交性と呼ぶんだろうか。よくわからない。
● おそらく,演奏ってぼくが思う以上に運動性が強いものなのだろう。“演奏=スポーツ”と捉えると,演奏家はアスリートであって,しじゅう身体を動かしている人だ。
つまらぬことで内向しないクセが早期にできるのではないかと推測している。
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