2023年6月27日火曜日

2023.06.17 Nishi Graduate Orchestra 第8回演奏会

なかのZERO 大ホール

● 中野駅から なかのZERO があるもみじ山文化センターまでの路は,原宿の竹下通りなのかと言いたくなるほどに混んでいる。竹下通りと違うのは,歩いているのが爺さんと婆さんであることだ。
 もちろん,若い人もいるんだけれども,歩行者の平均年齢はだいぶ高い。ぼくも平均年齢を引き上げている一人だけどね。東京でこうなんだから,日本ってほんとに年寄りの国になったよね。

● というようなことを感じながら,会場に到着。Nishi Graduate Orchestra は「都立西高等学校卒業生によるオーケストラ」ということだが,この楽団の演奏を聴くのは,今回が初めて。
 都立西高というと,日比谷高校などと並ぶ名門(偏差値が高い)というザックリとした印象しかないが,ウィキペディアによると「校則のない自由な私服校であり,学問を探究するアカデミックな校風である」。この解説は卒業生が書いているんだろうね。

● 開演は午後2時。チケットは1,000円。当日券で入場した。
 曲目は次のとおり。ニ長調の曲を並べた。
 ベートーヴェン 交響曲第2番
 チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲
 指揮は寺岡清高さん。こういう人を指揮者に迎えるほどなのだから,かなりの腕前なのだろうなと思ったのだが,寺岡さんも西高の卒業生であるらしい。

● ともあれ。ベートーヴェンの2番。かなりな上手が揃っている印象。
 高校で管弦楽部に属し,大学でもオケ活動に明け暮れたとしても,卒業して社会人になってしまえば,使える時間は減るだろう。卒業時の腕前を維持するのは相当以上に難しいのではないかと思うのだが,そういう理屈はあてはまらない人たちなんですかねぇ。それとも,維持するだけなら簡単だよ,ってことなんですか。

● 2番になるとはっきりとベートーヴェンが立ち現れている。他の誰でもないベートーヴェンが,奏者に過重な負荷を強いることなど歯牙にもかけないベートーヴェンが,そこにいる。
 そのベートーヴェン像がくっきりと見えるような,そういう演奏だった。という雑駁な印象を記して,次に行こう。

● チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。ソリストは金子芽以さん。
 彼女はなんと西高の現役生。同時に桐朋のソリスト・ディプロマコースの1年生(特待生)。2年前に全日本学生音楽コンクールの高校の部全国大会で第1位。

● それだけならまぁまぁ,さほどには驚かない(音大の付属校ではなく,普通の高校に通っている生徒が1位を取るのはきわめてレアなケースだろうな,とは思う)。いや,とんでもないことには違いないんだけど。
 それだけではなくて,サントリー芸術財団から JEAN-BAPTISTE VUILLAUME を貸与されているという。ここがね,破格ですよねぇ。

● ステージ上の彼女はすでにして完成された一個の淑女。後ろの方の席に座ったので,遠目にはということね。近くで見れば,そりゃ高校生のあどけなさも残しているに違いないけれども,ステージでは神聖にして犯すべからずの淑女感を発している。
 他方で,終演後の退場のタイミングを測りかねているような初々しさも発揮したものだから,客席は彼女にKOされまくりだった。

● 若い頃の華々しい活躍がそのままその後を保証するとは限らない厳しい世界ではあるのだろうけれども,そうはいっても,数年後にはしばしば彼女の名前を目にすることになるのだろう。
 次々に新しい才能が登場してくる。その才能がわかりやすい形で披露されるから,この世界は百花繚乱の趣に染まる。

2023年6月24日土曜日

2023.06.15 平日の贈り物♪ ランチタイムコンサート トリオ・ラ・プラージュ

栃木県総合文化センター サブホール

● 聴きたいコンサート,チケットを購入済みのコンサートは,手帳にタイトルと開演時刻と会場名を書いておく。書かないで記憶だけでやりくりして,ダブルブッキングを犯してしまうことがしばしばあったので。同じ日の同じ時刻に催行される2つの演奏会のチケットを買ってしまったなんてこともあった。
 さすがにちょっと懲りたというかね。ので,今は地道に(?)手帳に書いている。

● ところが,その手帳を見ないで同じ失敗をすることもあってね。それじゃ手帳に書いておく意味がないんだけれども,手帳を開くのが億劫で,記憶に頼ってしまう(どれだけ横着なんだ?)。
 でね,このコンサートは16日だと思い込んでいて。どうしてそう思い込んだのかはわからないんだけども,16日だと思い込んでいた。

● 手帳を見て今日だったと気がついたのは11時。正午開演なので1時間前。グワッ,間に合うのか。急いで家を出て,徒歩→電車→バスという交通手段で会場に向かった。
 結果的に,どうにか間に合った。開演3分前に会場に到着して,1分前に着座できた。やれやれ。手帳はこまめに開きましょうね。

● このランチタイムコンサートは正午から1時間の小コンサート。途中,休憩はなし。
 トリオ・ラ・プラージュは渚智佳(ピアノ),田口美里(ヴァイオリン),近藤千花子(クラリネット)の3人で構成されるトリオ。3人はいずれも栃木県が主催するコンセール・マロニエ21の優勝者で,それが結成のキッカケになった。

● トリオ・ラ・プラージュとしての演奏は過去に3回しか聴いたことがないが,それぞれが栃響の定演でソリストとして招かれていたり,単独で登場した演奏会もある。それらも含めるとけっこうな回数,聴いたような気がする。
 田口さんは都響,近藤さんは東響の団員でもあって,都響や東響の演奏まで含めるとさらに増える。

● モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲から始まり,次は “世界音楽紀行” と題して日本の「夏の思い出」「ふるさと」を演奏してから,ヴィヴァルディ「四季」から「夏」の第3楽章,ウェーバーのクラリネット協奏曲第1番の第2楽章,ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」の一部を演奏した。
 このあたりの編曲は渚さんが担当しているらしい。こういうエンタメを意識した演奏ほど名手のそれで聴きたいものだ。

● 次はミヨー「クラリネット,ヴァイオリンとピアノのための組曲」。今回の演奏会で最も聴けて良かったと思ったのがこの曲だったのだけれども,じつはこの曲のCDを持っているにもかかわらず,たぶん聴いたことは一度もなかった。
 というか,CDを持っていたこと自体,忘れていたくらいのものだ。今日を機に聴くようになれば,それも収穫のひとつに数えていいだろう。

● 最後はチャイコフスキー「くるみ割り人形」から “マーチ” “金平糖の精の踊り” “トレパーク(ロシアの踊り)” “花のワルツ” の4曲。
 アンコールは「栃木県民の歌」というサービスぶり。「栃木県民の歌」は1962年(昭和37年)に制定されたもの。高度経済成長に向かう頃の単純な “前向け,前” 的な歌詞になっている。
 「生産は日ごとに伸びて」とか「とこしえに若さあふるる」とか,今となってはちょっと待てよと言いたくなるようなところもあって,もはや賞味期限が過ぎているとぼくは思っているが,そうは言っても唱和する声が客席から聞こえてきた。

● というわけで,1時間のコンサートが終わった。アタフタしてしまったけれども,開演の1時間前によくぞ勘違いに気がついたものだよ。
 おかげで優雅きわまる真昼の1時間を得ることができたわけだから。こういうのって,代替が利かないからねぇ。

2023年6月23日金曜日

2023.06.11 鹿沼ジュニアフィルハーモニーオーケストラ 第34回定期演奏会

鹿沼市民文化センター 大ホール

● 2020年から世界を覆ったコロナ禍は世界の様相を一変させた。すでにその禍は去ったといってよいと思うが,そうなるとその一変がさらに裏返って,元に戻るような気配もある。
 東日本大震災が起きたときにはこれで日本は変わる,変わらざるを得ない,と言う人がいたけれども,喉元過ぎれば・・・・・・という諺が,あれほどの大災害であっても妥当したように。
 どうしたって元に戻したいというベクトルが働く。元に戻れば,近過去は水に流そう,忘れよう,となるものだろう。

● オーケストラの演奏会も中止や無観客での開催を余儀なくされた。それによってネット配信が増えるなど,聴くだけの人間にはありがたい動きもあった。
 紙のチケットから電子チケットへの移行も進んだ。悪いことばかりではなかったのだ。こうした動きはコロナ禍が収束した後も残って欲しいものだ。

● 鹿沼ジュニアフィルは2021年の第32回定期演奏会は通常どおり開催している。感染者数の波がちょうど下がっているときだったのだろう。あと1ヶ月早いか遅いかしていたらどうなっていたかわからない。このあたりは運もあった。
 第33回はたぶん,関係者のみを入場させて実施したのではなかったか。ぼくは聴いていない。

● 今年は完全に旧に復して通常開催。開演は午後2時。入場無料。
 曲目は次のとおり。
 ヨハン・シュトラウス2世 喜歌劇「こうもり」序曲
 ハイドン 交響曲第104番「ロンドン」
 ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」

● ぼくのようなロートルには,少年少女たちの演奏を浴びることによってエネルギーをチャージする的なところがあって,演奏そのものについてどうこう言うつもりは最初からない。
 が,この言い方は鹿沼ジュニアにははっきりと無礼だ。鑑賞に耐えるというレベルを大きく超えている。「新世界より」をここまで仕上げてくるのだから。

● それ以上にハイドンの「ロンドン」に驚いた。質朴ながらも典雅な古典派の香気がホールに満ちた。
 木管を中心に見ていたのだが,大したものだ。特にオーボエとフルート。この2つが目立ったのは出番が多かったからなのだが,とりわけオーボエの技量に感服した。ひょっとして,彼は賛助出演だったのか。

● 今日は1日雨。傘をさして出かけた。JR鹿沼駅から会場まではちょうどいい散歩になる距離なのだが,傘をさして歩くのは鬱陶しい。
 が,鬱陶しさを我慢して,雨の中を出かけて正解だった。正解であることを予めわかっていたので出かけたというのが,事の順序ではあるけれど。

● 唯一の疑問は,これほどのものがなぜ鹿沼に? ということだけ。
 来月17日にはオケフェスが開催される。休憩時間にホール事務室で整理券をもらってきた。

● 鹿沼市民文化センターがフランチャイズで,毎回ここで催行しているのだが,一度宇都宮でやってみたらどうかと思う。県総合文化センターでも宇都宮市文化会館でも。
 これまでとは違った観客が来るのではないか。つまり,保護者や知合いではない,大勢の赤の他人。ここまでの腕を持っているのであれば,アウェイを体験するのも悪くないのではと。

2023年6月15日木曜日

2023.06.10 宇都宮市民ジャズオーケストラ 第16回定期演奏会

栃木県総合文化センター サブホール

● これまでジャズの演奏を聴いたのは片手で数えられる程度だと思う。聴く機会が少ないのが第一の理由だけれども,ジャズって何? というのが曖昧模糊としてよくわからないというのも,理由のひとつだ。
 ではクラシックはわかるのか,と問われると少々困るのだけれども,クラシックはまぁまぁ輪郭はハッキリしているように思う。

● 以前にピアノの山下洋輔さんが,どんな音楽でもジャズになる,特にバッハはジャズにしやすい,と語っていたのを記憶しているのだが,ジャズにしやすいという場合の “ジャズ” の外延がどうも掴みづらい。
 ラテンジャズというのは,あれはジャズなのか。ジャズという名前が付いているんだからジャズなのだろうが,あれまでジャズだとなると,もはやジャズという音楽は定義しようのないものなのではないか。

● さして良ろしくもない頭で考えてないで,まずは聴けよ,聴けばわかるんだよ,と言われるであろうから,今日はジャズを聴きに来た。
 黄金週間中に吹奏楽の演奏会をいくつか聴いて,その勢いでジャズに突入という。吹奏楽とジャズは違うんだけど。というか,分類の基準が違うんだから,そもそも並べてはいけないものだが。
 開演は午後2時。当日券(1,200円。前売券は1,000円)で入場。

● クラシックもそうだが,ジャズにおいても聴衆の高齢化は容赦なく進んでいるのだなというのが最初に感じたこと。申しわけないが,演奏する側も同様ではあるまいか。
 どの分野でも,若い人は金の卵になっているのだろう。絶対数が激減しているのだから,当然と言えば当然のことではある。

● 曲目は左のとおり。アンコールはグレン・ミラー「イン・ザ・ムード」。知らないままに言うのだが,よく知られた人気曲を揃えているのではないかと思う。
 ピアソラの「リベルタンゴ」はクラシックの演奏会で何度も聴いているし,CDでもネットに落ちている音源でも聴いた。バンドネオンの他に,ヴァイオリン,ピアノ,チェロなどいろんな楽器のものがあるが,そのいずれもがそのままでジャズでもあるのだろうと思っていたんだけれども,そういうものではないようだ。

● 今回聴いたジャズバージョンは,オリジナルにだいぶ変奏をかけていて,別の曲にも聴こえなくもない。いよいよ,ジャズとは何なのか。トロンボーンをボントロと呼ぶノリがすなわちジャズなんだろうか。
 最後の「情熱大陸」も吹奏楽などでよく聴くのだけれども,これもそのままでジャズでもあるのだろうと思っていたのだが,同様にどうもそうではないっぽい。

栃木県総合文化センター
● いや,面白かったんですよ。ずっと面白くて,気がついたら終演していたというくらいのものだった。
 ステージと客席が画然と分かれたホールで聴くのは,本来の聴き方ではたぶんないのだろう。といっても,サックス,ラッパ,ボントロ,リズムで構成されるジャズオーケストラが演奏し,それを聴くとなると,この方式以外には難しい。

● コロナで4年ぶりの演奏会になるらしい。長いブランクができてしまって,ジリジリしたことだろう。何らかの “活動” をしている人にとっては,そうだったはずだ。ぼくは “活動” をしていないので,ずっと家にいればいいお気楽野郎ですんだんだけど。
 客席もほぼ満席だった。団員と何らかのつながりがある人が多かったようなのだが,聴く側にも待ってましたという人がけっこうな数,いたんだろうかね。
 大雑把に言うとステージと客席の距離はクラシックよりはるかに近い。堅苦しいことは抜きね的な雰囲気がある。

2023年6月9日金曜日

2023.06.04 栃木県交響楽団 第113回定期演奏会

宇都宮市文化会館 大ホール

● 開演は午後2時。チケットは1,200円(前売り。当日券は1,500円)。前売券を買っておいた。
 曲目は次のとおり。指揮は栃響では久しぶりの末廣誠さん。
 ラヴェル 古風なメヌエット
 マーラー リュッケルトの詩による5つの歌曲
 ブルックナー 交響曲第4番 変ホ短調「ロマンティック」

● 「リッケルトの詩による5つの歌曲」のソリスト(メゾソプラノ)は山下裕賀さん。ぼくからすると,異能の持ち主と言うほかはない。
 抜きん出た異能は香気を放つ。こういう言い方しかしかできない。

● 2016年のコンセール・マロニエで優勝したときも聴いているし,21年2月に開催された「林真理子の劇場で愉しむ “オペラ” なるもの」に出演したのも聴いている。
 他にも数回,聴く機会があった。演奏家というのは性格が陽性であることが,一番目に求められる資質なのではないかと思っているのだが,彼女の陽性は筋金入りのように見える。もちろん,思い屈することも度々あるのだろうけれども,基本色は陽性。そうでなければやっていけないのだろうとも思う。

● 栃響がブルックナーを取りあげるのは初めてらしい。指揮者末廣さんが,「113回もの定演を重ねているオケは少ないけれども他にもある。が,その間,ブルックナーをやったことがないというのは唯一無二の存在」といった意味のことを話していた。
 たしかに。言われてみれば。

● 今回,その唯一性を捨てたわけだが,初めてだからこそなのか,鮮烈なブルックナーが出現することになった。特に第4楽章の初め,マグマ大使がゴアゴンゴンの征伐に向かったときのような(わかる人はあまりいないと思うが),高揚と緊張がマックスになる場面があるのだが,そこではプロの演奏を聴いているような錯覚に陥った。
 やるなぁ,中高年,と思ったのだけども,いやいや,これはどういう機序によるものか。指揮者の末廣さんの功績に帰するのだろうか。

宇都宮市文化会館
● ブルックナーの4番は,CDはカラヤンで聴いている。同一曲のCDを何枚も持って聴き比べるってことはあまりしない。その1枚だけを聴いている。そもそもが長いからねぇ,その1枚もしょっちゅう聴いているというわけではない。
 それでも,ブルックナーのこの曲は起伏が多く,綾も細かいので,風景が小気味よく変化する,といった程度のことは感じていた。が,こういう演奏を生で聴けると,それ以外に質量の重さ・大きさといったものもズシンと伝わってくる。ブルックナーはただ者ではないことがわかる。

● アンコールはなし。当然かと思う。

2023年5月21日日曜日

2023.05.21 東海大学吹奏楽研究会 DREAM CONCERT 2023 in 宇都宮

宇都宮市文化会館 大ホール

● 落語のCDを返しに宇都宮市立中央図書館に来た。ら。今日,この演奏会があるのを知った。開演までの約2時間をどうにかうっちゃって,聴いてきた。大きな拾いものをした。ラッキーとはこういうことだね。
 開演は午後2時。入場無料。

● 内容は3部構成で,まず第1部は課題曲クリニックと題して,東海大学吹奏楽研究会の常任指揮者の福本信太郎さんと音楽監督の加養弘幸さんが,吹奏楽コンクールの課題曲について,その勘所についてレク。
 マイクの音が割れてしまっていて,よく聞き取れなかった。それ以前に,このレクはコンクールに出場する中学生や高校生を対象にしたものと思われるところ,観客の大半はぼくを含めて爺さんと婆さん,オジサンとオバサンだったので,少々アテが外れた感じになってしまった。

● レクのあと,東海大学吹奏楽研究会が模範演奏。演奏したのは次の4つの課題曲。
 牧野圭吾 行進曲「煌めきの朝」
 宮下秀樹 ポロネーズとアリア-吹奏楽のために
 天野正道 レトロ
 水口 透 マーチ「ペガサスの朝」
 「煌めきの朝」は先月30日に宇都宮中央高校吹奏楽部の演奏で聴いている。作曲した牧野さんは現在,音大の作曲学科の学生。この曲を作ったのは高校2年生のときだったらしい。2年生の3学期のとき。

● 第2部は地元の共演校のステージ。共演するのは宇都宮市立陽南中学校と作新学院高校。
 陽南中学校
 宮下秀樹 ポロネーズとアリア-吹奏楽のために
 米津玄師 カイト

 作新学院
 マリナンジェイ(郷間幹男編) ジャンボリミッキー
 久石譲(後藤洋編) となりのトトロ-コンサート・バンドのためのセレクション

● ラッキーだと思ったのは作新学院の演奏をまた聴けるからなんですよね。4月2日に幕張総合とのジョイントコンサート,今月7日にフレッシュグリーンコンサートを聴いている。2ヶ月の間に3回聴けるとは。
 この吹奏楽部が栃木県内の絶対王者だと思っているわけですよ。しかし,こういう機会に絶対王者を相対化できるかもしれない。
 作新をもってしても,東関東を突き抜けて全国に行くのはなかなか以上の難事なのだ。上には上があるというあたりまえの事実を,栃木から出ないから,なかなか知る機会に恵まれないわけでね。

● 第3部が東海大学ステージ&共演校との合同ステージ。東海大学が演奏したのは次の3曲。
 松前紀男 東海大学校歌
 長生 淳 喜色満海
 鈴木英史 カントゥス・ソナーレ
 大学の校歌も校歌というんだね。学歌とは言わないんだな。

● 合同ステージでは,東海大学&陽南中学校が「宝島」で,東海大学&作新学院がチック・コリア「スペイン」。作新が単独でやるときには,これにダンスが加わるわけだけれども,今回は演奏のみ。
 その「スペイン」が絶佳。全体で最も印象に残ったのがこの演奏で,もう一度聴きたい,今すぐ聴きたい,と思った。録音録画していたっぽいので,ひょっとすると You Tube に上げてくれるかもしれない。ほんとにね,もう一度聴きたい。

● でね,この演奏をリードしたのは作新の方だと思えた。この曲は作新お得意のレパートリーで毎回演奏する曲だし,東海大学は胸を貸すくらいのノリでやっていたのかもしれないんだけど。
 というわけなので,作新を相対化することはできなかった。やっぱり,作新のレベルは相当なもの。

● 会場の宇都宮市文化会館の敷地にはツツジが彩りを添えている。梅雨の鬱陶しい時期になると紫陽花ですね。梅雨の紫陽花は,万物みな枯れる冬に夜空の星々が最も絢爛な様を呈するがごとし。
 紫陽花といえば,宇都宮に紫陽花に “しようか” とルビをふった名前のスナックがあってね。しようか? うん,する,するっ,となるじゃないですか。
 何をするのかって? お勉強に決まってるじゃないですか。他に何があるってんです?
 汝よ,淫らな想像をした者よ,悔い改めよ。

2023年5月20日土曜日

2023.05.14 真岡市民交響楽団 第65回定期演奏会

真岡市民会館 大ホール

● 昨年の12月17日以来,半年ぶりに真岡に来た。市立図書館で雑誌を読んでいる。けっこう優雅感があるぞ。“けっこう” でよければ,優雅を愉しむのにお金は要らない。
 問題は,すべての図書館でそれができるわけではない,ということだね。優雅感がないところもある。地方の小都市でもそうだから,大都市になるとさらにそうだろうな。

● さて,何のために真岡まで来たのかと言うと,真岡市民交響楽団の定演を聴くためだ。半年前もそうだった。それ以外の用事で真岡に来ることは,まずもってない。
 開演は午後2時。入場料は安定の500円。当日券を買った。

● 曲目は次のとおり。指揮は新井義輝さん。一般大学を卒業してから音大の指揮科を出た人。
 ベートーヴェン エグモント序曲
 グリーグ ペール・ギュント第1組曲
 シベリウス 交響曲第2番 ニ長調

● 序曲なのに交響曲を1つ聴いたような気分にさせるのがベートーヴェン。ロシア人形のマトリョーシカのようだ。どんどん小さくしていっても,全部がそこにある。
 入れ子構造になっていて,全体の一部を切り取るのではなく,全体を小さく凝縮したような。

● 「ペール・ギュント」は第1曲の「朝」の冒頭のフルートがほぼすべてと言ってしまいたい。第2曲「オーゼの死」で弦がロマンチックに歌うのもいいんだけれども,やっぱり「朝」のフルートかなぁ,と。
 そのフルートゆえに,CDならカラヤン+BPh がいいと思っている。が,生で聴くのがもっといい。
 CDは耳で聴く。生演奏は目や皮膚なども動員して聴くことになる。CDで聴いても鼓膜しか喜ばないが,生だと全身が喜ぶ。全身で聴くのが音楽の本来だろうと思う。

● シベリウスの2番をベートーヴェンのように聴くこともできる。つまり,苦悩を通して歓喜に至る,という。
 第4楽章の妙なる調べは天国に着いたことを思わせるし,コーダは神に抱かれた喜びを思うさま発散しているようにも見える。辛い渡世だったけど,最後にやったよ,俺,と。ま,荒唐無稽な妄想だ。

● というわけで,聴き応えのあるシベ2だった。まことに,真岡には真岡のシベリウス。奏者の過半は真岡在住者ではないと思うけれども,そういうことは関係ない。

● ちなみに,今日は宇都宮市文化会館で宇都宮シンフォニーオーケストラの演奏会が,栃木県総合文化センターで新人音楽家演奏会があった。
 地方でもこういうことはしばしばある。ないときはバッタリないのだから,うまくバラけてくれるとありがたいのだけれども,そうは問屋が卸してくれない。

2023年5月8日月曜日

2023.05.07 作新学院高等学校吹奏楽部 フレッシュグリーンコンサート2023

宇都宮市文化会館 大ホール

● 黄金週間の最終日は宇都宮市文化会館で作新学院の吹奏楽。栃木県の吹奏楽界では絶対王者と言っていいと思う。4部構成なのだが,そのいずれもが圧巻の連続で,息をする暇もない。
 入場料は1,500円。しかし,この演奏会から受け取れるものは1,500円どころの騒ぎではない。ひょっとすると,県内で味わえる最上質のエンタメはこの演奏会かもしれない。年2回の安定供給も保証されている(たぶん)。
 遠慮なく味わうべし。ぼくは作新学院とは縁もゆかりもない人間だが,何も問題はない。お金を払ってチケットを買っているんだしね。

● あいにくの春の嵐で(気温もだいぶ下がった),これじゃ客足も鈍るのじゃないかと思った。会場に着いたら長い列ができているのが常のところ,そんな列など見当たらなかった。
 やっぱりなぁと思いながら会場に入ってみると,ぼくが勝手に定席にしている2階右翼席には空きがなかった。ずいぶんウロウロして,2階のかなり後ろの方に座った。
 要するに,天気は関係なかったってことね。ぼくが出遅れただけだった。

● 音楽には力がある,という言い方は正確ではない。力を吹き込む演奏者がいて,初めてそれが現実化される。演奏者に力がなければならない。その力がある奏者たちだ。個々のメンバーの技量が高い。しかも,巧いというにとどまらない。巧さに “+α” が備わっているように見える。
 中学生の精鋭が吹奏楽をやりたいからという理由で,作新を選んで入学してくるのだろう。受験界でいう単願,県立高校は受験しないで入学した子が多いんじゃないかと思っている。

● この3年間,コロナ禍でこうした演奏会は多くが中止になった。東京では抵抗する姿勢を見せる楽団がプロアマを問わずあったと思うが,地方ではことごとくコロナの顔を立ててしまった。
 そうした中にあって,この学校では2020年秋の定期大会,21年春のフレッシュグリーンコンサートを開催している。両方とも聴きに言っているのだが,コロナ感染に配慮しつつと言いながら,わりと大胆な開催の仕方だったと記憶している。
 座席はほぼすべてを使っていたし,規模を縮小するといったことも敢えてしていなかった。入口に消毒液を置くとか分散退場といったところで,配慮しましたよという形を作ってはいたが。

● 大変な決断だったろう(上層部もよく認めたものだ)。それでクラスタが発生したとは聞かないし(発生するはずがないと思ったので,ぼくも出かけて行ったわけだが),今から振り返れば正しい判断だったことになる。が,あの状況でよく開催するという決定ができたものだ。
 おかげで,この学校の生徒は機会逸失が最小限度ですんだ。それやこれやがあって,絶対王者が存在する。

● 第4部の野球応援ステージでは「アフリカン・シンフォニー」も「オペラ座の怪人」も登場するのだし,第3部のドリルでは「ムーンライト伝説」や「ジュピター」も演奏された。全部で何曲演奏したのか数えた人はいないだろうが,相当な数になる。
 ドリルの絵は誰が作るのだろう。デザイナーは誰だ? 吹奏楽とはこういうものという模範解答を見る思いがする。吹奏楽の可能性を余すところなく披露して見せてくれるというかね。

● 1つ挙げると,第2部で演奏されたチック・コリア「スペイン」だ。CDは Chick Corea Trio のものしか持っていないのだが,昨年,“ジャズ六重奏とオーケストラのための” バージョンを聴く機会があって,聴いたらビックリした。まったく別の曲だった。吹奏楽版もしかり。
 逆に,吹奏楽版だけ聴いて,これが「スペイン」だと思っちゃいけない。いけないのだが,吹奏楽版を聴くならこの演奏会に足を運ぶのがいいだろう。定番の曲目になっている。
 この先もこの曲を演奏会の定番から外すことはないと思うのでね。っていうか,思いたい。

● ステージ上の生徒さんは濃密な3年間を送ることになる。卒業後も多くの人は,吹奏楽かどうかは別として,楽器を自分の一部にして生きていくのだろうが,これほど濃密な時間を持つことは,おそらくないだろう。
 “人生は死ぬときまでの暇つぶし” だとしても,こうした数年間を持っているのといないのとでは,暇のつぶし方の巧拙に大差が生じるかもしれない。
 ただし,いかに濃密な3年間を過ごせたとて,まさかという坂がない人生はあり得ない。落とし穴が潜む。心されたし。心したからといって防げるわけではないのが厄介なんだが。

2023年5月6日土曜日

2023.05.06 第21回黒磯高校吹奏楽部グリーンコンサート

那須野が原ハーモニーホール 大ホール

● 黒磯高校吹奏楽部のグリーンコンサートを初めて拝聴。なぜ初めてかと言うと,那須野が原ハーモニーホールで開催されたからだ。同校のフランチャイズである黒磯文化会館は改修工事中で使えなかったらしい。
 わが家からだと,黒磯文化会館は少し霞がかかった距離にある。ハーモニーホールに行くのとさほど違わないといえば違わないんだけど,その “さほど” が心理的に大きいんだな。

● 開園は午後1時。入場無料。
 吹奏楽部のグリーンコンサートとは言いながら,実際には箏曲部と合唱部の合同開催のような感じ。
 最初は箏曲部。演奏したのは次の2曲。
 吉崎克彦 祭花
 黒うさP(渡辺泰子編) 千本桜

● 洋楽は残響を前提とする。修道院も教会も貴族の館も石でできているのだから,残響が生じる。自ずとそれを踏まえた発達過程をたどることになるだろう。
 対して,日本の家屋は木と紙でできている。音の一部は自身が吸収したうえで,残りはそのまま通過させる。上に上がった音は上がったきりで降りてこない。
 そうした残響とは無縁な世界で和楽器は育まれたと思うのだが,ハーモニーホールで聴くと,和楽器にもアコースティックはあった方がいいことがわかる。ホールも楽器のひとつという言い方がされることがあるけれども,それをもっともわかりやすく感じられるのは,邦楽をこうしたホールで聴くことかもしれない。
 ひょっとすると,残響があたりまえのホールで聴くことに慣れてしまったゆえで,本当はそうじゃないのかもしれないんだけどさ。

● 次は合唱。久しぶりに男声合唱の「いざ起て戦人よ」を聴いた。レガートな戦人だった。
 「鷗」は曲も詩もスケールの大きな曲だと思うのだが,三好達治の詩の勢いを味わうものですかねぇ。自らを拠り所とできることこそ自由というものだ,というね。ブッダが臨終前に弟子たちに諭したとされる「自灯明」を思い起こさせますな。

● いよいよ吹奏楽。まず,クラシックステージ。演奏曲目は次のとおり。
 和田 信 希望の空
 オリヴァドーティ バラの謝肉祭
 ドイツ民謡 山の音楽家
 リード A Festival Prelude

● 吹奏楽は高校生の演奏で聴くのが一番いい。吹奏楽といぶし銀の相性はあまりよろしくないと感じるのは,ぼくだけではないと思うのだが,それも固定観念というものですかねぇ。
 「山の音楽家」は楽器紹介を兼ねるわけだが,誰でも必ず聴いたことのある曲だし,箸休めに中間に持ってくるのは聴く側としても助かるかな。
 曲としてはやっぱり「A Festival Prelude」ですかねぇ。直訳すれば音楽祭の前奏曲ってことなんだろうけど,艶があるし,喜怒哀楽のうち怒を除いた3つが入っている。哀もかすかにあって,それが曲に深みを与えているような気がする。

● 次はポップスステージ。
 とちぎベリーヒットメドレー
 「千と千尋の神隠し」メドレー
 岡田実音 Happiness
 ラファエル・エルナンデス エル・クンバンチェロ

● これはもう高校生のぼくらに対する懸命なサービスであって,そのサービスが良かったか悪かったかを云々してはいけない。サービスを受ける一方の人間がサービスする側に対してアレコレ言う資格はないとしたものだ。反対給付を求められているなら別かもしれないけどね。
 そう言いながら云々してしまうのだが,「とちぎベリーヒットメドレー」での合唱は相当な味わいがあった。「乱れ髪」なんかジーンと来るものがありましたよ。

● 最後は県北地区数校の合同演奏。曲目はグリエール「青銅の騎士より」。石津谷治法ではなく森田一浩の編曲によるもの。
 結局,これが最も印象に残った。アンコールは「宝島」だったが,「青銅の騎士」の方に惹かれた。
 元の管弦楽版も聴いてみたいものだが,CDを見かけたことがない。生で演奏される機会もないと言い切ってしまっていいだろう。「青銅の騎士」といえば吹奏楽ということになっている。

● 場内アナウンスがよく通る声で聞き取りやすかった。こうした黒子のファインプレーが全体を締めることもある。

2023年5月5日金曜日

2023.05.05 25周年記念 宇都宮ウインドクルーコンサート

宇都宮市文化会館 大ホール

● 今日も宇都宮市文化会館。宇都宮ウィンドクルーの定演。25周年と銘打っているのだが,迂闊ながら今までこの楽団があることを知らずにいた。
 開園は午後2時。入場無料。指揮は田村和久さん。

● プログラム冊子の「ごあいさつ」によると,「いつ解散してもおかしくない状況でした」とある。「4年前のコンサートを知る団員は数名となり」ともある。多くの団員が去り,コロナ禍で団員の多くが入れ替わるくらいの変化があったらしい。
 その結果,だいぶ若返ったようにも推測できる。だとすれば,コロナ禍を若返りの契機に転じ得たと言えるかもしれない。災いを転じて福となすことができた? と,外部の人間は気楽に言うものだ。

宇都宮市文化会館
● が,大変だったのはこの楽団だけではないというのも事実でね。実際に解散のやむなきに至ったところもかなりの数,あったのではないか。
 家業を閉めざるを得なくなって,生活に支障が出た人たちもいただろう。芸能界では自殺者が相次いだ。個人的には「赤い公園」の津野米咲が命を絶ったのがけっこうショックだった。もちろん推測にすぎないのだが,コロナがなければ死なずにすんだものを。

● その中にあって,ともかく継続できたのだから,それだけで立派なものだ。核となる古参メンバーが踏ん張ったんだろうか。
 ともかく,奏者の平均年齢はかなり若い。客席を盛り上げようとするその仕方が高校生チック,という印象を受けたのだが,それも団員が若いからできることだろう。

● 演奏曲目の一々については記さないが,聴けて良かっと思ったのは「レット・イット・ビー」。古典となったビートズのこの曲のCDを引っぱりだしてみようかと思えたからね。やっぱり,これは名曲なんでしょうねぇ。
 同時に,クラシックやジャズ,ポップスなど各種ジャンルで名曲とされる曲に限ってみても,その全てを聴く時間はもう残っていないなとも思った。海からコップ1杯かせいぜいバケツ1杯の水を汲んだくらいにしか聴いていない。
 まことに,少年は(少女も)老いやすいものだよね。

2023年5月4日木曜日

2023.05.04 第26回マーキュリーバンド定期演奏会

宇都宮市文化会館 大ホール

● 黄金週間も後半。宇都宮市明保野公園には読書をしている人が多くて一驚。中には音読してる人もいて,さらに一驚。
 後半ということは,瞬きする間に黄金週間も終わってしまうってことですよ。そろそろ鬱の虫が疼きだす気の早い人もいるかもしれんね。

● なぜここに来たかといえば,隣の宇都宮市文化会館でマーキュリーバンドの定演を聴くため。黄金週間は吹奏楽週間でもある。
 開演は午後2時。入場無料。2部構成で,第1部の演奏曲目は次のとおり。
 ヤン・ヴァンデルロースト コンテスト・マーチ「マーキュリー」
 天野正道 レトロ
 樽屋雅徳 マゼランの未知なる大陸への挑戦
 アーノルド 第六の幸福をもたらす宿

● 「マゼランの未知なる大陸への挑戦」は初めて聴く。第2部は「ゲーム音楽でつづるピーターパン」。
 指揮は五十嵐貴宏さんと鈴木章郎さん。

● この楽団に限らずだけども,吹奏楽団って客性へのサービス精神が旺盛で,全部が上質なエンタメになる。
 となると,観客がどこまで乗れるかが演奏の出来に影響する? 客席が演奏に関与する度合いが高いという言い方でいいと思うが,とはいえ当然,主役はステージ側であって,こちらは釈迦の掌に乗った孫悟空だ。

● 第2部は映像でストーリーを伝えるやり方を採用。この楽団は毎回そうだ。映像の作り込みが好きな楽団だよね。好きな人がいるんだろうねぇ。
 そうしたことも含めて2時間を飽きさせない。2時間だからねぇ,大変なことですよ。

● アンコールは2曲。ジョン・ウィリアムズ「ダース・ベイダーのテーマ」とアース・ウインド&ファイアー「セプテンバー」。
 最も印象に残ったのが,アンコールの「セプテンバー」だった。はじける感じが。最後だぜっていうのがあったんだと思うけど。

2023年5月2日火曜日

2023.05.02 間奏:You Tubeで名古屋大学交響楽団の第123回定演を視聴

● カオスと化したわが家のぼくの居場所。You Tube で名古屋大学交響楽団の第123回定演(2022.12.18 開催)を視聴した。スマホでもいいのだが,Amazon の Fire HD 10 を買ったので,それで。
 動画を見るだけならiPadはオーバースペックもいいところ。Fire 10 はステレオスピーカ搭載なのだが,まぁそれなりのスピーカなので,ダイソーのBTスピーカ2台に飛ばして聴いた。

● 途中で広告が入ることもなく,全編通して視聴することができた。ベルリオーズ「幻想交響曲」。インカレ団体で,たぶん愛知県立芸術大学の学生もいると思うんだけども,大学オケが幻想交響曲をこのレベルで仕上げてくる時代になってるんですな。
 三点吊りマイクの他に要所にマイクを置いているのだが,第3楽章の弦の弱音を上手く拾えていなかったきらいがある。といっても,難しいねぇ。拾いすぎても困るわけだし。

● こういうのをネットで聴けるのだからありがたい。北関東の片田舎から愛知県まではなかなか行けないから。黄金週間の彩りになる。
 コロナでネット配信が一挙に増えた感がある。コロナには功もあったということですよ。続いて欲しい。やる方は大変だろうけどさ。

● この動画が You Tube にアップされていることはつい先日知ったのだが,最近アップされたのかもしれない。今月12日に124回定演があるようなので,それに合わせて短期間だけ公開することにしたのかも。これ以外にも上がっているのがあれば視聴したいが,見つからない。
 名古屋大学以外にもアップしているところがそれなりの数ありそうだが,探して聴いていこうと思う。

● Fire 10 とダイソーのBTスピーカで充分に楽しめるのだ。ぼくにはそれで足りている。細かいところにこだわらないですむ耳の悪さが,身を助けているような気がする。

2023年4月30日日曜日

2023.04.30 宇都宮中央(女子)高等学校吹奏楽部 第21回定期演奏会

宇都宮市文化会館 大ホール

● この高校の演奏会は,一昨年の第19回を聴いたのが初めて。
 その頃は開催できるかどうかは運次第というところがあった。寄せては返す波のようなコロナの感染状況次第。
 開催できたのはたまたま開催時期がコロナの冬眠期にあたったからだろう。すでにワクチン接種は始まっていたと思うが,開催できたのはやはり運が良かったからだとしか言いようがない。
 わずか2年前のことなのに,しかもあれだけ世界中がパニクった出来事なのに,すでに記憶からリアリティが失われつつある。だからこそ,これまで人類は滅びずに来れたのだとも思うんだけど。

● 昨年の第20回は聴いた記憶がない。開催情報を掴めなかったとは思えないから,他の遊びに呆けていたのだろう。あるいは他の演奏会と被ったのかもしれない。
 開演は午後2時。3部構成で演奏曲目は次のとおり。第1部はクラシックステージ。
 スパーク マーチッシモ
 チャイコフスキー イタリア奇想曲
 牧野圭吾 行進曲「煌めきの朝」
 天野正道 レトロ
 真島敏夫 3つのジャポニズム

 第2部はジャズ。
 スウィングしなけりゃ意味がない
 A列車で行こう
 イン・ザ・ムード
 オール・オブ・ミー
 シング・シング・シング

 第3部は “勝手にやっちゃって” ステージ。
 佐藤俊彦編 メイン・ストリート・エレクトリカル・パレード
 QUEEN(山下康介編) The Show must Goon
 マイケル・ブラウン編 This is me
 ダニー・ジェイコブ アロハ・エ・コモ・マイ
 岩井直溥編 オリーブの首飾り

 OGも加わって,さらに「オペラ座の怪人」と「青春の輝き」。

● 以上3部のいずれも面白かったのだが,どれかひとつあげろと言われれば(言われてないわけだが),チャイコフスキーの「イタリア奇想曲」になる。
 イタリアの風と雑踏,そこに立っているチャイコフスキーの佇まいが見えるような演奏だった。
 とまで言うと,いささか情緒が勝ちすぎた感想になるのだが,こちらは福嶋真理子さんによる説明(この曲が誕生した背景など)を受けたうえで聴いているので,その説明に引きずられた聴き方をしてしまいがちなのだ。

● 管弦楽より吹奏楽で聴いた方が,曲の設計図の線がはっきり見えるといったことがあるいはあるのかもしれない。
 ともあれ。難曲だろう。よくここまで手懐けたなと思った。

● 2部のジャズも熱演。
 ぼくはジャズにはあまり馴染んでいない。クラシックの方がスウィングできると思っているくらいで。
 それこそ,こういう吹奏楽の演奏で聴くくらいなのが実情だ。この機会にジャズも聴いていこうと思うのが毎度のことなのだが,実行できた試しがない。

● ひとつには聴くべきものが多すぎるのだ。クラシックに絞ってみたとて,なかなか広がりをつけることができないでいる。

● 第3部は高校生が懸命のサービス精神を発揮。彼ら彼女らにサービスしているという意識はないかもしれないが。
 気持ちよくそれに乗るのが観客のマナーだし,乗らなければ吹奏楽の醍醐味は味わえない。齢を重ね過ぎて重くなった殻を打ち捨てないといけないんだけど,なかなかできないものだなぁ。

● 宇中女の生徒は3年生だけになったらしい。あの制服ももうすぐ見れなくなりますよ。今のうちにしかと目に焼きつけておかないとね,諸君。女子制服の傑作ですからね。
 その中央女子高校と新生した中央高校の校歌の歌詞がプログラム冊子に掲載されている。こうした歌詞にも時代(の要請)が現れる。当たり前のことではあるのだが。

2023年4月29日土曜日

2023.04.29 アンサンブル cozy コレギウム 第1回定期演奏会

栃木県総合文化センター サブホール

● 黄金週間です。黄金週間がかきいれ時で,むしろ憂鬱になってる人もたくさんいると思いますが。
 毎日が日曜日のぼくは,黄金週間中は出歩かないことにしている。行楽地はもちろん,泊りがけでどこかに出かけるようなことは慎みたい。1人分の場所を塞いではいけない。それが年寄りの嗜みというものだ。

● ただし,この時期は吹奏楽の演奏会が多い。高校の吹奏楽部,市民吹奏楽団。ぼくの地元でも毎日,演奏会がある。コロナ禍で中止を余儀なくされてきた。4年ぶりだ。
 無意味に正確に言うと,去年はやったところが多かった。が,入場できるのは関係者のみとかっていう制限があったりしてね。
 連日,聴きに行く予定。ので,出歩かないというのはウソで,直線的な往復移動はする。

● ひとつ気になることがある。高校の吹奏楽部については,ネットに当事者からの情報が出ていないことだ。ころな以前は Twitter にうるさいほどに告知が出てたものだが。ぜひ来てね,損はさせないよ,と。
 高校側が情報制限をかけているのかと疑いたくなるほどだ。現時点ではまだコロナは2類のままなのだから,あまり宣伝はするな,と。

● ともあれ。今日が黄金週間の第一弾。吹奏楽ではなくて,クラシックの室内楽。アンサンブル cozy コレギウムの第1回定演。
 開演は午後2時。入場無料。来月5日には同じ内容で那須野が原ハーモニーホールでも開催する。そちらは500円。

● こういう団体があること自体,知らなかった。アンサンブル cozy とはそも何者か。主宰者の佐藤千文さんによると,彼女の両親と彼女の3人で始めたものらしい。もちろん,両親の主導で始めたのだろうが,現在では彼女の息子もメンバーになっている。母親もチェンバロで参加。三世代の揃い踏み。
 核になるのは弦楽合奏だけれども,今回は管の奏者も招いて小オーケストラの陣容を整えている。佐藤さんの吸引力が作っている団体のように思われた。

● 曲目は次のとおり。
 バッハ フーガ ト短調「小フーガ」
     イタリア協奏曲より 第1楽章
     ブランデンブルク協奏曲第5番より 第1楽章
     管弦楽組曲第3番より 序曲
 モーツァルト 交響曲第41番より 第3楽章・第4楽章
 演奏会の副題が「フーガ・FUGA・風雅」となっており,それゆえ上のような選曲になったわけだ。

● バッハは生とCDの差が少ない。少なくともベートーヴェンの交響曲に比べれば少ない。が,その少ない差が大きいのでもある。生で聴くのがいいに決まっている。バッハもモーツァルトも生で聴ける機会は意外に少ないから,聴ける機会は逃したくないものだ。
 バッハといえば,神々しさ,折り目正しさ,禁欲性などがイメージされるのたが,今回感じたのは清涼感だ。涼しい。色でいえばいわゆる新橋色(ターコイズブルー)。バッハとモーツァルトなのだから,清涼感が残るのは当然といえば当然なのではあるけれど。

● アンコールは「名探偵コナン メインテーマ」。も気が入っていて,立派な作品になっている。いいものを聴いたという感じ。

● 団体として雑味がないように感じられた。本当に好きな人たちが集ってやっているという感じ。奏者個々の技量にはバラつきがあるのが普通かと思うのだが,そのバラつきの度合いも小さいのではないか。
 黄金週間だというのに,この人たちは遊ばないんだねぇ。人と同じことをしないのは正解への道でもあるのだが,そうは言ってもなかなかねぇ。

● 今回はマスクをしないで聴いた。丸3年ぶりか。ずっとモヤッとしてたんですよ。ライヴがつまらなくなった,これなら家でネット配信の演奏動画を聴いてる方がいいんじゃないか,と思ったりしてたんですよ。
 ひょっとすると,マスクのせいだったか。マスクをして聴くのってストレスだったのかも。そのストレスがステージに集中するのを妨げるのかもしれないな,と。
 もしそうだとすると,奏者側は一層そうだったろう。弦奏者はマスクをして演奏してたもんね。それってとんでもないストレスだったのじゃないか。いい演奏をしようとするベクトルの向きを遮る働きをしてたってこともありそうだ。

2023年1月2日月曜日

2023.01.01 間奏:ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート

● NHK(Eテレ)が放送したウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを視聴した。今回が二度目の視聴になる。指揮者のメストは10年ぶり三度目の登場とのことなのだが,前回は10年前のメストのとき。
 テレビだと音がベタッと寝てしまう。これじゃダメだと思って,以後,遠ざかった。
 音をどうにかしないと。そのままではテレビはオーディオ機器にはならない。

● ネット配信とBTスピーカの登場を待つ必要があった。いや,そんなに待つ必要はなかったのだ。とっくに出ていたのに,こちらの対応が遅れに遅れて10年も経ってしまった,というのが実情だ。
 もったいないことをしたかな。歳月をムダに捨てた,みたいな。非常に大げさに言えば,だけど。

● その間に,ウィーン・フィルでも女性奏者が増えていた。といっても,まだ少ない。N響など日本の楽団に比べれば際立ってそうだが,欧州の中でもウィーン・フィルの男性優位はかなり目立つ。
 東洋系や南米系はいない。純血主義の残滓を感じた。それが悪いと言っているのではない。国際化するばかりが能ではない。
 不思議だなと思ったのだ。オーストリアの人口は東京より少ないのに,純血主義を引きずりながらこの水準を維持できている。音楽界の最大の不思議ではないか。

● 岩城宏之さんがこのあたりを話材にしてエッセイを書いていた。ウィーン・フィルをギルドに例えていたと記憶している。ウィーンフィルのメンバーは職能として子供に受け継がれることが多いのだ,と。
 それによって門外不出のノウハウが溜まっていったのではないか。それがウィーン・フィルらしさを作ることになった。というような内容だったと記憶しているが,違っているかもしれない。
 一方で,ベルリン・フィルはダイバーシティの坩堝だから,ハプスブルク帝国のお膝元も変わっていくのだろうとも思う。

● 観客は上級国民なんでしょ。一般市民に回ってくるチケットなんてあるんだろうか。まして,何のコネもない外国人じゃ手も足も出まいね。ぼくはネット配信で充分だけどね。
 ヨーロッパは今でも階級社会だと言われる。階級社会であることは人間の自然が然らしめるところかもしれない。
 日本のように華族制度を廃止し,実際に出自や家柄がほとんど考慮されることがない(のみならず,考慮することは差別として忌避される)社会は珍しいのだろうと,納得することにしている。
 ま,ぼくらのような一般大衆からは見えないところで,出自や家柄が活きている部分社会は日本にも存在するんだけどさ。

● このニューイヤーコンサートの映像を見て,音楽の都の聴衆はこうなのか,我々も見習わなければ,となってしまうことに対しては,ちょっと待て,と言わなくては。
 それでは,にわか造りの鹿鳴館に集まった紳士淑女と同じことになってしまう。ひと言で申さば,チンドン屋的滑稽さをまとうことになる。

● あの格好をしてコンサートホールの客席に着座するのは,申しわけないけれども,貴方やぼくにはまったく似合わない。
 似合うようになるためには,たぶん,生まれ変わる必要がある。

● ウィーン楽友協会の黄金ホールはステージがかなり高くなっている。これだと,1階席の前方に座ってしまうと音が頭上を通ってしまうんじゃないかと思うのだが,そんなこともないんだろうか。
 ぼくがこのホールの客席に着座することはあり得ない話だから,心配しても仕方がないんだけどね。