● お金に糸目をつけないで作られた舞台で演じられるオペラを観てみたい。けれども,糸目をつけなかったお金は誰が負担するのか。当然,観客が分担して負担することになる。
ではその額はいかほどか。糸目をつけないんだから,想像を超えるはずだ。そんなお金を自分は出せるか。どうも自信がない。
● では,次善の策をというわけで,この映画を観に行くことにしたんだけど。
2回上映で,1回目は午前11時,2回目は午後2時。2回目を観ることにした。チケットは2,500円。これくらいだったら,出せるからね。
● 1982年の作品。監督はフランコ・ゼッフィレッリ。
ヴィオレッタにテレサ・ストラータス,アルフレードにプラシド・ドミンゴを配し,ジェルモンはコーネル・マクニール。管弦楽は,レヴァイン指揮のメトロポリタン歌劇場管弦楽団。
第2幕のバレエシーンにも,ボリショイ・バレエのエカテリーナ・マクシーモワとウラジミール・ワシーリエフを起用している。
セットも絢爛。じつにお金に糸目をつけていない。映画だからこその豪華版だ。ゼッフィレッリの執念が結実したという感じ。
● 結果,「オペラ史において,また映画史においても燦然と輝く,特筆すべき傑作」になったということなんだけど,たしかにそうなんだろうなと思う。
という言い方をするのも,なんかピンと来なかったからなんだよね。映画としてではなく,オペラとして観てしまったからだと思う。
● テレサ・ストラータスは美しかったし,ドミンゴの声量にも圧倒される思いがするんだけれども,いかんせん距離がありすぎる。
彼らは画面に閉じこめられているわけだからね,無限の距離がある。その代わり,画面のなかで時空を超えて存在する。
● 実際,ぼくは泣きませんでしたからね。「椿姫」は2回,生のオペラを観たことがあるんだけど,最後,泣いちゃうでしょ。ありえない筋書きだとわかっていても。
終わったあと,泣き顔を見られないように,けっこう苦労することになるものでしょ。
● 絢爛たる光景は頭の中で想像すれば足りる。リアルに視覚化してもらう必要は必ずしもないのだった。自然の美しい光景も同じ。
ヴィオレッタとアルフレードが川に落ちて,濡れたまま手をつないで帰る幸せなシーンも,映画でしか表現できないものだけれども,これがないと困るかといえば,そうでもない。
● つまり,これほどに絢爛豪華でなくても,生の舞台の方がこちらに訴えかけてくるものはずっと多いと思った。あたりまえだろ,と言われますね。
そのあたりまえのことを感じたわけで。
● けれども,冒頭のフラッシュバック技法はやられてみるとアッと思う。最後のシーンの先取り。映画だとこれができるか,と。
序曲にどういう映像を付けるのかと思ってたんだけど,この手があったか,序曲の処理はこうすればいいのか,っていう発見。
やられてみれば,こうすればいいというより,これしかないのではないかと思えてくる。
● 絢爛たる光景は頭の中で想像すれば足りる。リアルに視覚化してもらう必要は必ずしもないのだった。自然の美しい光景も同じ。
ヴィオレッタとアルフレードが川に落ちて,濡れたまま手をつないで帰る幸せなシーンも,映画でしか表現できないものだけれども,これがないと困るかといえば,そうでもない。
● つまり,これほどに絢爛豪華でなくても,生の舞台の方がこちらに訴えかけてくるものはずっと多いと思った。あたりまえだろ,と言われますね。
そのあたりまえのことを感じたわけで。
● けれども,冒頭のフラッシュバック技法はやられてみるとアッと思う。最後のシーンの先取り。映画だとこれができるか,と。
序曲にどういう映像を付けるのかと思ってたんだけど,この手があったか,序曲の処理はこうすればいいのか,っていう発見。
やられてみれば,こうすればいいというより,これしかないのではないかと思えてくる。
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