● この壮大な,っていうか破天荒な,イベントに3年連続3回目の参加。
過去2回はヤフオクでチケットを入手していたんだけど(正規料金の5~8割増しになった),今回は発売後まもない夏場に会場のカウンターで購入した。なので,正規料金で入場。
C席で5,000円。この時点で20,000円を投じてS席にしていれば,これ以上はない特等席を確保できたかもしれない。が,惜しんでしまった。で,これまた3年連続のC席。
● この演奏会のD席,C席チケットのヤフオク出品状況を見ていると,最初からヤフオクに出すつもりでまとめ買いするプチ・ダフ屋がいるっぽい。プチ・ダフ屋から買ってでも行きたいと思わせる演奏会だってこと。
これを消滅させるには,演奏水準を落とすか,チケットを値上げするかだ。どちらも嬉しくない。
● ぼくは栃木県のアマオケを中心に聴いているけれども,ベートーヴェンが演奏される回数がダントツで多い。次いで,チャイコフスキーとブラームス。この3人がトップスリーになっている。栃木に限らないでしょうね。
CDで聴くのもやっぱりベートーヴェンが多い。「ひとり全交響曲連続演奏会」を催行することも,何度もある。といっても,歩きながら(あるいは電車に乗っているときに)イヤホンで聴いてるだけですけどね。
● ちなみに,同じ曲についていくつものCDを聴き比べるってのを,ぼくはやらない。絶対やらないと決めているわけではないけれども,結果的にあまりやったことがない。たまたま手にしたCDをずっと聴いていく。基本,そのような営業方針(?)で臨んでいる。
で,「ひとり全交響曲連続演奏会」を催行するときに用いているCDは次のとおりだ。
1~3番:スクロヴァチェフスキ,ザールブリュッケン放送交響楽団
4番,9番:カラヤン,ベルリン・フィル
5番,7番:クライバー,ウィーン・フィル
6番:ネヴィル・マリナー,アカデミー室内管弦楽団
8番:小澤征爾,サイトウ・キネン
● では,ベートーヴェンの何がそんなにいいのか。ベートーヴェンの代名詞にもなっている「苦悩を通して歓喜にいたる」のコピー効果? 起伏がクッキリしていて,ストーリーを仮託しやすい? ひょっとするとベートーヴェンっていう名前じたい?
後付けの理屈はいろいろ付けられそうなんだけども,これだよヤマちゃん,っていうのはどうも掴まえられない。
● 上野公園は普段の休日よりずっと閑散。動物園も休園だ。帰省する人たちは帰省し,海外に遊びに行く人たちは遊びにいっているだろうから,これが大晦日らしさだといえばいえる。
が,会場内に年の瀬の雰囲気はない。館内のショップは通常どおり営業しているし,レストランでは夕食の予約受付で大忙しだ。今日は大晦日で,明日は元日? どこの国の話? ってなもんだ。
● ともあれ。開演は午後1時。指揮は今回も小林研一郎さん。管弦楽も「岩城宏之メモリアル・オーケストラ」で,コンマスはN響の篠崎史紀さん。奏者の入替えはあるにしても,構成は昨年,一昨年とまったく同じ。
ベートーヴェンの交響曲を1番から9番まで順番に演奏していくという,何の衒いもない内容だ。衒いがないんだから,ごまかしも効かない。球種は直球のみ。日本を代表するプレイヤーの集団である「岩城宏之メモリアル・オーケストラ」が演奏する意味もこのへんにあるんでしょ。
● 出入り自由になっている。全部を聴かなくてもいい。何せ長丁場だ。聴きたい曲だけつまみ喰いするのもOKだ。が,お客さんの多くは全部を聴いていく。ぼくもその中のひとり。
これだけの演奏を一部でも聴きのがしてはもったいない。チケット代ももったいない。栃木から来ているんだし。
● まず,1番と2番を続けて。せっかく来たんだから一音も聴きのがすまいと思ったりもしちゃうんだけど,それってあんまり感心しない聴き方ですよね。ゆったり味わえばいい。音はむこうから飛びこんでくる。
2番がシンシンと味わい深かった。そうなんですよね,2番ってこういう曲なんですよね,っていう。
● 30分の休憩のあと,3番。第2楽章冒頭のオーボエが奏でる旋律の甘美さはたとえようがない。
全交響曲を演奏するんだから,体力も要るだろう。それもあってか,奏者は圧倒的に男性が多い。女性はヴァイオリン,ヴィオラ,オーボエ,フルート,ファゴットに一人ずつ。弦はずっと同じ奏者が演奏するけれども,管は交代制。
まぁさ,こんな酔狂なことは男に任せとけばいいよね。
● 3番のあとに,主催者代表の三枝成彰さんのトークが入った。演奏会には演奏以外のものはない方がいいと,とりあえずは思ってるんだけど,これだけ長いとサービスしたくなるんだろう。それを求める声も多いだろうし。
ホワイエにベートーヴェンの自筆の楽譜が展示してあるから,その説明も要るし,東日本大震災で被災した子どもたちへの支援活動も行っているから,そのPRも。
● 三枝さんのお話は次の3点に要約できる。
ひとつは,自筆の楽譜は読めないところがあって,それを演奏できるように写した写譜屋さんは偉いということ。
2番目は,小さな動機を積み重ねて曲を「構築」していくベートーヴェンの手法。5番にしろ6番にしろ,短い一つか二つの旋律を繰り返す。それでくどさを感じさせないのはすごいこと,というような話。
3番目は,オフビート。弱泊にアクセントがある。これがベートーヴェンの躍動感の理由だ。
2番目と3番目は前にも聞いている(ような気がする)。けれども,オフビートの話なんかは,ああそうなのかと思って,それで終わる類のものだね。なぜって,ではオフビートで作曲すれば,誰でもベートーヴェンのような曲を作れるのかといえば,そんなことはあり得ないだろうからね。
● 4番のあと,60分の休憩をいれて,5番,6番と続けて演奏。
5番は素晴らしい演奏だった(と思う)。ただ,昨年の圧倒的な緊迫感に満ちた演奏の記憶が残っている。それと比較してしまうんですね。
今年は何が違ったのか説明しろといわれても,うまくいえない。ひょっとすると,記憶じたいが変容を受けているかもしれない。自分で勝手に美化しちゃってるみたいな。
あるいは,こちら側の構えが,昨年ほどのテンションを欠いていたからかもしれない。
● むしろ6番が記憶に残る演奏だった。特に,第4楽章と第5楽章。これほどスケールが大きい「田園」は聴いたことがないよ,って感じ。
弦の厚みがすごいから,スケールの大きさに奥行きが加わる。
● ここで90分の大休憩。
なんでこんなに休憩するんだとスタッフに喰ってかかっている馬鹿がいた。オレには終電があるんだぞ,どうしてくれるんだ,的なね。還暦はすぎているんじゃないかと思われる爺さん。
どうしても出てしまうのかねぇ,どうやったらここまで馬鹿になれるんだと考えさせる手合い。
こちらはそうした馬鹿とは関わらないことができるけれども,スタッフは仕事がら,相手をしなくちゃいけない。ここまでの馬鹿の相手をさせられる分は,たぶん,彼女の給料には含まれていないと思うんだけどね。
● その大休憩のあと,7番と8番を続けて演奏。
7番も素晴らしい演奏だった(と思う)。ただ,昨年のスリリング極まる演奏の記憶が残っている。それと比較してしまうんですね。
ここでも,むしろ8番がぼく的には印象的で,この曲を聴いていると,夏目漱石の「則天去私」という言葉を連想してしまう。変な聴き方をしてるんだと思うんですけどね。
● オーケストラがここまでの水準だと,指揮者の作用領域はそんなに広くはないと思われる。奏者がそれぞれ,自分の中に指揮者も育てているだろう。
したがって,基本,オケ任せでいいんでしょうね。指揮者がオケを称揚する場面が頻繁にあった。オケも指揮者を立てている。両者の関係は良好(なんだと思う)。
● 「第九」の準備が整うまでの時間,今度は三枝さんが各パートの主席にインタビュー。どうしても弾けない音符があるとか,フレーズが長いのでブレスコントロールに気を遣う(管楽器の場合)とかの話があった。
● で,最後は「第九」。ソリストは,森麻季(ソプラノ),山下牧子(アルト),錦織健(テノール),青戸知(バリトン)の諸氏。合唱は武蔵野合唱団。ソプラノとアルトは変わっていたけれども,あとは昨年と同じ。
結局,今回はこの「第九」が際だっていましたかね。その功績の約半分は合唱団にある。この合唱団がここまで巧かったことに気づかなかった。昨年,一昨年は何を聴いていたんだか。
● ただ,この時間帯になると,目がかすんできましてね。去年まではそんなことはなかったんだけどね。
それと,ソリストが左側にいたので,ぼくの席からだと,視界から切れちゃうんですね。これが何とも残念で。
さらにいうと,前列のお客さんが身を乗りだすようにすると,彼の頭でステージの半分が隠れちゃう。森麻季さんを見たいのはわかるんだけど。
それに応じてこちらも身をかがめたりするんだけど,そうすると後列のお客さんの視界をぼくが遮ることになるんだと思うんですよ。
このあたりがね。いい席を取ればいいだけの話なんですけどね。
● 演奏会が終了したのは,2014年に入ってから。大晦日はJRが終夜運転を行うから(大休憩のときにスタッフにあたっていた爺さんは,このことを知らなかったのかも),泊まる必要はない。そのまま帰れる。過去2回はそうした。
ただね,終夜運転は宇都宮までのことでしてね,宇都宮から先は通常運転になる。なので,宇都宮で3時間ほど時間をつぶさなくちゃいけない。2時半から5時半までの3時間。めっちゃ寒いわけですよ。
● 宇都宮って駅前は真っ暗だからね。その時間帯に営業しているお店なんかぜんぜんないですから。二荒山神社まで歩くしかないわけね。ここまで来るとさすがに人影がある。初詣に来た人たちを相手に仕事を始めている露店もあるしね。
この時間に初詣に来てるのは,ほぼ若いニーチャンとネーチャンたち。束の間,彼らが場を支配している。それぞれ家庭の事情を抱えながら,がんばって生きているんだと思いますよ。それを見てるのも面白いっちゃ面白いんだけど,なにせ寒いからね。
近くの飲み屋に入り込んで,熱燗をやりながら,黒磯行きの始発を待つことになるわけです。
● でもね,寄る年なみってやつでね,これがけっこうきつい。今年は泊まることにして,上野にホテルを予約しておいた。
といっても,5,000円でお釣りがくるカプセルホテル(朝食付きのプラン)。どうも,このあたりが落としどころっていうか,財布と相談するとこうなるしかないっていうか。
● 不満はないんですよ。寝れりゃいいんだから。おっきなお風呂にも入れるし,とびきり旨いというわけではないにしても,普段は食べることのない朝食をゆっくり喰えるんだし。
何より,始発を待ちながら宇都宮で飲んでるよりは安くつくうえに,体はずっと楽なんだから。
でもなぁ,この年になってカプセルホテルかぁ,オレの人生,こんなもんだったのかぁ,という気分も,若干だけれども,ないこともない。