2021年12月9日木曜日

2021.12.04 第12回音楽大学オーケストラ・フェスティバル 国立音楽大学・洗足学園音楽大学

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● 今年の音大フェスも今日が最終日(4日目)。通し券を買って皆勤することができた。毎日が日曜日になった爺さまの,大いなる余録というやつでしょうなぁ。
 全席使用で観客を入れている。前方の左右のバルコニー席(厳密にはバルコニー席とは言わないのだろうが)にもお客さんが入っている。おそらく,今回が最高の入りになったのではないか。それでも当日券があるにはあった。

● まず,国立音楽大学。プログラムが異色。何が異色なのかといえば,このフェスではベートーヴェンやブラームス,ブルックナー,マーラー,チャイコフスキーの交響曲など,正統派クラシック楽曲が選ばれてきたからだ。
 ところが,今年の国立はアメリカの近現代を持ってきた。次のとおり。
 レブエルタス センセマヤ
 バーンスタイン 「ウエスト・サイド・ストーリー」より “シンフォニック・ダンス”
 コープランド 「ロデオ」より 4つのダンスエピソード

● 指揮は原田慶太楼さん。選曲にあたっては原田さんも噛んでいたんだろうかね。
 「センセマヤ」は初めて聴く。こういう曲があること自体,知らなかった。今どきだからネットで聴くことはできるとしても,名前を知らないんじゃ検索もできないわけでね。
 ニコラス・ギレンの詩に基づく「蛇殺しの唄」と知って,何となく納得。レブエルタスは芸術家の鏡と言いたくなるほどに後先を考えない生き方をした人なんですねぇ。こういう生き方しかできないから芸術家になった(なるしかなかった)ということですかねぇ。

● コープランドの曲は “「ロデオ」より 4つのダンスエピソード” となっているんだけども,ぼくは “ロデオ=4つのダンスエピソード” なのだと思っていた。
 「4つのダンスエピソード」を部分集合とする「ロデオ」というバレエ音楽があるんですか。CDを探してみるかな。

● 選曲だけではなく,曲間に原田さんのトークが入った。トーク自体はこれまでにもないわけではなかったけれども,これまでのトークは何というかオフィシャルなもので,半分は形作りのためだった。
 客席サービスのトークは初めてではないか。陽性が徹底している人だ。地なのか,心がけなのか。和製バーンスタイン候補の面目躍如。
 学生の気持ちも掴んでいるだろう。といって,学生の気持ちを掴もうとしてこの選曲をサジェストした(と決めつけている)わけではないだろう。そんな下心を持っていては学生に見透かされる。

● こちとら,不協和音を駆使されると現代的と感じてしまう幼稚な感性しか持ち合わせていない。それを畳み込んでくるようにして差しだされると,たとえばストラヴィンスキーを連想してしまう。現代音楽は北米も南米もロシアも似たようなものだな,となってしまう。ストラヴィンスキーが現代かどうかは考えないことにして。
 音楽はすべからく慣れの問題かもしれなくて,何度も聴いていると身体に入ってしまう。

● 洗足学園はサン=サーンスの3番「オルガン付き」。国立のアメリカも楽しかったけど,正統派は落ち着ける。
 いくらぼくでも,この曲はCDを含めて何度も聴いている。ぼくはカラヤンで聴けるものはカラヤンで聴く(例外はあるが)というつまらない男なので,この曲もカラヤン+BPO で聴いているのだが,カラヤンのCDが生演奏に勝ることはあり得ない。
 生の場合は視覚から入ってくる情報があるからだとずっと思っていたのだけれども,たぶんこちらの集中度,入れ込み具合が違うからだ。CDに集中するのは難しいのだ。視聴環境によるとは思うのだけれども,いかに機材を揃えようとCDから流れてくる音に集中できる度合いは限られるような気がする。

● 生演奏だとお金を払っている。会場までの電車賃もかかる。自分の身体を運んでいく面倒さもある。北関東の在から川崎まで行くとなれば,それ相応の時間も要する。
 でもって,同じ目的を持ってやってきた大勢の観客と一緒に聴く。集中するための道具立てが揃っている。ライヴの魅力を支える,それも大きな要素だろうな。

● それなのに,聴いている最中に寝てしまうことがあるのはどういうわけかね。かなり贅沢な睡眠になるよね。お金と手間暇をかけて作りあげた睡眠だな。
 今日は寝ませんでしたよ。聴きましたとも。プロの演奏よりいいんじゃないかと思いますよ。そう思わせるものは何なのか。一期一会感が強いということか。演奏者が込めている “気” が多いということか。

● 指揮は秋山和慶さん。80歳のダンディズム。体型も80歳とは思えないし,服装への気配りも年寄り臭くないし,何より指揮ができるわけだから。洗足学園で若い学生と接しているのも若くいられる理由のひとつですか。
 年齢のせいだろうが何だろうが,いかに赫々たる実績が過去にあろうと,機敏な指揮ができなくなればお払い箱にされる世界にいるわけだろう。その世界でなお第一線に立ち続けているのだから,これはもう怪物でしょうよ。壮年世代の指揮者は何をやっているのかということにもなるんでしょうかねぇ。

● というわけで,今年の音大フェスも終わってしまった。来年3月に9音大の選抜オーケストラの演奏会がある。チケットは買ってある。
 外に出れば冬の短い日は暮れてしまっている。その分,イルミネーションがはえるのだが,日は長い方がいいかなぁ。

2021年11月30日火曜日

2021.11.26 第12回音楽大学オーケストラ・フェスティバル 上野学園大学・武蔵野音楽大学

東京芸術劇場 コンサートホール

● 夜の東京芸術劇場にやってきた。じつはちょっと早とちりをしていて,この音大フェスの開演時刻はすべて15時だと思っていた。今までがそうだったから。土日開催で15時から。
 ところが今日は平日の金曜日で,平日なら夜公演にしないとお客さんが来れなくなる。ので,今回だけは19時だったのだ。
 けれども,19時からの公演を最後まで聴くと,今日中に家に帰り着くことが難しくなる。北関東の在から出ていくと,こういう問題がある。

● ので,通し券を買っているけれども,今日だけは諦めるしかないという結論にいったんはなった。
 しかぁし。「一休」で都内のホテルをチェックしてたら,この日,3,072円で泊まれるビジネスホテルがあったのだ。これなら泊まれるぞ,と。
 ので,チェックインして風呂に入って,ここにやってきた。優雅なものだ。ホテルは浅草なので,銀座線 → 半蔵門線 → 丸の内線と乗り継いだ。

● ということで,開演は19時。結論は聴きに来て正解だったということ。
 上野学園はベートーヴェンの1番とシベリウス「フィンランディア」。指揮は福島康晴さん。
 どちらも何度も聴いている曲だが,ぼくは「フィンランディア」の方により大きく感応した。これほどしっとりと届く「フィンランディア」を過去に聴いたことがあったろうかと,記憶をまさぐってみる。

● こういう心的操作をすることが無意味であることはわかっている。過去に聴いたことがあろうとなかろうと,そんなことはどうでもいい。「今,ここ」に集中すべきなのだ。過去を探っても仕方がない。
 でも,まさぐってしまった。しっとりとじんわりと入ってくる。

● 武蔵野音大はブルックナーの7番。指揮はルドルフ・ピールマイヤー氏。ドイツ連邦軍中央音楽隊の隊長で,武蔵野音大の客員教授だそうだ。
 ブルックナーを聴くのは久しぶりだ。その久しぶりがこの音大フェスであったのは幸いだ。渾身とはどういうものか,こういうものだ。そういう演奏ですよね。

● プロの演奏よりも音大フェスを聴きたいとぼくは思っているのだけど,その理由になりうるキーワードのひとつが “渾身” だろう。彼ら彼女らにしても,今しかできない演奏じゃなかろうか。数年後にこのメンバーを招集できたとしても,今日と同じ演奏ができるか。できないのじゃないか。
 一期一会感が強烈にある。 “渾身” と “一期一会” がこの音大フェスの大いなる魅力といっていいのだと思う。

● 彼ら彼女らの中で,プロとして立っていける人はひと握りしかいないと言われる。ひと握りでも多すぎるとして,ひと摘みだと言う人もいる。
 そのとおりなのだと思うのだが,そのプロの演奏よりも,今日の只今現在の彼ら彼女らの演奏の方が力がある。刹那の力に過ぎないのだとしても,力がある。

● 東京まで出て聴くのはこの音大フェスに限ることにしようか。それ以外は地元に沈潜することにしよう。そうだ,そうしよう。いつから? 今日からだ。
 すでにチケットを買ってしまっている演奏会は聴きに来るけれども,それ以外に東京に出張るのはこの音大フェスに限る,と決めてしまおう。
 唐突にそう思った。年金生活者になってそろそろ使えるお金も限られてくるのでね。

● 開演時刻よりだいぶ前に着座したのだが,退屈することはなかった。武蔵野音大の機関誌があって,ご自由にお持ち下さいとなっていた。ここに将棋の佐藤天彦元名人の対談記事があったので,それを読んでいたからだ。
 元名人の趣味のひとつがクラシック音楽だというのは知っていたけれども,ここまで深く入れ込んでいたとは知らなかった。並みのクラシック音楽好きとは一線も二線も画している。渡辺名人の競馬と比べるとどうなんだろうか。
 将棋との関連で,「なかなか壁を突破できずにいたんですね。そんな時,これからの人生で将棋だけに傾注するのは少し寂しいなと感じ,ピアノを習おうと決心しました。そして,ピアノを始めてからそれほど時を経ずに,自分でも不思議な感覚でしたが,将棋の結果が出始めました」と語っている。

● 上野学園は学生募集をやめるとか学内ホールを売却するとか,なかなかシビアな状況にあるようなのだが,短大は今後も存続する。来年の音大フェスにも参加する。

2021年11月26日金曜日

2021.11.23 第12回音楽大学オーケストラ・フェスティバル 東邦音楽大学・桐朋学園大学

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● ミューザにやってきた。今年はミューザに来る頻度がけっこう高い。7~8月の “フェスタサマーミューザ” のほぼ全公演(管弦楽はすべて)を聴いたからだ。
 自分には過ぎた贅沢だった。これほどの贅沢は今年が最初で最後でいいと思っている。
 が,毎年聴きたいと思ってやまないのが,“音楽大学オーケストラ・フェスティバル” だ。これだけは毎年聴きたい。

● ので,今年も通し券を買ってある。2013年の第4回から毎年聴いているので(毎回,必ず聴けていたわけではないのだが),今年が9回目になる。
 開演は午後3時。ぼくの席は3階席の1列目の中央。ステージは遠いが,視界を遮るものはない。S,A,Bといった席種に分けるとすると,ひょっとするとSにするところがあるかもね。

● 初日の今日は東邦音楽大学と桐朋学園大学が登場。東邦がチャイコフスキーの5番で,桐朋が6番。事前に演奏曲目を大学間で調整するということはやっていないっぽいので,これは偶然の結果だろう。
 で,聴いた感想はといえば,凄いとしか言いようがない。この凄さの所以を言葉に尽くせる人は,相当な文章の使い手だろう。北関東の蛮族がわざわざミューザに出向いてきた理由は,演奏を聴いていただければわかる,としか申しあげようがない。
 これで終わりにしたいくらいなんだけれども,以下に少々の駄言を弄してみよう。

● まず,東邦音楽大学管弦楽団。このフェスでは日本を代表する指揮者が登場するので,そちらも楽しみであるわけだが,東邦の指揮者は大友直人さん。
 コンマスが男性。コンマスが男性というのは,ずいぶん久しぶりのような気がする。

● チャイコフスキーの5番とくると,第2楽章のホルンのソロに注目が行く。実力に裏打ちされた危うさの演出。
 オーボエ,クラリネットなど木管陣が目立った印象がある。基本的に端正さを感じた。若い人たちの端正っていうのは,それだけで大きな魅力だ。
 闊達さも見られる。自分の家の庭で遊んでいる子供はこういう感じだろうかと,ふと思った。

● 桐朋学園オーケストラ。指揮は沼尻竜典さん。
 桐朋は別格なんだろうか。過去の演奏でも,第4回のストラヴィンスキー「春の祭典」や第9回のホルスト「惑星」は強烈な印象を残していったのだが,今回もまた。何なの,これは,という。

● 個々の奏者がそれぞれに一騎当千のつわ者だ。コンミスはもちろんとして,2nd.Vnのトップ奏者(男子)がその代表格かと思えるのだが,彼のみならずほとんど全員が同様だ。ぶんぶんと刀を振り回しているような感じと言いますか。その刀がおそらく名刀なのだ。知る人ぞ知る。うっかり近づくと怪我するよ。
 その様はじつにどうも圧巻であって,こんな演奏はプロでもできない。

● 「各大学の演奏の前には共演校からのエールを込めたファンファーレの演奏があります」ということで,演奏時間はわりと長くなる。終演は午後5時30分頃だった。

● コロナはもはやゼロコロナになったと言っていい状況だ。この状況でどうすれば感染できるのか教えてくれと言いたくなるほどだ。
 が,農耕民族は変化に素直に付いていくのを苦手とするようだ。近過去(夏の第5波)に引きずられているように見える。
 もはや制限のすべては無意味で,したがって全面的にコロナ以前の状況に戻せばいいのに,それができない。もし次の第6波が来ればそのときに対応すればいいだけの話だ。

● コンサートホールの対応も同様。
 以前からそうなのだが,首都圏のホールの方が地方よりもコロナに強い印象がある。今回も全席使用(かなりの座席が埋まっていた。が,当日券は販売された)。それで正解。
 しかるに,マスク着用はともかく,エリアごとの分散退場は無意味を通り越して滑稽なほどだ。

● それでも分散退場を徹底させようというのであれば,先発組がホール入口を出たのを確認して,後発組を退場させなければならないだろう。形だけの分散退場でお茶を濁していても仕方がない。
 と思ったのだが,ホール側にしたって,分散退場が無意味であることくらいわかっているだろう。が,上(オーナー自治体)からの指示には逆らえない。ならば,現場がスムーズに動くようにするには,形だけのこのやり方が一番いいというわけだろうか。

2021年11月21日日曜日

2021.11.20 学習院輔仁会音楽部 第65回定期演奏会

ウェスタ川越 大ホール

● 学習院輔仁会音楽部とはどういうものか。同部のサイトに説明がある。
 「管弦楽団,混声合唱団,大学男声合唱団,大学女声合唱団,女子大女声合唱団の5つの団体から成り立っています。現在,学習院大学・学習院女子大学の学生総勢200名程の部員が,各団の定期演奏会や合同での音楽部定期演奏会を中心に幅広い活動を精力的に行っています」ということ。
 インカレ団体ではなく,学習院の純正であるらしい。首都圏では純正の方が珍しいんでしょ。

● この楽団の演奏を聴くのは,これが二度目。2018年5月の管弦楽団第57回定期演奏会を聴いている。いたく感嘆し,この大学オケは追っかけるに値すると確信した。にも関わらず,3年半の空白ができてしまった。
 第一にはコロナの影響だ。中止あるいは無観客での開催を余儀なされた。特に今年5月の管弦楽団第60回定期演奏会は,チケット代を払い込んだ翌日に無観客で開催するとの決定がなされ,何と間の悪いことかと臍を噛んだことであったよ。

● と,まぁ,そういうことなんだけども,今回の定演はすごいよ。何がすごいかといえば「第九」をやるのだ。
 コロナに襲われた昨年はベートーヴェンの生誕250年。そちこちでベートーヴェンの楽曲が演奏されるはずだったろうし,ベートーヴェンにちなむ特別演奏会を企画していた楽団も少なくない数あったはずだろう。
 が,コロナによって一網打尽,木っ端微塵にされてしまった。第九は特にそうだった。

ウェスタ川越
● というわけで,ベートーヴェン生誕250年の昨年は第九を一度も聴くことなく終わった。第九って,歳時記に冬の季語として載せてもいいと思われるほどに年末の風物詩になっている分,年末以外の時期に演奏されることは稀だ。
 コロナと共存していくことになるのだとすると,第九の演奏時期もバラけていくんだろうか。
 
● その第九を聴くことができる。楽しみに出かけて行った。
 開演は17時30分。今回は入場無料。曲目は次のとおり。指揮は和田一樹さん。
 メンデルスゾーン 6つの歌
 オッフェンバック 喜歌劇「天国と地獄」より “序曲”
 ビゼー 歌劇「カルメン」組曲より “闘牛士” “前奏曲” “アラゴネーズ” “間奏曲” “ハバネラ” “ボヘミアの踊り”
 ベートーヴェン 交響曲第9番 ニ短調

● 第九なんだから,そりゃぁね,小さな事故は起きますよ。細かいエラーというか。観客には気づかれないほどの微細なズレまで含めれば,けっこうあるでしょう。それは不可避というものだ。
 だから,そんなものは気にならない。それよりも全体のトーンを決定するうねりの有り様,暴れるところでどれだけ暴れているか,個々の奏者が(ミスりそうで)怖いという気持ちをどこまで克服できているか,そうしたことが客席に届く音楽の外枠の大きさを決める。
 枠だけあっても中身がないんじゃ仕方がないじゃないか,と言われるか。そうではない。枠があれば中身も必ずある。枠が大きければ中身もその分,密になる。そういうものだろう。

● 3階席のしかも後ろの方だったので,ステージがだいぶ遠くに感じるのだが,目を凝らしてステージを見つめてみると,大学に入ってから楽器を始めたと思える奏者もいるっぽい。
 それでもここまで大きな枠を作れるのかと感じ入ることができるのが,若い大学生の演奏を聴く醍醐味だ(高校生ならなお一層)。

● 合唱団は約60人。ソリストは和田美菜子(ソプラノ),野田千恵子(メゾソプラノ),宮里直樹(テノール),奥秋大樹(バス)の各氏。合唱団は第2楽章が終わったところで入場し,ソリストは第4楽章を演奏中に入ってきた。
 第九を聴くたびに思うのは,この曲の肝は第1楽章にある,第4楽章は管弦楽が歓喜のテーマを歌い上げたところで終わってもいいよなぁ,ということ。合唱は付かなくてもいいんじゃないかって。その方が余韻が残る。
 しかし,そういうものではないんだねぇ。何を今さらって話だけれども。

● 昨年は第九の生演奏を聴けなかった分,CDはかなりの頻度で聴いた。昔はカラヤンの1979年の普門館でのライヴ録音を聴いてたんだけれども,今は同じカラヤンの1962年版を聴いている。
 ピアノソナタや弦楽四重奏曲ならCDでほぼほぼ満足できる。生で聴くことへのこだわりはさほどにない。
 けれども,管弦楽曲は生じゃないとっていうところが大きい。CDと生の落差がこちらの想像力では埋めがたいほどにある。毎年,年末に第九を聴くというコロナ以前の習慣は,それに染まっていたからかもしれないけれども,なかなかに合理的だったのかもしれないな。

● 満ち足りた。これだけの規模の第九を聴けると,もうコロナは過去のものになったという気分になる。
 コロナに対する勝利宣言を出すには時期尚早かもしれないけれども,勝利宣言として最もふさわしいのはベートーヴェンのこの第九交響曲でありましょうねぇ。
 うん,満ち足りた。今日はいい日だった。

● メンデルスゾーン「6つの歌」は合唱のみ。全員がマスクを付けていたのに驚いた。マスクを付けて歌うのか,と。1ヶ月後はどうなっているかわからないが,現時点では事実上のゼロコロナだよ,なのにマスクで歌うなんてほとんど漫画の世界だよ,とか思った。
 ところが,実際に歌い始めると,声がくぐもることはないようだ。まったくないというわけではないのだとしても,声がちゃんと空気を切り裂いて客席まで届く。歌えるマスクというのが,そう言えばあったんだっけ。

● というようなことをチラチラ考えながら聴いてしまった。時間が過ぎていくことの儚さを歌っているのだろうか。が,詩の意味はわからなくても鑑賞の妨げにはならない。
 美しい旋律と人間の声の響きの精妙さを味わえば,もうそれで充分以上と言っていいのだろうから。

● 終演後,すぐに席を立って会場を後にした。終演後のセレモニーに加わらなかったのは幾重にも申しわけないのだけれども,そうしないと今日中に家に帰れなくなる可能性があったのだ。この時間帯の川越線は1時間に3本。20:45発に乗らないと,最終の黒磯行きに間に合わない。
 逆に言うと,それに乗れれば帰れるわけだ。もし都内で開催されていたとすると,新幹線で帰るか泊まるかしなければならなくなっていた可能性が高い(その場合は,泊まるの一択)。田舎から聴きに行くとはそういうことなのだよね。

2021年11月19日金曜日

2021.11.14 オーケストラ・ノット AFF特別演奏会 #3

かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホール

● 開演は午後2時。チケットは1,500円。事前予約制。【teket】で事前に電子チケットを購入しておく方式。
 コロナとの関係で言えば,もう従前のやり方に戻しても何の問題もあるまい。感染対策は事実上不要になっている。紙の当日券を現金販売してもOKだし,もぎりを復活させても差し支えない。
 が,ぼく一個はコロナ収束後も【teket】を使った電子チケット制を維持してくれるとありがたいな,と思っている。面倒がないからだ。スマホで座席の指定と支払いまですませられるのだから,一切の煩わしさから解放される。

● このオーケストラは藝大をはじめ音大の現役学生が主体のようなので,れっきとしたアマチュアオーケストラであるのだが,活動の旺盛さにおいてはアマオケ界では全国一ではあるまいか。
 ぼくは2020年2月に第9回演奏会から聴いている。第1回が2018年6月だから,かなりの頻度で演奏会も重ねているわけだ。AFF特別演奏会 #2 を催行したのは先月だ。

● 事務的な作業を苦にしない熱心な推進者がいるからできる。それが楽団代表の高橋勝利さんなのだが,NPO法人設立にまで持っていくのだから,なかなかどうして生半なことではない。縁の下の力持ち的な役割も買って出ているようにも見える。
 「頑張っている若手音楽家をサポートする目的で」と言ってる。もちろん,それを疑うものではないのだが,それだけではなくて自分が若手と一緒にやりたいというのが,その前にあったのだろうと推測する。
 それがなくて,たんに若手音楽家をサポートするためだけなら,ここまではやれないのではないかと思うからだ。

● 曲目は次のとおり。指揮は山上紘生さん。
 ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲
 ベートーヴェン 交響曲第7番

● これはぼくに限ったことではないと思っているのだけど,観客の耳の解像度はけっこう粗い。日本の音大の現役生が演奏している音声とトッププロのそれを(目隠しして)聴いたときに,過たず区別できる人はさほどに多くはあるまいと思う。
 聴覚は9歳で完成するらしい。もしそうなら,細かい緻密な解像度を持つためには,9歳になるまでに然るべき訓練が必要になる。
 それをしないまま2桁の年齢になってしまった人が,今日の演奏はああだったこうだったとホザくのは,ビールを飲みながらテレビでプロ野球のナイター放送を見て,プロ球団の監督の采配についてああだこうだと評してやまないオトーサンと同じだ。
 そのホザきは,ほとんどの場合,錯覚に基づいている。ホザケるだけの情報量は持っていないはずだ。耳の解像度が粗いんだから。
 と言いつつ,これからぼくもホザくわけだが。

● まず,ヴァイオリン協奏曲。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲ってこういう曲だったっけと思いながら聴いていた。
 これほどの曲ともなれば,いかなぼくでも,CDで何度も聴いている。どういう曲なのかは知ってるつもりでいる。が,既視感(既聴感)が薄かった。
 なぜそう感じたのかがわからない。変わった演奏だったというわけじゃない。ひょっとして,前半は寝てたのか,俺。

● 独奏は吉本萌慧さん。藝大院に在学中。すでに述べたとおり,彼女の演奏とすでにビッグネームになっているプロの演奏との違いが,ぼくにはわからない。
 小さい頃からヴァイオリンをやっていて,日々の中心にヴァイオリンがあり,そのヴァイオリンとたくさんの日々を重ねてきた。その結果の凄みのようなものはたしかに感じる。自分にはこれしかない,これで勝負するしかない,という潔さが凄みの下にあるのだろう。
 が,同時に将来への漠然とした不安もないはずがないと思うのだ。色んなものを抱えている。誰でもそうだといえば,それはたしかにそうなのだけど。

● 交響曲第7番は躍動が服を着てステージで踊っているような演奏で,客席が喜ぶまいことか。ぼくの斜め前の爺さまが,曲に合わせて指先を動かしたり,腕を上下させていた。それが気になってしょうがないというオマケまで付いた。
 この曲はフルートがカッコよく見える。男性の奏者だったが,やっぱりカッコいい。

● かつしかシンフォニーヒルズに来るのは何年ぶりになるだろう。駅前の様子,駅からホールまでの風景も変わりはない。緊急事態宣言中も今と同じようだったのではあるまいか。
 この街は銀座や大手町とは違う。ここで暮らしている人たちで成り立っている。コロナウィルスが猖獗を極めていようとそうでなかろうと,そこに暮らしがある以上,際立つような大きな違いが生じるはずがない。

2021年6月30日水曜日

2021.06.30 間奏68:電子チケットの普及

● コロナ禍でリモートワークが一気に導入された。もしコロナなかりせば,満員電車での通勤があたりまえの状態が続いていただろう。十年一日の如くに,だ。
 満員電車の地獄は首都圏のサラリーマン以外は実感できないから,これをどうにかしろという国民の声にはなりにくい。企業にとっても,兵隊以外の役職に就いている人たちにとっては,従来の一所集中型の方が管理が楽だから,企業側からリモートワークの推進が提唱されることもあり得ない。
 しかし,コロナが否応なしにリモートワークを推進した。

● 満員電車での通勤がなくなるとこれほど楽になるのか,と驚きをもって迎えた人もいるだろうし,嫌な上司や同僚と顔を合わせなくてすむようになったと喜んでいる人はさらに多いだろう。
 企業にしたって,リモートワークが始まってみれば,これほどのメリットがあったのかと驚く向きもあるだろう。
 都心部のオフィスの借上代が要らなくなる。社員に通勤手当を支払う必要がなくなる。役立たずの中間管理職(大量にいるはずだ)を炙りだしてリストラできる。コスト削減効果が大だ。
 社内行事の大半も要らなくなる。もともと要らなかった儀式だが,やらずにすませる大義名分ができた。
 一所集中のメリットももちろんあるので,リモートワークがメインストリームになることはないだろうが,リモートワークでやれることがわかっただけでも,大きな前進だ。

● そうしたコロナのプラス面はコンサートの開催においても現れている。電子チケットが普及したことだ。これもコロナが強制的に普及させた。
 紙チケットを廃止し,事前購入を原則とすることによって,現金と紙チケットの授受をなくさせる。
 当日の朝でもチケットを買うことができるから,当日券をなくしても,販売機会の逸失は最小限にとどまる。
 事前に連絡先を把握することができるから,受付時の情報収集作業は要らなくなる。

● チケット購入者のメールアドレスがわかるのだから,以後のプロモーションに活用できる。次回の演奏会を告知できる。これほど集客効果がある告知手段はたぶんないだろう。
 ついでにいえば,住所までわかるのだから,自分たちの商圏(?)がどの程度の広がりを持っているかも把握できる。
 入場者数も,チケット購入者のうち誰が来て誰が来なかったかも,正確にしかも自動的にわかる。このあたりは入場時に電子チケット(QRコード)をちゃんと読み取った場合の話だが(それをやらないところもある)。

● 催行者にとっても観客にとっても,電子チケット化のメリットは大きい。観客にとってはもう1つ,大きなメリットがある。発券手数料やシステム利用料を支払う必要がないことだ。
 アマチュアオーケストラの入場料は2,000円どまりだろう。それで手数料が330円というのは暴利だ,と感じる人は多いのではないか。
 というわけで,【teket】は “ぴあ” を過去のものにした感がある。というか,“ぴあ” を駆逐して欲しい。

● もう紙のチケットにこだわる時代じゃないと思うのだが,コンサートに行くとか美術館に行くとかは,誰にとっても非日常であって,そうであれば紙のチケットは記念品になる。手帳に貼って保存しておきたい,だからチケットは紙の方がいい,と考える人も多いだろう。
 そういうのがチケットの電子化を阻害する理由の1つになりそうだが,電子チケット側がこうした需要にも対応していく流れになるんだろうか。味も素っ気もないQRコードではなく,チケット然とした電子チケットで運用するようになるとかね。どうしても紙という人は,スマホから印刷してね,と。

● が,電子チケットといっても,全く使えない業者もある。“Ticketta!” がそれだ。
 クレジットカードが使えない(VISAとMasterに対応していないんだから,使えないと言っていいだろう)。代金を払うためにコンビニや銀行に行かなければならない。
 電子チケットなのにネット内で完結できない。電子チケットのメリットが何もない。笑い話以前だ。呪いたくなるほど面倒だ。リアルが介在するのだから手数料も発生する。

● “Ticketta!” を使っているところのコンサートには行かない,と決めた。おそらく,今後は,こうしたことも行く行かないを決める選別要因になってくるだろう。
 願わくば,コロナが収束した後も,電子チケットが本流であってくれますように。“ぴあ” などという迂遠なやり方を強制してくるシステムを,過去の遺物にしてくれますように。


(追記 2021.11.13)

● 東大オケの第107回 定期演奏会の通知が届いた。来年1月30日,東京芸術劇場。曲目はショスタコーヴィチの5番ほか。
 チケットの購入は “Ticketta!” からになっている。“Ticketta!” を使っているところのコンサートには行かない,と決めたのだけれども,東大オケが演奏するショスタコーヴィチは聴いてみたい。

● ので,“Ticketta!” のサイトから購入手続きに入ったんだけども,途中で腹が立ってきた。結局,買わない(行かない)ことにした。
 電子チケットなのに手数料を200円取る。どういうことなのかわからない。加えて,依然としてクレジットカードが使えない。コンビニか銀行で支払うことになる。銀行は論外だからコンビニということになるのだが,ここでまた190円の手数料が発生する。

● ここまでで手数料は “ぴあ” を上回る。“ぴあ” は紙チケットの発行を前提にしたシステムだ。電子チケットなのに,“ぴあ” を上回る手数料を取るのははっきり暴利だ。
 紙チケットにも対応しているのだが,その場合はさらに300円が上乗せされて,690円になる。

● チケットは2,500円(S席)なのだが,その本体価格に対して690円の手数料を取れると考えている時点で,“Ticketta!” は素人が運営しているのだと推測するしかない。
 その分,催行側から徴収する料金は安くなっているんだろうか。

● 実装の仕方にも抜かりがある。入力して送信するのに,この内容で送信していいかと訊いてこないで,いきなり送信してしまう仕様になっている。キホンのキができていない。
 システムができそこなっている(としか思えない)。悪い意味で素人性が濃厚にある。

● ひょっとすると,大学オケの連合団体のようなものがあって,そこが傘下の大学オケの催行負担を軽減するとかいう名目で作ったものなのだろうか。
 だとすると(あくまでも,だとすると,だが),存在自体が不要なものだ。互助会的なるもの,協同組合的なるものは,もう時代についていけないお荷物でしかない。
 そういうものを新たに作るのはそもそもが間違っている。プロがいるのだから,プロに委ねればよい。美味しそうだから自分たちでやろう,とすると,かえってコスト高にならないか。


(追記 2021.12.13)

● “Ticketta!” がVISAとMaster のクレカに対応していた。ので,チケット代金の1割弱の手数料を払うだけでよくなった。
 これならば,とりあえずは相手にしてもいいと思う。26日夜の某楽団の演奏会のチケットを購入した。

2021.06.27 東京アマデウス管弦楽団 第91回演奏会

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● 15時開演の東京佼成ウインドオーケストラの演奏会が終演してすぐに(終演後のセレモニー拍手には参加しないで)会場を飛びだし,バス停に向かった。
 ほどなく来たバスに乗って,JR宇都宮駅に着いた。新幹線ホームに立った。

● 新幹線は自分には無縁の乗物だと思っている。新幹線に乗らなければ行けないようなところには行く必要がない,と嘯いてン十年生きてきた。とはいえ,数年に一度は萬やむを得ない仕儀がある。
 今日は19時には川崎に着いていたい。なぜなら,19:30からミューザで東京アマデウス管弦楽団の演奏会があって,何を考えていたのか,チケットを予約してしまったからだ。
 われながら痛恨のミスを犯してしまったのだが(つまり,予約したときには地元で東京佼成ウインドオーケストラの演奏会があるのを失念していたわけだ),自分のミスの落とし前は付けなきゃしょうがない。

● 宇都宮発17:47のつばさの座席指定を受けていたのだけど,1本前のやまびこに間に合ったので,やまびこの自由席に乗車した。新幹線はガラガラだと聞いていたが,そうでもないぞ。JRのためには慶賀に耐えない。
 東京から東海道線で川崎着。全ては順調。宇都宮市文化会館からのバスの時刻をはじめ,新幹線の時刻も事前に調べておいて,予想していたとおりの流れになった。

● しかし,だ。こういうことを人様にお勧めできるかといえば,まったくできない。ほとんどの人は,勧められても従わないと思うけどね。
 ダメなんだよね,こういうのは。なぜか。“聴きに行く” という力が分散されてしまうからだ。1つの演奏会に向けるベクトル量を10だとすると,ダブルヘッダー(しかも1回目と2回目の会場が離れていて,移動するのに時間がかかる)になると,0.5に減ってしまうのではなくて,0.3になってしまうのだ。力の総量が小さくなる。分ければ漏れる,ということね。力の向きも分散されるからね。

● しかも,22日から25日まで都内のホテルにいた。当初の予定ではもっと長く逗留しているはずだったのだけど,26日に地元の那須野が原ハーモニーホールで演奏会があったので,26日の朝に帰途に着いたのだ。
 そうして今日,27日は川崎に来て,19:30開演の演奏会を聴くのだから,今夜は泊まることになる。
 だったら,26日と今日の昼間の演奏会のチケットは放棄して,ずっと東京に泊まっていた方がよかったんじゃないかと,どうしたって思ってしまうわけだよね。
 しかし,ですよ。ともかくミューザに着いたわけです。新幹線の速さは偉大でありました。

● 東京アマデウス管弦楽団は「1973年,当時の東大オーケストラ卒団者を中心に結成された」。ならば聴く価値あり。2013年3月の第78回定演から聴き始めた。
 しかし,室内楽演奏会を含めても,現在まで5回しか聴いていないのだ。直近では2018年6月の第8回室内楽演奏会。コロナ期間を除いて考えても,ポツンポツンとしか聴いていない。どうしてこういうことになったのか。

● 開演は19時30分。全席指定。席種の別はなく,チケットは2,000円。
 プログラムは次のとおり。指揮は石川征太郎さん。
 ブルッフ ヴァイオリン協奏曲第1番
 ブルックナー 交響曲第6番 イ長調(ノヴァーク版)

● ブルッフのヴァイオリン協奏曲では,プログラム冊子の写真よりはるかに美人の金川真弓さんが登場。しなやかでふくよかで思い切りが良くて。世界水準とはかくもあるか,と思った。
 日本を代表するヴァイオリン奏者といえば,五嶋みどりさんをはじめ,何人もいると思うのだけども,そうした人たちの演奏と今日の金川さんの演奏を聴き比べても,ぼくの耳ではその違いがわからない自信がある。
 それを困ったことだとはあまり思っていない。しょうがないでしょうよ。そこまで耳が開発されてないもん。開発されてるくらいだったら演奏する方に回ってますよ。
 っていうか,その違いってほんとにあるんだろうかと,どこかで疑ってもいるんですよ。その違い,皆さんにはわかるんですか。

● ブルックナーの6番。ブルックナーを生で聴くのは,ずいぶん久しぶり。緻密さを保った積極果敢という印象になりますか。相当なものでしょ。ブルックナーをここまでやれるところは,首都圏でもそんなにはないでしょ。
 が,ブルッフでの金川さんの存在感に圧倒されたまま(さらには,アンコールのバッハ「パルティータ第1番」 “サラバンド” にとどめを刺されて),メインのブルックナーを聴いてしまった。ので,フワフワしてて記憶が飛んでいる。

● というわけで,ダブルヘッダーの2つめも終了した。今からだと新幹線を使っても今日中にわが家にたどり着くことはできない。銀座のビジネスホテルを予約している。
 このやり方がベストだったか,もっと上手いやり方があったか。先に述べたように,人様にはまったくお勧めできない。のだが,やってしまった。
 やってしまった以上は,おそらくベストだったのだ。思考停止でいいから,そう思っておくのが,それこそベストというものでしょう。