2015年3月12日木曜日

2015.03.11 春風亭昇太 落語独演会

高根沢町町民ホール

● 番外編。開演は午後7時。チケットは1,500円。
 管弦楽を聴きに行くことが多いんだけど,基本,舞台芸術は何でも好きだ。ステージで展開されるものは何でも。オペラやバレエなど音楽が絡むものはもちろん,ライヴで観たことはまだないんだけど,能のような抽象性が高いものでも,ぼくの中から拒否反応が出てくることはまずあるまいと思う。
 ライヴで観たことがないものは,能のほかにもたくさんある。落語もそのひとつ。

● ぼくの場合,ずっと,落語=「笑点」だった。寄席というのは典型的な都市型施設で,落語を聴きたければ東京に出向くしかないと思っていた。
 が,最近は,大きなホールで落語が演じられる機会が多くなっている。業界側の事情もあるんだろうし,そちこちにできたホールの運営側の事情もあるんだろう。
 栃木県でもいくつかのホールで毎年,落語の独演会,二人会が催行されている。

● CDもいくつか持ってはいるんだけど,熱心に聴いている方ではない。微々たるものだ。
 その微々たる中から申しあげると,古今亭志ん生は天才だとぼくも思っている。音域が広い。出せる声のバリエーションがとんでもなく多い。

● 噺家というと,遊びを極めた人っていうイメージも強い。吞む,打つ,買う,の三拍子が揃っている人たちという印象。
 特に,「買う」。その道の追求をやめない人たちが落語家なんだろう。小沢昭一『雑談にっぽん色里誌 芸人編』には小沢さんと4人の対談相手が登場するけれども,その4人はみんな噺家だ。
 吉原を舞台にした噺もある。実際,遊びが芸の肥やしになる典型的な職業が噺家なのだろうなと思っていた。

● ひょっとすると,噺家と遊女は似たような職業で,互いに惹かれるところがあるのかもしれないなと思ったりもする。
 よんどころない事情で,世の中に居場所を見つけられない。あるいは,世の中から拒絶される何かを持っている。そういうところが共通しているのかな,と。

● が,客席から昇太さんを見ている限りでは,彼にそんな風情は感じられない。はみだし者という感じは皆無だ。他の職業,たとえば雑誌の編集者になっても,いい仕事をした人ではなかろうか。
 遊女っていうのも今は昔の話だし。遊びが芸の肥やしになるっていうのも,遊び人の自己弁護的なところもありそうだ。遊びに占める吞む,打つ,買う,の比率も下がってきている。

● Wikipediaによれば,学生時代にテレビ東京の『大学対抗落語選手権』で優勝している。結局のところは,才能でしょうね。才能って言葉をだすと,議論が強制終了になってしまうけれども。
 昔,「ほぼ日」で「これが落語ですというものは本当はないんです。その噺家がどう演じ,どう面白くするかが重要なだけで」と発言していた。落語を外からキチっと見る視点も当然あるわけで,落語に絡めとられたままではいないわけですよね。頭も柔らかい人なんだな。

● 冒頭,昇太さんが私服で登場。ここで客席をガバッとつかむ。このつかみは天性のものなんだろうなぁ。努力や工夫も重ねているんだろうけど。

● 本編に入って,弟子の春風亭昇羊さんが登場。演目は「初天神」。これがぼくの生落語の初体験となった。
 昇羊さん,真面目の塊という印象。愚直に(もちろんほめ言葉だ。念のため)修行を重ねていると見える。大変だろうけどなぁ。
 こういう真面目な若者が遊びを肥やしにできるのかねぇ(まだこだわってる)。

● 次いで,昇太さん。「時そば」を演じたんだけど,「時そば」に行く前の,前段の喋りが面白かった。
 「そばを食べる場面において麺を勢い良くすする音を実際と同じように表現することが本作の醍醐味であり,一番の見せ場である」らしい。たしかに。すごいものだと感じ入った。

● 後半は,三増紋之助さんの江戸曲独楽。一球入魂。ワンステージごとに勝負なんだろうなぁ。
 最後は,再び昇太さんの落語。演目は「猿後家」。笑い転げた。ホールで大勢で聴くと,たくさん笑えるものだ。人の笑いにつられるということもある。

● 管弦楽の場合,CDで聴くのと生演奏を聴くのとでは,まったく別の体験になる。これはわかりやすい。異を唱える人はいないだろう。
 が,落語のような独り芸は,生と録音との違いはそんなにないのではないかと思っていた。ところが,そうじゃなかった。入ってくる情報量がまるで違うのだった。一度は名手の芸に生で接してみるものですな。
 これで,CDを聴く時間が増えるかもしれない。ひょっとすると,いわゆるひとつの転機になる2時間になったかもしれないぞ。

● 管弦楽だと,アマチュアオーケストラの演奏でもアマチュアであることが気になることはあまりない。メジャーの野球だけが野球じゃないのと同じだ。高校野球の試合がメジャーのそれよりつまらないとは限らない。
 けれども,落語は違う。アマチュア落語のほとんどは,忍耐なくして聞くのは難しい(一度,とある病院で,ボランティア落語を聞いたことがある)。その分,CDに頼ることが多くなるはずだ。
 そのCDに向かわせてくれるキッカケを得たとすると,けっこう以上に大きな収穫だったといえる。

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