2020年12月31日木曜日

2020.12.31 ベートーヴェン弦楽四重奏曲【8曲】演奏会

東京文化会館 小ホール

● 東京文化会館。大晦日をここで過ごすのは10年連続。8年間は大ホールで全交響曲連続演奏会。去年から小ホールで弦楽四重奏曲の演奏会。
 当初に感じていた特別感(だってね,ベートーヴェンの9つの交響曲を全部演奏しますよ,と言うんだからね)は年を追うごとに消えて,すっかり日常感に満ちるようになった。慣れのなせるところだ。慣れは特別を消してしまう。

東京文化会館
● 今回のこの演奏会の正式名称(?)は,「ベートーヴェン生誕250年記念 15年連続 第15回 ベートーヴェン弦楽四重奏曲演奏会」というらしい。
 が,今年は歴史に残る1年になってしまった。今年も来れたのは僥倖と言うべきなのか。というのも,都内のコロナ感染者が1337人と,一挙に千人を超えてきたからだ。
 GoToは17日から停止になっているんだから,GoToの無実は証明されたと言っていいだろうか。それでも,無実だからGoToの停止は解除しますね,ということにはならない。不要不急の外出は控えるようにと言ってるんだからさ。

● 不要不急とは「無用でいそぎでないことを表す語。不要は不必要,無くてもよいこと,またそのさまを表す語で,不急は差し迫っていないこと,またそのさまを表す語である」。
 とすれば,こうした演奏会は不要不急の最たるものだ。文化,教養,芸術といったものは,娯楽と同じ並びにある。今すぐにそれをしなければいけないほどに差し迫ったものであるはずがない。
 しかし,その先がある。その議論をしようと思えばいくらでもできるものだが,ここでそれをしても仕方がない。

● ともかく。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲だけを8曲まとめて聴かせやしょう,というのがこの演奏会の趣旨。
 開演は午後2時。9時半に終演する。チケットは10,000円。昨年までは8,000円だったので,今年から値上げになった。
 しかし,演奏するのは国内で望み得る最高水準の四重奏団であることを考えると,10,000円でもお安いことは間違いない。
 そういうことは皆さんご存知だから,大ホールの交響曲だけではなく,こちら小ホールにも全国から集まってきていると思われる。地方からコロナが猖獗を極める東京へ。

● つまり,演奏する側が国内最高峰なら,客席の聴衆もまた日本国内で望みうる最高水準のお客さんたちのはずなのだ。ぼくが言ってしまっては手前味噌もいいところなのだが,おそらくそうなのだと思う。
 が,自分を棚にあげて言うのだけれども,ここにいるお客さんたちから特段の凄みを感じることはない。舟を漕いでいる人だっている。
 そんなものなんですよね。分野を問わず,消費者とはそうしたものだ。その商品の情報に関しては生産者にとても及ばない。

● 事は日本に限らない。ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートのチケットは大変な高額で,世界一入手困難とも言われる。そのチケットをゲットしてムジークフェラインザールに着座しているお客さんたちは,とても良い身なりをしている。アッパークラスに属する人たちに違いないのだが,どうも何だか。
 くつろぎ方は巧いと思うが,それ以上のものを感じ取るのは難しい。もっとも,ニューイヤー・コンサートともなってしまうとイベント性が強すぎて,普段はそんなに音楽を聴かない人たちも混じってしまうのかもしれないが。

● 話が散漫になってしまった。要するに,大晦日に開催される大掛かりなベートーヴェン催事ということだ。
 プログラム冊子に,主催者が「ベートーヴェンの集客力に,ただただ感嘆するばかりです。ベートーヴェンの魅力,吸引力は絶大で,古今のあらゆる音楽の中でも根幹をなしていると申しても宜しいでしょう」と書いているが,おそらく反論する人はいないだろう。
 交響曲,弦楽四重奏曲,ピアノソナタ,ピアノ協奏曲などなど,ベートーヴェンの足跡は彼の死後200年を経てなお,毅然と屹立する巨大な山脈にたとえることができる。部分的には越えられているかもしれないけれども,大半は崩れずに聳えている斯界最高峰の山々を抱える高大な山脈だ。

● 今回は,まずクヮルテット・エクセルシオ(西野ゆか 北見春菜 吉田有起子 大友肇)が,7番,8番,9番を演奏。昨年は14番,15番,16番を演奏している。
 精妙という言葉で形容するのが最も相応しいと思う。精妙のうえに立って千変万化するその様は,万華鏡を覗いているようだ。
 思い切りよく切り込んではサッと退く。楽譜と戦っているわけではないだろうし,真剣で切り結んでいるわけでももちろんないけれど,ベートーヴェンと対峙しているという印象は受ける。
 でもって,艶っぽい。ゾクッとするほどだ。

● 古典四重奏団(川原千真 花崎淳生 三輪真樹 田崎瑞博)が12番と13番。13番の最終楽章は「大フーガ」を採用。昨年は7番,8番,9番を演奏した。
 実力派の演奏というのは,結局同じところに帰着するんだろうか。先に聴いたクヮルテット・エクセルシオとの違いが,ぼくには明確にはわからない。目隠しをして聴けば,どちらが演奏しているのかを当てることはできない。

● 両者の共通点はチェロのみ男性で,ヴァイオリンとヴィオラは女性であること。チェロ奏者に対しては,三頭のライオンが入っている檻の中に放り込まれた一匹の羊,というイメージをどうしても持ってしまうんだけれども,これはライオンに対しても羊に対しても,かなり以上に失礼な言い草というものでしょうね。
 4人が目指すところは明確に同じ。であれば,性差などは差のうちに入らないことになるのだろう。

● ストリング・クヮルテット ARCO(伊藤亮太郎 双紙正哉 柳瀬省太 古川展生)が14番,15番,16番を担当。昨年は12番,13番,大フーガを演奏した。
 男だけのクヮルテットもいいものだな。今回はこのクヮルテットの演奏が最も印象に残った。演奏した曲のせいかもしれない。

● というわけで,演奏曲目は昨年と同じものだった。大フーガを含めて17曲あるベートーヴェンの弦楽四重奏曲を,2年に分けて全曲演奏するのだろうと思っていたのだけれど,そういうわけではないようだ。後期を聴きたいという要望が多いのだろうか。
 プログラム冊子に掲載されている大木正純さんの解説は,簡潔で力がこもっているが,昨年と同じものだ。1番から6番についての大木さんの解説も読んでみたいものだ。

● 許されれば,来年も聴きに来たい。が,お金がないからもう無理だよ,となってる予定。
 今年はぼくが退職してプー太郎になり,相方のヒモになった。その相方も来年3月で(定年には6年ほど残しているのだが)退職する。経済的には一気に困窮する予定なのだ。
 そうなればなったで,ほどほど楽しく過ごせる自信はある。が,今までのような移動や宿泊はできなくなるだろう。

● そこで。終演後はホテルに戻って「第九」を聴いた。EテレでN響の第九を。
 これなら大晦日に出かけなくても,家でテレビコンサートを楽しめばいいかねぇ,と半ば無理にでも思い込もうとしたんだけど。
 生を聴くのとは違うわけでね。まず,音質が違う。情報としては高音質が電波で届いているはずだ。問題は受信機にある。テレビにスピーカーをつなげば違うのかもしれない。
 それでもね,臨場感も違う。テレビの動画はどうしたって作り物めく。この程度なら,YouTubeの動画を見てる方が気が利いているかもしれない。
 というわけで,来年はどうなっていることやら。

● ちなみに,N響の第九について言うと,奏者の中にマスクを付けてる人が数人いたのが残念だ。絵的に台なしになってしまった。
 指揮者があれだけ汗を飛ばし,合唱もあるのに,数人だけがマスク着用って,何考えてんだか。

2020.12.30 アーベント・フィルハーモニカー 第24回定期演奏会

国立オリンピック記念青少年総合センター カルチャー棟大ホール

● 去年の今日に続いて,2回目の拝聴。開演は14時30分。入場無料。
 事前申込制にして座席を割りふることはしない。入口に団員が立って検温をすることもない(青少年総合センターに入るときに,センターの職員が大々的に検温している)勝手に入って,勝手に座って,勝手に聴いてね,といういつものやり方。
 どうしてこのやり方が成立するかといえば,どうせ密になるほどお客さんは入らないもんね,パラパラとしかいないもんね,だから勝手に座ってもらっても何の問題も出ないよね,という前提に立っているからだろう。

● 経験則を踏まえた正しい前提だ。楽団のサイトには「短期間の集中リハーサルと低経費による運営によって注目を集め」とあるけれど,アマオケ界におけるLCCと呼ばれてたりするんだろうかな。
 集客に関しても,聴きたい人が聴きに来ればいいという感じ。たくさん集めることを第一義にはしないと割り切っているように見受けられる。

● 曲目は次のとおり。指揮は小柳英之さん。
 ストラヴィンスキー 交響曲第1番 変ホ長調
 スクリャービン 交響曲第2番 ハ短調

● まずはストラヴィンスキーの1番。「3楽章の交響曲」でも「詩篇交響曲」でも「ハ調の交響曲」でもなく,第1番。
 初めて聴く。CDを含めても初めて聴く。なぜなら,ぼくはこの曲のCDを持っていないからだ。
 で,聴いてみてどう感じたか。明瞭な形での印象は成立しなかった。

国立オリンピック記念青少年総合センター カルチャー棟
● この曲の初演は1908年だったそうだから,ストラヴィンスキーは25歳。「火の鳥」も「ペトルーシュカ」も「春の祭典」も生まれていない。
 「春の祭典」が持つ強烈なほどの鋭角さをこの曲に感じることはなかったけれども,ストラヴィンスキーと知って聴けば,なるほどたしかにストラヴィンスキーだね,と思うだろう。が,作曲者が誰か知らないで聴いたら,ストラヴィンスキーの名前が浮かんでくるかどうかは自信がない。
 CDを入手するところからかなぁ。YouTubeでカヒッゼ指揮・トビリシ交響楽団の演奏を聴くこともできるが。

● スクリャービンの2番も初めて聴くものだ(4番はアウローラ管弦楽団の演奏で聴いたことがある)。で,聴いた後で,自分は今聴いた曲が好きなのか嫌いなのかを自分で決めることができない。
 受けとめかねているわけだろう。やはり繰り返して聴かないと,受けとめることすらできなそうだ。

● ま,順番としてはストラヴィンスキーからだね。バレエ音楽はウォークマンに入れているんだけど,交響曲は視野の外にあった。
 ココ・シャネルとも恋愛(不倫)関係にあったと言われる。ココ・シャネルをたぶらかすとは(たぶらかされたのかもしれないが),面白い男ではないか。あるいは,あまりに人間的な男ではないか。

● アーベント・フィルはなぜこの曲を選定したんだろうか。響きがほぼないこのホールで,ここまでの負荷を自分たちに課さんでもよかろう。君たちはMなのか。
 と,失礼かもしれないことを思ったんだけども,2つとも生で聴く機会は圧倒的に少ない。ゆえに,聴きに行った。行ってよかった。課題を作ることができたから。

2020.12.27 東京大学フォイヤーヴェルク管弦楽団 第44回定期演奏会

すみだトリフォニーホール 大ホール

● 今日はダブルヘッダー。宇都宮で宮田大さんのチェロを聴いてから,錦糸町にやってきた。すみだトリフォニーで東京大学フォイヤーヴェルク管弦楽団の定演。
 開演は19時。全席指定の事前申込制。A席が1,500円でB席が1,000円。これまでは入場無料でカンパ制だったが,このご時勢だから対面でカンパを募るのを避けた。
 ぼく的にはコロナが収束したあとも有料チケット制を維持してもらいたいと思っている。楽団の事務処理もその方が楽になる。申込者に無料チケットを郵送する手間とコストは省きたいところではないか。


すみだトリフォニーホール
● ぼくの奥さまは,只今現在,横浜のホテルにいらっしゃる。当初は彼女と晩餐会? の予定だった。ラウンジで酒を飲みつつ,見め麗しい料理を静々と口に運んでいるはずだった。
 のだが,この演奏会のチケットを買ってしまった。もちろん,詫びを入れてはいるんだけれど,してはいけないことをしてしまったかなぁとも思っていてね。薄い氷の上を沖に向かって歩かされているような気分,っていうかさ。彼女は1人でラウンジにいるはずだから。


● ともかく,指定された3階の右翼席に着座。かなり早めに来たので,プログラム冊子に目を通して,そこに書かれているコンテンツ(?)を脳内メモリにコピーする作業を始めた。
 この楽団は東大の冠を被ってはいるけれども,他大学の学生や社会人も加わっており,東大の現役生は少数派だ。高校生もいる。ヴァイオリンパートに日比谷高校の生徒が3人。名前から察するに男子が1人,女子が2人。
 本番のステージでその高校生を特定しようと試みたが,できなかった。演奏会用のドレスに身を包まれると,高校生女子はすでにれっきとした淑女であって,男の眼では見分けがつかない。いや,ぼくのような爺の老眼では見分けがつかない。


大ホール
● 昨年もそうだったが,奏者の中にはヴァイオリンに奥村愛さんがいて,ヴィオラに須田祥子さんがいて,オーボエに山本楓さんがいる。藝大や武蔵野音大の現役生もいる。
 ズルいんじゃないのと言いたくなるくらいのものだが,ズルいくらいの演奏を聴けるんだからラッキーというものだ。
 奥さまとの晩餐会を蹴ってでも聴きに来たくなる気持ちをわかっていただけると,ぼくとしてはとても嬉しい。特に,奥さまご本人にわかっていただければ,これ以上の幸せはない。

● 曲目はベートーヴェンの2番とブラームスの2番。指揮は原田幸一郎さん。
 今年はベートーヴェン生誕250年のベートーヴェン・イヤーだったが,年末の第九が消えた。正確に言えば,主にはプロオケが主催する第九がいくつか開催されてはいる。ただし,合唱団は16人とか20人とか,きわめて限定された数になっていて,市民参加型の第九は今年に限っては存立の余地がない(今年限りであってくれればいいのだが)。
 という中でのベートーヴェンの2番。細密画を見るような,精緻かつ正確なアンサンブル。
 しかし,機械的ではない。“気” が充満している。精緻でありながらエモーショナルでもある。プロの技とアマチュアの心意気が同居している,とでも言いますか。一粒で二度美味しいとはこういうことだ。


● 第九なしでもぼくの2020年は締まった感じ。もう何にも要らない。と思っているところへ,ブラームスの2番。
 ステージそのものが動いているような錯覚を覚える躍動感。コーダに向かって上り詰めて行き,ついに頂に到達すると,その頂きをも突き抜けるような勢いで終結する第4楽章。
 
いやいやいや,大変な演奏でしたよ,これは。賛助会員はこの演奏を録音したCDをもらえるんだっけな。ホールの空気まで録っているような録音ならば,これはお得でしょう。

● やってはいけないと言われているのに,ブラボーがかかった。確信犯なのだが,どこかに甘えがあるだろう。これならブラボーをかけても奏者も観客もホール側も許してくれるだろう,という。
 ブラボー禁止の是非は議論の余地がありすぎるほどにあると思うけれども,禁止とわかって客席にいるのだから,この種の振舞いは唾棄すべきものと,ぼくは思う。問答無用で摘みだすくらいでちょうどいい。

錦糸町駅前
● アンコールはブラームス「ハンガリー舞曲第2番」。
 この楽団の演奏を聴けばこういう気分になるだろうと思っている,その予想どおりの満ち足りた気分で,錦糸町から横須賀線に乗り入れる総武線の列車に乗りこんだ。
 錦糸町から横浜まで乗換なしで行けるのはありがたいのだが,果たして奥さまのご機嫌やいかに。

2020.12.27 宮田 大 チェロ・リサイタル

栃木県総合文化センター メインホール

● 栃木県総合文化センターのリニューアルオープン記念と銘打って,4月1日に,たぶん華やかに,開催される予定だったもの。
 チェロ・リサイタルなのにサブホールではなくメインホールを会場にしたのは,宮田大さんの集客力に期待したのだろうし,チケット料金を1,000円に設定したのも,セレモニーにふさわしくメインホールを満席にしたかったからだろう。
 そうした思惑をコロナが吹っ飛ばしてしまった。が,中止ではなく,ともかく年内に開催できることになったのは慶賀に耐えない。
 4月1日には知事挨拶を含めたセレモニーも予定されていたようなのだが,それは延期ではなく中止になった。けっこうなことだ。そういうラッキーもある。


● 延期が決まったあと,ホール側からチケット代金払戻しの連絡があった。余計かつ面倒な仕事ができてしまったなと同情申しあげるが,相手がコロナでは文句の持って行き場がない。
 が,払戻しを受けずに12月末までチケットをホールドすることを選んだ人が多かったのではないか。ぼくもその1人だ。そうするだけの価値があると考えたというより,これは当然そうすべきものと端から疑うことがなかった。

● 曲目も当初とは変更になった。次のとおり。
 サン=サーンス 白鳥
 ファリャ(小林幸太郎編) バレエ音楽「恋は魔術師」(チェロとピアノ編)
 ラフマニノフ チェロソナタ


 (アンコール)
 加羽沢美濃 デザートローズ
 ピアソラ オブリヴィオン
 加藤昌則 花詠み人


● 開演は午後2時。自由席。これは当初の設定がそうなっているので,そのまま引き継ぐしかなかったわけだろうが,座席数分,ほぼ完売しているのではないか。
 したがって,ぎっしりと席が埋まることに・・・・・・でもなく,それなりに空席があった。ここのところのコロナ感染者数の急増で,外出を控える人が増えているのだろう。
 このコロナ感染の拡大はそのほとんどが季節要因によるものかと思うが,外出を控えるという判断は少なくとも間違ってはいない。と,外出しまくりのぼくが言うのも変なものだが。


● 
1階の左翼席で聴いた。ここがお気に入り。視野の収まりがいい。
 ピアノは西尾真実さん。宮田大さんの実力と知名度は天下に隠れもないところだけれども,西尾さんのピアノもね,才能と若き日の鍛錬の継続が作ったもの。ちょっとやそっとではここまで来れない。
 というわけで,この2人はチェロとピアノでの栃木県の最終兵器。これでダメだったらもう仕方がない,諦めてよね,ということだ。


● 最も印象に残ったのは,メインのラフマニノフ「チェロソナタ」。こんなに分厚い曲だったのかという驚き。CDを聴いているときは気がつかなかった。
 だから音を紡ぎだしているところが見える生演奏を聴くべきだよ,視覚情報がいろんなことを教えてくれるよ,と言いたいのが半分。あとの半分は,聴く人が聴けば,CDだけでもその分厚さがわかるはずだよなぁということ。
 管弦楽曲に比べれば室内楽曲は生演奏とCDの差が少ないうえに,クラシック音楽愛好家の多くはCDを聴いてわかる人たちだろうから。自分の耳の悪さが恨めしいという,ちょっとした愚痴になってしまうわけだが。


● 加羽沢美濃「デザートローズ」は,当初はプログラムに組まれていた曲目。
 加羽沢美濃さんといえば,堺雅人と宮﨑あおいが夫婦役で主演した映画「ツレがうつになりまして」の音楽を担当した人。他にも色々と活躍しているのだけれども,ぼく的には「ツレがうつになりまして」の音楽担当者ということになっていて,佐藤直紀さんなんかと同じ並びにある。

● 普段はあまり音楽を聴かないけれども,今回は宮田大さんだからという理由で来ていた人もけっこういたかもしれない。そんな感じを受けた。
 本だって,普段は本を読まない人にも買わせるのでなければベストセラーにはならない(買っただけで読まない人がかなりいるはずだ。ベストセラーの読者数は購買者数をかなり下回っている)。
 それと同じように,普段は音楽を聴かないという人に来てもらわないと,メインホールをいっぱいにすることは難しいだろう。どの世界でもスターが待望されるものだが,その理由はそういうところにあるのだと思う。

● 昨日から川崎のホテルに泊まっている。今夜は横浜に移る。その途中で宇都宮に舞い戻ったのだが,この迂回移動はやらなければいけなかったなと思えるコンサートだったのはありがたいことだ。
 いやいや,このコンサートでは舞い戻らざるを得ない。1,000円くらい捨ててもいいや,という話ではない。

2020.12.23 劇団四季「コーラスライン」

栃木県総合文化センター メインホール

● 開演は18時30分。座席は指定。S席9,900円,A席8,800円,B席5,500円,C席3,300円の4種。
 ぼくが取ったのは安いB席。実質的な4階席のほぼ中央。自分にはこれで充分かなと思った。プログラムは別売で1,500円。
 半数使用の制限を外して,ほぼすべての席を使っていた。この通常のやり方でお客を入れるのは,改修工事終了後(今年の4月)では初めてだったのではないか。


● 劇団四季の公演に接するのは今回が初めて。「コーラスライン」を観るのも,映画を含めて,今回が初めて。
 ので,そもそも「コーラスライン」とは何ものなのかがわからない。そういうときにはウィキペディア教授に訊くに限る。
 ちなみに,教授は財政に弱点を抱えておられるようなので,毎年,わずか1,000円だけれども,教授に寄付を続けている。だからさ,ちゃんと教えてちょうだいよ。

● 1975年に初演されたブロードウェイ・ミュージカル。原案・振付・演出がマイケル・ベネット,音楽はマーヴィン・ハムリッシュ。
 ここでさっそく疑問。振付と演出の違いは何ですか? バレエの世界では演出のことを振付と呼んでいるらしいのだが,ミュージカルでは振付と演出は別のことを指しているんだろうか。

● まぁ,いいや。初演から1990年の千秋楽まで6137公演という,当時としては最長のロングラン公演記録をたてたんですね(その後,「CATS」に抜かれた)。2006年10月からリバイバルされ,2008年8月にクローズ。
 日本では劇団四季によって1979年9月に初演。以来断続的に上演されていて,劇団四季の重要なレパートリーの1つになっている,ということですか。演出は浅利慶太が担当したのね。


● コーラスラインというのは,ダンサーたちが足を上下させると,その動きがきれいに揃って,あたかも1本の線が動いていいるように見える。その線のことを指す言葉なのだと思っていた。
 そうじゃなくて,「稽古で舞台上に引かれるラインのこと」なんですなぁ。「コーラス,つまり役名のないキャストたちが,ダンス等でこれより前に出ないようにと引かれる」もので,「メインキャストとコーラスを隔てる象徴ともなっている」というわけなのだった。


● 次なる疑問は,ステージで展開される歌と台詞は生音なのか,それとも録音なのかという問題。
 あれだけ激しく踊ったあとに,よどみなく歌い,よどみなく喋るのは,いくら何でも無理だろうと,とりあえず思う。ゆえに,あれは録音であろう。
 特に,ポールが自分がなぜダンサーになろうと思ったかを独白する場面。あれだけの長広舌を,しかも絶妙の間を置きながら,話さなければならないのだ。台詞を憶えるだけでも大変だし,噛まないで話し続けられれば,それはもう僥倖というものだ。あれを生でやるのは無理だろう。
 映画やドラマならば,NGを出してもTake2やTake3があるけれど,舞台でそれはないのだ。やはり,あれは録音であろう。

● 4階席から見てるとね,そうとしか見えないんだよね。が,歌で声が上ずることがあったし,音程が届かないこともあった。ステージで話し手が動くと,それに応じて声の発生点も動いていた。
 すると,あれは生なのか。だとしたら,劇団四季,凄すぎないか。


● よく,オペラが総合芸術だと言われるが,オペラを支えるのは歌唱だ。ストーリーの飛躍を歌が埋めていって,その歌が客席を説得できるかどうかで,後味のおそらく8割が決まる。演出の影響力など知れたものだ。
 オペラの歌にあたるものが,ミュージカルではダンスなのだと思われた。ダンスの切れ。群舞ならばわずかのズレもなく揃っていること。走りすぎるお調子者がいないこと。
 ミュージカルの出来を決める第1要因はダンスでしょう。歌や台詞は極論すれば脇役にすぎない。

● で,そのダンスに魅せられた。ディズニーランドの「ワンマンズ・ドリームⅡ」(今はなくなっているらしいが)より上手いダンスを初めて観た。いいダンスって,カタルシス効果が大きいんだな,って。
 妙な言い方になってしまうけれども,ディズニーランドのダンスは本当にレベルが高かったのだなと,今更ながらに思わされもした。

2020年12月23日水曜日

2020.12.20 TBSK管弦楽団 第2回弦楽演奏会

横浜市鶴見区民文化センター サルビアホール

● TBSK管弦楽団の定演は二度聴いている。2015年12月の第5回と2017年1月の第7回。第5回のときはR.シュトラウスとマーラー,第7回はオール・ラヴェルというプログラムだった。
 とんがっているという印象を持っていた。が,それ以上に旨い。これほどの演奏ができるのなら,いろんなことをやりたくなるだろう,とんがりたくもなるだろう,と思ったことだった。
 イメージとしてはユーゲント・フィルハーモニカーと重なるところが多い。

● 「現在登録されている団員数は140名あまりで,20代の現役大学(院)生と社会人で構成されています」とのことなのだが,140名とは相当な数だ。何がその吸引力になっているのかは,ぼくには知る由もないのだが,何かがあるのに違いない。
 それはトレーナーの中に素晴らしい人がいるとか,切磋琢磨しあえるちょうどいい腕前の仲間がいるとか,そういうことではなくて,もっと下世話な何かなのかもしれないが。

● 今回聴くのは弦だけの演奏会。開演は午後2時。入場無料。ただし,お約束の事前予約制。
 この演奏会があることを知ったのはだいぶ前なのだが,行けるかどうかわからなかった。行けるとわかったのは昨夜。しかも,あと3時間で今日になるという21時だった。それから予約に及んだのだが,ちゃんと席が取れた。間に合った。
 コロナが隆盛を極めているのが原因で客足が鈍っているのかと思ったんだけども,行ってみたらほぼ満席。ひょっとしたら,最後の1席が空いててくれたのかも。

● 自由席なのだが,客席の半分は封鎖。座れるところは半分しかない。実際のところは,全席使ってもおそらく無問題なのだと思う。ぼくら客席にいる人間が喋らないで口を閉じた状態ならば,そもそもコロナウィルスが湧きでる余地がないのだから。
 クラシック音楽の演奏会の場合には,客席から言葉を発しなければならない事象は存在しない。ブラボーなんぞは余計なものの最たる例であって,観客には拍手というほぼ万能の伝達手段が与えられている。
 しかし,ではそうしましょうとするには,それ相応の蛮勇(?)が必要になるでしょうね。万が一ということを考える。

● 2部構成。第1部は “アンサンブルの部”。曲目は次のとおり。
 グリーグ 弦楽四重奏曲 ト短調 より第1楽章
 シューベルト 弦楽五重奏曲 ハ長調 より第4楽章
 ブルッフ 弦楽八重奏曲 変ロ長調 より第1楽章

● それぞれ,全楽章を聴けたらどれほど多幸感に浸れるかと思った。特にグリーグのト短調は第4楽章まで聴かせてもらいたかったかな,と。ないものねだりをしてはいけないのだけどね。
 真摯に取り組んでいることがかなりヴィヴィッドに伝わってくる。大学オケの生真面目さを保持していると感じる。ここで生真面目という言葉を使っていいのかどうか,やや逡巡するのだが,他に適当な言葉が思いつかない。
 学校を卒業して社会人になると,仕事以外のところではズボラにならざるを得ないものだと,ぼくなんかは考えてしまうのだが,彼らはそうではないらしいのだ。

● いや,それ以前の問題があって,シューベルトの五重奏曲とブルッフの八重奏曲は,ぼくはCDも持っていないのだった。今どきだからネットで拾えるのではあるけれども,現状ではまだ音質の点でCDに分がある。
 室内楽曲に関して,もう少し,視聴環境を整えなければならないなぁと思った。話はそれからだ。

● 第2部は “弦楽合奏の部”。曲目は次のとおり。
 芥川也寸志 弦楽のためのトリプティーク
 バーバー 弦楽のためのアダージョ
 ドヴォルザーク 弦楽セレナーデ

● 第1部で感じた “全楽章聴きたいよ渇望症候群” はここで満たされる。多幸感に包まれることになる。
 芥川でいえば,「交響三章」の方が聴く機会が多いだろう。ぼくにしても同じなのだが,聴いて面白いのはこちら「絃楽のための三楽章」の方だ。しかも,この演奏で聴くわけだから,相当に幸せな体験になる。

● 帰宅してからCDを聴いてみたのだけれども,生で聴くのとは別ものだ。届いてくるものにかなりの違いがある。
 それを当然のことと受けとめていいのか,聴く人が聴けばCDからでも生と同じだけの情報を引きだせるものだよと言われるのか,それはわからないのだが。
 あと,視聴機器の貧弱さのせいもあるかも。ぼくが聴くというときは,常に必ずウォークマンで聴くことを指しているからね。だって,それしか持っていないからさ。

2020年12月19日土曜日

2020.12.13 Ensemble AMENIMO 弦楽六重奏コンサート

すみだトリフォニーホール 小ホール

● 室内楽を精力的に聴いていきたい,と以前から思ってはいるんだけれども,そうそう思うようにはならないのが世の習い。しかし,キャッチできた情報はできるだけ活かそうと思っておりますよ。
 で,今日は Ensemble AMENIMO の弦楽六重奏を聴くために,厳寒の栃木からJRに乗って,錦糸町にやってきた。


● 開演は午後2時。入場無料。ただし,事前申込制なのはコロナ禍のお約束。
 ここのところ,東京では感染者数が日を追うごとに増えている。それを嫌気してのことかと推測するのだが,申し込んではいたけれども来るのを急遽取りやめた人も多かったかもしれない。

● 奏者はヴァイオリンの1人が女性であとの5人は男性。珍しいブループもあるものだなと思ったのだが,どうやら Ensemble AMENIMO はいつもあるわけではなくて,時々できるものらしい。
 つまり,「Quartetto Argonauta」と「弦楽四重奏団ジオカローレ」という2つのグループがあって,それぞれの有志(?)が一緒になって,Ensemble AMENIMO に変身するらしいのだ。


● 「Quartetto Argonauta」は,メンバー全員が横浜国立大学管弦楽団出身で横浜を中心に活動している。“Argonauta” とはイタリア語で「航海者,冒険家」を意味するらしい。
 「弦楽四重奏団ジオカローレ」は2007年6月に結成。“GIOCALORE” はイタリア語の GIOVINEZZA(青春,新鮮)と CALORE(情熱)を組み合わせて命名。
 ということなのだが,いずれのメンバーも音大に行こうと思えば行けた人たちでしょう(中には音大出身者がいるのかもしれないが)。


● 花の20代(といっても,女性の20代は迷いの10年間でもあるらしいのだが)は過ぎているかもしれないけれど,まだまだお若い人たちだ。
 仕事とこうした演奏活動を両立させているのだろう。中には家庭の切り盛りも同時にしている人がいるのかもしれない。そういう人生をやれているのは羨ましい。本人たちにすれば色々と不足感はあるのだろうが(それが全くない人生なんて想定できない),スカスカの人生を生きてしまったぼくのような者からすると,基礎水準がずいぶん高いところにあるように思われる。


● 曲目は次の2つ。
 ブラームス 弦楽六重奏曲第1番
 チャイコフスキー 弦楽六重奏曲「フィレンツェの思い出」


● この2曲は弦楽六重奏を代表する曲でもあるらしい。ブラームスとチャイコフスキーでは色合いがまるで違うわけだが,内側の中心からたくさんの線で結ばれた構造物が外側に対して示す,ピンと張り詰めたような緊張感は,共通している。
 問題は,こちらがその緊張感をきちんと受けとめることができたかどうか。われながら,どうにも心もとない。CDでも聴いているのだが,作曲家がこれで何をしたかったのかがモヤモヤっとしちゃってるっていうか。そもそもが,聴けていないのだと思うのだが。


● 弦楽四重奏曲や今回の弦楽六重奏曲,あるいはピアノ三重奏曲とか,そういった室内楽曲を聴くにあたっては,聴き方の文法というようなものがあるんだろうか。
 依然として室内楽曲に対する苦手意識が抜けない。けっこう量は聴くように努めているつもりなんだけど,霧の中にいる感じだね,ずっと。

2020年12月18日金曜日

2020.12.06 第11回音楽大学オーケストラ・フェスティバル 東邦音楽大学・東京音楽大学

東京芸術劇場 コンサートホール

● 音大フェスの4日目(最終日)。通し券を買っても4回とも聴けるとは限らない。しかし,今年はその点について心配する必要はなかった。仕事を辞めてとんでもない時間持ちになったからだ。
 ただ,押しなべて言うと,時間持ちになるとその時間が軽くなる。フワフワとどこかに飛んでいってしまう。
 読む本の冊数も,聴くCDの枚数も,見る映画の本数も,奥さんとの会話時間も,勤めていた頃とほとんど同じなのだ。勤務時間分をそこに付加できると単純に考えていたのだが,そういうふうにはなっていない。

● 家事見習いを始めてはいる。でも,料理や家事が勤務時間をそっくり充てなければならないほどのものであるはずもない。
 小人が閑居すると,不善は為さないまでも,時間が軽くなってしまうようだ。つまり,ひとりぼくだけのことではないはずだと思っているのだが。
 大学生のときも同じようなものだったかも。が,今はもっと時間持ちだ。大学生には講義や試験や部活などのやらなければならないことがあるが,今のぼくにはそうした義務が一切ないからだ。

● さて,同じ大学生といっても,文系のぼくは遊びたいだけ遊んでいられたが,工学部や医学部になるとそうはいかない。実験や実習がガンガンある。そのたびにレポートも書かなければならないだろう。
 音大生はそれに輪をかけて忙しいのだろうな。授業の多くが実技で,マン・ツー・マンの授業もあるんだろうから,手を抜くことができない。授業中は居眠りの時間と決めこむなんてとんでもない。授業に出るだけですむはずもない。練習また練習に明け暮れているのだろう(そうでもないのか)。

● 東邦はベートーヴェンの3番。指揮は梅田俊明さん。
 音大とはいえ,何でここまでできちゃうかねぇ。マーラーが指揮していた頃のウィーン・フィルより巧いのじゃないかねぇ(いや,わかりませんけどね,もちろん)。マーラーの頃にはなかった録音音源に下駄を履かせてもらえてるとしても,ここまでの演奏を学生がやるんですなぁ。
 木管に気が行く。第2楽章のオーボエ,第4楽章のフルート。

● この録音音源というやつ,考えてみれば偉大な発明ですよね。電気のおかげなのだが,エジソンは偉かった。
 作曲とは聴覚を視覚に変換する作業で,演奏とは視覚を聴覚に変換する作業だ。楽譜を見て,それを音に換える。その変換が正しくできているかどうかを確認しようとすれば,作曲者に聴いてもらう以外に方法がない。そんなことはなかなかできない。
 逆にいえば,録音音源のない時代には,同じ楽曲が指揮者によってだいぶ違った演奏になっていたのかもしれない。

● 今は演奏じたいをいくらでも聴くことができる。視覚を聴覚に変換する作業は格段に楽になったろう。いきなり聴覚からインプットできるわけだから。
 しかも,もって範とするに足る演奏を聴いてしまえるのだ。録音音源の出現によって,珍奇な演奏は影を潜めたに違いない。足切り線がかなり切り上がったはずだ。
 同時に,それによって失われたものもあるはずだが,それらを数えてみるのはかなり以上に虚しい作業になる。ぼくらは録音音源のない時代には戻れないのだし,その状況には耐えられないはずだから。

● 東京音大はR.シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」。指揮は尾高忠明さん。大学生のオーケストラがこの曲を演奏してのけるのも,録音音源があればこそと考えていいだろうか。
 今回の音大フェスきっての大編隊。眺めそのものが壮観。演奏はもう恐れ入りましたというしかない。勢いがある。若さゆえでしょうか。

● この曲はコンマスの出番が多いというか,ソリストも兼ねてるような感じでしょ。そのコンマスの江刺由梨さん,どこかで見たことがあるんですよね。どこだったか。
 てか,栃木県出身の人ですよ。昨年の第20回大阪国際音楽コンクールの弦楽器部門 Age-U(大学生)で第1位。コンクールは数え切れないほどあるのだろうが,こうして次々に若い才能が芽生えてくる。その様もまた壮観とするに足る。

2020年12月17日木曜日

2020.12.05 第11回音楽大学オーケストラ・フェスティバル 国立音楽大学・洗足学園音楽大学

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● 1週間ぶりのミューザ川崎。音大フェスの3日目。
 今回の席はS席中のS席。演奏を「視る」のに絶好の位置にある。この席で聴くと,ホールも演奏の重要なパートであることが実感できる。
 コロナ感染対策のために,座席は半分しか指定していない。自分の隣は空いている。左右も前後も。主催者には辛いところだろうけれども,聴く側とすればこれもありがたい。カンファタブルの度合いがまるで違う。


● 国立音大はマーラーの1番。指揮は飯森範親さん。飯森さんがこの音大フェスに登場するのは,ぼくの知る限りでは今回が初めて。
 彼の指揮には過去に3回ほど接している。1回目は2010年の8月,那須野が原ハーモニーホールが年1回の定例開催にしていた東京交響楽団の演奏会
 2回目は同じ年の10月,山形交響楽団と宇都宮の総合文化センターにやってきて,ベト7を演奏した。「のだめ」の余韻が濃く残っていた時期ね。
 3回目は2011年12月の宇都宮市文化会館。宇都宮第九合唱団の第九だった。オーケストラは日フィル。


● さて,その飯森さんの指揮で演奏する国立音大のマーラー。指揮者の要求に答えられる力量を持ったオーケストラということでしょうね。ギリギリを突いていく渾身の演奏。緊迫感に満ちたマーラーになった。
 ギリギリを突いていくんだから,ノーミスですむわけはない。いくら音大生であっても,そんな神様のようなマネはできない。が,そのリスクを取って(という意識はないのかもしれないが)あえて踏みこんでいくという,その小気味良さがゾクゾクするほどの快感をもたらしてくれる。
 弦はもちろんだが,木管の響きが素晴らしい。とりわけ,フルートに注目した。


● こういう演奏を750円で聴いていいのかという素朴な疑問。ありがたすぎて涙が出そうなほどなのだが,自分の子どもよりも若い学生さんたちにここまでしてもらっていいんだろうか,っていう申しわけなさも感じてしまうんだよね。

● 洗足学園はエルガー。「コケイン」とエニグマ変奏曲。指揮は秋山和慶さん。
 御年79歳でこの端正な体型を保っているのが,まず凄い。さすがに指揮台に登るときには階段を使っているけれども,全体から感じるのは清々しさだ。どういうわけだ?
 指揮という行為に要求されるのはまず反射神経で,それを支える体力が必要。カラヤンやカルロス・クライバーをはじめ,指揮者にはスピード狂が多いらしいのも頷ける。
 フィジカルなトレーニングも必要なんでしょう。バーベルを使ったウエイトトレーニングはかえってマイナスかもしれないけれども,ストレッチを欠かしてしまっては指揮者としては自殺行為なのではないだろうか。と,素人ながら思っているのだが,79歳の秋山さんもそういうことをしているんだろうか。
 それとも,年を取れば取ったで,少ない動きで(たとえば,眉を動かすことだけで)多くのものを伝えることができるようになったりするものなのだろうか。

● 変奏曲というと自ずと繊細さを纏うことになるんだろうか。最初の主題がどこに残っているんだろうかという聴き方をすると,自分の耳の悪さに溜息をつくことになる。
 この曲を生で聴ける機会はそうそうないだろう。これが最初で最後になるかもしれない。そうした曲を聴けることもまた,この音大フェスティバルの功徳(?)のひとつに数えていいだろう。