2020年12月31日木曜日

2020.12.31 ベートーヴェン弦楽四重奏曲【8曲】演奏会

東京文化会館 小ホール

● 東京文化会館。大晦日をここで過ごすのは10年連続。8年間は大ホールで全交響曲連続演奏会。去年から小ホールで弦楽四重奏曲の演奏会。
 当初に感じていた特別感(だってね,ベートーヴェンの9つの交響曲を全部演奏しますよ,と言うんだからね)は年を追うごとに消えて,すっかり日常感に満ちるようになった。慣れのなせるところだ。慣れは特別を消してしまう。

東京文化会館
● 今回のこの演奏会の正式名称(?)は,「ベートーヴェン生誕250年記念 15年連続 第15回 ベートーヴェン弦楽四重奏曲演奏会」というらしい。
 が,今年は歴史に残る1年になってしまった。今年も来れたのは僥倖と言うべきなのか。というのも,都内のコロナ感染者が1337人と,一挙に千人を超えてきたからだ。
 GoToは17日から停止になっているんだから,GoToの無実は証明されたと言っていいだろうか。それでも,無実だからGoToの停止は解除しますね,ということにはならない。不要不急の外出は控えるようにと言ってるんだからさ。

● 不要不急とは「無用でいそぎでないことを表す語。不要は不必要,無くてもよいこと,またそのさまを表す語で,不急は差し迫っていないこと,またそのさまを表す語である」。
 とすれば,こうした演奏会は不要不急の最たるものだ。文化,教養,芸術といったものは,娯楽と同じ並びにある。今すぐにそれをしなければいけないほどに差し迫ったものであるはずがない。
 しかし,その先がある。その議論をしようと思えばいくらでもできるものだが,ここでそれをしても仕方がない。

● ともかく。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲だけを8曲まとめて聴かせやしょう,というのがこの演奏会の趣旨。
 開演は午後2時。9時半に終演する。チケットは10,000円。昨年までは8,000円だったので,今年から値上げになった。
 しかし,演奏するのは国内で望み得る最高水準の四重奏団であることを考えると,10,000円でもお安いことは間違いない。
 そういうことは皆さんご存知だから,大ホールの交響曲だけではなく,こちら小ホールにも全国から集まってきていると思われる。地方からコロナが猖獗を極める東京へ。

● つまり,演奏する側が国内最高峰なら,客席の聴衆もまた日本国内で望みうる最高水準のお客さんたちのはずなのだ。ぼくが言ってしまっては手前味噌もいいところなのだが,おそらくそうなのだと思う。
 が,自分を棚にあげて言うのだけれども,ここにいるお客さんたちから特段の凄みを感じることはない。舟を漕いでいる人だっている。
 そんなものなんですよね。分野を問わず,消費者とはそうしたものだ。その商品の情報に関しては生産者にとても及ばない。

● 事は日本に限らない。ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートのチケットは大変な高額で,世界一入手困難とも言われる。そのチケットをゲットしてムジークフェラインザールに着座しているお客さんたちは,とても良い身なりをしている。アッパークラスに属する人たちに違いないのだが,どうも何だか。
 くつろぎ方は巧いと思うが,それ以上のものを感じ取るのは難しい。もっとも,ニューイヤー・コンサートともなってしまうとイベント性が強すぎて,普段はそんなに音楽を聴かない人たちも混じってしまうのかもしれないが。

● 話が散漫になってしまった。要するに,大晦日に開催される大掛かりなベートーヴェン催事ということだ。
 プログラム冊子に,主催者が「ベートーヴェンの集客力に,ただただ感嘆するばかりです。ベートーヴェンの魅力,吸引力は絶大で,古今のあらゆる音楽の中でも根幹をなしていると申しても宜しいでしょう」と書いているが,おそらく反論する人はいないだろう。
 交響曲,弦楽四重奏曲,ピアノソナタ,ピアノ協奏曲などなど,ベートーヴェンの足跡は彼の死後200年を経てなお,毅然と屹立する巨大な山脈にたとえることができる。部分的には越えられているかもしれないけれども,大半は崩れずに聳えている斯界最高峰の山々を抱える高大な山脈だ。

● 今回は,まずクヮルテット・エクセルシオ(西野ゆか 北見春菜 吉田有起子 大友肇)が,7番,8番,9番を演奏。昨年は14番,15番,16番を演奏している。
 精妙という言葉で形容するのが最も相応しいと思う。精妙のうえに立って千変万化するその様は,万華鏡を覗いているようだ。
 思い切りよく切り込んではサッと退く。楽譜と戦っているわけではないだろうし,真剣で切り結んでいるわけでももちろんないけれど,ベートーヴェンと対峙しているという印象は受ける。
 でもって,艶っぽい。ゾクッとするほどだ。

● 古典四重奏団(川原千真 花崎淳生 三輪真樹 田崎瑞博)が12番と13番。13番の最終楽章は「大フーガ」を採用。昨年は7番,8番,9番を演奏した。
 実力派の演奏というのは,結局同じところに帰着するんだろうか。先に聴いたクヮルテット・エクセルシオとの違いが,ぼくには明確にはわからない。目隠しをして聴けば,どちらが演奏しているのかを当てることはできない。

● 両者の共通点はチェロのみ男性で,ヴァイオリンとヴィオラは女性であること。チェロ奏者に対しては,三頭のライオンが入っている檻の中に放り込まれた一匹の羊,というイメージをどうしても持ってしまうんだけれども,これはライオンに対しても羊に対しても,かなり以上に失礼な言い草というものでしょうね。
 4人が目指すところは明確に同じ。であれば,性差などは差のうちに入らないことになるのだろう。

● ストリング・クヮルテット ARCO(伊藤亮太郎 双紙正哉 柳瀬省太 古川展生)が14番,15番,16番を担当。昨年は12番,13番,大フーガを演奏した。
 男だけのクヮルテットもいいものだな。今回はこのクヮルテットの演奏が最も印象に残った。演奏した曲のせいかもしれない。

● というわけで,演奏曲目は昨年と同じものだった。大フーガを含めて17曲あるベートーヴェンの弦楽四重奏曲を,2年に分けて全曲演奏するのだろうと思っていたのだけれど,そういうわけではないようだ。後期を聴きたいという要望が多いのだろうか。
 プログラム冊子に掲載されている大木正純さんの解説は,簡潔で力がこもっているが,昨年と同じものだ。1番から6番についての大木さんの解説も読んでみたいものだ。

● 許されれば,来年も聴きに来たい。が,お金がないからもう無理だよ,となってる予定。
 今年はぼくが退職してプー太郎になり,相方のヒモになった。その相方も来年3月で(定年には6年ほど残しているのだが)退職する。経済的には一気に困窮する予定なのだ。
 そうなればなったで,ほどほど楽しく過ごせる自信はある。が,今までのような移動や宿泊はできなくなるだろう。

● そこで。終演後はホテルに戻って「第九」を聴いた。EテレでN響の第九を。
 これなら大晦日に出かけなくても,家でテレビコンサートを楽しめばいいかねぇ,と半ば無理にでも思い込もうとしたんだけど。
 生を聴くのとは違うわけでね。まず,音質が違う。情報としては高音質が電波で届いているはずだ。問題は受信機にある。テレビにスピーカーをつなげば違うのかもしれない。
 それでもね,臨場感も違う。テレビの動画はどうしたって作り物めく。この程度なら,YouTubeの動画を見てる方が気が利いているかもしれない。
 というわけで,来年はどうなっていることやら。

● ちなみに,N響の第九について言うと,奏者の中にマスクを付けてる人が数人いたのが残念だ。絵的に台なしになってしまった。
 指揮者があれだけ汗を飛ばし,合唱もあるのに,数人だけがマスク着用って,何考えてんだか。

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