2019年8月8日木曜日

2019.08.04 東京大学音楽部管弦楽団 サマーコンサート2019 栃木公演

那須野が原ハーモニーホール 大ホール

● 東大オケの演奏を聴くのは昨年1月の第103回定演以来。サマーコンサートは2015年以来となる。
 このときのサマーコンサートも栃木公演で,宇都宮市文化会館で開催された。宇都宮のこととて,餃子でだいぶ盛りあげてくれたんだった。浜松市出身の団員がいてね。

● 東大オケのサマーコンサートっていうのは,東京を含む全国4都市でやるものだと思っていたんだけど,今年は東京と那須と札幌の3回。
 そうだった。その代わり,定演を2箇所でやるようになったんだったな。

● 東大オケのサマーコンサートってだいたい満席。当日券で入ろうと思って,ダメだったこともあった。当然,販売開始とほぼ同時に「ぴあ」で購入してた。
 が,今回,けっこう空席があるねぇ。1,200席でこれだけ空いてるっていうのは,ここが那須だから? そうは思いたくないんだが。
 そんなことを思いながら,開演を待ったのだが,開演時には“ほぼ満席”と形容しても嘘にはならない程度の入りになった。よかった,よかった。那須の面目が立った。
 ぼく,那須の生まれなんでね。って,それはどうでもいいんですけどね。

● 開演は午後2時。チケットは800円。曲目は次のとおり。指揮は田代俊文さん。
 ヴェルディ 歌劇「ナブッコ」序曲
 ストラヴィンスキー バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)
 チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調

● 過去に聴いたサマーコンサートの中で最も印象に残っている曲は何かと訊かれれば, 2013年につくば市のノバホールで聴いたブラームスの4番だと即答できる。
 しかし,それはその演奏が最も出色だったという意味ではない。こちらのそのときの欲望(?)にピタッとフィットしたということだ。ブラームスの4番を聴きたかったのだと思う。それがまずあっての話だ。

● その伝でいうと,今回,楽しみだったのはストラヴィンスキー「火の鳥」。この楽団がこの曲をどう調理して客席に差出してくるか。
 調理するといったって,楽譜があるわけだから,距離を置いて見た場合の仕上がりに差が出るわけはない。近づいて見たときの肌理の細かさであるとか,盛りつけのきれいさであるとか,そういう差になるわけなのだと思う。

● で,それが細かくてきれいなわけですよね。当然,技術の問題がある。その技術に関しては,不思議なほどに巧すぎる。音大でもここまではできてないところが・・・・・・まぁ,いい。
 では,技術だけの問題かというと,違うような気がする。“気”の入れ方,その“気”の揃い方,自分と場としてのオーケストラとの相性,などなどいくつもの非技術に属する因子があるだろう。
 それゆえ,出来不出来のばらつきが大きいのがアマオケの特徴でもあるはずだと思っているんだけど,このオーケストラはそのばらつきがない(たぶん)。やはり,技術が卓越しているということだろうかなぁ。

● チャイコフスキーの5番といえば,誰でも気にする第2楽章のホルンの長いソロ。不安定を安定的に表現しなきゃいけない。
 たとえ名人であっても,迂闊に踏みこむと足下を掬われることがあるのではないかと愚察する。表現された不安定が,天然の不安定の方に傾いてしまう分岐点があるような。
 その分岐点を不安定のどこまで深部に設定できるかが,奏者の腕
那須野が原ハーモニーホール
だとすれば,相当すごいんですよ。このオケのホルン奏者はね。


● そのホルンに絡んでいくオーボエ,第1楽章冒頭のクラリネット,最終楽章終結部の金管など,聴きどころ,聴かせどころはたくさんある。そういうところで決してはずさないんだな。というわけなので,楽しみにしていた「火の鳥」よりもチャイコフスキー5番の方が印象に残った。
 つまり,だ。サマーコンサートの中で最も印象に残っている曲は,依然として2013年のブラームス4番であり続けているということ。

● 演奏についての印象を大雑把にいえば,とにかく端正だ。端正を崩さない。“東大”と知っているので,ならば“端正なはず”というイメージを作っちゃっているのかもしれない。だとすれば申しわけない話だ。“東大=端正”は成立しないはずだからね。
 しかし,演奏はあくまで端正で折り目正しいという印象。奇をてらわないオーソドックス。余計なことをしていないのがいい。端正でありオーソドックスであり夾雑物がないという,そのありようが徹底している。

● 開演前に大田原市長の挨拶があった。なぜ市長が挨拶? おそらく百パーセント善意だよね。東大オケに敬意を表してのことでもあり,この施設の存在をアピールしたくもあり。
 が,可能であれば,この種の善意は毅然と断ってほしい。やっぱり場を冷やすんだよね。市長も短い挨拶で切り上げたのだが,それでも場を冷やす。演奏会には演奏以外のものがあってはならぬと,ぼくは思う。まして,クラシック音楽と市長挨拶なんて,ほとんど水と油だ。
 が,市長側からこの種の申し出があった場合,それを拒否するのは難しかろう。一番いいのは,市長側が自制してくれることなんだがな。ここは田舎だよって言ってるようなものだし。田舎なのは来てみりゃわかるんだから,わざわざ言う必要はないわけだよね。

● 演奏以外のものはない方がいいという場合,恒例になっている「歌声ひびく野に山に」を客席と一緒に歌うという試みはどうなのか。恒例になっているくらいだから,支持されているというわけなのだが,以下に考察する。
 短い歌だから,たんに歌うだけなら短時間で終了する。が,歌い始めるまでが長く,こちらに真骨頂がある。真骨頂の核はコント(?)で,たぶん複数の構成作家が関わっているのではないか。台詞はよく練られているし,話者もしすぎない程度の練習をしているだろう。
 「長めの前奏」も特徴的だ。栃木県民の歌などが折り込まれる。地元をよく研究して,サービスに努める。ソツがない(ほめ言葉になっているか)。これで観客がイヤな気分になるわけはない。というわけだから,このバラエティーは演奏のうちに含めることとする。

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