2019年11月30日土曜日

2019.11.30 第10回音楽大学オーケストラ・フェスティバル 昭和音楽大学・東邦音楽大学・桐朋学園大学

東京芸術劇場 コンサートホール

● この音大オケフェスも10回目を迎えたのか。ぼくは何回から聴いてたんだっけ。
 首都圏の9つの音大が参加するこのイベントも,今回は藝大が参加していない。従来は2大学ずつ4回に分けてやっていたのだが(したがって,4回のうち1回は3大学になる),今回は3回にまとめられている。
 そろそろ曲がり角にさしかかっているのかなとも思うわけだが,今回だけ何らかの事情でそうなったのかもしれない。そのあたりはわからない。

● チケットはだいぶ早めに買ったのだが,その時点であまりいい席は残っていなかった。これは毎回そうで,今までは通し券で買っていたので,通し券だからそうなのかと思っていたのだけどね。そういうことではなくて,いい席は最初からないのだと考えるべきだった。
 大学の関係者や招待者に当てられているのだろう。一般席はすなわち残り席のはずだ。

● だから不満かというと,そんなことはない。何せ千円なのだ。ほとんどタダみないなものだ。席について文句をいう理由はない。コストパフォーマンスは無限大だと言いたいくらいのものだ。
 ただし,今回は3階席。ステージはだいぶ遠い。ときどき,オペラグラスがあればなと思うことがあった。ニコンを持っている。持っているんだから,こういうときに使わないとね。
 でも,オペラグラスと集中は相性が悪い。オペラグラスを使ってしまうと,聴くことがおろそかになる。それが嫌で,オペラグラスは自宅の抽斗に放りこんだままになっている。

● 開演は午後3時。この日は昭和音大,東邦音大,桐朋学園大。
 まず,昭和音大。ムソルグスキー(ラヴェル編)「展覧会の絵」。指揮は渡邊一正さん。
 力がこもっている。力そのものを捉えれば,もっと持っている楽団はあまたあるに決まっている。プロオケはすべてそうだろう。
 けれども,持っている力を縦線とし,こめる大きさを横線とすれば,力では劣ってもその力を最大限にこめると縦横の面積ではプロを上回ることがある。
 この音大オケフェスでは,その逆転現象に出会えるからワクワクするのだ。ときめくと言ってもいい。

● 東邦音大はリムスキー=コルサコフ「シェエラザード」。指揮は現田茂夫さん。
 上記に加えて,若さのみが持つ勢いのようなもの。それを味わえることも音大オケフェスの魅力のひとつだ。それは自分のようにいたずらに年だけを取ってしまった者には,特に貴重なものに映るのかもしれないけれども。
 到達地点ではなくそこに至るまでの上昇カーブの勾配,上昇するスピード。そういうものが勢いとなって,客席に届く。その勢いに圧倒され,ため息をつく快感というものがたしかにあるのだ。

● コンサートマスターのソロの存在感がやはり大きい。劇中のシェエラザードは何歳なのだろう。利発で果断に富み,人の機微を捉える感受性に恵まれたこの娘,おそらく10代の半ば,今でいえば高校生くらいの年齢だろう。
 そのシェエラザードを奏でるのであるから,ここはやはりコンミスであって欲しいし,可能ならば贅肉の付いた(付き始めた)30過ぎのオバチャンではなく,娘を残す年齢の女性に弾いてもらいたいものだ。その方が想像力を無駄にかきたてなくてすむ。
 という意味からも,この音大オケフェスは大変にありがたいのだ。

● 桐朋は次の2曲。指揮は尾高忠明さん。
 ディーリアス 歌劇「村のロメオとジュリエット」より 間奏曲「天国への道」
 エルガー エニグマ変奏曲
 力のこもった熱演。熱演というだけでは足りない。彼ら彼女らの中でプロとして立っていく人はたぶんひと握りに過ぎないのだろうけども,では今あるプロオケのすべてがこの水準で演奏できるかというと,さてさて。

● 桐朋も奏者の圧倒的多数が女子。のだけれども,戦闘集団の感がある。戦う女たちっていうか。何と戦っているのかといえば,昨日までの自分だろうか。というと,綺麗事にすぎるか。
 切磋琢磨しながらここまで来たし,これからもそうであり続けるのだろうなと思わせる。生半な男は弾き飛ばされてしまうかもしれないね。

● というわけで,いずれも力の濃縮度が際立っている印象なんですよね。これを聴かなかったら何を聴くんだって気がするんですよ。
 チケットは一応,千円取るんだけど,実質は無料に近い。よろしく,聴くべし。これはね,聴くべきですよ。

● ただね,冒頭に申しあげたように,ひょっとするとこのイベントも終わりを迎えつつあるのかなとも思えるのでね。ちょっと心配。
 ただ,そうなればなったでさ,各大学ごとの演奏会もあるわけでね。選んで聴きに行けばいいだけだと言えば言える。が,可能であれば継続して欲しいなぁ。

2019年11月26日火曜日

2019.11.24 東京大学第70回駒場祭-東京大学フォイヤーヴェルク管弦楽団・東京大学フィロムジカ交響楽団

東京大学駒場Ⅰキャンパス900番教室(講堂)

● 渋谷から京王井の頭線で駒場東大前駅。駒場祭にやってきましたよ。
 じつは昨日も来る予定でいたのだけれども,昨日は宇都宮線で踏切事故があって,電車が止まってしまったのだ。
 ここまでの集客力を誇る大学祭は他にないでしょうね。東大ブランド,大したもんです。コンテンツも圧巻の充実ぶりなんでしょうけどね。

● 京王井の頭線も駒場祭開催中の3日間は乗車率が跳ねあがるのではないか。渋谷から乗った電車は田舎者には激しく混雑しているという状態で,その混雑を演出していた乗客の8割は駒場東大前で降りたような気がする。
 付近の住民にとっては,ひょっとすると迷惑な行事であるかもしれない。普段は静かな住宅街の道路がヨソ者で溢れてしまうのだ。

● 早く着きすぎた。ので,構内を歩いてみた。本郷もそうだけれど,ここも付近住民の恰好の散歩コースになっているのではないか。
 その昔,徳川将軍が鷹狩りをして遊んでいたのが,このあたりらしいね(鷹狩りは遊びではなく,統治上の重要な意味があったらしいのだが)。そう思って,ここに建物のひとつもなかった時代の景観を想像してみる。

● 東京大学の冠を付けている楽団は,東大純正の東京大学音楽部管弦楽団のほか,東京大学フォイヤーヴェルク管弦楽団東京大学フィロムジカ交響楽団東京大学フィルハーモニー管弦楽団のインカレ団体がある。さらに東京大学歌劇団があり,吹奏楽団が2つある。
 そのいずれも,演奏水準は相当なもの。もしくは,かなりなもの。

● さすがにラ・フォル・ジュルネに比するわけにはいかないと思うけど,これらの演奏をまとめて聴くことができる。駒場祭の凄いところはここにある。一般大学でここまでのメニューを提出できるところは,他にないだろう。
 ので,過去3回,この駒場祭にお邪魔している。2010年2012年2014年の3回だ。

● が,駒場祭に限らず,大学祭というのは,学生の学生による学生のための祭典,であるに違いない。
 その祭典にぼくのような年寄りがフラフラとやってきたのでは,景観を壊してしまうだけだろう。そういうことをするのは,主催者である学生さんのためにも避けるべきではないか。

● かく申すぼくにも学生であった4年間がある。ついこの間のことのような気がする。彼らも瞬きを2,3回する間に歳を取ってしまうのだ。過ぎてみればわかる。人はみな浦島太郎なのだ。
 であればこそ,その短すぎる若い時代にいる学生さんの空間に汚点を付けるようなことをしてはいけない。
 と思って,自重していたのだけれどもね。今回はその禁を破ってしまった。その理由はこの後すぐに申しあげる。
 同時に,今度こそ,これを最後にしようと思う。次はない。

 まずは,フォイヤーヴェルク管弦楽団(11:10-12:00)。メンデルスゾーンのホ短調協奏曲で,ソリストが奥村愛さん。
 行くでしょ,これ。禁を破った理由もじつはこれ。

● 特徴は指揮者がいなかったこと。実際のところ,このレベルになっていれば,指揮者なしでも交響曲の演奏くらいは難なくやってのけると思う。ヘボな指揮者ならかえっていない方がいいかもしれない。
 が,協奏曲はどうなのだろう。っていうか,これは奥村さんの弾きぶりってことになるんだろうか。

● 奥村さんの長いトークがあった。このオケとの付き合いはだいぶ長いらしい。黙って弾いているだけなら,観客(男性に限る)が勝手に誤解してくれる容姿の持ち主なのだが,喋ると地金が見える。
 その地金もまた演奏家はそうだよなと思わせるもの。演奏家として社会に伍していける人は,例外なく陽性な人のはずだと思っている。彼女もまたその例にもれない。
 必死に喰らいついて来てくれたとオケを讃えていたけれども,聴いてる分には,余裕こいて応接していたようにも見えた。そのあたりが芸ということか。つまり,必死を必死に見せないというね。

● 思いだした。900番教室は教室なのだった。大学祭の賑わいが聞こえてくるし,響きはないに等しいのだった。直接音の世界。
 そっか。これももう駒場祭はいいかなぁと思った理由のひとつだったかもしれない。

● さて,このあと,フィロムジカ,東大オケと続くんだけど,何か気がすんでしまったよ。どうしよっかな,帰るか。
 で,帰りそうになったんだけどね。せっかく来たのにそれでは少しもったいない。いったん駒場キャンパスを出て,付近を散歩して時間を過ごし,フィロムジカ(13:50-15:00)の演奏会に臨んだ。

● 曲ごとにメンバーの相当数が入れ替わる。最も印象に残ったのはチャイコフスキー「ロメオとジュリエット」。この曲が好きだからってのもある。チャイコフスキーの全てが詰まっている。
 メインの「幻想交響曲」は,全楽章聴きたかったら定演においで,ってことね。これも熱演だった。

● つまり,この楽団の演奏はプレ定演とも呼べるもの。フォイヤーや東大オケは定演とは接点のない独立した(?)演奏会になっているが,フィロムジカや歌劇団は定演に照準を定めていて,駒場演奏会はその一里塚のような位置づけ。
 いい悪いの問題ではない。楽団によって違うという,それだけのことね。

● 結局,東大オケ(東京大学音楽部管弦楽団)の演奏は聴かずに帰途についた。それじゃ何のために来たんだよって,われながら思わないでもないんですよね。
 駒場演奏会の最大の華は,何だかんだいって東大オケにあるんですよね。1,2年生のみで演奏する。その1,2年生の巧さに驚ける快感。
 それを聴かないことにした理由は2つ。ひとつは,貪欲さが摩耗してきてること。何でもかんでも歳のせいにはしたくないけれども,意欲の経年劣化はあるかもしれない。

● もうひとつは,東大オケの人気の高さ。フィロムジカの演奏が終わって,外に出たら,もう長蛇の列ができていた。次の東大オケの演奏を聴こうとする人たちの列がね。
 その最後尾についたところで立ち見確実という感じでね。もういっか,と思ったわけなんでした。

● もっとも,入替制ではないのかもしれない。次も聴きたい人は,そのまま座ったまま待っていてもいいのかも。それだとプログラムを受け取れなくなるはずなんだけどね。
 フィロムジカが終わって席を立つ人のところにやってきて,自分の荷物を置いて席取りをする人が1人のみならずいた。それはルール違反ではないのかもしれない。
 が,この場でのルール違反ではないとしても,そんな下卑たことはやりたくない。それは悪魔に魂を売るのと同じ。っていうか,悪魔だってそんな下品な魂は要らないだろう。

2019年11月21日木曜日

2019.11.17 宇都宮シンフォニーオーケストラ 秋季演奏会2019

宇都宮市文化会館 大ホール

● 栃木県の宇都宮でも聴いてみたい演奏会が被ることがある。今日は,こちらの文化会館にするか宇都宮短期大学にするか,最後まで迷った。どちらかが昨日だったら両方行けたのにと思うわけだけども,そういうことは言ってはいけないんだよね。
 結局こちらにしたのは,ひとつにはJR駅から近いということかな。案外そんなところで決まるんだよ。

● 開演は午後2時。当日券(1,000円)を買って入場。曲目は次のとおり。指揮は石川和紀さん。
 ワーグナー 歌劇「さまよえるオランダ人」序曲
 リスト 交響詩「前奏曲(レ・プレリュード)」
 ブラームス 交響曲第3番 ヘ長調

● 完璧にこちらの事情なのだが,昨晩はあまりうまく寝ることができなかった。やや寝不足の気味あり。
 ので,着座するや何だか身体が椅子に沈んでいくような,椅子に引っぱられるような感覚に襲われて・・・・・・。

● という状況を踏まえなければいけないんだけども,尻あがりに調子を上げてきた感があった。最も印象に残ったのはブラ3の第4楽章。
 アンコールのローエングリン前奏曲はさらに良かったような気がする。もうひとつのアンコール,交響組曲「ドラゴンクエストⅡ」より“この道わが旅”も気持ち良さそうに演奏していた(ように見えた)。

● プログラム冊子の団長あいさつに「もちろんプロのように素晴らしい音は出せないのですが,演奏会に向けて半年の間練習し,演奏に込めてきた情熱は,どこのオケにも負けないとの自負があります」という一説があるのだが,その自負はじつは多くのアマチュア・オーケストラが持っているものかもしれない。
 が,それでいいんでしょうね。その自負があることが,演奏会をやる資格の第1条でもあるんでしょ。

● もうひとつ。プロ並みの音を出す数秒間があるんだよね。なぜその数秒間が生まれたのかがわからないし,したがって再現もできない,としても。
 そこがプロとは違う所以であるわけだろうけど,その数秒間は,しかし,確実に存在していた。

● というのも,ブラームスの3番は2週間前に同じ会場で東京フィルハーモニー交響楽団が演奏している。どうしたって比べてしまう。
 東京フィルと同じ音,同じうねりが生じる数秒間があったと思う。複数回ね。

● 来年5月には「第九」を取りあげる。第4楽章だけではない第九は,栃木県では日フィルと栃響が12月に開催する(日フィルのは一度しか聴いたことがない)。
 昨年は鹿沼のオケ連合(主力はジュニアだったと思うが)が演奏し,数年前に那須フィルが演奏したこともあった。難物に違いない。どういうふうに仕上げてくるかね。
 来年はベートーヴェン生誕250年になるらしい。第九を演奏するところ,増えそうな気はするが,第九だらけになることは絶対にない。

2019年11月14日木曜日

2019.11.13 間奏61:大晦日のベートーヴェン,交響曲か弦楽四重奏曲か。併せて宿泊問題

● 大晦日に東京文化会館で催行されるベートーヴェンの全交響曲演奏会。今年も行けば9年連続9回目となって,数字的に収まりがいい。
 のだが,今年は小ホールの弦楽四重奏曲の方にしようかと思う。9曲演奏される。2年連続で行けば全曲聴ける計算。

● で,スマホで“ぴあ”にアクセスしてチケットを買おうと思ったんだけど,うまく行かない。支払方法でクレカを選択すると,有効期限や番号を確認することになるはずなんだが,その確認画面が出てこない。こちらが探さなければならないのか。
 今まで何度も“ぴあ”は利用している。PCとスマホではインターフェイスが違うんだろうかな。

● 今月中に東京に行く予定はあるんだけど,上野で下車する予定はない。発券手数料がかかっても“ぴあ”の方が手間いらずなんだが。
 ま,大したことじゃないけどね。PCでやれば今日中に片が付く。

● 問題は大晦日の過ごし方だ。全交響曲演奏会は13時に始まって翌年にかかる頃に終わるので,年越し蕎麦を食べるとか,静かにその年の来し方を振り返るとか,そういうことは少なくとも最近の8年間はやったことがない。
 それ以前も,旅行に出てたりしてて,そんなこととは無縁だったから,まぁ,そういうことはどうでもよい。
 っていうか,大晦日だから年越し蕎麦っていう人は,少数派ではないか,すでに。

● 交響曲を聴くか,弦楽四重奏曲を聴くか。結局,もうちょっと悩んでいたいなってことですかねぇ。
 悩んでいたくても,ま,結論は出ている。そこで次なる問題。

● 大晦日はホテルの確保に苦労する。都内のビジネスホテルに泊まろうとは考えない方がいい。第一に空きがないし,あったとしても料金が跳ねあがる。
 アパホテルが4万円だか5万円になったりするようなのだ。金に糸目をつけないという方針ならば泊まることもできようが,ぼくは糸目をつける方なのだ。つけざるを得ないっていうかさ。
 ので,カプセルホテルに狙いを絞った方が正解だ。寝るだけならカプセルでも問題はない。

● そのカプセルも大晦日は料金があがる。経済原則からして当然の話であって,受け入れるしかないのだが,昨年は朝食付きで7千円を超えた。カプセルで7千円超えですよ。
 馬喰町にある「北斗星」(ゲストハウスというのかドミトリーというのか)と山谷の安宿に泊まったことがある。それはそれで得がたい体験をさせてもらったと思うが,いつでも大浴場とサウナを使えるという点において,カプセルホテルが最も使い勝手がいい。

● 交響曲の方を聴くと泊まるしかなくなる。したがって,泊まる手配も考えなければならない。弦楽四重奏曲なら,宇都宮までは戻って来れる。宇都宮なら宿泊問題はだいぶ薄まる。ビジネスホテルに泊まることも可能だろう。
 終演後,東京で飲んでカプセルホテルに泊まるか。帰りの車中で動くパブを決め込んで,宇都宮に泊まるか。このあたりもちょっとした問題となる。
 どうせその日のうちに家に戻れないなら,宇都宮まで戻るのは一番つまらない選択肢であることは明白なのだけれども,宿泊問題との兼ね合いなんだよね。

● ぼくは男だからこんなものですむ。が,女性を受け入れているカプセルホテルは少ない。女性が地方から全交響曲演奏会を聴きに来た場合,宿泊場所を確保するのはけっこうシビアな問題になると思う。
 そういう人がいないわけはないと思うので,皆さん,どうしておられるのか。いい方法があったら教えてもらいたい。

2019.11.10 FReCS TRIO The 1st Concert

大谷石蔵スタジオ be off

● 南宇都宮駅前に大谷石蔵スタジオがあったなんて,知らなかった。何度もその前を通っていたのにね。
 正確に言うと,石蔵には気づいていた。このあたりは大谷石の石蔵が集まっているエリアで,レストランになっているところもある。けれども,そこにスタジオがあるなんて知りようもなかった。

● ともあれ,そこでFReCS TRIOなるメンバーによるピアノ三重奏の演奏会があった。8日に宇都宮市文化会館に行ったときに,このチラシを見つけた。
 開演は午後3時。ありがたいことに入場無料。

● メンバーは中村正大(ヴァイオリン),喜多 僚(チェロ),栗山頌平(ピアノ)の3人。3人とも栃木生まれ栃木育ちではなくて,よそ者。
 地域であれ業界であれ,賦活するのはよそ者だよね。 よそ者をどれだけ呼び寄せて,受け容れられるか。かなり大事だよね。大事というよりほとんど生命線。純血主義は滅びへの道だ。

● という一般論はともあれ,この3人は経歴が凄いんだね。超のつく一流大学を卒業しているし,自動車や電機のエンジニアだし。
 理系と音楽って相性がいいよねぇ。文学青年と音楽ってなると,どうもウェットな感じを受けちゃうんだけど,理系と音楽はサラッとしてて,腐れ縁的な感じがない。
 情緒的なイメージであって,エビデンスはありませんが。

● 曲目は次のとおり。
 ビゼー 歌劇「カルメン」より“第1幕への前奏曲”
 フランク・ブリッジ 「ミニアチュールズ」より“第7曲 ロシア風ワルツ” “第8曲 ホルンパイプ”
 ドビュッシー ピアノ三重奏曲 ト長調
 メンデルスゾーン ピアノ三重奏曲第2番 ハ短調

● オーケストラによる交響曲や協奏曲よりも,こうした室内楽曲を聴いていく方向に舵をきりたい。だから,こうした機会はありがたいものだ。
 室内楽の演奏会じたいがあまりないように思うし,あるのかもしれないけれども情報が入ってこない。たとえば,栃響の演奏会だったら栃響のサイトに行けばすぐわかるけれども,室内楽ってホール主催のものでもない限り,ネットで探しても引っかからないでしょ。

● ブリッジの“ホルンパイプ”が面白かったのだが,もちろんCDも持っていない。CDが出ているのかどうかも知らない。って,出ていないはずはないと思うが。
 ネットに落ちているに違いないが,できればCDで聴きたい。と思ってしまうのはネット社会に対応できていないからというより,クラシック音楽ではまだまだCDがユニットだからだよね。

● メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲は,いかにもメンデルスゾーンらしい“情緒”が載っていると思える。高校時代にメンデルスゾーン命の友人がいた。ぼくはその頃,音楽にほぼ興味がなかったから,彼の影響を受けているわけではないが,ホ短調協奏曲には捕まったクチだ。
 ずっと捕まったままになっていればよかったか。ときどき,その“情緒”が鼻につくようになったというかな。

● ドビュッシーはぼくには難解。理解しようと思うな,感じろ,ってことだと思うんですよ。理解の対象にしちゃいけないものだよね,そもそも。
 初めて聴いたのに,パッとこれいいと食いつける人がいるはずだ。頭デッカチじゃない人。頭悪いのに頭デッカチなヤツっているじゃん。一番始末が悪いよね。それ,自分のことなんだけどさ。

● 約80分のコンサート。200年前の欧州の貴族になったつもりで,こういうところに座って至近距離から届いてくる音の連なりと重なりに身を任せてみるのは,それじたいがなかなかに良きものだ。
 音楽に限るまい。小規模な演劇や朗読劇,落語など,用途はいろいろある。ここで興行的に元を取るのはどうやっても不可能だろうから,商業主義に毒される恐れもない(ぼくは商業主義って嫌いじゃないんだけど)。

● 脳内メモリに留めておくべきスポットだと思う。と,ここまで書いてきて,be off のサイトがあることを知った。時々はチェックするべし。

2019.11.09 テオフィルス室内管弦楽団 第63回定期演奏会

曳舟文化センター ホール

● 初めての拝聴。この演奏会をなぜ知ったかというと,東京で行われた演奏会でチラシをもらったからだ。
 行くことにしたのはなぜかというと,会場が曳舟だったからだ。このエリアにけっこう惹かれているのだ。

● なぜ惹かれるのかはわからない。東向島→(かつての)色街→人間に必要な裏側の街→永井荷風&吉行淳之介→生き方としての反体制 という流れが,自分の中にはあるんだけれども,それだけではない。
 何だかわからないけれども,この一帯に流れる空気は自分に近しいと感じる。演奏会を口実に街を歩けるじゃないかと思ったわけだ。

● その曳舟文化センター,駅から至近。開演は午後2時。当日券(1,000円)で入場。曲目は次のとおり。指揮は高畠浩さん。
 モーツァルト 「劇場支配人」序曲
 ワーグナー ジークフリート牧歌
 保科 洋 懐想譜(管弦楽版)
 シベリウス 交響曲第3番 ハ長調

● シベリウスの3番を生で聴いたことは過去にあったか。あったとしても,憶えていない。憶えていないんだから,初めて聴いたのと同じだ。
 1番,2番と比べると,北欧を感じる度合いが少ない。刺すような寒冷の気配はない。もっとも,“感じる”は聴き手の主観によるところが大きいから,違う印象を持つ人がいて当然なのだが。

● 保科さんは両国高校の卒業生であることを,プログラム冊子の曲目解説で知った。曳舟から見ても準地元。
 ぜんぜん関係ないけれども,勝海舟は本所の出だったか。墨田区界隈は多士済々の人物を輩出している。人材は下町から出る。

● テオフィルス室内管弦楽団の印象は,市民オケらしい市民オケというもの。テイストは先日やはり初めて拝聴した,江東シティオーケストラに似ているように思った。
 人間の集団だ。色々あるに決まっているのだが,まとまりの良さを感じた。普段は主張しないけれども,要所要所で舵を取るタイプの人がいるんだろうか。

曳舟文化センター
● 年に2回の定演を維持しているのだから,相応の実力がある。その相応の中でできることをやっているということだろう。
 率直に感じるのは,それぞれが仕事を持ちながら,演奏活動をしていることの,何というのか大変さであり,素晴らしさだ。眩しくもある。
 ぼくのように聴くだけなら誰でも造作なくできるけれども,作る側に回るのは誰でもというわけにはいかない。

● 仕事でメンタルに不調を来す人は,珍しくないというくらいには増えている。仕事に加えて,こうした活動まで引き受けているのは,単純に負担が2倍になることなのかといえば,たぶん,そうではないだろう。仕事で凹んだところが,演奏の練習で復元することもあるだろう。
 だとすれば,羨ましくもある。のだが,そんな絵に描いたような相乗効果はそうそうあるわけでもあるまいし,トラブルとの遭遇率も基本的には上昇するはずだ。

● というわけだから,ステージにいるのは上級国民で客席にいるのは下級国民という図式で,基本的にはよろしいと思っている。
 曲作りに精を出してステージでその成果を差しだす。それに対して,ああだこうだという輩には,だったらおまえがやってみせろ,と言いたくなるところがどうしてもある。

2019年11月13日水曜日

2019.11.08 ザ・メトロポリタンミュージック 創立六周年記念演奏会

宇都宮市文化会館 小ホール

● “ザ・メトロポリタンミュージック”の演奏会を聴くのはこれが2回目。2年前に一度聴いている。このときは,玉川克(チェロ),佐久間聡一(ヴァイオリン),桑生美千佳(ピアノ)のピアノ・トリオだった。
 そのときも今回も,財団の理事だという人の挨拶があったのだが,可能ならばこういうものはない方がよい。単純に邪魔だからだ。財団の都合もあろうから,あくまで可能ならという留保を付けておくが。

● 3日に同じ宇都宮市文化会館で行われた「ブラームスはお好き?」の演奏会で,このチラシを見て開催を知った。即,チケット(3,000円)を購入した。
 文化会館のサイトに行けば載っているはずなのだが,どうもそうした情報収集に熱心ではなく,見過ごしてしまうことが多い。自戒しておく。たぶん効果はないだろうが。
 開演は18時30分。終演は21時近かった。宇都宮で平日の夜の開催だ。お客さんの入りはこんなものかと思えるもの。

● 今回は2部構成。まずプログラムを書き写しておく。
 渡邊響子(ヴァイオリン)
  モーツァルト ハフナー・セレナードよりロンド
  サラサーテ ツィゴイネルワイゼン
 市橋杏子(ピアノ)
  リスト メフィストワルツ第1番 村の居酒屋での踊り
 相田しずか(チェロ)
  ドヴォルザーク 森の静けさ
  シューマン アダージョとアレグロ
 渡邊響子 市橋杏子 相田しずか
  メンデルスゾーン ピアノ三重奏曲第1番(第1楽章のみ)

 林峰男 宮地晴彦 玉川克 三森未來子
  レモ・ジャゾット(アルビノーニ) アダージョ
  カサド(フレスコバルディ) トッカータ
  パッヘルベル カノン
  ポッパー 演奏会用ポロネーズ
  チャイコフスキー 舟歌
  バッハ シャコンヌ

● 最も印象に残ったのは最後のバッハ「シャコンヌ」。5mくらい後方に吹っ飛ばされた気分。チェロ4本による「シャコンヌ」の破壊力たるや。抑制の効いた破壊力というかな。
 無伴奏ヴァイオリン曲。しかし,この曲の編曲版は数え切れないほどにある。ぼくが最も数多く聴いているのは,齋藤秀雄編の管弦楽版だ。下野竜也&読響のCD。
 何で聴いてもハズレはないと思うんだけど,チェロ4本だとこうなるということだなぁ。曲目解説によれば,ラースロー・ヴァルガによる編曲とのこと。と言われても,まったく知らない人だけどね。

● パッヘルベル「カノン」も。カノンってこういうことかというのがよくわかる。いやいや,それは聴く前からわかってろよ。
 単純に同じ旋律で異時間スタートというわけでもないんだよね。

● 渡邊響子さんの「ツィゴイネルワイゼン」は超絶技巧の嵐で,よくヴァイオリンを取り落とさないものだと思う。何もここまでにせんでもと,サラサーテに言いたい。が,聴いてる分にはすこぶる面白い。
 Wikipediaによれば,ツィゴイネルワイゼンとは「ジプシー(ロマ)の旋律という意味である」らしい。哀愁と言いたくなる色調があるのはそういうことかと安直に納得しておく。
 モンティ「チャルダッシュ」もそうだけれど,ジプシーが伝えてきた旋律というのは,何だか染みてくるよねぇ。日本人と相性がいいような気がする。何の根拠もなく言っているのだが。

● 市橋杏子さんはリスト「メフィストワルツ第1番」を演奏。といって,伴奏も務めていたわけなので,ずっと出ずっぱり。最後は肩で息をする状態だったのではないかと思う。最後のメンデルスゾーン「ピアノ三重奏曲」では客席から気を揉んだほどだが。
 聴いている分にはやはり「ツィゴイネルワイゼン」の伴奏が面白かったんですよね。と言われるのは本人には不本意かもしれないけれども,しようがないですね,ここはね。「ツィゴイネルワイゼン」の魅力なんですよね。

● 相田しずかさん。音大ではない普通の大学を卒業してOLをやっていた,と本人が語ってた。OLを辞めて,桐朋に入学し,今は桐朋の学生。
 音大に進むか一般大学にするか悩みに悩んで,結局,将来の生きやすさを考えて一般大学にしたのだろうと勝手に推測する。しかし,音楽への思い,やみがたく。

● となると,やはりあのとき,音大に進んでいればと思ってしまうのだろうか。ものごとにはそれをやるべき時季がある。その時季を逸してしまったという後悔。
 しかし。人生に無駄なことなどひとつもない,それもこれも必要だったから起きたのだ,という言われ方を信じていたい。なぜなら,根拠なくそれを信じてしまった方が得だからだ。過去は巻き戻せないのだから。

● 医師を辞めて音大に入り直した人もいるもんね。収入は激減することはわかっていたはずだが,それでもそちらに方向を向ける。他の職業を捨てさせてまで,彼女や彼を惹きつける魅力を発するのは芸術と呼ばれる分野に限られる。とりわけ音楽。
 何というのかなぁ,選ばれし者の栄光と悲惨というやつかな。音楽に翻弄される人生。選ばれなければそんな目に遭わないですんだのに。選ばれてしまったんだよなぁ。

● 相田さんの初々しい佇まいがとても新鮮なものに映った。トリオで演奏したときの渡邊さんのヴァイオリンを気にする仕草とか,客席に投げる視線の様とか。
 来年はもうこの初々しさは消えているのだろう。初々しさをいつまでも残しているようでは,ちょっと困る。というわけなので,ぼくらは貴重なものを見れたかもしれないんだよね。

● ところで,3人の演奏を聴きながら(観ながら),ショーガールという言葉が浮かんできた。彼女たちはアーティストに違いないのだ。パフォーマーでもある。
 しかし,ステージで演奏する以上,否応なく“受ける”ことを考えざるを得なくなるだろう。演奏以外の立居振舞の問題。
 その点でいうと,「林峰男と仲間たち」の三森未來子さんが他のメンバーと交わす愛嬌たっぷりのアイコンタクトは,ショーガールの模範と言うべし。

2019年11月12日火曜日

2019.11.03 東京フィルハーモニー交響楽団演奏会「ブラームスはお好き?」Vol.3

宇都宮市文化会館 大ホール

● 地元出身の大井剛史さんが東京フィルハーモニー交響楽団を指揮する「ブラームスはお好き?」の3回目。ブラームスの4つの交響曲を1番から順に演奏していく。今日を除けば,残りあと1回になった。
 ブラームスの前は,チャイコフスキーの後期交響曲3つについて同様の演奏会があった。ブラームスの後も継続されるのかもしれない。

● その場合は,誰を取りあげるんだろうか。ニールセンなんか面白いのじゃないかと思うんだけども,公立ホールの主催となると,あんまり尖った企画にはできまい。
 今さらベートーヴェンでもなかろうしなぁ。ぼくとしてはブルックナーなんかやってもらえると嬉しいんだけども,毎年ひとつの交響曲を取りあげるんじゃ,少し以上に息の長すぎる企画になってしまう。

● 開演は午後4時。ぼくのチケットはB席で2,000円。2回左翼席の前の方で,ここがBとはありがたい。Sでもおかしくないと思う。オーケストラの全体が見える。
 このチケット,6月16日に宇都宮駅東のファミリーマートの機会を操作して買っている。いい席をと思うならできるだけ早く買った方がいいということもある。Sでも限りなくAに近いSがあり,Bでも限りなくAに近いBがある。

● もうひとつ,行けるか行けないか予定がハッキリしないからという理由で買わないでいるのは最も良くないと思っているからだ。
 行きたいと思ったのなら,予定不明でも買っておいた方がいい。そうしておいた方が行ける確率が高くなるような気がしている。確たる根拠はないのだが。

● 曲目は次のとおり。
 悲劇的序曲
 ヴァイオリン協奏曲 ニ長調
 交響曲第3番 ヘ長調

● ヴァイオリン協奏曲のソリストは神尾真由子さん。チャイコフスキー国際コンクールの覇者。
 今回の白眉はこのヴァイオリン協奏曲だった。神尾さんのふてぶてしいほどの迫力というか押し出しに満ちた所作が,ステージと客席をほぼ完全に支配した。自らを矜む気持ちの強さというかな。
 彼女にとってはこれが普通なのだろうな。これくらいで驚いてちゃダメよ,と言われるかなぁ。宇都宮でこの演奏を聴くことができた幸せを噛みしめておりますよ。

● ブラームスの3番は比較的,演奏される頻度が低いかに思えるけれども,ブラームスらしい質量に満ちた大曲。
 演奏しているのが東京フィルハーモニー交響楽団なんだから,何の文句もあろうはずがない。毎回思うことを今回も思った。団員の平均年齢がだいぶ若い。

● 今どき,プロの奏者になるような人,いや音大に進むような人っていうのは,幼少の頃から楽器に親しんできたに違いない。ぼくはひと筋の道に精進した人,職人というイメージを持ってしまうのだが,実際のところはどうなのだろう。
 どうなのだろうというのは,“ひと筋の道”は道として持ちながら,広い世界を確保してきた人も多いのかなという意味なんだけど。

● 彼らの演奏を聴きながら,同じように3歳や5歳で楽器を始めても彼らのようになる人とならない人がいるのは,なぜなんだろうなと思ってみた。
 で,次のような問題を自分に出してみたくなった。解答案は今のところない。
 超の付く一流と並の一流を分けるものは何だと思うか。各自,思うところを千字以内で記せ。ただし,次の語句を用いてはならない。 1 才能 2 環境 3 英才教育 4 運
● 大井さんの端正な所作も見所でしょ。指揮はたぶん所作だけで行うものではないのだが,客席からは(P席でもない限り)指揮者の表情は見えない。見えるのは所作だけなので,“所作=指揮”になりがちだ。
 しかし,まぁ,それで当たらずとも遠からずだろう。所作と表情が乖離するとは考えづらいのでね。

● というわけで。価値ある2千円,価値ある2時間。
 ちなみに,神尾さんのアンコールはパガニーニ「24の奇想曲」。オケのアンコールはハンガリー舞曲第4番。

● ところで。終演後,ちょっと近くをウロウロしてから宇都宮駅に向かうバスに乗ったんだけど,そのバスに大井さんも乗ってきてね。あれっと思った。
 車で移動しているのかなと思ってたもんで。指揮者のイメージってそうなんですよね。カラヤンにしてもカルロス・クライバーにしてもスピード狂。どこへでも自分で運転して行ってしまうというイメージ。
 常に必ず車とは限らないってことですか。にしても,主催者が駅まで公用車で送るってのもなしなのか。大井さんがその申し出を断ったのか。
 ともあれ。今日は新幹線で帰京して,明日はまた明日の現場に向かうのだろう。流れ渡世の職人のようだな。

2019年11月11日月曜日

2019.11.02 江東シティオーケストラ 第51回定期演奏会

ティアラこうとう 大ホール

● せっかく東京に出てきたのだからというわけで,今日はダブルヘッダー。すみだトリフォニーから地下鉄でひと駅離れたティアラこうとうに移動。
 もちろん歩いた。日がすっかり短くなって,夕方5時には街の灯り,正確には歓楽街というか飲み屋街というか,そうしたところの灯りがともる。願わくばそうしたところに吸い寄せられる虫のようでありたいが,目的地があるのでここで虫になるわけにはいかなかった。

● しかし,ま,こうしたところを歩くのは,それ自体が快を伴うものだ。錦糸町駅南口を出て東に歩けば横十間川にぶつかるから,川に沿って南に歩けば,ティアラこうとうに至る。この川も台風19号では溢水したんだろうかな。
 街の灯りと川っていうのも,けっこうな組み合わせだ。このあたりは東西南北に何本もの川が流れているのだが,川なのか運河なのか。後者だと思うのだが。

● 江東シティオーケストラの演奏を拝聴するのは,これが初めてだ。開演は午後6時。入場無料。
 曲目は次のとおり。指揮は田中健さん。ブルッフのヴァイオリン協奏曲のソリストは金子昌憲さん。
 エロール 歌劇「ザンパ」序曲
 ブルッフ ヴァイオリン協奏曲第1番
 ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」

● 地名を冠した市民オケというのは,千差万別いろいろある。音大卒を揃えて,ストイックにアンサンブルを追求しようと志向しているところもあるやに思える。
 一方で,部活というより同好会的なものもある。楽しくやりましょ,っていうね。一生懸命にやらないと楽しくならないというのは基本だとしても,楽しくやるというのが目的になっているところ。
 どちらが良くてどちらが悪いという話では,当然ない。多様でいいのだし,多様でなければならない。その多様さを現実に展開しているところが,日本のアマオケ活動の凄さというか,層の厚さというか,そういうことなのだと思っている。

● で,たいていのところは,その中間にある。これまた当然で,別の言い方をすれば二兎を追っているわけだ。
 この楽団もそうだ。年に2回の定期演奏会を開催するとして,もう25年続いているわけだろう。たぶん組織の原則が働いて,楽団が継続していくためにこれしかないという細い道を通ってきているはずだ。それは偏った道であるはずがないのだ。

● 金子昌憲さん,当然だけども自分のスタイルがある。奏法云々ではなくて,立ち方,視線の向け方,場の作り方,集中の仕方・・・・・・そういったところのスタイル。
 そこから織りなす音色,勢い,緩急,昇降といったもの。そこにオケが応接する。ときにオケがここで暴れてくださいと場を作って提供していると感じることもあって。

ティアラこうとう
● ところで。ドヴォルザークの9番は聴くことなく,帰途についてしまったんですよ。これでこの演奏会を聴いたといえるのか。言えないな。
 なぜ前半だけで帰ったかというと,ここで帰途につかないと今日中にわが家に帰れなくなるかもしれないと思ったもんだからね。
 要するに,黒磯まで行く宇都宮線の最終電車にまにあわなくなる可能性があった。

● 要は,会場から錦糸町駅までをどうするかということなんだよね。住吉まで歩いて半蔵門線に乗るよりは,猿江公園を横切って錦糸町駅まで歩いてしまった方が早いような気がするんだけど,ここの時間がちょっと心配。
 結果からいうと,最後まで聴いても間に合ったと思う。しかし,万が一ということもあるのでね。

● でさ,こういう聴き方をするんだったら行くなよ,と思うわけですよね。どうもよろしくない。まず後味がよくない。
 つまり,せっかく東京に行くんだからと,ダブルヘッダーを組んだのが間違い。せっかく・・・・・・という発想はよくないね。

2019年11月7日木曜日

2019.11.02 ジェイソン・カルテット 第11回演奏会

すみだトリフォニーホール 小ホール

● ベートーヴェンが築いた大きな山脈はいくつもあるが,弦楽四重奏曲はその代表。弦楽四重奏曲に親しまなければベートーヴェンを聴いていると言ってはいけない。
 しかし,聴く機会はそんなにない。交響曲はいくらでもあるのだが,ピアノ協奏曲になるとグッと減り,弦楽四重奏曲になるとさらに減る。ひょっとすると,あってもぼくのアンテナがピンと立ってなくて,キャッチできないだけかもしれないのだが。

● もしアンテナがピンと立っていないのだとすると,その理由ははっきりしている。どこかで避けているからだ。
 なぜ避けるのかというと,聴いても歯が立たないというトラウマ(?)があるからだ。どうにも歯が立たない。つまり,自分の気持ちが音の響きにほとんど反応しない。錆びついているようだ。

● 対処法は1つ。聴き続けること。
 ので,少し前から意識して拾うようにしている。今回の演奏会もそうして情報をキャッチした。
 開演は午後2時。入場無料。曲目は次の2つ。
 ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第10番 変ホ長調
 ハイドン 十字架上のキリストの最後の七つの言葉

● ジェイソン・カルテットのメンバー,どこかで見ている。しかも,複数回見ている。豊洲シビックセンターあたりか。
 この四重奏団,アマチュアとはいえ,水準は相当なもので,プロだと言われれば信じるだろう。その演奏で聴いても,ベートーヴェンの10番がわかるかというと,どうにも心許ない。こちら側の精進があまりに足りないということ。弦楽四重奏曲の醍醐味というのは何なのだ。

● ハイドン「十字架上の七つの言葉」は初めて聴く。CDでも聴いたことがない。聴き手として全然ダメか。
 序奏から始まって7つの“ソナタ”と終曲,併せて9曲。合間に朗読という形での場面説明が入る。その朗読は篠原英和さん。ヴァイオリン奏者なのだけども,こういう活動もやっているらしい。

● 場面はともかく緊迫するところだ。イエスの最期を音楽によって描写しようというわけだから。思いっきり緊迫させればいいというのなら,ハイドンにとっても楽勝だったのかもしれないが,この曲はそうではない。
 緊迫のみでイエスの最期を描いてしまうのは,キリスト教のお約束ごとに反するのかもしれない。よくわからんけどね。

● 当然だけれど,朗読なしで,つまり音楽だけで場面を想像できるかといえば,そんなことのできるはずもない。朗読はありがたい。あるいは,予めある程度詳しい曲目解説を読んで頭に入れておく必要があるだろう。
 ハイドンはたくさんのパーツを予め用意していて,場面に相応しいパーツをはめ込んでいくという曲の作り方をしていたんだろうか。そんな印象をちょっと受けた。ここ,曲ごとに乾坤一擲のベートーヴェンと違うところ。

● とはいえ,これは弦楽四重奏の大曲。演奏する側は相当に大変だ。演奏中にもそれは感じられたが,終わったあとのホッとした様子が印象的だった。ずっと息を詰めていたんだろうからね。
 入場は無料なんだけども,カンパ制ということになるのだろう。募金箱が置かれていた。ここまでの演奏を聴かせてもらえば,やはりいくばくかのお金は置いてくることになるだろう。けっこうな数の人が募金箱にお金を投入していたと思う。
 演奏の才があって,若いときから(あるいは,幼いときから)長い時間をかけて技を磨いてきた人たちの,その上澄みを披露してもらうのに,タダでいいということにはならない。