2021年3月31日水曜日

2021.03.21 ユーゲント・フィルハーモニカー 第15回定期演奏会

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● 1年前を思いだす。予定されていた演奏会が次々に中止になる中で,ユーゲント・フィルハーモニカーだけは持ちこたえていた。スワッ,やるのか。
 結局,中止にはなったんだけどね。何だか希望の星的な存在だった。
 初期感染拡大期のエピソードとも言えないエピソード。

● この楽団の演奏は過去7回ほど聴いている。第4回7回8回9回10回12回13回。第14回が中止になった昨年。
 会場は文京シビックからすみだトリフォニー,杉並公会堂と経巡って,今回はミューザ川崎。ユーゲント・フィルといえばすみだトリフォニーと思ってしまっていたんだけども,そうでもないようなんでした。

● 開演は13時30分。チケットは1,000円。お約束の事前申込の電子チケット制。コロナを機にリモートワークが一挙に広がったように,電子チケットもコロナによって拡散した。
 コロナが収束してもリモートワークは残るだろう。同じように,電子チケットも残ってくれるといい。コロナが消えたからといって,現金引換の紙チケットに戻る必要はない。

● 曲目は次のとおり。指揮は三河正典さん。
 シューベルト 劇音楽「ロザムンデ」序曲
 ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
 R.シュトラウス 交響詩「英雄の生涯」

● 何度も聴いているのだから,腕のほどはわかっている。メンバーの入替えはあるに決まっているが,楽団の風合いはほぼそのまま残る。
 実際には微妙に変わっているに違いないのだけれども,それに気づける人はおそらくいないだろう。10年,15年というまとまった時間が過ぎて初めて,そういえば昔はこうじゃなかったな,と気がつく性質のものだ。

● ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番では結城奈央さんのピアノを近い場所で聴けて幸せだった。彼女のピアノはじつは一度だけ聴いたことがある。2014年のコンセール・マロニエ21の本選(声楽部門)でピアノ伴奏を担当していた。
 そのときの様子を綴った自分のブログを読み返してみた。彼女のピアノについては何も書いていない。何か書いとけよ,俺。
 脱線するけれど,こうしてブログの形で記録を残しておくことの利点のひとつはここにある。自分のブログを対象に,Googleの検索エンジンで全文検索ができる。「結城奈央」で検索をかけると,その結果をサッと示してくれる。

● 「皇帝」で最も印象に残ったのは,終曲間際のティンパニの幽き響き。これこそが「皇帝」なのだ。
 ユーゲント・フィルの演奏を聴くと,よく似たテイストの楽団名が2つ3つ浮かんでくる。多くのアマチュア・オーケストラが目指している共通の境地があって,そこに近づけている楽団がユーゲント・フィルをはじめとしていくつかあるということか。たぶん,見当外れのことを言っているね。

● 細密なアンサンブルを最後まで崩さず,アンコールを含めると3時間近いボリューミーな演奏会になった。
 アンコールはワーグナーの「パルジファル」第3幕より “聖金曜日の音楽”。

● 結城さんのアンコールはフリードリッヒ・グルダ「アリア」。グルダはピアニストとして破格の人だが,彼が作曲した楽曲の中ではこの曲が最も知られているらしい。
 って,ぼくは知らなかった。CDも「チェロと吹奏楽のための協奏曲」はあるのだけど,「アリア」は持っていない。何とかしよう。

2021.03.20 バリオケ初公演

府中の森芸術劇場 ウィーンホール

● さて,今日はダブルヘッダーの予定を組んである。東京に泊まる。
 2つめの演奏会は19時半開演なので,それが終わってから帰宅の途についても,今日中にわが家に辿り着くことはできない。新幹線を使えば可能だけれども,そんなことをするくらいだったら泊まってしまった方が話が早い。


● 場所は東府中。予約したのは銀座のビジネスホテル。銀座からなら1時間くらいかと思って,余裕を見込んで18:10にホテルを出た。
 が,結論から言うと間に合わなかった。銀座線で渋谷に出て,京王井の頭線で明大前。京王本線に乗り換えて東府中。この経路では間に合わず。
 といって,赤坂見附で銀座線から丸の内線に乗り換えて,新宿から京王線に乗ったとしても,さほどの時間短縮にはならないと思う。ていうか,もっとかかってしまいそうだ。


● いやね,明大前から橋本行きに乗ったのに,調布で乗り換えるのを忘れたっていうチョンボもあったんだけどね。
 銀座から府中に行くには90分を見込むべし。これってもう小旅行だよねぇ。府中市民が都心に出るときは “東京に行く” っていうはずだよね。
 かつての武蔵国府があったところから,現在の都心まではけっこう時間がかかるのだ。府中に国府があった頃は,今の都心は湿地帯か海の底だったのだろうけど。


● 府中まで何を聴きに行ったかというと,VariOrchestra の演奏会。バリオケと称しているらしい。今回が旗揚げ興業。
 チケットは500円。【teket】により事前に申し込んでおく方式。曲目はベートーヴェンの7番と5番。
 上述のとおり開演時刻に間に合わず遅刻したので,7番の第3楽章から聴くことになった。

● 指揮者がいないことを謳っている。指揮者なしでシンフォニーを演奏すること自体は,たいていできるだろうけど,どこまでできるかはまた別の問題。
 で,どうだったかというと,なまじな指揮者ならいないほうがいいのだな,と思わせる水準。てか,指揮者がいるとかいないとかを,感じさせなかったですけどね。とにかく,勢いがあって。


● 団員の大半は現役の大学生。若いのだ。ここまでの勢いは若さに乗ったものなのだと思う。若いって凄い,と色んなところで思うのだが,ここでもまた。
 ちなみに,この楽団のサイトにはメンバーの出身地であるとか現在の所属であるとかが,顔写真とともに詳しく紹介されている。ここまで団員の履歴をディスクローズしているところは(たぶん)ない。


● あとは,どこまで継続できるかという問題だけが残りますかね。加えて,いつまでも若くいることはできないということ。個々の人間だけではない。あらゆる集団,組織も,必ず老いる。
 創業が江戸時代という老舗もあるが,そういうところは生まれ変わっているのだ。越後屋と三越は一直線にはつながっていない。
 行けるところまでは行く。そこから先はそのときに考える。そうならざるを得ないだろうし,それが正解でもあるのだろう。


● この楽団はそもそもがどういう所以でできあがったのだろうか。サイトには「さまざまなバックグラウンドを持つ演奏家の集う場所へ」と目指すところが掲げられている。
 「さまざまなオーケストラのコンサートマスターやトップ経験者,音大生を中心に構成されています。アマチュアか音大生か,社会人か,そのようなものは関係ありません。音楽を愛し,良い演奏をしたいと考える個性的で多様な人たちが自発的に集まっています」ともある。


● そのとおりなのだろうけれども,言うは易く行うは難しであって,それだけの多彩な素材をバラバラにさせないでひとつの楽団の態を保っていくためには,その中心になって吸引力を発揮できる個人がいなければならないはずだ。
 しかも,その個人(1人とは限らない)がずっと変わらないのでは,いずれ飽きられて分解してしまうだろう。中核が変わっていくことで,まとまりを変えずに維持できる。
 「月に一回程度バリオケメンバーによる多彩な室内楽コンサートを企画しております。月に一回程度でコンサートを開催することを目標としております。」ともあって,かなり野心的だと思うわけだが,相当に熱い人が大車輪で動いたんだろうかなぁ。


● 音大生が多い。入場時に配られたチラシによれば,桐朋7人,国立音大6人,昭和音大3人,東京音大2人,武蔵野音大と藝大が1人。東京学芸大の音楽専修の学生が7人。
 一般大学では東京外大の4人が最も多い。が,東京外大管弦楽団に属している人が12人いて,どうやらここが核になっているようではある。
 外大は府中,桐朋は調布,学芸大は小金井と,まとまったエリアに固まっている。そういったことも関係があったのかなかったのか。

● ともあれ。技術をはじめ,相当なポテンシャルを持った楽団が出てきたという印象。
 当分,Twitterでこの楽団が何をしていくのか,追いかけてみようと思っている。

2021.03.20 Orchestra of Spring 第3回定期演奏会-ブラームスと巡る

めぐろパーシモンホール 大ホール

● 団員たちは,自らの楽団を春オケと呼んでいるらしい。それはどうしたってそうなるだろう。
 その春オケの演奏を聴くのはこれが初めてなのだが,なぜ聴きに行ったかといえば,コロナ禍にあって中止や延期にしないで開催するところを選んでつないでいった結果だ。

● 開演は午後2時。チケットは500円。お約束の事前申込制。【teket】で電子チケットを入手しておく。
 このやり方はすこぶる簡便で,コロナが収束した後もぜひ継続してもらいたいものだ。元の紙チケットに戻すのではなく。
 あとは受付の際の電子チケット(QRコード)の読込みをスムーズにできるようになればいいわけだが,こういうものは要は慣れだ。紙のチケットをもぎるのと同じというわけにはいかないかもしれないけれども,流れを止めずにすむ程度にはできるようになるだろう。

● 曲目は次のとおり。指揮は喜古恵理香さん。彼女の指揮には,ひと月前にも,オーケストラ・ミモザの演奏で接している。
 J.シュトラウスⅡ ワルツ「美しく青きドナウ」
 ドヴォルザーク 交響詩「水の精」
 ブラームス 交響曲第1番

● 春オケのサイトによれば,この楽団は「千葉大学管弦楽団の卒団生有志が中心となり,首都圏近郊の学生・社会人とともに2017年に結成し」たとある。
 まだ若い楽団だ。若さとはそれ自体がひとつの価値だ。その価値の所以を具体的に具体的に体感するには演奏を聴けばよい。

● ブラームスの1番がやはり印象に残る。圧巻の熱演。第3楽章が特に。木管の躍動が印象的。中でもオーボエ。
 この曲がベートーヴェンの第10番と評された所以がやっと理解できた気がする。これだけの演奏をしてもらえればね,そりゃわかりますよ。

● この曲は演奏される機会も多いし,CDで聴くことも多い。何度聴いたかわからないくらいに聴いてはいるのだが,じつは聴けていなかったかもしれない。
 ひょっとしたらブラームスは創り損ねたのではないか,とずっと思っていたのだ。創り損ねたというのがまずければ,まとめきれなかったという表現ではどうか。そんな思いがどこかにあった。
 2番以降のスッキリとした感じに対して,この1番は各楽章が向いた方を向いていて,ブラームスの意思が分散してしまっているような,そんな感想をずっと抱いていたのだ。「聴けていなかったかもしれない」と感じたのはそういうことだ。

● プログラム冊子の曲目解説では,「暗から明へ」が強調されている。ここでもベートーヴェンに敬意を表したのか,そうするのと収まりが良くなるのか。が,ベートーヴェンの5番のような骨太の「暗から明へ」のストーリーがあるわけではないようだ。
 ベートーヴェンは「暗から明へ」以外の聴き方をするのは難しいけれども,ブラームスのこの曲は必ずしも「暗から明へ」に捉われることもないのではないか。聴く側に想像(あるいは妄想)の余地を残しておいてくれるところがある。

● ドヴォルザークの「水の精」を生で聴くのは初めて。CDでは数回聴いていると思うのだが,「水の精」と聞いてまず浮かんでくるのは,ワーグナーの “指環” だ。「ラインの黄金」での3姉妹だ。
 ストーリーをきちんと知ったのも,今回の曲目解説を読んでのこと。

● 交響詩とはいえ,その詩の内容を言語的に知っても仕方がないとも思っている。たとえば,スメタナ「わが祖国」の “モルダウ” を聴くときに,「この曲は,モルダウ川の流れを描写している。源流から流れだして,森林や牧草地を経て,農夫たちの結婚式の傍を流れる・・・・・・」ということを知っていないと,この曲を味わうことができないとは思われない。
 むしろ,知るとそれに捕らえられる。知らないほうが想像力を遊ばせることができる。作曲家の創作動機やそこに込めた思いからも自由でいられるのが,聴き手の特権というものではないか。個人レベルで勝手な聴き方をするのが良い。そういう聴き方はした者勝ちというところがある。
 しかし,この曲のストーリーは知っておいた方がいいようだ。

● アンコールはブラームスのハンガリー舞曲第1番。
 バレエやオペラが典型的にそうだと思うのだが,本番で優雅に見せるものこそ,練習は泥臭くなるものだろう。練習も優雅にというのはあり得ない。
 管弦楽も同じであって,ドレスをまとってステージで演奏するのだから,その様は優雅でなければならない。本番で髪振り乱すところを見せてはならない。しかし,その分,練習では泥臭くあらねばならない。というより,否が応でも泥臭くなる。
 その点,客席にいる分には練習は要らない。優雅な様を見るだけでいい。
 ここまで聴ければ充分だ。ホクホクしながら都立大学駅に向かって柿ノ木坂を下って行きましたとさ。